ホテルで朝食プロジェクト

いまさらながら、なのだけれど。知人との会話で盛り上がったものだから。

数年来、ささやかながら、妻と「ホテルで朝食プロジェクト」というのをやっている。といっても、他愛のないもので、朝、ちょっと早めに家を出て、ホテルで朝食を食べて、その後、なにがしかの活動をする、というだけのもの。

例えば。

朝、6:00ごろ家を出て、箱根に向かう。芦ノ湖湖畔のプリンスホテルで朝食ブッフェを食べる。ゆっくりコーヒーのおかわりをして、食後、湖畔を散歩。強羅のポーラ美術館へ。開場と同時に入場して、ゆっくり鑑賞。昼食は抜き。湯本に降りて、日帰り温泉に入浴。軽くお茶して、夕方のうちに帰宅。

横浜のホテルニューグランドで朝食ブッフェ。その後、トリエンナーレをゆっくり鑑賞。

葉山のホテル音羽の森で朝食プレート。サラダに虫が入っていて、お詫びの印に自家製ジャムを頂戴。金沢シーサイドパラダイスで癒やしの一時。アウトレットに立ち寄って帰宅。

といった塩梅。

旅行で旅館やホテルに泊まる楽しみを突き詰めていくと、朝食の時間帯、というのの比重が結構高いように思う。非日常というか、悠久の時、というか。すごくゆったりした気分を味わえる。しかし、一般的には、一流の旅館やホテルの宿泊料金は決して安くない。朝食だけでも、と思っても、旅館では実現できそうもない。というわけで、ホテルで朝食。

じつは、このプロジェクトを思いついたのには、伏線がある。

ずうっと以前、小学館からジャストシステムに転じたばかりのころ。かなりの頻度でアメリカのいわゆるベイエリアに出張していた。そのころは、まだジャストシステムにも勢いがあって、旅費も潤沢だった。で、定宿にしていたのが、エル・カミーノ・レアル沿いでスタンフォード大学近くのスタンフォード・パークホテル。ちょっとスノッビーなホテルで、チェックアウト時など、ピンストライプのスーツにアタッシュケースでびしっと決めたベイエリアではめずらしいようなビジネスマンが階段を降りてくる感じ。

ウィークエンドを挟んで滞在しているとき、日曜日の朝食の時間がちょっと遅くなると、ダイニングがすごく混んでいる。それも、明らかに滞在客ではない地元の人たち。ちょっとドレスアップして、ゆったりと食事している。この光景がとても印象に残っている。ああ、こういうのをブランチって言うんだ、みたいな。もしかしたら、教会のミサか礼拝の帰りかも知れない。泊まり客でなくても、ホテルで朝食を食べたっていいんだ。

子供たちが独立し、夫婦で自由に過ごせる時間が増えてみて、以前の光景が蘇った。今なら、実行できる。

べつに、頻度が高いわけではない。まあ、年に一二度といったところ。でも、その充実感とリフレッシュ度は半端ではない。朝早くから動き出すし、道はすいているし、昼食抜きになるし(特にブッフェだとついつい食べ過ぎるので、昼食を食べたくても物理的に無理だったりするし)。時間が有効に使えるし、比較的早い時間に帰宅できるし。

今度は、どこのホテルに行こうかな。

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インドネシア、バリ島の人形影絵芝居 ワヤン クリッ

8月7日(水)みなとみらいホール、屋上庭園

素敵な時間だった。ぼくたち夫婦に長男(巌生)の一家4人と。

演者は、梅田英春とその一座。

http://wayangtunjuk.web.fc2.com/

何がいいって、ビールを飲みながら鑑賞できる。歩き回ってもいい。近くのコンビニが出張してきていて、飲み物や軽いスナック、ホットドッグなどを売っている。

孫たちなんぞ、一番前の席(正確には一番前の席のそのまた前のクッションの上)に陣取って、親から支給されたスナックを、初対面の隣の子たちとボリボリやっている。

ぼくと巌生は、もちろんビール。

数日前の8月4日(日)に、石田泰尚クンがメンバーになっている3℃というピアノトリオの演奏会を聴いた。これもすこぶる楽しかった。モーツァルトやメンデルスゾーンのピアノトリオを、ラフな服装で弾く。ガーシュインのラプソディー・イン・ブルーは、ピアノの清塚さんの編曲で、アドリブたっぷりの完全にジャズのノリ。アンコールに至っては、モーツァルトのトルコ行進曲やモンティのチャルダッシュを自由自在にアレンジして弾きまくる。正統的なクラシック音楽の伝統のもとで鍛えられたテクニックを自由自在に操って、闊達な音楽を展開する。

その少し前に聴いた弥勒さんのみんなの古楽も含め、どこか通底するところがあるような気がする。

考えてみると。先日読んだ宮本直美さんの『教養の歴史社会学―ドイツ市民社会と音楽』で描かれていた正統ドイツ古典音楽を、いわば空白の中心として、時代と場所を越えて、さまざまな音楽が呼応し合う。いみじくも、弥勒さんが言っていた「打倒、小学校の音楽室にかかっているカツラ頭の肖像画」みたいな。

梅田座のパーフォーマンスは素晴らしかった。あまちゃんの「じぇじぇじぇ!」を初めとした時宜を得たジョークなども交えて。

そう言えば、ヨハン・シュトラウスのこうもりの最後の幕の幕開き、看守のフロッシュの一人語りにしても、歌舞伎にしばしば登場する役者本人の揶揄にしても、演劇空間が聴衆の生活の場と地続きになっていることを思い起こさせる大きな効果がある。

ぼくは、ヒンドゥー教の伝統のこともバリ島の影絵芝居のこともつまびらかにはしないが、あのとき、影絵のスクリーンをある種のゲートウェイ(まさにドラえもんのどこでもドア)にして、生活の場が神話世界に直接つながっているという実感を持つことが出来た。

芝居が終わった後も、余韻と共に、楽器や影絵人形をさわらせてくれたのも、とてもよかった。

夏の夜のひととき、親子三代がごく自然に参加できる楽しみの場を提供してくれた企画者たちに、感謝の拍手。

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新国立劇場で観るびわ湖ホールのクルト・ワイル「三文オペラ」

7月14日、新国立劇場中劇場。

新国立劇場では、地域招聘公演と称して、地方のめぼしいオペラのプロダクションを招いて上演する、という企画を継続的にやっているらしい。そのこと自体、とてもすばらしいことだ。

新国立劇場からは、ここしばらく足が遠のいていたけれど、びわ湖ホールの「三文オペラ」という道具立てに、思わずそそられて足を運んだ。結果は、大正解。十二分に堪能できた。

びわ湖ホールには、一度だけ行ったことがある。2008年の夏。小澤征爾音楽塾プロジェクトの喜歌劇こうもり。

びわ湖ホールの評判は、若杉弘さんの音楽監督としての手腕と共に、随分聞かされていた。一度、行きたいと思っていたが、横浜在住の身としては、おいそれと行けるわけでもない。結構思い切った決断をして、出かけたのだった。

その時、もちろん、小澤さんの指揮も、オーケストラやキャストの若々しい演奏も、素晴らしかったのだけれど、一番、感銘を受けたのは、その観客の質の高さだった。スノッビズムとか教養主義とか言って笑われるかも知れないが、拍手の絶妙なタイミングからして、おおおっ、この人たちは本当にオペラのことが分かっていて、その上で、心から楽しんでいるんだなあ、というのが伝わってきた。インターミッションのおりの華やいだそぞろ歩きも、また板について見えた。

若杉弘さんが10年間かけて、まさに手塩に掛けて育てた聴衆なのだ、という感慨を覚えた。このこうもり公演の時点で、若杉さんは、びわ湖ホールから新国立劇場の音楽監督に移っておられたが。若杉さんの後任には、まさに気鋭の沼尻竜典さんが就任していた。

そう言えば、ずっと以前、1993年に藤沢市民オペラで若杉さんがトゥーランドットを指揮された折、沼尻さんも副指揮者として参画していたように記憶している。

そんなやかやで、ぼくは、びわ湖ホールには、一度きりしか行っていないにもかかわらず、曰く言いがたい親しみと尊敬の念を持っている。

三文オペラ。じつは、ぼくは、このオペラ(というか劇)を観たことがなかった。以前、従兄弟の矢野誠と、どういうわけか音楽談義になって、オペラやオペレッタがブロードウェイのミュージカルとどうつながっているか、みたいな話題になり、誠が、「かぎは、ワイルの三文オペラだよ」とえらく断定的に言っていたことが、印象深く記憶に残っていた。

三文オペラを知るのにも、いい機会だなあ、と思った次第。

素晴らしい上演だった。びわ湖ホール、やってくれるね、みたいな。

しっかりした歌唱力だけではなく、ブレヒト作の劇作品としても、地の台詞の端々まで神経が行き届いていたし、舞台も簡にして過不足のない作りだった。演出が、藤沢市民オペラとも縁の深かった栗山昌良さんというのもうなずける。

ブレヒト(とワイル)が仕込んだ、オペラという様式に対する毒のあるパロディも感じることが出来た。フィナーレなど、もう、バロック時代の教訓オペラそのもの(言っていることは真逆だけれど)。ふと、ヴェルディのオテロで、イヤーゴが歌う、悪のクレドを思い浮かべたりして。

2014年のシーズンからは、新国立劇場の公演も、いくつかは観に行こうと思っている。そして、機会があれば、ぜひ、またびわ湖ホールにも行きたいなあ。

 

 

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みんなの古楽(響け!愛のヴァイオリン)

7月21日(日)。横須賀・ベイサイド・ポケット。

5月26日(日)に引き続き、2013年度二度目の演奏会。5年続いたシリーズの最終回にも当たる。

<第2回 響け!愛のヴァイオリン>

■出演

アンサンブル「アニマ・コンコルディア」
 戸田 薫 (ヴァイオリン)
 パウル・エレラ (ヴァイオリン)
 懸田貴嗣 (チェロ)
 西山まりえ (チェンバロ)
彌勒忠史 (カウンターテナー)

■曲目

メルーラ チャコーナ
ビーバー 8つのヴァイオリン・ソナタより ソナタ 第6番 ト短調
コレッリ 3声の教会ソナタ op.3 第12番
ヘンデル トリオ・ソナタ ト短調
ほか

 

稀代のカウンターテナーで名プロデューサーでもある弥勒忠史さんが、今回は声楽中心ではなく、ピリオド奏法のヴァイオリンデュオであるアニマ・コンコルディアを軸に据えたプログラムを企画した。このプログラムビルディング自体が素晴らしいと思う。もちろん、演奏も。

チェロの懸田貴嗣さんのチェロ、おなじみ西山まりえさんのチェンバロも含め、バロック時代のトリオソナタを演奏するグループとしては、贅沢きわまりない編成となった。

こぢんまりとしたホールに流れるふくよかな音楽の流れに身を任せていて、ふと我に返って「あれっ、ここは2013年の神奈川県横須賀市。日曜日の昼下がりなんだ」と世俗の時空に引き戻された瞬間、今この場で起こっている出来事の贅沢な幸福を猛烈に感じる。

日曜日の午後、横浜の自宅からちょっとしたドライブを経てやってくるこの空間は、弥勒さんという名プロデューサーの企画を積み重ねることによって、本当にぼくたちの日常に豊かな彩りを与えてくれる確かな場となっている。

来年以降も、趣向を変えて、何らかの企画が継続するとのよし。楽しみだなあ。

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キュレーションということ

2013年7月15日。

巌生(長男)一家に引っ張り出されて、町内会の納涼盆踊り。といっても、盆踊りを踊るわけでもなく、最初からブルーシートの上に座り込んで、焼き鳥を齧りながら缶ビールを飲んで、巌生と雑談。孫たちは、それぞれに友だちと遊び回っている。

この雑談が、思わぬ方向に展開した。

最初は、今はやりのLODにおける語彙統制の問題だった。NIIの武田教授からうかがった話だが、武田さんたちのグループでやっている、LODAC Museumのプロジェクトでも、複数の美術館や博物館のメタ情報を連携させる際の最大の難関は、RDFのラベルに使われる語彙をいかに関連づけるか、というところにあったという。

今、徐々に準備が進みつつある、日本版のNIEM(National Information Exchange Model)にしても、各省府庁が持っているデータの属性語彙を整理統合するのに、大変な労力が必要になることは、想像に難くない。

そもそも、あるコミュニティで共有される語彙(語彙空間)が他のコミュニティで共有される語彙(語彙空間)とcommensurableであるという保証はどこにもない。むしろ、コミュニティが異なればそれぞれの語彙(語彙空間)はincommensurableであると考えた方が、自然だろう。というか、commensurableな語彙(語彙空間)を共有する集団のことをコミュニティという、と言い換えてもいいのかもしれない。

先般、ぼくは、IDPFにおいてEPUBに日本語組版機能を組み込む際の一連の出来事を、そのような複数コミュニティ間の相互理解の断絶、という観点から論じたことがある。(要求する側の言語と実現する方法についての一考察

この論文で取り上げた例だけではなく、ITビジネスへの係わりの中で、ぼくは、サービスを提供する側と提供される側の絶望的なコミュニケーションの断絶をイヤと言うほど見てきた。そうした経験を踏まえて、そのような断絶へのささやかな対処方法を一言で述べれば、「せめて意思の疎通が出来ていないかもしれないという想像力(イマジネーション)だけは失わないようにしようね」といったことに尽きる。

そんな話題から、話は突然、先日妻と見に行った、「夏目漱石の美術世界」(東京芸術大学美術館)の話題になった。この展覧会は、すこぶる面白かった。夏目漱石という一人の稀代の大文豪の人生と作品を軸として、古今東西の美術作品を縦横に渉猟してきたすこぶるつきの大展示だった。漱石が生きた時代を彼が目にしたであろう美術作品を通して、まさにグローバルなスケールで感じ取ることが出来た。特に、英国留学の際に立ち寄ったという1900年のパリの万国博覧会。ああ、漱石が生きていた時代は、博覧会がメディアとして生き生きと機能していた時代だったのだ、という深い感慨を抱かされた。その時代は、マネやモネ、そして、恐らくはドビュッシーが浮世絵から多くのインスピレーションを得た、まさにジャポニスムの時代でもあったのだ。

それにしても、これだけの多くの作品を、漱石という文学者が残した言葉(文字)からたぐり寄せるには、どれほどの時間と労力が必要だっただろう。一人のキュレーターの仕業か複数による仕業かをぼくはつまびらかにはしないが、展示全体にあっぱれな気迫がこもっていた。

二年ほど前に、佐々木俊尚さんが『キュレーションの時代』という本を出版した。ぼくは、それを面白く読んだ。それとともに、編集という営為とキュレーションという営為の違いはどこにあるのだろうか、とか、美術館や博物館におけるキュレーションと、佐々木さんの言うキュレーションがどのように重なり合い、どのようにずれているのだろう、といった素朴な疑問も浮かんだ。言葉の定義はさておき、ぼくには、編集という営為もキュレーションという営為も、非常に近しいものに思えたし、過去に見た展覧会などで、まさにキュレーションの力としかいいようのない感銘を受けたことも一度ならずあった。

例えば。佐々木さんも取り上げていた「シャガールとロシアアヴァンギャルド」と題された展覧会。ぼくも、この展覧会を見て、深い感銘を受けた。そういえば、この展覧会も芸大美術館だったなあ。

じつのところ、ぼくがこの展覧会を見に行った一番の動機は、彼がメトロポリタン歌劇場改修後のこけら落とし公演のために制作した魔笛の衣装と舞台装置だった。

何がすごいって、いわばロシア革命と共に歩んできたシャガールが、その最晩年にいたって、1967年のニューヨークで、オペラの舞台装置と衣装を手がけた、という歴史的な事実。何か、資本主義万々歳みたいな時代じゃない。メトロポリタン歌劇場は、ほとんどそのシンボルといってもいいだろう。何で、メットなのよ、みたいな。

でも、対象となった作品は、魔笛だもんね。モーツァルト最晩年の(イタリア語ではない)ドイツ語による作品。ジングシュピールという大衆的な音楽劇の形式。そして、モーツァルトは夙にフィガロの結婚で、貴族社会の崩壊と市民社会の台頭を予見していた。

どういう経緯でシャガールがメットのための作品を作ったのか、ぼくは知らない。それでも、展示全体が最後の魔笛に収斂していることはひしひしと感じることが出来た。というか、この展覧会を企画した人(人たち)は、この魔笛を見せたいためにこの展覧会全体を構成したのではなかったか、とさえ思う。

ついでと言っては何だけれど。キュレーションの力を思い知らされた展覧会をもう一つ。ポーラ美術館で開催された「レオナール藤田展」。

藤田の絵画作品も絵画作品だけれど、何がすごいって、土門拳が撮影した藤田のアトリエの写真を手がかりにして発見された藤田のマチエールの秘密。

藤田は、ミラクルホワイトと呼ばれる独特の乳白色を武器に、パリの画壇に挑んだのだった。そして、当然のことながら、そのマチエールとアトリエは同業者の画家たちには決して明かされることはなかった。しかし、異業種の巨匠土門拳に、戦後の一時期日本に帰っていた藤田は胸襟を開いた。土門が撮る藤田の写真の数々もまた素晴らしかった。

そんななかの何気ない一枚、藤田のアトリエの机を写した写真に、写っているシッカロールの缶。藤田のマチエールの特色は、西欧的な油絵の世界に、面相筆と墨という日本画の技法を持ち込んだところにある。しかし、まさに、水と油。油性を基本とするキャンパスに水性の墨を馴染ませることは容易ではない。藤田が、その水と油の融合のためにタルク(滑石)を主成分とするシッカロールを使っていたとは。

展示からは、この発見をした学芸員の興奮が伝わってくるようだった。

ここで忘れてはならないことは、この展覧会の会場がポーラ美術館だということ。言わずと知れた化粧品メーカーの一方の雄。そして、この美術館には、錚々たる印象派の作品群だけではなく、洋の東西にまたがる化粧品の歴史を物語る収蔵品も多くあり、常設展示されている。

ポーラ美術館の学芸員でなければ、シッカロールの缶に注目することもなかったのではないか。

こんな話を、町内会の盆踊りの喧噪の中で巌生としていた。

そう、LODが目指すべきことが、ぼくたちには少し分かったような気がした。

異なる文化やコミュニティの間をつなぐこと、壁に風穴を開けること。

夏目漱石と美術世界にしても、シャガールの魔笛にしても、レオナール藤田と土門拳にしても、そのキュレーターたちは、異なる分野を縦横に渉猟して、一つの物語を紡ぎ出す才能と学識を持っていた。ぼくたちITに係わるものに出来ることがあるとすると、そのような営為を手助けするためのツールとデータ群の下準備ではないか。願わくば、一般の人たちが、インターネットの世界をまさにぶらつきながら、みずからの視点で新しい物語の紡ぎ出しの手伝いをすることではないか。

異なるコミュニティの間をつなぐ語彙を求めること。それが原理的には不可能なことだとしても。想像力を忘れることなく。

町内会の盆踊りも、悪くはないなあ。

 

 

 

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歌丸の真景累ヶ淵

2013年6月14日、野毛にぎわい座。

ここのところ、古今亭志ん輔が続けてやっている真景累ヶ淵を聴いている。

デザイナーの平野甲賀夫妻が企画運営しているいわと寄席の一環。甲賀夫妻と親しい編集者の及川明雄さんが声を掛けてくれる。気の置けない仲間との高座前後の食事もまた楽しい。前回はちょうどIRG香港会議と重なって、ぼくは行けなかったけれど、妻はいそいそと出かけていった模様。

落語そのものを聴くようになったのも、いわと寄席のおかげなのだけれど、志ん輔さんの真景累ヶ淵は思わぬ余録も産み出した。明治期初頭の速記による新聞連載と言文一致の日本語文体の成立との係わり。

柳家三三がやはりにぎわい座で6回通しでやった談洲楼燕枝の鵆沖白波も後半だけだけれど聴いた。

そんなやかやで、先般、やはり三三が鎌倉芸術館でやった豊志賀の死とかも聴いた。

で、妻が「あら、歌丸師匠がにぎわい座で真景累ヶ淵をやるわよ」というので、聴きに行った。第四話「勘蔵の死」と第五話「お累の自害」。

この日は、昼間、都内で所用があった。帰りがけに、東京駅構内のグランスタで豆狸のいなり寿司が3個入った小ぶりの弁当を二つ買った。

にぎわい座で妻と待ち合わせ、ロビーのベンチで、弁当を食べた。歌舞伎座で食べるにはちょっと、だけれど、寄席で食べるにはバッチリね。

同じ真景累ヶ淵でも、演者が異なれば、随分違う。圓生の長尺ものだから、当然ながら筋が立っている。それでも、こうも違うものか、と思うほど違う。それでも、青空文庫から落としてきて読んだ圓生の書き起こしとは、それぞれにぴったり重なって聞こえてくる。音楽の演奏で起こっていることとそっくり。

志ん輔も三三も、それぞれにとびきりうまい。それでも歌丸師匠の、特に、お累の自害の最後の辺りは、ちょっとした照明の工夫もあって、まさに背筋がぞくぞくしてきた。怪談の真骨頂。

端然とした話しっぷりから、観衆を恐怖に引き込む力量。こういうのを風格っていうのだろうな。

何時もの通りの幕間にモナカアイス。後半最初の江戸屋まねき猫さんの動物ものまねが花を添えていた。

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クラシッククルーズ 石田泰尚リサイタル

2013年6月25日。みなとみらい大ホール。

石田クンを心して聴くようになったのはいつごろからかしらね。

みなとみらいホールが企画運営しているクラシッククルーズの前身にあたる「ひるどきクラシック」のころからかなあ。神奈フィルのコンサートマスターとして定期的に出演していた。そのころから圧倒的にキャラがたっていた。

何かのきっかけで、彼がやっているBeeとトリオリベルタという共にちょっと正統的なクラシックからは突き抜けている二つのグループの演奏会に続けて行って、はまった。今では、押しも押されぬカリスマヴァイオリニスト。

クラシッククルーズは、前身の「ひるどきクラシック」のころからよく通っている。スケジュールが合えば、原則として行くことにしている。ウィークデーのまさに昼時、40分というハーフポーションの時間で、比較的親しみやすい音楽を、低価格で聴くことが出来る。クラシッククルーズに衣替えしてから、演奏者の顔ぶれも一段とアップして、時間こそ短いというものの、一般の室内楽演奏会としても決して見落とりするものではない。

聴衆は、高齢のカップルやグループが多い。そのほとんどが、ぼくたちのような常連客のように見受けられる。

 

石田クンのリサイタル、昼の部は、大ホールが満席になった。クラシッククルーズとしてはぼくにとって初めての経験だった。

昼の部(12:20開始)は、ラヴェル、ドビュッシーの小品と、フランクのヴァイオリンソナタというフランステイストのオーソドックスなプログラミング。

午後の部(14:30開始)は、前半が石田クンおとくいのピアソラで、後半が映画音楽というポピュラーなプログラミング。

ともに、いつもの、ものすごくリリックな音色と、アパッショナートな躍動が違和感なく共存する石田節の真骨頂。十二分に堪能できた。

そして、昼食。

ホテルパンパシフィックに入っている加賀料理の大志滿のお弁当。これが絶品。先付けと治部煮が先に出て、さらに2段重ねの重箱にご飯と吸い物。音楽会の合間に1時間も掛けてゆったり食事とは、何という贅沢。

車で行けば自宅から20分ほどのところで、豊かでゆったりとした幸せな非日常の半日を過ごすことが出来た。

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みんなの古楽2013(横須賀・ベイサイド・ポケット)

2013年5月26日。

カウンターテナーの弥勒忠史さんプロデュースのシリーズ。5年計画の最終年。

クロマティズムの官能と題して、C.ジェズアルドのまさにクロマティックな曲の数々。1600年前後、遣欧使節が訪れたころの音楽。古典派やロマン派の音楽を飛び越えて、20世紀の音楽に直接呼応するような新鮮な響き。ケプラーが夢想した天空の音楽とは、もしかしたらこのようなものだったのかも知れない。

弥勒さんに最初に接したのは、2005年の藤沢市民オペラ「地獄のオルフェ」ハンス・スティックス役。そのとき、ぼくはオーケストラピットに入っていた。そのころから、弥勒さんの音楽は、並み居る主役たちを喰うことを厭わず、といった気概に満ちていた。その後、平塚で行われた岩崎由紀子さんとのジョイントリサイタルを聴いたのがきっかけになって、横須賀芸術劇場を舞台に弥勒さんが展開している一連の企画を聴きに行くようになった。

多分、最初は、モーツァルトの劇場支配人。これについては、昔このブログに書いた。その後、ほとんどすべての公演を見ていると思う。弥勒さんの企画は、一連のバロックオペラから始まり、一方ではルネッサンスに遡行する古楽器や声楽のアンサンブルに向かい、他方で、ワーグナーやヴェルディに代表されるようなグランドオペラとはちょっと異なるオペラの潮流を辿ることとなった。挙げ句の果てが、メノッティオペラの連続上演。その精華が2009年によこすか芸術劇場開館15周年の記念事業として行われた「タンクレディとクロリンダの戦い」と「ダイドーとイニーアス」の二本立て。これは、歌舞伎風だったり南洋風だったりの舞台設定も含めて、秀逸の出来だった。世界中、どこに持っていったって恥ずかしくない。

近ごろは、この至福の楽興の時に加えて、とびきりのプライムリブを食する楽しみが加わった。ステーショングリル。プライムリブを食べさせてくれる店は、日本には多くない。まあ、赤坂のロウリーズ・プライムリブが有名だけれど、値段がねえ。以前、長男の巌生と西海岸に行ったとき、樋浦さんの推薦でサンフランシスコダウンタウンの何とかって店に行って、すごく旨かったことがある。このステーショングリルは、そんな思い出と共に、本格的なプライムリブが比較的リーゾナブルな値段で食べられる。いい音楽と旨い食事は、不可分。

ウィークエンドの午後、都心とは反対方向に車を走らせて聴き味わう音楽と食事の時は、ぼくたちの日常を贅沢な幸福感で満たしてくれた。

 

 

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阿辻さんの『漢字再入門』(中公新書)

阿辻哲次さんが新著『漢字再入門』(中公新書)を送ってくださった。香港に来る飛行機の中で読んだ。特に読みたかったところが、2時間目の「とめ・はね・はらい、ってそんなに大事なの?」という章。我が意を得たり、というか、よくぞ言ってくれた、という感が強い。

この本の流れの中では、特に、初等教育における行きすぎた字形の細部への拘りへの継承なのだけれど、この議論を行政の現場に移しても、そのまま通用するように思われる。

いくつか、心の中で快哉を叫んだところを引用すると。

「あえて失礼なことを言わせていただければ、漢字の筆画で『はねる・はねない』などにこだわる先生は、『厳しく指導している』のでもなんでもなくて、どのように書くのかが正しいのか自信をもって指導できないから、単に辞書や教科書の通りでないと正解にできないだけのことなのです。」

「『はねる・はねない』とか、『交わる・交わらない』など、非常に細かい差にこだわる先生方は、『常用漢字表』に述べられている『デザイン差』に関する記述をきっとご覧になったことがないのだろうと思います。」

IRGの場でも、この手の議論が、延々と続くことがある。阿辻さんも書いておられるように、「はねる・はねない」の違いで大きく意味が異なる場合もある。しかし、大方は、書体やフォントによるまさにデザインの相違であったり、手書きの文字を明朝体のデザインにする際の揺れだったりする。ちなみに、現在の改定常用漢字表には、明朝体のデザイン差についての記述と共に、「明朝体と筆写の楷書との関係について」という記述もある。

IRGでは、文字の同定は基本的に、ISO/IEC 10646のAnnex Sに記載されているいわゆる”Unification Rule”を用いているのだが、ぼくは、どうもこの名称が議論をミスリードしているように思えて仕方がない。むしろ、同一視するための規則を並べるよりも、同一視してはいけない場合を明確にするための規則を並べた方が分かりやすかったのではないかということ。いわば、「情報交換や社会生活の上で区別して扱う必要がある差異以外は区別しない」というごく当たり前の考え方。文字だって、情報処理的にも言語学的にも記号そのものなのだから、原点に立ち返って、区別するための単位(すなわちビット!)という観点から考え直した方がいいと思うのだ。

阿辻さんの本を読みながら、改めてそんなことを考えた。

 

 

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香港で観るホフマン物語

香港滞在の最後の晩。オッフェンバックのホフマン物語を見た。

英子ちゃんが所属している香港シンフォニエッタがピットに入っていた。

このオペラを、ぼくは存分に楽しんだ。

じつは、行く前はちょっと不安があった。もう何年も、一人でオペラを観に行ったことがない。いつも妻と一緒。多分、最後に一人で来たオペラは、バーレンボイムが指揮をしたベルリンドイツオペラのワルキューレ。もう、何年も前のこと。そのときは、ちょっと寂しい思いをした。今回も、一人でオペラを観て、楽しめる自信がなかった。

杞憂に終わった。ぼくは、十分楽しんだ。

演出はとてもよかった。屏風のようなスクリーンに映し出されるシルエットがすごく効果的だった。オペラが始まる舞台となるレストランがそれぞれの幕でも存在感を残しており、特に、椅子の使い方が秀逸だった。オーケストラと歌のコンビネーションには最初の方で少し違和感を覚えたが、そのうち気にならなくなった。歌手陣は、まあ、出来不出来はあったとしても、決して決定的な破綻に至るようなことはなかった。

しかし。そんなことは、どうでもいい。問題は、楽しめたかどうか。

ヨーロッパに旅行してオペラを観るとき、いつも感じることがある。オペラは劇場だ。同じことは歌舞伎にも言える。金比羅宮近くの金丸座で観る歌舞伎と、東銀座の歌舞伎座で観る歌舞伎は決定的に違う。たとえ、同じ演者が同じ演目を演じても違う。そして、近ごろこけら落としをした新しい歌舞伎座でも違うに相違ない。

同じようなことは、絵画にも言える。国立博物館で観たレオナルドの受胎告示と、旬日を経ずにウフィツィ美術館で観た受胎告示は、ほとんど別の作品に思えた。

ぼくが観たオペラは、紛う方なく香港のオペラだった。中国語と英語の字幕が両方出ていた。隣に座っていた老カップルの夫人の方は、はっきり分かるブリティッシュイングリッシュだった。着飾った西欧人と東洋人がともにいた。歌手も、東洋人と西欧人が混ざっていた。オケピットには、日本人の英子ちゃんと中国人の夫君ルー君がいた。そして、ぼくは、旅行者として、このオペラを観た。

どう表現すればいいのだろう。突飛な言い方だけれども、ぼくは、ある種の懐かしさを覚えていたのかも知れない。ぼくは、何度かホフマン物語を見ている。ホフマン物語はやったことはないけれど、いくつものオペラのピットにアマチュアプレーヤーとして入っている。そして、日本でもヨーロッパでも、数限りなくオペラを観ている。懐かしさと言うのはもしかしたら、そういうことなのかも知れない。即ち、ぼくが生きてきた歩みの中にオペラ鑑賞というのは、少なからぬ比重を占めている。そして、今日観たホフマン物語は、そんなぼくの歩みに、確実に一つの記憶として刻み込まれる。

オペラの後で、英子ちゃん、夫君のルー君、そして同じオケでホルンを吹いているますみさんという素敵な女性とちょっと呑んだ。たまらなく楽しかった。そう、ぼくは、香港の最後の夜をものすごくリラックスして過ごしたのだった。

また来よう。そして、英子ちゃんたちの音楽を聴こう。

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香港:生記茶餐庁

漢字コードの会議で、香港に来ている。

香港には旧知の保坂英子ちゃんが住んでいる。30年来のまさに家族ぐるみの付き合い。彼女は、今、香港シンフォニエッタというオーケストラでヴァイオリンを弾いている。近ごろ、オケの同僚ヴァイオリニストと華燭の典を挙げた。ぼくは、妻と共に、香港での結婚式にも、横浜での結婚式にも列席の栄に浴した。

で、今回は、ホテルに着くなり、英子ちゃんにメールを出して、ホテル近くのおいしい店の情報を教えてもらった。

昨晩、会議に出席した日本のメンバーとともに、そのうちの一軒、生記茶餐庁に行った。

行く前に、ホテルのコンセルジュに場所を聞くと共に、予約を頼んだら、

「歩いても15分ほどですが、迷うといけないので、タクシーでお行きください。5分ほどです」

「予約?地元民が行く店ですから、予約のしようもありません」

とのこと。行ってみて、理由が分かった。

6時開店なのに、少し早く着いてしまって、店の前で待たされた。

葬儀場や葬儀関係の品物を売っている店が固まっているあたりの、すぐ隣のブロック。何軒かの飲食店が並んでいるが、みな小さくて小汚い。いすもプラスティックでできた屋台風。待っている間に、入り口にビニールのすだれのようなものが掛けられたりしてね。英子ちゃんの推薦がなければ、決して入る勇気は湧かないだろう。それどころか、このような界隈に迷い込むこともなかっただろう。

幸いなことに、ビールも置いてあった。

メインは、カニやハマグリのおかゆ。それに、さまざまな、點心風の魚介類。

英語は通じないので、メニューの写真と漢字を頼りに、四苦八苦して注文した。

最初は、カニのおかゆに、小魚のフライ、揚げ春巻き、小さなカキのモチモチした春巻き風。

おかゆの最初の一口から旨かった。おかゆという食べ物の概念が根底からひっくり返るような。

一緒に行った仲間は若い人が多かったので、皿は、あっという間に空になった。

追加を頼もうと思って、メニューを挟んで店の親父さんに何がお勧めかを聞こうと思ったが、どうにも、らちがあかない。

見かねて、店にいたカップルの男性がきれいな英語で助けてくれた。

その男性のお勧めが、素晴らしかった。一つは、大きなマテ貝(Bamboo Clamと言っていた)のガーリック風味。もう一つは、白身魚のすり身をマッシュポテトを細くヌードル状にしたもので巻いて揚げたもの。これが絶品だった。世界中のどんなレストランに出しても通用する。

みな、心から満足した。マテ貝がサイコーだったという仲間が多かった。

帰りがけに、助けてくれた男性にお礼を言った。

香港では、bo inovationというミシュラン★のレストランに行ったことがある。英子ちゃんの結婚式の時も、お母さんの保坂ふじ子さんや妻と一緒に行った。

bo inovationの話をして、もちろんものすごくおいしいけれど、この店もものすごくおいしかった、と言った。

男性は、「そうでしょう。香港でもとても有名な店ですから」と誇らしげに答えた。彼と堅く握手した。

店の親父さんと若い店員(息子?)の笑顔に送られて、店を出た。後味が、さらに深まったような気がした。

英子ちゃん、ありがとう。

 

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二期会のマクベス

2013年5月4日。東京文化会館。
幸子と二期会のマクベスを観る。
素晴らしい出来栄え。何といっても、ペーター・コンビチュニーの演出が秀逸。
指揮のアレクサンドル・ヴェデルニコフも良かった。音楽に大きな流れがある。曲と曲との間がスムースにつながっていて、オペラ全体を一つの音楽として聴かせようという強い意思が感じられる。
それでいて、コンビチュニーの斬新な演出を妨げず、総合芸術としてのオペラを演出家とともに作り上げて行こうという姿勢も鮮明だ。例えば、三幕の最後、オーケストラの響きにマシンガンの連射音が被さる。幕切れでは、ラジオから流れる録音が、オーケストラに取って代わる。どちらも、音楽を聴かせたい指揮者とオーケストラにとっては、それほど気分のいいものではなかろう。ぼくも、アマチュアとしてではあれ、何度もオーケストラピットに入ったことがあるので、そのような気持ちが分からないわけではない。しかし、ヴェデルニコフは、オペラ全体のまとまりを優先することに迷いはないのだろう。
歌手陣にも合唱にも大きな破綻はなかった。拍手も全般に控えめ。静かに終わる合唱のところで、ちょっとした破綻があったけれど。
今年は、ヴェルディイヤーということで、日本でも多くのヴェルディ作品が上演される。多くは、外来のプロダクションであれ、日本の団体であれ、椿姫やトスカといったポピュラーな名作が目白押しだ。そうした中で、必ずしもポピュラーとは言えない作品を、これだけの質で堂々と上演した二期会に心からの敬意を表したい。

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