歌丸の真景累ヶ淵

2013年6月14日、野毛にぎわい座。

ここのところ、古今亭志ん輔が続けてやっている真景累ヶ淵を聴いている。

デザイナーの平野甲賀夫妻が企画運営しているいわと寄席の一環。甲賀夫妻と親しい編集者の及川明雄さんが声を掛けてくれる。気の置けない仲間との高座前後の食事もまた楽しい。前回はちょうどIRG香港会議と重なって、ぼくは行けなかったけれど、妻はいそいそと出かけていった模様。

落語そのものを聴くようになったのも、いわと寄席のおかげなのだけれど、志ん輔さんの真景累ヶ淵は思わぬ余録も産み出した。明治期初頭の速記による新聞連載と言文一致の日本語文体の成立との係わり。

柳家三三がやはりにぎわい座で6回通しでやった談洲楼燕枝の鵆沖白波も後半だけだけれど聴いた。

そんなやかやで、先般、やはり三三が鎌倉芸術館でやった豊志賀の死とかも聴いた。

で、妻が「あら、歌丸師匠がにぎわい座で真景累ヶ淵をやるわよ」というので、聴きに行った。第四話「勘蔵の死」と第五話「お累の自害」。

この日は、昼間、都内で所用があった。帰りがけに、東京駅構内のグランスタで豆狸のいなり寿司が3個入った小ぶりの弁当を二つ買った。

にぎわい座で妻と待ち合わせ、ロビーのベンチで、弁当を食べた。歌舞伎座で食べるにはちょっと、だけれど、寄席で食べるにはバッチリね。

同じ真景累ヶ淵でも、演者が異なれば、随分違う。圓生の長尺ものだから、当然ながら筋が立っている。それでも、こうも違うものか、と思うほど違う。それでも、青空文庫から落としてきて読んだ圓生の書き起こしとは、それぞれにぴったり重なって聞こえてくる。音楽の演奏で起こっていることとそっくり。

志ん輔も三三も、それぞれにとびきりうまい。それでも歌丸師匠の、特に、お累の自害の最後の辺りは、ちょっとした照明の工夫もあって、まさに背筋がぞくぞくしてきた。怪談の真骨頂。

端然とした話しっぷりから、観衆を恐怖に引き込む力量。こういうのを風格っていうのだろうな。

何時もの通りの幕間にモナカアイス。後半最初の江戸屋まねき猫さんの動物ものまねが花を添えていた。

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