2016年正月の歌舞伎やら落語やら

今年の正月は、いかにも贅沢に過ごした。別に大枚をはたいたわけではないが。

大晦日は、昔からなじみにしている保土ケ谷の木村庵と新しく緑園都市に出来たともしびという蕎麦屋兼居酒屋のそばを一折ずつゆでて、マグロの剥き身を共に喰った後、恒例のジルベスターコンサートをみなとみらいホールで。

元旦は、教会に行った後、巌生と龍二の家族が襲ってきておせちとお雑煮。

2日は、三菱一号館美術館でプラド美術館展。帰りに東京駅のグランフールに新しく入った今半で牛丼を食べようと思っていたけれど、あまりの混雑に断念。大丸で柿安の焼き肉弁当を買って、電車の中で食べた。

3日は、次男の家族と生まれて初めて鶴岡八幡宮に初詣。じゃがバタを初めとする屋台のB級グルメを堪能した。その後、幸子の実家で長男家族と落ち合って、まったり。

9日(土)は、鎌倉芸術館で、志ん輔さん。佐々木政談と火焔太鼓。どちらも好演。

10日(日)に、新橋演舞場で、花形歌舞伎。車引きと弁天小僧、それに、海老蔵が復活させた七つ面。勘三郎、団十郎、三津五郎と、人気も実力も兼ね備えた役者が一度に抜けて、まあ、取り残された大御所たちも大変だとは思うが、何だか歌舞伎座とか、ポッカリ穴が空いた感は否めない。むしろ、海老蔵や猿之助の世代が頑張っているなあ、と。この日は、獅童もよかった。

17日(日)、幸子がスポーツクラブの仲間からもらったチケットのおこぼれで、浅草歌舞伎。橋之助や彌十郎、錦之助らの息子たちが毛抜と川連法眼館を熱演。浅草公民館近くのヨシカミでカツサンドを買って行って、幕間に食べた。ヨシカミは、老舗の洋食屋ということで、観光客に大人気。店で食べようと思うと60分待ち、とのことだったが、持ち帰り用は、丁度出来上がったばかり、ということですぐに購うことが出来た。歌舞伎座でカツサンドを食べようとは思わないが、浅草でそれも若手の熱演、ということで、なかなかいい組合せだったなあ。

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神奈川県立近代美術館(鎌倉館)と天ぷら大石

2016年1月15日(金)

神奈川県立近代美術館鎌倉館が、1月一杯で閉館になり取り壊される。見納めに、混雑を覚悟で行くことにした。

とはいえ、週末を避けて、金曜日の開館と同時に入館。でも、もうチケット売り場に列が出来ていた。

1月2日に次男の家族と一緒に、生まれて初めて鶴岡八幡宮に初詣に行って、ものすごい混雑の中で、じゃがバタなどの屋台飯を堪能したばかりだった。

鎌近が出来たのは、1951年。ぼくたち夫婦が生まれた年でもある。展示されていた収蔵品(ごく一部の代表作)に添えられた解説文の端々から、ぼくたちが生きてきた時代のさまざまな出来事が思い返されて、感無量。建物や設計者の坂倉準三がデザインした家具調度品もまた良かった。耐震対策が出来ないという理由で使われていない新館に入れなかったのがちょっと残念。

少し時間があったので、別館にも足を延ばした。ここで思わぬ拾いもの。

イサム・ノグチと魯山人の交友関係。イサム・ノグチが山口淑子と結婚した当初、鎌倉の魯山人工房に寓居して新婚生活を始めたとのこと。そして、陶芸もやっていたとのこと。

この工芸品を中心とした別館の展示物の中に、パブロ・ピカソが焼いた絵皿が一点あった。どっかで、大量のピカソの絵皿作品を見たっけなあ、と思ったら、昨秋訪れた甲府の山梨県立美術館だった。

http://www.art-museum.pref.yamanashi.jp/exhibition/specialexhibit_201509.html

響子(娘)のお姑さんと幸子と三人で、勝沼のワイナリー巡りをした際、訪れた。眼目は、ミレーを中心とするバルビゾン派の絵だったのだけれど、企画展でピカソをやっていた。正直なところ、絵画作品はイマイチだったように思われるが、絵皿はよかった。純粋美術作品としての絵画や彫刻と工芸品を敢えて区別して論ずることの愚を、まざまざと思い知らされた。

おっと、鎌近のこと。

長男の巌生がまだベビーカーに乗っているころ、幸子と岳父英次とともに鎌近を訪れたことがある。

岳父は、デッサンのための木炭を焼くことを生業としていたのだが、美大を卒業した画家でもあった。絵が高く売れたという話は聞いたことがなかったが、数年に一度は、銀座の渋谷画廊で個展を開いていた。鎌倉の画家たちとの交流もあったようで、高田博厚の知遇も得ていたらしい。

その岳父が、「高田さんのエッセイによると小町通りに旨い蕎麦屋があるらしい」という。ははん、と思った。一茶庵だ。小林勇の『一本の道』だったか『山中独膳』だったかの跋を高田博厚が書いている。これがすこぶるいい。曰く。「鎌倉の小町通りに新しい蕎麦屋が出来た。ぶらりと入ってみると、若い夫婦がかいがいしく働いている。舌代の文字が又いい。『だれが書いたの』と聞くと『小林勇先生に書いていただきました』との返事。むべなるかな。」この時点で、小林勇と高田博厚には互いに面識がなかった。後に、高田が小林の絵の個展に出向いた際、初対面の開口一番、高田が「あんたの字を鎌倉の一茶庵で見たよ」と言ったら、小林が間髪を入れず「だったら、あんたとおれとは、その時から友だちだ」と答えたという。

岳父は、この跋が後に高田の随筆集に収められたものを読んだようだった。

しかし、小町通りには、件の蕎麦屋が見当たらない。しかたがないので、段葛にあった適当な蕎麦屋に入った。蕎麦はまあまあだったけれど、アルバイト風の女店員が、天ぷらの喰い方を上から目線で指導するものだから、ちょっとムカっと来て「湯桶をくれ」と言ったら、湯桶も知らない。店主と思われる男が、慌てて「そば湯、そば湯」と耳打ちしているので、興が冷めた。

後で知ったが、そのころは、鎌倉の一茶庵は、大鳥居の横に移転していて、観光客相手で大繁盛していたよし。

専修大前にあった一茶庵に行った折に、女将に鎌倉一茶庵のことを聞いたら、「のれん分けです」と、ほとんどそっぽを向いて答えた。けんもほろろとはこのことだ。

そんなわけでもないが、鎌芸ともなんだか随分長い間ご無沙汰してしまった。大鳥居前の一茶庵には、結局一度も入らずじまいだった。鎌倉には知人もいるし、時々は、食事をすることもあるが、大抵は少し駅から離れた谷戸の奥だったりして、歩いて行くにはちょっと不便だし、車で行くとなると駅の周辺は年がら年中混雑している。

帰りに、大鳥居前の食べ物屋で旨そうなところ、と当たりを付けていた大石で天ぷらを喰った。すこぶる旨かった。店は、週日の昼間だというのに結構客が入っている。一人、常連客とおぼしき男性が、天丼を注文した。横目でチラッと見ると、これがまた旨そうだった。コースの方は、それなりの値段がするし、天丼だって安い、というわけではないのだが、ネタもたくさん乗っていてね。電車で鎌倉に行く楽しみが出来た。

でも、次に行く時には、鎌芸はもうない。

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帰燕と日フィル定期

最近、やっぱり物忘れが進んでね。行ったばかりの音楽会のこととか、すぐに忘れてしまう。自分の備忘のために、簡単なメモだけでも残しておこうと思って。

 

2016年1月23日(土)サントリーホールで日フィルの定期演奏会。

小林研一郎の指揮で、リムスキー・コルサコフのシェーラザードとストラヴィンスキーの春の祭典。

特に、春の祭典が、ものすごい力演だった。いつもはシンバルで名演を聞かせてくれる福島さんが、今日は大太鼓で、これがまたすこぶる付きの名演だった。まるで大太鼓協奏曲。この大太鼓が映えることで、ストラヴィンスキーが目指したであろう原初的な生命の躍動としてのリズムがすごく立体的かつ直接的に身体に伝わってくるような感じ。曲が終わって、ファゴットを初めとする管楽器のソリストと共に、銅鑼をたたいた遠藤さん共々、コバケンが立たせて、聴衆の熱烈な拍手を受けたのには、グッときたなあ。

学生時代、大学のオケに入って最初の演奏会が、コバケンの指揮だった。まだ、ハンガリーのコンクールで優勝する前。新入生のぼくの出番は、一曲目のマイスタージンガー序曲の二発しかないシンバルだけだった。演奏会が終わって、舞台の袖に引っ込んだところでコバケンが近づいてきて「シンバルよかったよ」と言った。その一言で、ぼくは音楽の魅力、特に打楽器の魅力に引きずり込まれた。

演奏会の前、帰燕で食事をした。

ぼくたち夫婦は、普段は日フィルの横浜定期に通っているのだけれど、演奏会当日の都合が悪かったり、コバケンや山田和樹さんなどが東京だけで指揮する回などは、チケットを振り替えてサントリーホールに聴きに行く。

その際、食事をどこで食べるかというのが、ぼく的には楽しい悩みなのだけれど。カラヤン広場に面したバッカナールは、本当にパリのカフェみたいで定番。ぼくはいつも、フレンチフライがたっぷり添えられたステーキを頼み、幸子はだいたいサラダ。二人でそれらをシェアする。バッカナールは、紀尾井町のホテルニューオータニにもあって、先日、紀尾井町でバロックオペラを観たときにも行ったし、同系列のラ・クラスというブラッスリーがみなとみらいホールの近くにあって、ここにもよく行く。

で、帰燕は都合二度目。一度目は、初めてだってこともあり、土曜日限定のミニ会席を頼んだ。すこぶる旨くて量的にも充分だったのだけれど、隣のテーブルの客のコースの方が品数も多くって、ちょっとうらやましくなって、今回は会席料理のコースを頼んだ。

12時の開店と同時に入ったのだけれど、次々と予約の客が入ってきて、ほんとうにあっという間に満席(カウンターの二人だけは12時半の予約)。

 

それにしても旨かったなあ。どの皿も奇をてらうところが全くなくって、素直って言うか自然体っていうかスーッと入ってくる感じ。でも、どの素材もすごく吟味されていて盛りつけの隅々にまで神経が行き届いている感じ。カウンターで板長さんが刺身やら八寸やらの盛りつけをするのを見ているだけでも、ワクワクして見飽きない。

最後の方、2時の開演時間が迫ってきて、食事(鯛飯)とデザートがちょっと忙しなくなったのが、ちょっと残念。次回は、前もって、1:45に出られるように、って頼んでおくことにしよう。

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IVSのテスト

IVSの環境もずいぶん整ってきたので。

AJ1-6、MJ、それと、近ごろ文字情報技術促進協議会が公開した暫定私用フォントを用いたテストシートを作ってみた。

 

IVSテストシート(含暫定私用外字)PDF

IVSテストシート(含暫定私用外字)Pages

IVSテストシート(含暫定私用外字)HTML

IVSテストシート(含暫定私用外字)docx

 

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小倉朗交響曲ト調

2013年12月6日(金)日フィル定期。小泉和裕指揮。サントリーホール。

他に、ベートーベンの2番と7番のシンフォニー。

普段行っている日フィル横浜定期を振り替えて、聴きに行った。

この曲は1968年の作曲。ぼくが、小倉朗と親しく交わるようになったのは、大学の2年生(この年、次女の令子さんが1年遅れて同じ大学に入学してきた)の1971年以降なので、ぼくはこの曲を少なくとも生演奏では聴いたことがなかった。その後のヴァイオリンコンチェルトやチェロコンチェルトなどは、ほとんど初演を聴いている。

それにしても。やはり冷静に聴くことは出来なかった。リズム、メロディ、音色のいたるところに、ぼくが接した小倉朗という存在そのものが浮かび上がってくる。特に、藤沢市大庭の旧小倉邸で接したころの小倉朗その人の表情とバスバリトンの声の響き。

「タツオくん、君も、存外ペダンティックだね」という、今に至るまで心の奥にトゲのように突き刺さって抜けない人生の警句。

ぼくが、バルトークの2台のピアノと打楽器のためのソナタのアナリーゼのまねごとのようなことをしていて、最初の楽章、8分の9拍子のリズムを、どう捉えていいのか分からずに投げかけた質問への答えだった。

この一言は、加藤周一が『羊の歌』の中ですくい上げた

「効果をもとめたってつまらねえ」

というベランメエの一言と相通じるところがあった。

ぼくが、「加藤周一さんが『羊の歌』で小倉さんのことを書いていますよ」と言った。しばらくして、小倉さんは、当時刊行されていた平凡社の加藤周一著作集の月報にこのいきさつを「鷹の目」と題して書いた。さらに、「これを読んだある友人が、『あれは君の喋りよりもっと小倉だ!と、感激していた。』」とも書いてくれた。この《ある友人》は、ぼくのことだ。涙が出てきそうになる。もう、40年以上も前のこと。

この「効果をもとめたってつまらねえ」は、ぼくの今に至るまでの生き方の指針となった。

この文章を採録したくて、ぼくは、小倉さんの最後の著書となる『なぜモーツァルトを書かないか』(小学館創造選書)の企画をまとめ、刊行にまでこぎつけたのだった。

小倉朗没後20年を記念する演奏会で、高橋悠治さんがこの本に収められた「竹」という文章の一部を読んでくださったときにも、ぼくは思わず叫びそうになった。「ぼくが企画編集した本だ」

交響曲ト調を聴きながら、ぼくの胸には、そのような若き日々の思い出が、次から次へと蘇ってきていた。小倉さんの音楽の一つの特徴である日本の民謡をモチーフとした切れ味の鋭いリズム、そして、後期の作品に特有な絵で言えば点描のような淡い音色の移ろいが綯い交ぜになって流れていく。気がつくと、曲は第4楽章のコーダに突入していた。

大きな拍手。誇らしげで満足げな指揮者と楽団員。新曲の初演だったら、指揮者が手を目の上にかざして、客席に作曲者を探し、舞台の上に招き上げるところ。でも、客席には小倉朗はいない。そう、あたりまえだけれど、ベートーベンもいない。

音楽とは、文化とは、そういうものだ。リチャード・ドーキンスがミームという言葉で伝えたかったことは、きっとこういうことなのだろう。ぼくの中で、小倉朗は確実に生き続けている。

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ホテルで朝食プロジェクト(箱根ハイアット編)

11月15日(金)

久々に、ホテルで朝食プロジェクトを敢行。強羅のハイアットホテルへ。半端なくゴージャスなリゾートホテル。メインダイニングで、朝食ブッフェ。卵は、オムレツやスクランブルを料理して、テーブルまで運んでくれる。まあ、値段も3300円と、半端じゃないけれど。

ホテルで朝食プロジェクトの後は、美術館に向かう、というのが、何となく定番になってきていて。この日も、ポーラ美術館へ。箱根のホテルで朝食プロジェクト、ということでは、芦ノ湖畔の景色と散策、という付加価値部分で、プリンスホテルの方が、ちょっと有利かしらね。トリエンナーレも含めて、横浜美術館に行く時の、ホテルニューグランドも、結構いけている。

 

「モネ、風景をみる眼」という企画展。上野の国立西洋美術館との共同企画。一民間美術館が、日本を代表する国立美術館と対等に張り合って共同企画を催すというのも画期的。展示劈頭の二枚のボート遊びの絵だけで圧倒されてしまう。一通り展示を見た後で、前日がモネの誕生日ということで催された、学芸員による麦藁積みについてのガイドツアーに参加。その後、もう一つの企画であるアールヌーボーのガラス工芸品のコレクション。モネの展示にも、ロダンの彫刻などに混じって、さりげなくガラス工芸品の一部が置かれていたり、ガラス工芸品の方には、ゴッホや黒田清隆の絵が飾られていたり、美術品と工芸品との垣根を取り払おうという積極的な気概が感じられて、気持ちいい。

ポーラ美術館は、新しく周辺の遊歩道を整備したのだけれど、生憎の雨模様で、散策は断念。

湯本の方に下って、これまた新しく出来た箱根湯寮という日帰り温泉施設で、一風呂。湯本の駅の裏側の塔之澤温泉。ちょっと坂を上っただけで、森閑とした雰囲気になる。露天風呂からも折り重なる木々の先に箱根の山が遠望できて、なかなか。

最後は、以前から行ってみたかった鯛料理の瓔珞。瓔珞の鯛茶は、以前、横浜そごうの物産展で購入したことがある。食べてみて、じつにおいしかったので、一度は、訪れたいと思っていた。先付け、八寸、鯛のあら煮、卵豆腐の揚げ出し、鯛茶、という流れ。どの一品も、手が込んでいるというわけではないのだけれども、余計な外連がなくて、じつに旨い。特に、鯛のあら煮から卵豆腐の揚げ出しへの流れは、秀逸だった。

胃袋も眼も大満足の小旅行だった。こんな贅沢も悪くはない。

 

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『メディアとしての紙の文化史』

ローター・ミュラー著

三谷武司訳

東洋書林

 

知的興奮に満ちた本。

マクルーハンの『グーテンベルクの銀河系』を踏まえながら、はるかに広い視野に立つ。批判的継承という言葉がこれほど適切な例もまれだろう。

全体的な評という点では、巻末の原克氏による解説が間然とするところがない。本書を購わなければ読めない解説ではなく、書評として発表されれば、きっと売り上げ増につながったのに。

ちかごろ仲間内でやっている”Project Beyond G^3″という研究会の内容と、洋の東西を隔てて呼応しているのが、何とも楽しい。

http://www.ebook2forum.com/tag/脱g研究会/

 

ぼくは、2個所ばかりに絞って。

一つ。トランプが印刷機発明以前の紙を用いたメディアとして重要な働きをしていた、という個所(本書では、2-2)。メディアとしてのトランプという視点が、あの楽譜出版で有名なライブツィッヒのブライトコップフの二代目によって書物としてまとめられていた、という。

ぼくは、この個所を読みながら、ビゼーのカルメンを思い起こしていた。例の、第三幕のトランプの三重唱。ここで、カルメンの死の予兆が暗示されるのだけれど、まさに、トランプが冥界と現世を繋ぐメディアとして機能している。

そう言えば、学生時代に、タロットカードについて知りたくて、種村季弘さんの著書などを読みあさっていたこともあったっけ。

となると、日本の花札や貝合わせなどが果たしていたメディアとしての役割なども気になるなあ。

もう一つ。ドン・キホーテの第二部。ドン・キホーテに登場する著者(メタフィクションでのフィクションとしての著者)が、市場でドン・キホーテの冒険の続編に出会うところ。アラビア語の読めない著者に代わって、ノートと古い紙の束を読んでいた男が、突然笑い出す。

「ノートの欄外にある書き込みがひどく面白い」というのだ。曰く「この物語に頻繁に登場するドゥルシネーア・デル・トボーソという女は、豚を塩漬けにすることにかけては、マンチャ地方のいかなる女よりも腕ききだと言われている」といったような。

まあ、ぼくには、この欄外の書き込みがどのように面白いのかは、イマイチよく分からないが。メタフィクションに引き込む装置として手書きノートのそれも欄外を使うなんて、セルバンテスという人はなんとしゃれたことをするのだろう。このエピソード一つで、十分元が取れたような気がした。

 

 

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ホテルで朝食プロジェクト

いまさらながら、なのだけれど。知人との会話で盛り上がったものだから。

数年来、ささやかながら、妻と「ホテルで朝食プロジェクト」というのをやっている。といっても、他愛のないもので、朝、ちょっと早めに家を出て、ホテルで朝食を食べて、その後、なにがしかの活動をする、というだけのもの。

例えば。

朝、6:00ごろ家を出て、箱根に向かう。芦ノ湖湖畔のプリンスホテルで朝食ブッフェを食べる。ゆっくりコーヒーのおかわりをして、食後、湖畔を散歩。強羅のポーラ美術館へ。開場と同時に入場して、ゆっくり鑑賞。昼食は抜き。湯本に降りて、日帰り温泉に入浴。軽くお茶して、夕方のうちに帰宅。

横浜のホテルニューグランドで朝食ブッフェ。その後、トリエンナーレをゆっくり鑑賞。

葉山のホテル音羽の森で朝食プレート。サラダに虫が入っていて、お詫びの印に自家製ジャムを頂戴。金沢シーサイドパラダイスで癒やしの一時。アウトレットに立ち寄って帰宅。

といった塩梅。

旅行で旅館やホテルに泊まる楽しみを突き詰めていくと、朝食の時間帯、というのの比重が結構高いように思う。非日常というか、悠久の時、というか。すごくゆったりした気分を味わえる。しかし、一般的には、一流の旅館やホテルの宿泊料金は決して安くない。朝食だけでも、と思っても、旅館では実現できそうもない。というわけで、ホテルで朝食。

じつは、このプロジェクトを思いついたのには、伏線がある。

ずうっと以前、小学館からジャストシステムに転じたばかりのころ。かなりの頻度でアメリカのいわゆるベイエリアに出張していた。そのころは、まだジャストシステムにも勢いがあって、旅費も潤沢だった。で、定宿にしていたのが、エル・カミーノ・レアル沿いでスタンフォード大学近くのスタンフォード・パークホテル。ちょっとスノッビーなホテルで、チェックアウト時など、ピンストライプのスーツにアタッシュケースでびしっと決めたベイエリアではめずらしいようなビジネスマンが階段を降りてくる感じ。

ウィークエンドを挟んで滞在しているとき、日曜日の朝食の時間がちょっと遅くなると、ダイニングがすごく混んでいる。それも、明らかに滞在客ではない地元の人たち。ちょっとドレスアップして、ゆったりと食事している。この光景がとても印象に残っている。ああ、こういうのをブランチって言うんだ、みたいな。もしかしたら、教会のミサか礼拝の帰りかも知れない。泊まり客でなくても、ホテルで朝食を食べたっていいんだ。

子供たちが独立し、夫婦で自由に過ごせる時間が増えてみて、以前の光景が蘇った。今なら、実行できる。

べつに、頻度が高いわけではない。まあ、年に一二度といったところ。でも、その充実感とリフレッシュ度は半端ではない。朝早くから動き出すし、道はすいているし、昼食抜きになるし(特にブッフェだとついつい食べ過ぎるので、昼食を食べたくても物理的に無理だったりするし)。時間が有効に使えるし、比較的早い時間に帰宅できるし。

今度は、どこのホテルに行こうかな。

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インドネシア、バリ島の人形影絵芝居 ワヤン クリッ

8月7日(水)みなとみらいホール、屋上庭園

素敵な時間だった。ぼくたち夫婦に長男(巌生)の一家4人と。

演者は、梅田英春とその一座。

http://wayangtunjuk.web.fc2.com/

何がいいって、ビールを飲みながら鑑賞できる。歩き回ってもいい。近くのコンビニが出張してきていて、飲み物や軽いスナック、ホットドッグなどを売っている。

孫たちなんぞ、一番前の席(正確には一番前の席のそのまた前のクッションの上)に陣取って、親から支給されたスナックを、初対面の隣の子たちとボリボリやっている。

ぼくと巌生は、もちろんビール。

数日前の8月4日(日)に、石田泰尚クンがメンバーになっている3℃というピアノトリオの演奏会を聴いた。これもすこぶる楽しかった。モーツァルトやメンデルスゾーンのピアノトリオを、ラフな服装で弾く。ガーシュインのラプソディー・イン・ブルーは、ピアノの清塚さんの編曲で、アドリブたっぷりの完全にジャズのノリ。アンコールに至っては、モーツァルトのトルコ行進曲やモンティのチャルダッシュを自由自在にアレンジして弾きまくる。正統的なクラシック音楽の伝統のもとで鍛えられたテクニックを自由自在に操って、闊達な音楽を展開する。

その少し前に聴いた弥勒さんのみんなの古楽も含め、どこか通底するところがあるような気がする。

考えてみると。先日読んだ宮本直美さんの『教養の歴史社会学―ドイツ市民社会と音楽』で描かれていた正統ドイツ古典音楽を、いわば空白の中心として、時代と場所を越えて、さまざまな音楽が呼応し合う。いみじくも、弥勒さんが言っていた「打倒、小学校の音楽室にかかっているカツラ頭の肖像画」みたいな。

梅田座のパーフォーマンスは素晴らしかった。あまちゃんの「じぇじぇじぇ!」を初めとした時宜を得たジョークなども交えて。

そう言えば、ヨハン・シュトラウスのこうもりの最後の幕の幕開き、看守のフロッシュの一人語りにしても、歌舞伎にしばしば登場する役者本人の揶揄にしても、演劇空間が聴衆の生活の場と地続きになっていることを思い起こさせる大きな効果がある。

ぼくは、ヒンドゥー教の伝統のこともバリ島の影絵芝居のこともつまびらかにはしないが、あのとき、影絵のスクリーンをある種のゲートウェイ(まさにドラえもんのどこでもドア)にして、生活の場が神話世界に直接つながっているという実感を持つことが出来た。

芝居が終わった後も、余韻と共に、楽器や影絵人形をさわらせてくれたのも、とてもよかった。

夏の夜のひととき、親子三代がごく自然に参加できる楽しみの場を提供してくれた企画者たちに、感謝の拍手。

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新国立劇場で観るびわ湖ホールのクルト・ワイル「三文オペラ」

7月14日、新国立劇場中劇場。

新国立劇場では、地域招聘公演と称して、地方のめぼしいオペラのプロダクションを招いて上演する、という企画を継続的にやっているらしい。そのこと自体、とてもすばらしいことだ。

新国立劇場からは、ここしばらく足が遠のいていたけれど、びわ湖ホールの「三文オペラ」という道具立てに、思わずそそられて足を運んだ。結果は、大正解。十二分に堪能できた。

びわ湖ホールには、一度だけ行ったことがある。2008年の夏。小澤征爾音楽塾プロジェクトの喜歌劇こうもり。

びわ湖ホールの評判は、若杉弘さんの音楽監督としての手腕と共に、随分聞かされていた。一度、行きたいと思っていたが、横浜在住の身としては、おいそれと行けるわけでもない。結構思い切った決断をして、出かけたのだった。

その時、もちろん、小澤さんの指揮も、オーケストラやキャストの若々しい演奏も、素晴らしかったのだけれど、一番、感銘を受けたのは、その観客の質の高さだった。スノッビズムとか教養主義とか言って笑われるかも知れないが、拍手の絶妙なタイミングからして、おおおっ、この人たちは本当にオペラのことが分かっていて、その上で、心から楽しんでいるんだなあ、というのが伝わってきた。インターミッションのおりの華やいだそぞろ歩きも、また板について見えた。

若杉弘さんが10年間かけて、まさに手塩に掛けて育てた聴衆なのだ、という感慨を覚えた。このこうもり公演の時点で、若杉さんは、びわ湖ホールから新国立劇場の音楽監督に移っておられたが。若杉さんの後任には、まさに気鋭の沼尻竜典さんが就任していた。

そう言えば、ずっと以前、1993年に藤沢市民オペラで若杉さんがトゥーランドットを指揮された折、沼尻さんも副指揮者として参画していたように記憶している。

そんなやかやで、ぼくは、びわ湖ホールには、一度きりしか行っていないにもかかわらず、曰く言いがたい親しみと尊敬の念を持っている。

三文オペラ。じつは、ぼくは、このオペラ(というか劇)を観たことがなかった。以前、従兄弟の矢野誠と、どういうわけか音楽談義になって、オペラやオペレッタがブロードウェイのミュージカルとどうつながっているか、みたいな話題になり、誠が、「かぎは、ワイルの三文オペラだよ」とえらく断定的に言っていたことが、印象深く記憶に残っていた。

三文オペラを知るのにも、いい機会だなあ、と思った次第。

素晴らしい上演だった。びわ湖ホール、やってくれるね、みたいな。

しっかりした歌唱力だけではなく、ブレヒト作の劇作品としても、地の台詞の端々まで神経が行き届いていたし、舞台も簡にして過不足のない作りだった。演出が、藤沢市民オペラとも縁の深かった栗山昌良さんというのもうなずける。

ブレヒト(とワイル)が仕込んだ、オペラという様式に対する毒のあるパロディも感じることが出来た。フィナーレなど、もう、バロック時代の教訓オペラそのもの(言っていることは真逆だけれど)。ふと、ヴェルディのオテロで、イヤーゴが歌う、悪のクレドを思い浮かべたりして。

2014年のシーズンからは、新国立劇場の公演も、いくつかは観に行こうと思っている。そして、機会があれば、ぜひ、またびわ湖ホールにも行きたいなあ。

 

 

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みんなの古楽(響け!愛のヴァイオリン)

7月21日(日)。横須賀・ベイサイド・ポケット。

5月26日(日)に引き続き、2013年度二度目の演奏会。5年続いたシリーズの最終回にも当たる。

<第2回 響け!愛のヴァイオリン>

■出演

アンサンブル「アニマ・コンコルディア」
 戸田 薫 (ヴァイオリン)
 パウル・エレラ (ヴァイオリン)
 懸田貴嗣 (チェロ)
 西山まりえ (チェンバロ)
彌勒忠史 (カウンターテナー)

■曲目

メルーラ チャコーナ
ビーバー 8つのヴァイオリン・ソナタより ソナタ 第6番 ト短調
コレッリ 3声の教会ソナタ op.3 第12番
ヘンデル トリオ・ソナタ ト短調
ほか

 

稀代のカウンターテナーで名プロデューサーでもある弥勒忠史さんが、今回は声楽中心ではなく、ピリオド奏法のヴァイオリンデュオであるアニマ・コンコルディアを軸に据えたプログラムを企画した。このプログラムビルディング自体が素晴らしいと思う。もちろん、演奏も。

チェロの懸田貴嗣さんのチェロ、おなじみ西山まりえさんのチェンバロも含め、バロック時代のトリオソナタを演奏するグループとしては、贅沢きわまりない編成となった。

こぢんまりとしたホールに流れるふくよかな音楽の流れに身を任せていて、ふと我に返って「あれっ、ここは2013年の神奈川県横須賀市。日曜日の昼下がりなんだ」と世俗の時空に引き戻された瞬間、今この場で起こっている出来事の贅沢な幸福を猛烈に感じる。

日曜日の午後、横浜の自宅からちょっとしたドライブを経てやってくるこの空間は、弥勒さんという名プロデューサーの企画を積み重ねることによって、本当にぼくたちの日常に豊かな彩りを与えてくれる確かな場となっている。

来年以降も、趣向を変えて、何らかの企画が継続するとのよし。楽しみだなあ。

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キュレーションということ

2013年7月15日。

巌生(長男)一家に引っ張り出されて、町内会の納涼盆踊り。といっても、盆踊りを踊るわけでもなく、最初からブルーシートの上に座り込んで、焼き鳥を齧りながら缶ビールを飲んで、巌生と雑談。孫たちは、それぞれに友だちと遊び回っている。

この雑談が、思わぬ方向に展開した。

最初は、今はやりのLODにおける語彙統制の問題だった。NIIの武田教授からうかがった話だが、武田さんたちのグループでやっている、LODAC Museumのプロジェクトでも、複数の美術館や博物館のメタ情報を連携させる際の最大の難関は、RDFのラベルに使われる語彙をいかに関連づけるか、というところにあったという。

今、徐々に準備が進みつつある、日本版のNIEM(National Information Exchange Model)にしても、各省府庁が持っているデータの属性語彙を整理統合するのに、大変な労力が必要になることは、想像に難くない。

そもそも、あるコミュニティで共有される語彙(語彙空間)が他のコミュニティで共有される語彙(語彙空間)とcommensurableであるという保証はどこにもない。むしろ、コミュニティが異なればそれぞれの語彙(語彙空間)はincommensurableであると考えた方が、自然だろう。というか、commensurableな語彙(語彙空間)を共有する集団のことをコミュニティという、と言い換えてもいいのかもしれない。

先般、ぼくは、IDPFにおいてEPUBに日本語組版機能を組み込む際の一連の出来事を、そのような複数コミュニティ間の相互理解の断絶、という観点から論じたことがある。(要求する側の言語と実現する方法についての一考察

この論文で取り上げた例だけではなく、ITビジネスへの係わりの中で、ぼくは、サービスを提供する側と提供される側の絶望的なコミュニケーションの断絶をイヤと言うほど見てきた。そうした経験を踏まえて、そのような断絶へのささやかな対処方法を一言で述べれば、「せめて意思の疎通が出来ていないかもしれないという想像力(イマジネーション)だけは失わないようにしようね」といったことに尽きる。

そんな話題から、話は突然、先日妻と見に行った、「夏目漱石の美術世界」(東京芸術大学美術館)の話題になった。この展覧会は、すこぶる面白かった。夏目漱石という一人の稀代の大文豪の人生と作品を軸として、古今東西の美術作品を縦横に渉猟してきたすこぶるつきの大展示だった。漱石が生きた時代を彼が目にしたであろう美術作品を通して、まさにグローバルなスケールで感じ取ることが出来た。特に、英国留学の際に立ち寄ったという1900年のパリの万国博覧会。ああ、漱石が生きていた時代は、博覧会がメディアとして生き生きと機能していた時代だったのだ、という深い感慨を抱かされた。その時代は、マネやモネ、そして、恐らくはドビュッシーが浮世絵から多くのインスピレーションを得た、まさにジャポニスムの時代でもあったのだ。

それにしても、これだけの多くの作品を、漱石という文学者が残した言葉(文字)からたぐり寄せるには、どれほどの時間と労力が必要だっただろう。一人のキュレーターの仕業か複数による仕業かをぼくはつまびらかにはしないが、展示全体にあっぱれな気迫がこもっていた。

二年ほど前に、佐々木俊尚さんが『キュレーションの時代』という本を出版した。ぼくは、それを面白く読んだ。それとともに、編集という営為とキュレーションという営為の違いはどこにあるのだろうか、とか、美術館や博物館におけるキュレーションと、佐々木さんの言うキュレーションがどのように重なり合い、どのようにずれているのだろう、といった素朴な疑問も浮かんだ。言葉の定義はさておき、ぼくには、編集という営為もキュレーションという営為も、非常に近しいものに思えたし、過去に見た展覧会などで、まさにキュレーションの力としかいいようのない感銘を受けたことも一度ならずあった。

例えば。佐々木さんも取り上げていた「シャガールとロシアアヴァンギャルド」と題された展覧会。ぼくも、この展覧会を見て、深い感銘を受けた。そういえば、この展覧会も芸大美術館だったなあ。

じつのところ、ぼくがこの展覧会を見に行った一番の動機は、彼がメトロポリタン歌劇場改修後のこけら落とし公演のために制作した魔笛の衣装と舞台装置だった。

何がすごいって、いわばロシア革命と共に歩んできたシャガールが、その最晩年にいたって、1967年のニューヨークで、オペラの舞台装置と衣装を手がけた、という歴史的な事実。何か、資本主義万々歳みたいな時代じゃない。メトロポリタン歌劇場は、ほとんどそのシンボルといってもいいだろう。何で、メットなのよ、みたいな。

でも、対象となった作品は、魔笛だもんね。モーツァルト最晩年の(イタリア語ではない)ドイツ語による作品。ジングシュピールという大衆的な音楽劇の形式。そして、モーツァルトは夙にフィガロの結婚で、貴族社会の崩壊と市民社会の台頭を予見していた。

どういう経緯でシャガールがメットのための作品を作ったのか、ぼくは知らない。それでも、展示全体が最後の魔笛に収斂していることはひしひしと感じることが出来た。というか、この展覧会を企画した人(人たち)は、この魔笛を見せたいためにこの展覧会全体を構成したのではなかったか、とさえ思う。

ついでと言っては何だけれど。キュレーションの力を思い知らされた展覧会をもう一つ。ポーラ美術館で開催された「レオナール藤田展」。

藤田の絵画作品も絵画作品だけれど、何がすごいって、土門拳が撮影した藤田のアトリエの写真を手がかりにして発見された藤田のマチエールの秘密。

藤田は、ミラクルホワイトと呼ばれる独特の乳白色を武器に、パリの画壇に挑んだのだった。そして、当然のことながら、そのマチエールとアトリエは同業者の画家たちには決して明かされることはなかった。しかし、異業種の巨匠土門拳に、戦後の一時期日本に帰っていた藤田は胸襟を開いた。土門が撮る藤田の写真の数々もまた素晴らしかった。

そんななかの何気ない一枚、藤田のアトリエの机を写した写真に、写っているシッカロールの缶。藤田のマチエールの特色は、西欧的な油絵の世界に、面相筆と墨という日本画の技法を持ち込んだところにある。しかし、まさに、水と油。油性を基本とするキャンパスに水性の墨を馴染ませることは容易ではない。藤田が、その水と油の融合のためにタルク(滑石)を主成分とするシッカロールを使っていたとは。

展示からは、この発見をした学芸員の興奮が伝わってくるようだった。

ここで忘れてはならないことは、この展覧会の会場がポーラ美術館だということ。言わずと知れた化粧品メーカーの一方の雄。そして、この美術館には、錚々たる印象派の作品群だけではなく、洋の東西にまたがる化粧品の歴史を物語る収蔵品も多くあり、常設展示されている。

ポーラ美術館の学芸員でなければ、シッカロールの缶に注目することもなかったのではないか。

こんな話を、町内会の盆踊りの喧噪の中で巌生としていた。

そう、LODが目指すべきことが、ぼくたちには少し分かったような気がした。

異なる文化やコミュニティの間をつなぐこと、壁に風穴を開けること。

夏目漱石と美術世界にしても、シャガールの魔笛にしても、レオナール藤田と土門拳にしても、そのキュレーターたちは、異なる分野を縦横に渉猟して、一つの物語を紡ぎ出す才能と学識を持っていた。ぼくたちITに係わるものに出来ることがあるとすると、そのような営為を手助けするためのツールとデータ群の下準備ではないか。願わくば、一般の人たちが、インターネットの世界をまさにぶらつきながら、みずからの視点で新しい物語の紡ぎ出しの手伝いをすることではないか。

異なるコミュニティの間をつなぐ語彙を求めること。それが原理的には不可能なことだとしても。想像力を忘れることなく。

町内会の盆踊りも、悪くはないなあ。

 

 

 

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