インドネシア、バリ島の人形影絵芝居 ワヤン クリッ

8月7日(水)みなとみらいホール、屋上庭園

素敵な時間だった。ぼくたち夫婦に長男(巌生)の一家4人と。

演者は、梅田英春とその一座。

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何がいいって、ビールを飲みながら鑑賞できる。歩き回ってもいい。近くのコンビニが出張してきていて、飲み物や軽いスナック、ホットドッグなどを売っている。

孫たちなんぞ、一番前の席(正確には一番前の席のそのまた前のクッションの上)に陣取って、親から支給されたスナックを、初対面の隣の子たちとボリボリやっている。

ぼくと巌生は、もちろんビール。

数日前の8月4日(日)に、石田泰尚クンがメンバーになっている3℃というピアノトリオの演奏会を聴いた。これもすこぶる楽しかった。モーツァルトやメンデルスゾーンのピアノトリオを、ラフな服装で弾く。ガーシュインのラプソディー・イン・ブルーは、ピアノの清塚さんの編曲で、アドリブたっぷりの完全にジャズのノリ。アンコールに至っては、モーツァルトのトルコ行進曲やモンティのチャルダッシュを自由自在にアレンジして弾きまくる。正統的なクラシック音楽の伝統のもとで鍛えられたテクニックを自由自在に操って、闊達な音楽を展開する。

その少し前に聴いた弥勒さんのみんなの古楽も含め、どこか通底するところがあるような気がする。

考えてみると。先日読んだ宮本直美さんの『教養の歴史社会学―ドイツ市民社会と音楽』で描かれていた正統ドイツ古典音楽を、いわば空白の中心として、時代と場所を越えて、さまざまな音楽が呼応し合う。いみじくも、弥勒さんが言っていた「打倒、小学校の音楽室にかかっているカツラ頭の肖像画」みたいな。

梅田座のパーフォーマンスは素晴らしかった。あまちゃんの「じぇじぇじぇ!」を初めとした時宜を得たジョークなども交えて。

そう言えば、ヨハン・シュトラウスのこうもりの最後の幕の幕開き、看守のフロッシュの一人語りにしても、歌舞伎にしばしば登場する役者本人の揶揄にしても、演劇空間が聴衆の生活の場と地続きになっていることを思い起こさせる大きな効果がある。

ぼくは、ヒンドゥー教の伝統のこともバリ島の影絵芝居のこともつまびらかにはしないが、あのとき、影絵のスクリーンをある種のゲートウェイ(まさにドラえもんのどこでもドア)にして、生活の場が神話世界に直接つながっているという実感を持つことが出来た。

芝居が終わった後も、余韻と共に、楽器や影絵人形をさわらせてくれたのも、とてもよかった。

夏の夜のひととき、親子三代がごく自然に参加できる楽しみの場を提供してくれた企画者たちに、感謝の拍手。

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