キュレーションということ

2013年7月15日。

巌生(長男)一家に引っ張り出されて、町内会の納涼盆踊り。といっても、盆踊りを踊るわけでもなく、最初からブルーシートの上に座り込んで、焼き鳥を齧りながら缶ビールを飲んで、巌生と雑談。孫たちは、それぞれに友だちと遊び回っている。

この雑談が、思わぬ方向に展開した。

最初は、今はやりのLODにおける語彙統制の問題だった。NIIの武田教授からうかがった話だが、武田さんたちのグループでやっている、LODAC Museumのプロジェクトでも、複数の美術館や博物館のメタ情報を連携させる際の最大の難関は、RDFのラベルに使われる語彙をいかに関連づけるか、というところにあったという。

今、徐々に準備が進みつつある、日本版のNIEM(National Information Exchange Model)にしても、各省府庁が持っているデータの属性語彙を整理統合するのに、大変な労力が必要になることは、想像に難くない。

そもそも、あるコミュニティで共有される語彙(語彙空間)が他のコミュニティで共有される語彙(語彙空間)とcommensurableであるという保証はどこにもない。むしろ、コミュニティが異なればそれぞれの語彙(語彙空間)はincommensurableであると考えた方が、自然だろう。というか、commensurableな語彙(語彙空間)を共有する集団のことをコミュニティという、と言い換えてもいいのかもしれない。

先般、ぼくは、IDPFにおいてEPUBに日本語組版機能を組み込む際の一連の出来事を、そのような複数コミュニティ間の相互理解の断絶、という観点から論じたことがある。(要求する側の言語と実現する方法についての一考察

この論文で取り上げた例だけではなく、ITビジネスへの係わりの中で、ぼくは、サービスを提供する側と提供される側の絶望的なコミュニケーションの断絶をイヤと言うほど見てきた。そうした経験を踏まえて、そのような断絶へのささやかな対処方法を一言で述べれば、「せめて意思の疎通が出来ていないかもしれないという想像力(イマジネーション)だけは失わないようにしようね」といったことに尽きる。

そんな話題から、話は突然、先日妻と見に行った、「夏目漱石の美術世界」(東京芸術大学美術館)の話題になった。この展覧会は、すこぶる面白かった。夏目漱石という一人の稀代の大文豪の人生と作品を軸として、古今東西の美術作品を縦横に渉猟してきたすこぶるつきの大展示だった。漱石が生きた時代を彼が目にしたであろう美術作品を通して、まさにグローバルなスケールで感じ取ることが出来た。特に、英国留学の際に立ち寄ったという1900年のパリの万国博覧会。ああ、漱石が生きていた時代は、博覧会がメディアとして生き生きと機能していた時代だったのだ、という深い感慨を抱かされた。その時代は、マネやモネ、そして、恐らくはドビュッシーが浮世絵から多くのインスピレーションを得た、まさにジャポニスムの時代でもあったのだ。

それにしても、これだけの多くの作品を、漱石という文学者が残した言葉(文字)からたぐり寄せるには、どれほどの時間と労力が必要だっただろう。一人のキュレーターの仕業か複数による仕業かをぼくはつまびらかにはしないが、展示全体にあっぱれな気迫がこもっていた。

二年ほど前に、佐々木俊尚さんが『キュレーションの時代』という本を出版した。ぼくは、それを面白く読んだ。それとともに、編集という営為とキュレーションという営為の違いはどこにあるのだろうか、とか、美術館や博物館におけるキュレーションと、佐々木さんの言うキュレーションがどのように重なり合い、どのようにずれているのだろう、といった素朴な疑問も浮かんだ。言葉の定義はさておき、ぼくには、編集という営為もキュレーションという営為も、非常に近しいものに思えたし、過去に見た展覧会などで、まさにキュレーションの力としかいいようのない感銘を受けたことも一度ならずあった。

例えば。佐々木さんも取り上げていた「シャガールとロシアアヴァンギャルド」と題された展覧会。ぼくも、この展覧会を見て、深い感銘を受けた。そういえば、この展覧会も芸大美術館だったなあ。

じつのところ、ぼくがこの展覧会を見に行った一番の動機は、彼がメトロポリタン歌劇場改修後のこけら落とし公演のために制作した魔笛の衣装と舞台装置だった。

何がすごいって、いわばロシア革命と共に歩んできたシャガールが、その最晩年にいたって、1967年のニューヨークで、オペラの舞台装置と衣装を手がけた、という歴史的な事実。何か、資本主義万々歳みたいな時代じゃない。メトロポリタン歌劇場は、ほとんどそのシンボルといってもいいだろう。何で、メットなのよ、みたいな。

でも、対象となった作品は、魔笛だもんね。モーツァルト最晩年の(イタリア語ではない)ドイツ語による作品。ジングシュピールという大衆的な音楽劇の形式。そして、モーツァルトは夙にフィガロの結婚で、貴族社会の崩壊と市民社会の台頭を予見していた。

どういう経緯でシャガールがメットのための作品を作ったのか、ぼくは知らない。それでも、展示全体が最後の魔笛に収斂していることはひしひしと感じることが出来た。というか、この展覧会を企画した人(人たち)は、この魔笛を見せたいためにこの展覧会全体を構成したのではなかったか、とさえ思う。

ついでと言っては何だけれど。キュレーションの力を思い知らされた展覧会をもう一つ。ポーラ美術館で開催された「レオナール藤田展」。

藤田の絵画作品も絵画作品だけれど、何がすごいって、土門拳が撮影した藤田のアトリエの写真を手がかりにして発見された藤田のマチエールの秘密。

藤田は、ミラクルホワイトと呼ばれる独特の乳白色を武器に、パリの画壇に挑んだのだった。そして、当然のことながら、そのマチエールとアトリエは同業者の画家たちには決して明かされることはなかった。しかし、異業種の巨匠土門拳に、戦後の一時期日本に帰っていた藤田は胸襟を開いた。土門が撮る藤田の写真の数々もまた素晴らしかった。

そんななかの何気ない一枚、藤田のアトリエの机を写した写真に、写っているシッカロールの缶。藤田のマチエールの特色は、西欧的な油絵の世界に、面相筆と墨という日本画の技法を持ち込んだところにある。しかし、まさに、水と油。油性を基本とするキャンパスに水性の墨を馴染ませることは容易ではない。藤田が、その水と油の融合のためにタルク(滑石)を主成分とするシッカロールを使っていたとは。

展示からは、この発見をした学芸員の興奮が伝わってくるようだった。

ここで忘れてはならないことは、この展覧会の会場がポーラ美術館だということ。言わずと知れた化粧品メーカーの一方の雄。そして、この美術館には、錚々たる印象派の作品群だけではなく、洋の東西にまたがる化粧品の歴史を物語る収蔵品も多くあり、常設展示されている。

ポーラ美術館の学芸員でなければ、シッカロールの缶に注目することもなかったのではないか。

こんな話を、町内会の盆踊りの喧噪の中で巌生としていた。

そう、LODが目指すべきことが、ぼくたちには少し分かったような気がした。

異なる文化やコミュニティの間をつなぐこと、壁に風穴を開けること。

夏目漱石と美術世界にしても、シャガールの魔笛にしても、レオナール藤田と土門拳にしても、そのキュレーターたちは、異なる分野を縦横に渉猟して、一つの物語を紡ぎ出す才能と学識を持っていた。ぼくたちITに係わるものに出来ることがあるとすると、そのような営為を手助けするためのツールとデータ群の下準備ではないか。願わくば、一般の人たちが、インターネットの世界をまさにぶらつきながら、みずからの視点で新しい物語の紡ぎ出しの手伝いをすることではないか。

異なるコミュニティの間をつなぐ語彙を求めること。それが原理的には不可能なことだとしても。想像力を忘れることなく。

町内会の盆踊りも、悪くはないなあ。

 

 

 

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歌丸の真景累ヶ淵

2013年6月14日、野毛にぎわい座。

ここのところ、古今亭志ん輔が続けてやっている真景累ヶ淵を聴いている。

デザイナーの平野甲賀夫妻が企画運営しているいわと寄席の一環。甲賀夫妻と親しい編集者の及川明雄さんが声を掛けてくれる。気の置けない仲間との高座前後の食事もまた楽しい。前回はちょうどIRG香港会議と重なって、ぼくは行けなかったけれど、妻はいそいそと出かけていった模様。

落語そのものを聴くようになったのも、いわと寄席のおかげなのだけれど、志ん輔さんの真景累ヶ淵は思わぬ余録も産み出した。明治期初頭の速記による新聞連載と言文一致の日本語文体の成立との係わり。

柳家三三がやはりにぎわい座で6回通しでやった談洲楼燕枝の鵆沖白波も後半だけだけれど聴いた。

そんなやかやで、先般、やはり三三が鎌倉芸術館でやった豊志賀の死とかも聴いた。

で、妻が「あら、歌丸師匠がにぎわい座で真景累ヶ淵をやるわよ」というので、聴きに行った。第四話「勘蔵の死」と第五話「お累の自害」。

この日は、昼間、都内で所用があった。帰りがけに、東京駅構内のグランスタで豆狸のいなり寿司が3個入った小ぶりの弁当を二つ買った。

にぎわい座で妻と待ち合わせ、ロビーのベンチで、弁当を食べた。歌舞伎座で食べるにはちょっと、だけれど、寄席で食べるにはバッチリね。

同じ真景累ヶ淵でも、演者が異なれば、随分違う。圓生の長尺ものだから、当然ながら筋が立っている。それでも、こうも違うものか、と思うほど違う。それでも、青空文庫から落としてきて読んだ圓生の書き起こしとは、それぞれにぴったり重なって聞こえてくる。音楽の演奏で起こっていることとそっくり。

志ん輔も三三も、それぞれにとびきりうまい。それでも歌丸師匠の、特に、お累の自害の最後の辺りは、ちょっとした照明の工夫もあって、まさに背筋がぞくぞくしてきた。怪談の真骨頂。

端然とした話しっぷりから、観衆を恐怖に引き込む力量。こういうのを風格っていうのだろうな。

何時もの通りの幕間にモナカアイス。後半最初の江戸屋まねき猫さんの動物ものまねが花を添えていた。

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クラシッククルーズ 石田泰尚リサイタル

2013年6月25日。みなとみらい大ホール。

石田クンを心して聴くようになったのはいつごろからかしらね。

みなとみらいホールが企画運営しているクラシッククルーズの前身にあたる「ひるどきクラシック」のころからかなあ。神奈フィルのコンサートマスターとして定期的に出演していた。そのころから圧倒的にキャラがたっていた。

何かのきっかけで、彼がやっているBeeとトリオリベルタという共にちょっと正統的なクラシックからは突き抜けている二つのグループの演奏会に続けて行って、はまった。今では、押しも押されぬカリスマヴァイオリニスト。

クラシッククルーズは、前身の「ひるどきクラシック」のころからよく通っている。スケジュールが合えば、原則として行くことにしている。ウィークデーのまさに昼時、40分というハーフポーションの時間で、比較的親しみやすい音楽を、低価格で聴くことが出来る。クラシッククルーズに衣替えしてから、演奏者の顔ぶれも一段とアップして、時間こそ短いというものの、一般の室内楽演奏会としても決して見落とりするものではない。

聴衆は、高齢のカップルやグループが多い。そのほとんどが、ぼくたちのような常連客のように見受けられる。

 

石田クンのリサイタル、昼の部は、大ホールが満席になった。クラシッククルーズとしてはぼくにとって初めての経験だった。

昼の部(12:20開始)は、ラヴェル、ドビュッシーの小品と、フランクのヴァイオリンソナタというフランステイストのオーソドックスなプログラミング。

午後の部(14:30開始)は、前半が石田クンおとくいのピアソラで、後半が映画音楽というポピュラーなプログラミング。

ともに、いつもの、ものすごくリリックな音色と、アパッショナートな躍動が違和感なく共存する石田節の真骨頂。十二分に堪能できた。

そして、昼食。

ホテルパンパシフィックに入っている加賀料理の大志滿のお弁当。これが絶品。先付けと治部煮が先に出て、さらに2段重ねの重箱にご飯と吸い物。音楽会の合間に1時間も掛けてゆったり食事とは、何という贅沢。

車で行けば自宅から20分ほどのところで、豊かでゆったりとした幸せな非日常の半日を過ごすことが出来た。

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みんなの古楽2013(横須賀・ベイサイド・ポケット)

2013年5月26日。

カウンターテナーの弥勒忠史さんプロデュースのシリーズ。5年計画の最終年。

クロマティズムの官能と題して、C.ジェズアルドのまさにクロマティックな曲の数々。1600年前後、遣欧使節が訪れたころの音楽。古典派やロマン派の音楽を飛び越えて、20世紀の音楽に直接呼応するような新鮮な響き。ケプラーが夢想した天空の音楽とは、もしかしたらこのようなものだったのかも知れない。

弥勒さんに最初に接したのは、2005年の藤沢市民オペラ「地獄のオルフェ」ハンス・スティックス役。そのとき、ぼくはオーケストラピットに入っていた。そのころから、弥勒さんの音楽は、並み居る主役たちを喰うことを厭わず、といった気概に満ちていた。その後、平塚で行われた岩崎由紀子さんとのジョイントリサイタルを聴いたのがきっかけになって、横須賀芸術劇場を舞台に弥勒さんが展開している一連の企画を聴きに行くようになった。

多分、最初は、モーツァルトの劇場支配人。これについては、昔このブログに書いた。その後、ほとんどすべての公演を見ていると思う。弥勒さんの企画は、一連のバロックオペラから始まり、一方ではルネッサンスに遡行する古楽器や声楽のアンサンブルに向かい、他方で、ワーグナーやヴェルディに代表されるようなグランドオペラとはちょっと異なるオペラの潮流を辿ることとなった。挙げ句の果てが、メノッティオペラの連続上演。その精華が2009年によこすか芸術劇場開館15周年の記念事業として行われた「タンクレディとクロリンダの戦い」と「ダイドーとイニーアス」の二本立て。これは、歌舞伎風だったり南洋風だったりの舞台設定も含めて、秀逸の出来だった。世界中、どこに持っていったって恥ずかしくない。

近ごろは、この至福の楽興の時に加えて、とびきりのプライムリブを食する楽しみが加わった。ステーショングリル。プライムリブを食べさせてくれる店は、日本には多くない。まあ、赤坂のロウリーズ・プライムリブが有名だけれど、値段がねえ。以前、長男の巌生と西海岸に行ったとき、樋浦さんの推薦でサンフランシスコダウンタウンの何とかって店に行って、すごく旨かったことがある。このステーショングリルは、そんな思い出と共に、本格的なプライムリブが比較的リーゾナブルな値段で食べられる。いい音楽と旨い食事は、不可分。

ウィークエンドの午後、都心とは反対方向に車を走らせて聴き味わう音楽と食事の時は、ぼくたちの日常を贅沢な幸福感で満たしてくれた。

 

 

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阿辻さんの『漢字再入門』(中公新書)

阿辻哲次さんが新著『漢字再入門』(中公新書)を送ってくださった。香港に来る飛行機の中で読んだ。特に読みたかったところが、2時間目の「とめ・はね・はらい、ってそんなに大事なの?」という章。我が意を得たり、というか、よくぞ言ってくれた、という感が強い。

この本の流れの中では、特に、初等教育における行きすぎた字形の細部への拘りへの継承なのだけれど、この議論を行政の現場に移しても、そのまま通用するように思われる。

いくつか、心の中で快哉を叫んだところを引用すると。

「あえて失礼なことを言わせていただければ、漢字の筆画で『はねる・はねない』などにこだわる先生は、『厳しく指導している』のでもなんでもなくて、どのように書くのかが正しいのか自信をもって指導できないから、単に辞書や教科書の通りでないと正解にできないだけのことなのです。」

「『はねる・はねない』とか、『交わる・交わらない』など、非常に細かい差にこだわる先生方は、『常用漢字表』に述べられている『デザイン差』に関する記述をきっとご覧になったことがないのだろうと思います。」

IRGの場でも、この手の議論が、延々と続くことがある。阿辻さんも書いておられるように、「はねる・はねない」の違いで大きく意味が異なる場合もある。しかし、大方は、書体やフォントによるまさにデザインの相違であったり、手書きの文字を明朝体のデザインにする際の揺れだったりする。ちなみに、現在の改定常用漢字表には、明朝体のデザイン差についての記述と共に、「明朝体と筆写の楷書との関係について」という記述もある。

IRGでは、文字の同定は基本的に、ISO/IEC 10646のAnnex Sに記載されているいわゆる”Unification Rule”を用いているのだが、ぼくは、どうもこの名称が議論をミスリードしているように思えて仕方がない。むしろ、同一視するための規則を並べるよりも、同一視してはいけない場合を明確にするための規則を並べた方が分かりやすかったのではないかということ。いわば、「情報交換や社会生活の上で区別して扱う必要がある差異以外は区別しない」というごく当たり前の考え方。文字だって、情報処理的にも言語学的にも記号そのものなのだから、原点に立ち返って、区別するための単位(すなわちビット!)という観点から考え直した方がいいと思うのだ。

阿辻さんの本を読みながら、改めてそんなことを考えた。

 

 

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香港で観るホフマン物語

香港滞在の最後の晩。オッフェンバックのホフマン物語を見た。

英子ちゃんが所属している香港シンフォニエッタがピットに入っていた。

このオペラを、ぼくは存分に楽しんだ。

じつは、行く前はちょっと不安があった。もう何年も、一人でオペラを観に行ったことがない。いつも妻と一緒。多分、最後に一人で来たオペラは、バーレンボイムが指揮をしたベルリンドイツオペラのワルキューレ。もう、何年も前のこと。そのときは、ちょっと寂しい思いをした。今回も、一人でオペラを観て、楽しめる自信がなかった。

杞憂に終わった。ぼくは、十分楽しんだ。

演出はとてもよかった。屏風のようなスクリーンに映し出されるシルエットがすごく効果的だった。オペラが始まる舞台となるレストランがそれぞれの幕でも存在感を残しており、特に、椅子の使い方が秀逸だった。オーケストラと歌のコンビネーションには最初の方で少し違和感を覚えたが、そのうち気にならなくなった。歌手陣は、まあ、出来不出来はあったとしても、決して決定的な破綻に至るようなことはなかった。

しかし。そんなことは、どうでもいい。問題は、楽しめたかどうか。

ヨーロッパに旅行してオペラを観るとき、いつも感じることがある。オペラは劇場だ。同じことは歌舞伎にも言える。金比羅宮近くの金丸座で観る歌舞伎と、東銀座の歌舞伎座で観る歌舞伎は決定的に違う。たとえ、同じ演者が同じ演目を演じても違う。そして、近ごろこけら落としをした新しい歌舞伎座でも違うに相違ない。

同じようなことは、絵画にも言える。国立博物館で観たレオナルドの受胎告示と、旬日を経ずにウフィツィ美術館で観た受胎告示は、ほとんど別の作品に思えた。

ぼくが観たオペラは、紛う方なく香港のオペラだった。中国語と英語の字幕が両方出ていた。隣に座っていた老カップルの夫人の方は、はっきり分かるブリティッシュイングリッシュだった。着飾った西欧人と東洋人がともにいた。歌手も、東洋人と西欧人が混ざっていた。オケピットには、日本人の英子ちゃんと中国人の夫君ルー君がいた。そして、ぼくは、旅行者として、このオペラを観た。

どう表現すればいいのだろう。突飛な言い方だけれども、ぼくは、ある種の懐かしさを覚えていたのかも知れない。ぼくは、何度かホフマン物語を見ている。ホフマン物語はやったことはないけれど、いくつものオペラのピットにアマチュアプレーヤーとして入っている。そして、日本でもヨーロッパでも、数限りなくオペラを観ている。懐かしさと言うのはもしかしたら、そういうことなのかも知れない。即ち、ぼくが生きてきた歩みの中にオペラ鑑賞というのは、少なからぬ比重を占めている。そして、今日観たホフマン物語は、そんなぼくの歩みに、確実に一つの記憶として刻み込まれる。

オペラの後で、英子ちゃん、夫君のルー君、そして同じオケでホルンを吹いているますみさんという素敵な女性とちょっと呑んだ。たまらなく楽しかった。そう、ぼくは、香港の最後の夜をものすごくリラックスして過ごしたのだった。

また来よう。そして、英子ちゃんたちの音楽を聴こう。

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香港:生記茶餐庁

漢字コードの会議で、香港に来ている。

香港には旧知の保坂英子ちゃんが住んでいる。30年来のまさに家族ぐるみの付き合い。彼女は、今、香港シンフォニエッタというオーケストラでヴァイオリンを弾いている。近ごろ、オケの同僚ヴァイオリニストと華燭の典を挙げた。ぼくは、妻と共に、香港での結婚式にも、横浜での結婚式にも列席の栄に浴した。

で、今回は、ホテルに着くなり、英子ちゃんにメールを出して、ホテル近くのおいしい店の情報を教えてもらった。

昨晩、会議に出席した日本のメンバーとともに、そのうちの一軒、生記茶餐庁に行った。

行く前に、ホテルのコンセルジュに場所を聞くと共に、予約を頼んだら、

「歩いても15分ほどですが、迷うといけないので、タクシーでお行きください。5分ほどです」

「予約?地元民が行く店ですから、予約のしようもありません」

とのこと。行ってみて、理由が分かった。

6時開店なのに、少し早く着いてしまって、店の前で待たされた。

葬儀場や葬儀関係の品物を売っている店が固まっているあたりの、すぐ隣のブロック。何軒かの飲食店が並んでいるが、みな小さくて小汚い。いすもプラスティックでできた屋台風。待っている間に、入り口にビニールのすだれのようなものが掛けられたりしてね。英子ちゃんの推薦がなければ、決して入る勇気は湧かないだろう。それどころか、このような界隈に迷い込むこともなかっただろう。

幸いなことに、ビールも置いてあった。

メインは、カニやハマグリのおかゆ。それに、さまざまな、點心風の魚介類。

英語は通じないので、メニューの写真と漢字を頼りに、四苦八苦して注文した。

最初は、カニのおかゆに、小魚のフライ、揚げ春巻き、小さなカキのモチモチした春巻き風。

おかゆの最初の一口から旨かった。おかゆという食べ物の概念が根底からひっくり返るような。

一緒に行った仲間は若い人が多かったので、皿は、あっという間に空になった。

追加を頼もうと思って、メニューを挟んで店の親父さんに何がお勧めかを聞こうと思ったが、どうにも、らちがあかない。

見かねて、店にいたカップルの男性がきれいな英語で助けてくれた。

その男性のお勧めが、素晴らしかった。一つは、大きなマテ貝(Bamboo Clamと言っていた)のガーリック風味。もう一つは、白身魚のすり身をマッシュポテトを細くヌードル状にしたもので巻いて揚げたもの。これが絶品だった。世界中のどんなレストランに出しても通用する。

みな、心から満足した。マテ貝がサイコーだったという仲間が多かった。

帰りがけに、助けてくれた男性にお礼を言った。

香港では、bo inovationというミシュラン★のレストランに行ったことがある。英子ちゃんの結婚式の時も、お母さんの保坂ふじ子さんや妻と一緒に行った。

bo inovationの話をして、もちろんものすごくおいしいけれど、この店もものすごくおいしかった、と言った。

男性は、「そうでしょう。香港でもとても有名な店ですから」と誇らしげに答えた。彼と堅く握手した。

店の親父さんと若い店員(息子?)の笑顔に送られて、店を出た。後味が、さらに深まったような気がした。

英子ちゃん、ありがとう。

 

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二期会のマクベス

2013年5月4日。東京文化会館。
幸子と二期会のマクベスを観る。
素晴らしい出来栄え。何といっても、ペーター・コンビチュニーの演出が秀逸。
指揮のアレクサンドル・ヴェデルニコフも良かった。音楽に大きな流れがある。曲と曲との間がスムースにつながっていて、オペラ全体を一つの音楽として聴かせようという強い意思が感じられる。
それでいて、コンビチュニーの斬新な演出を妨げず、総合芸術としてのオペラを演出家とともに作り上げて行こうという姿勢も鮮明だ。例えば、三幕の最後、オーケストラの響きにマシンガンの連射音が被さる。幕切れでは、ラジオから流れる録音が、オーケストラに取って代わる。どちらも、音楽を聴かせたい指揮者とオーケストラにとっては、それほど気分のいいものではなかろう。ぼくも、アマチュアとしてではあれ、何度もオーケストラピットに入ったことがあるので、そのような気持ちが分からないわけではない。しかし、ヴェデルニコフは、オペラ全体のまとまりを優先することに迷いはないのだろう。
歌手陣にも合唱にも大きな破綻はなかった。拍手も全般に控えめ。静かに終わる合唱のところで、ちょっとした破綻があったけれど。
今年は、ヴェルディイヤーということで、日本でも多くのヴェルディ作品が上演される。多くは、外来のプロダクションであれ、日本の団体であれ、椿姫やトスカといったポピュラーな名作が目白押しだ。そうした中で、必ずしもポピュラーとは言えない作品を、これだけの質で堂々と上演した二期会に心からの敬意を表したい。

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エスペリアのランチ、そして、貴婦人と一角獣展とミュシャ展

2013年5月1日、新国立美術館で開かれている「貴婦人と一角獣」展と森美術館で開かれているミュシャ展をはしご。間に、西麻布のエスペリアでランチ。

六本木近辺の美術館に行くときの最大の楽しみは、西麻布のエスペリアでランチが食べられること。というか、エスペリアでランチするための口実に展覧会を見る、というのがホンネ。

朝から出かけて、まず、「貴婦人と一角獣」展を見た。

メインは、フランス国立クリュニー中世美術館所蔵の6面の連作タピスリー。美術館の収蔵室衣替えにあわせての貸し出し。メトロポリタン美術館以来120年ぶり、2度目の館外貸与とのこと。

午前中ということもあり、それほど混んでいなかったこともあり、ヨーロッパ中世の香りを堪能できた。

エスペリアも連休の谷間のせいか、それほど混んではいなかった。森シェフの料理とフロアーの小倉さんの接客は、いつものように素晴らしい。ゆったりとした気分で贅沢な時を過ごせる。

思えば、森克明シェフと知り合ってから、もう30年以上経つ。小学館の編集者時代、当時、三笠会館新宿店のシェフだった森さんと出会った。そのころは、フレンチで南フランスの料理を出していた。もう、サラダ革命でチーズの騎士の称号を得ていた。大切な執筆者の接待のために、頼み込んでチーズづくしのコースをやってもらった。その執筆者はとても満足してくださり、上機嫌で、後に「コンピューター時代の教育」という一連のシンポジウムに発展する話題で盛り上がった。

ジャストシステムに移ってまもなく、西銀座デパートにヴォーノ・ヴォーノというイタリアンの店を立ち上げる、という案内をもらった。開店披露のパーティにも呼んでもらった。ヴォーノ・ヴォーノにもよく通った。娘が小さいころ、そのころ安斎利洋さんと中村理恵子さん、草原真知子さんらが中心となって、ゴールデンウィークにワシントン靴店のギャラリーで開いていたコンピュータグラフィックスのグループ展を見た後、妻の幸子と3人で、食事をするのが楽しみだった。

ほどなく、森さんは、支配人としてフロアーに立つようになり、そして、いつの間にか、姿が見えなくなった。

数年経って、三笠会館の鵠沼店で食事をした折、支配人から森さんの消息を聞いた。曙町で自分の店を出した、と。

曙町の店にも何度か行った。しかし、この店は、場所柄と安さのせいだろう、若い人たちがあふれかえっていて、ぼくたちには、ちょっと賑やかすぎた。

しばらくして、エスペリアは、今の西麻布に移った。

西麻布に移ってからのエスペリアは、ぼくにとっては、フレンチの三笠会館鵠沼店、うなぎのうな平、カレーのガネーシュとともに、最高のレストランの一つとなった。

森さんの料理が素敵なのは、ほんとうに、客に旨いものを食べさせるのが楽しくって仕方がない、という彼の思いが、詰まっているところだろう。森さんがヴォーノ・ヴォーノの支配人になったころ、冗談で、「裏切り者」と言ったことがある。だれよりもそのような思いを抱いていたのは、森さん自身だったに違いない。彼は、料理が作りたくって作りたくって、独立したに違いないのだ。そして、客にゆっくり自分の料理を味わってもらいたくって、今の場所に移ったのだ。

森さんの料理と小倉さんの接客ぶりに接するだけで、ぼくたちは幸せなひとときを過ごすことが出来る。

午後から見た、ミュシャ展は、大変混雑していた。ミュシャは、過日、プラハに行ったときにも随分見たが、作品の重なりはあまりなく、珍しい油絵作品や写真も出展されていて、なかなか充実したものだった。ちょっと嬉しかったのは、ビクトリア女王の在位50年だかを記念してネスレの注文で描いたポスターの左右上部に、ライオンと一角獣が描かれていたこと。幸子に言われて気付いた。ヨーロッパの文化の脈流に触れたような気分だった。

しかし、いつものことながら、東京の美術館の企画展の混雑と場内の案内は、もう少し何とかならないものだろうか。せっかくのゆったりした気分が、ずいぶんと削がれてしまった。

帰りに、東京駅で、《御門屋》と《あげもちや》の唐辛子揚げあられ。幸子に呆れられる。

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並木の藪

電子書籍コンソーシアム事務局で、苦楽の苦の部分ばかりを共にくぐり抜けてきた、及川明雄さん、金沢美由妃さん、そして、コンソーシアムメンバーでほとんど唯一いまだに交友が続いている浜地稔さん、それに愚妻の幸子と、並木の藪に行った後、亀戸天神へ。

小学館に入社したばかりのころ、学年別学習雑誌の部長さんだった林順信さんからは、いろいろなことを教わった。蕎麦の喰い方もその一つ。そのころの定番は、神田の藪と日本橋の砂場。専大前にあった一茶庵はまだ新興勢力の風情だった。

でも、順信さんは、「神田の藪よか並木の藪の方が旨いぜ」などとおっしゃっていた。

後に並木の藪の主人が書いた『そばや今昔』(中公新書)を読んだ。

しかし、神田の藪やまつやには何度も足を運んだのに、今に至るまで並木の藪には行ったことがなかった。今日、40年来の夢が叶った。

及川さんや浜地さんたちとの散策は楽しい。気心が知れているというか心置きない関係というか。それぞれが、何の遠慮をすることもなく、それでいて、すこぶる居心地がいい。落語を聴きに行っても、東京の下町を散策しても、いつも、お二人の見識というか教養には舌を巻くしかないのだけれど、蘊蓄の数々がごく自然に何のてらいもなく語られて、それを素直に聞くことが出来る。

ゴールデンウィーク初めの日曜日で、かつ、好天に恵まれていたためもあって、雷門周辺から仲見世にかけては、ものすごい人出だった。外国人の観光客も随分増えていたような。そして、1時過ぎに行ったのに、並木の藪も行列が出来ていた。

まあ、覚悟の上だったし、楽しい仲間と一緒だと、行列に並んでいる間の会話も楽しい。

板わさ、焼き海苔、天ぷらを頼んで、ビールを2本。つまみの量は少なめだけれど、後に蕎麦が控えているのでね。

せいろ一枚ずつは、あっという間に平らげた。

浜地さんと金沢さんは、せいろをおかわり。だけど、及川さんは、頑固にかけを主張する。ぼくも幸子も、今回は、及川さんに乗ることにした。

このかけが絶品だった。せいろがまずいわけではない。というか、せいろも十分以上に旨い。名にしおう並木の蕎麦つゆも、味が濃い。思っていたよりも甘かったけれど。

しかし、かけの旨さ。きっと、蕎麦のゆで方も、せいろとは変えているのだろうが、なによりも、つゆが旨い。きりりとしていて、芳醇で。正直なところ、こんなに旨いかけそばは、喰ったことがない。そばはせいろが王道で、温かい蕎麦など邪道だと思っていたが、宗旨替えをせざるを得ない。

ずうっと昔、いわゆるバブルのころ、飛行機に乗って札幌にラーメンを食いに行く、などというばかげた話があったが、このかけそばを食うためだけに、浅草に出向くのも一興かな、などと。

 

 

 

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ATOK監修委員会の終焉

2013年3月末をもって、永年続いたATOK監修委員会が最終的に解散した。

昨日(2013年4月26日)、ジャストシステムでATOKの開発に携わっている喜多さんや下岡さんと、ATOK監修委員の一員として永らくお世話になった鳥飼浩二さんを稲毛に訪ねた。話は尽きることがなかった。

じつのところ、この2年ほどは、ほとんど実質的な活動は行われていなかったこともあり、また、ATOKのみならずいわゆる仮名漢字変換システムを取り巻く環境も随分変わってきているので、まあ、潮時と言えば潮時なのだろう。

しかし、それにしても。

一抹の寂しさと漠とした不安を拭い去ることが出来ない。これでいいのだろうか、と。

今、メールをチェックしてみたら、もう4年も前になる。2009年に、最初期のATOK監修委員会委員だった矢澤眞人さんに頼まれて、筑波大学で一回限りの臨時講義をしたことがある。題して、「Google日本語変換はボルヘスの夢を見るか」。

その時に配布したレジュメは、以下のようなものだった。

 

《Google日本語入力は、ボルヘスの夢を見るか》

  1. ユニコード、ATOK、どらえもんの三題噺、自己紹介に代えて
  2. Google日本語変換を見てもらう(みぞうゆう、かくそくない、ことせん)
  3. コーパスによる仮名漢字変換辞書の自動編纂
  4. じつは、MS-IMEもATOKもこのようなアプローチは利用している。
  5. 問題は、自動編纂に用いるコーパスの質  Google日本語変換は、現在のインターネットにおける日本語使用の鏡(鑑ではない)
  6. 言葉が日々移ろいゆくものであるとすると、Google日本語変換の何が悪い、という強弁も成り立つ
  7. しかし、Google日本語変換を日本語を初めて学ぶ留学生に使わせたいと思うか
  8. どうも、どこかに、《ありうべき日本語》という幻の中心がありそうな気がする
  9. ATOKの歴史は、まぼろしの中心としての規範性とGoogle的な記述性との間で、 悩み揺れ動いてきた試行錯誤の歴史と言ってもいい。
  10. 小学校用学年別ATOK辞書の企画→生活語彙と学習語彙、語彙空間という概念
  11. 紀田順一郎さんと井上やすしさんの批評→仮名漢字変換辞書の匿名性と規範性のなさ
  12. ATOK監修委員会の発足→権威は入れるな、矢澤さんは森六経由で北原保雄先生が紹介
  13. たった一人のユーザーとしての紀田順一郎(自分の子供のためにだけ作った学幼)
  14. 日本語の多様性への対応(一人一人のATOK)→方言対応  荻野綱男さんの紹介で各地域の大学を訪問→グルメツアー
  15. 文部省文法とそれに基づくATOKのアルゴリズムでは、大阪方言に対応できない
  16. 真田信治さんのネオ方言と文化政策の民活(ベッカムの記事)
  17. 携帯電話やツイッターの日本語
  18.  Google日本語変換は、未来のATOK?
  19. 突き破られるための日本語変換辞書を目指して(ヴィットゲンシュタイン的な意味での言葉と世界との隙間、裂け目への挑戦。語ることの出来ないことを語るための不可能への挑戦)

チェジュド(済州島)にチュウォルのビョンシン(知恵遅れ)の息子いてた。イルチェシデ(日帝時代)終わってすぐチュウォル済州島帰った。そやけどチェス (運)ないことに選挙反対や、選挙反対ゆもんペルゲンイ(アカ)やゆて、チェジュッサラム(済州島の人)とユッチサラム(本土の人)殺しあいしたゆ話お前も知ってるやろ。そのどさくさに出来たピョンシンの息子コモニム(姑母様)に預けてチュウォル日本に逃げてきたやげ。  在日朝鮮人二世作家、元秀一(ウォンスイル)の書いた小説『猪飼野物語』(草風館、一九八七年)の中で、大阪猪飼野(生田区)に住む在日一世のおばあさんがしゃべる、朝鮮語(済州島方言)と日本語(大阪方言)の入り混じった「イカイノ語」とでもいうべきクレオール言語の例である。(猪飼野は、在日朝鮮人 が密集して住んでいる”朝鮮人部落”としてかつて有名だった。クレオールとは、二つ以上の言語が混じりあって出来上がった混合語。ビジン・イングリッシュ などのピジンが母語化すればクレオール語となる)。  こうした「日本語」は、これまで片言であり、“間違った”日本語として排斥や忌避の対象とはなっても、まともに言語学的な対象や、文学的な言語表現語として鑑賞の対象として取り上げられることは皆無といってよいほどなかった。琉球語、アイヌ語による言語表現が、「日本文学」として鑑賞や研究の対象として考えられてこなかったのと同じように(あるいはそれ以上に)、それは言語表現とも、言語とも認知されてこなかったというべきなのである。だが、日本語が「国際化」するということは、こうした「ヘルンさん語」(小泉八雲のことばを妻の節子が保存したもの。引用者注)「イカイノ語」が生まれてくるのが必然であり当然な社会になるということであって、「かわいい日本語に旅をさせよ」というのは、まさにこうした「日本語」を、日本語の「生きた力」としてとらえる ことが出来るかどうかにかかっているといえるのである。(河村湊著『海を越えた日本語』269ページ)

このレジュメを敷衍していくと、とんでもない文章量になってしまう。ただ、このころ、Google日本語変換が出始めたころのぼくの問題意識は、今となっても全くと言っていいほど変化していない。

18番目のヴィットゲンシュタインへの言及など、その後の、ぼく自身の言語ゲームへの関心を予感させるものすらある。

何はともあれ、このころから今に至るまでのぼくの関心の一つが、仮名漢字変換システムの規範性と記述性との間の相克にあることは、間違いのないところだ。

そう。ぼく自身が、日本語表現の規範性と記述性の狭間で、ある種の引き裂かれたような感覚を抱いているのだ。

その表れが、レジュメの最後の河村湊さんの著書からの、長い引用なのだ。思えば、この個所を、ぼくは何度引用したことだろうか。ぼくにとって、この個所は、日本語というもの、いな、言語というものを考えるときの、ほとんど原点とでもいうようなものなのだ。

この一見訳の分からない言葉(猪飼野語)を乱れた日本語だとか、間違った日本語だとか言い立てることは何人にも許されないことだと思う。それどころか、ぼくは、河村湊さんがここに引用した在日一世の言葉を、美しいとすら感じる。

他方で。

ぼくの中には、漠としたものではあるが、有り得べき日本語の姿があるように思えるのだ。そんな話を矢澤さんの車の中でした。

「矢澤さんにとって、有り得べき日本語とはどのようなものなのだろう」

矢澤さんの答えは、じつに当を得ていた。

「30年後に自分の子供たちが大人になったとき、恥ずかしい思いをしないような日本語。それを子供たちに伝えたいと思うのですよ」

結構、やられた感があった。そして、その思いは、今に至るまで変わらない。

ぼくには、すでに4人の孫がいる。

その孫たちが大人になったとき、彼らを取り巻く、日本語の環境、特に、ネットワークやデジタル機器を媒介とした日本語の環境は、どのようなものになっているだろう。

30年後の日本語の環境のために、今、ぼくに出来ることが、まだあるのではないか。

ATOK監修委員会の終焉を目の当たりにして、ぼくが漠として感じている欠落感は、煎じ詰めると、そのようなものではないか、と思えるのだ。

 

 

 

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中森さんとの会食

昨日(2013年4月26日)、スコレックスとぼく個人の顧問をしていただいている会計士の中森真紀子さんと会食。息子夫婦と妻の幸子同席。
中森さんは、彼女が電子書籍コンソーシアムの会計監査をなさっていたのがご縁で、有限会社スコレックスを設立したときから、ずっと顧問をお願いしている。まあ、こんな弱小企業や零細個人事業主の顧問をお願いするのも申し訳ないのだけれど、やっていることはそれなりに面白くって、もしかしたら、中森さんの他のお仕事にも少しは役立てていただけることもあるのではないか、という勝手な思い込みで、甘え続けている次第。
そんなわけで、楽しいグルメの昼下がり。
場所は、新丸ビルのオー・グー・ドゥ・ジュール・ヌーヴェルエール (Au gout du jour Nouvelle Ere)。
噂に違わぬ、というか、期待以上の素晴らしい料理だった。いい意味での意外性が一杯。
中でも秀逸は、アミューズに出てきたシフォンに添えられたスモークの香りが強いホイップクリーム。パテシェ出身シェフの面目躍如。
復元なった東京駅丸の内駅舎の眺めも素晴らしい。
で、食事の席で話題となったカレーとワインにまつわるいくつかの本。
中島岳志著
中村屋のボース―インド独立運動と近代日本のアジア主義(白水社)
著者の神戸外大における修士論文が元となった著書。
みずみずしい熱気が伝わってくる快著。
リジー・コリンガム著
インドカレー伝(河出書房新社)
「純粋なインドカレーなどない」インド料理を軸とするさまざまな文化の出会いと混交の歴史。
ジョージ・M・テイバー著
パリスの審判(日経BP)
1976年の歴史的なブラインドテイスティングの場にいたジャーナリストによるワイン世界化の歴史。
ガーギッチ・ヒルズやスタグス・リープなど樋浦さんとの思い出のワインも出てきて、思い一入。
小菅桂子
「カレーライスの誕生」(講談社学術文庫)
カレーの日本伝来史。イギリス風のカレーがどのようにして日本のライスカレーになったか。世相の変化も如実に伝わる優れた文化史。
山下範久
「ワインで考えるグローバリゼーション」(NTT出版)
学識と趣味が見事に融合。面白くてためになる。グローバルな視野でビジネスに取り組むための必読書。
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