キュレーションということ

2013年7月15日。

巌生(長男)一家に引っ張り出されて、町内会の納涼盆踊り。といっても、盆踊りを踊るわけでもなく、最初からブルーシートの上に座り込んで、焼き鳥を齧りながら缶ビールを飲んで、巌生と雑談。孫たちは、それぞれに友だちと遊び回っている。

この雑談が、思わぬ方向に展開した。

最初は、今はやりのLODにおける語彙統制の問題だった。NIIの武田教授からうかがった話だが、武田さんたちのグループでやっている、LODAC Museumのプロジェクトでも、複数の美術館や博物館のメタ情報を連携させる際の最大の難関は、RDFのラベルに使われる語彙をいかに関連づけるか、というところにあったという。

今、徐々に準備が進みつつある、日本版のNIEM(National Information Exchange Model)にしても、各省府庁が持っているデータの属性語彙を整理統合するのに、大変な労力が必要になることは、想像に難くない。

そもそも、あるコミュニティで共有される語彙(語彙空間)が他のコミュニティで共有される語彙(語彙空間)とcommensurableであるという保証はどこにもない。むしろ、コミュニティが異なればそれぞれの語彙(語彙空間)はincommensurableであると考えた方が、自然だろう。というか、commensurableな語彙(語彙空間)を共有する集団のことをコミュニティという、と言い換えてもいいのかもしれない。

先般、ぼくは、IDPFにおいてEPUBに日本語組版機能を組み込む際の一連の出来事を、そのような複数コミュニティ間の相互理解の断絶、という観点から論じたことがある。(要求する側の言語と実現する方法についての一考察

この論文で取り上げた例だけではなく、ITビジネスへの係わりの中で、ぼくは、サービスを提供する側と提供される側の絶望的なコミュニケーションの断絶をイヤと言うほど見てきた。そうした経験を踏まえて、そのような断絶へのささやかな対処方法を一言で述べれば、「せめて意思の疎通が出来ていないかもしれないという想像力(イマジネーション)だけは失わないようにしようね」といったことに尽きる。

そんな話題から、話は突然、先日妻と見に行った、「夏目漱石の美術世界」(東京芸術大学美術館)の話題になった。この展覧会は、すこぶる面白かった。夏目漱石という一人の稀代の大文豪の人生と作品を軸として、古今東西の美術作品を縦横に渉猟してきたすこぶるつきの大展示だった。漱石が生きた時代を彼が目にしたであろう美術作品を通して、まさにグローバルなスケールで感じ取ることが出来た。特に、英国留学の際に立ち寄ったという1900年のパリの万国博覧会。ああ、漱石が生きていた時代は、博覧会がメディアとして生き生きと機能していた時代だったのだ、という深い感慨を抱かされた。その時代は、マネやモネ、そして、恐らくはドビュッシーが浮世絵から多くのインスピレーションを得た、まさにジャポニスムの時代でもあったのだ。

それにしても、これだけの多くの作品を、漱石という文学者が残した言葉(文字)からたぐり寄せるには、どれほどの時間と労力が必要だっただろう。一人のキュレーターの仕業か複数による仕業かをぼくはつまびらかにはしないが、展示全体にあっぱれな気迫がこもっていた。

二年ほど前に、佐々木俊尚さんが『キュレーションの時代』という本を出版した。ぼくは、それを面白く読んだ。それとともに、編集という営為とキュレーションという営為の違いはどこにあるのだろうか、とか、美術館や博物館におけるキュレーションと、佐々木さんの言うキュレーションがどのように重なり合い、どのようにずれているのだろう、といった素朴な疑問も浮かんだ。言葉の定義はさておき、ぼくには、編集という営為もキュレーションという営為も、非常に近しいものに思えたし、過去に見た展覧会などで、まさにキュレーションの力としかいいようのない感銘を受けたことも一度ならずあった。

例えば。佐々木さんも取り上げていた「シャガールとロシアアヴァンギャルド」と題された展覧会。ぼくも、この展覧会を見て、深い感銘を受けた。そういえば、この展覧会も芸大美術館だったなあ。

じつのところ、ぼくがこの展覧会を見に行った一番の動機は、彼がメトロポリタン歌劇場改修後のこけら落とし公演のために制作した魔笛の衣装と舞台装置だった。

何がすごいって、いわばロシア革命と共に歩んできたシャガールが、その最晩年にいたって、1967年のニューヨークで、オペラの舞台装置と衣装を手がけた、という歴史的な事実。何か、資本主義万々歳みたいな時代じゃない。メトロポリタン歌劇場は、ほとんどそのシンボルといってもいいだろう。何で、メットなのよ、みたいな。

でも、対象となった作品は、魔笛だもんね。モーツァルト最晩年の(イタリア語ではない)ドイツ語による作品。ジングシュピールという大衆的な音楽劇の形式。そして、モーツァルトは夙にフィガロの結婚で、貴族社会の崩壊と市民社会の台頭を予見していた。

どういう経緯でシャガールがメットのための作品を作ったのか、ぼくは知らない。それでも、展示全体が最後の魔笛に収斂していることはひしひしと感じることが出来た。というか、この展覧会を企画した人(人たち)は、この魔笛を見せたいためにこの展覧会全体を構成したのではなかったか、とさえ思う。

ついでと言っては何だけれど。キュレーションの力を思い知らされた展覧会をもう一つ。ポーラ美術館で開催された「レオナール藤田展」。

藤田の絵画作品も絵画作品だけれど、何がすごいって、土門拳が撮影した藤田のアトリエの写真を手がかりにして発見された藤田のマチエールの秘密。

藤田は、ミラクルホワイトと呼ばれる独特の乳白色を武器に、パリの画壇に挑んだのだった。そして、当然のことながら、そのマチエールとアトリエは同業者の画家たちには決して明かされることはなかった。しかし、異業種の巨匠土門拳に、戦後の一時期日本に帰っていた藤田は胸襟を開いた。土門が撮る藤田の写真の数々もまた素晴らしかった。

そんななかの何気ない一枚、藤田のアトリエの机を写した写真に、写っているシッカロールの缶。藤田のマチエールの特色は、西欧的な油絵の世界に、面相筆と墨という日本画の技法を持ち込んだところにある。しかし、まさに、水と油。油性を基本とするキャンパスに水性の墨を馴染ませることは容易ではない。藤田が、その水と油の融合のためにタルク(滑石)を主成分とするシッカロールを使っていたとは。

展示からは、この発見をした学芸員の興奮が伝わってくるようだった。

ここで忘れてはならないことは、この展覧会の会場がポーラ美術館だということ。言わずと知れた化粧品メーカーの一方の雄。そして、この美術館には、錚々たる印象派の作品群だけではなく、洋の東西にまたがる化粧品の歴史を物語る収蔵品も多くあり、常設展示されている。

ポーラ美術館の学芸員でなければ、シッカロールの缶に注目することもなかったのではないか。

こんな話を、町内会の盆踊りの喧噪の中で巌生としていた。

そう、LODが目指すべきことが、ぼくたちには少し分かったような気がした。

異なる文化やコミュニティの間をつなぐこと、壁に風穴を開けること。

夏目漱石と美術世界にしても、シャガールの魔笛にしても、レオナール藤田と土門拳にしても、そのキュレーターたちは、異なる分野を縦横に渉猟して、一つの物語を紡ぎ出す才能と学識を持っていた。ぼくたちITに係わるものに出来ることがあるとすると、そのような営為を手助けするためのツールとデータ群の下準備ではないか。願わくば、一般の人たちが、インターネットの世界をまさにぶらつきながら、みずからの視点で新しい物語の紡ぎ出しの手伝いをすることではないか。

異なるコミュニティの間をつなぐ語彙を求めること。それが原理的には不可能なことだとしても。想像力を忘れることなく。

町内会の盆踊りも、悪くはないなあ。

 

 

 

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