2013年5月1日、新国立美術館で開かれている「貴婦人と一角獣」展と森美術館で開かれているミュシャ展をはしご。間に、西麻布のエスペリアでランチ。
六本木近辺の美術館に行くときの最大の楽しみは、西麻布のエスペリアでランチが食べられること。というか、エスペリアでランチするための口実に展覧会を見る、というのがホンネ。
朝から出かけて、まず、「貴婦人と一角獣」展を見た。
メインは、フランス国立クリュニー中世美術館所蔵の6面の連作タピスリー。美術館の収蔵室衣替えにあわせての貸し出し。メトロポリタン美術館以来120年ぶり、2度目の館外貸与とのこと。
午前中ということもあり、それほど混んでいなかったこともあり、ヨーロッパ中世の香りを堪能できた。
エスペリアも連休の谷間のせいか、それほど混んではいなかった。森シェフの料理とフロアーの小倉さんの接客は、いつものように素晴らしい。ゆったりとした気分で贅沢な時を過ごせる。
思えば、森克明シェフと知り合ってから、もう30年以上経つ。小学館の編集者時代、当時、三笠会館新宿店のシェフだった森さんと出会った。そのころは、フレンチで南フランスの料理を出していた。もう、サラダ革命でチーズの騎士の称号を得ていた。大切な執筆者の接待のために、頼み込んでチーズづくしのコースをやってもらった。その執筆者はとても満足してくださり、上機嫌で、後に「コンピューター時代の教育」という一連のシンポジウムに発展する話題で盛り上がった。
ジャストシステムに移ってまもなく、西銀座デパートにヴォーノ・ヴォーノというイタリアンの店を立ち上げる、という案内をもらった。開店披露のパーティにも呼んでもらった。ヴォーノ・ヴォーノにもよく通った。娘が小さいころ、そのころ安斎利洋さんと中村理恵子さん、草原真知子さんらが中心となって、ゴールデンウィークにワシントン靴店のギャラリーで開いていたコンピュータグラフィックスのグループ展を見た後、妻の幸子と3人で、食事をするのが楽しみだった。
ほどなく、森さんは、支配人としてフロアーに立つようになり、そして、いつの間にか、姿が見えなくなった。
数年経って、三笠会館の鵠沼店で食事をした折、支配人から森さんの消息を聞いた。曙町で自分の店を出した、と。
曙町の店にも何度か行った。しかし、この店は、場所柄と安さのせいだろう、若い人たちがあふれかえっていて、ぼくたちには、ちょっと賑やかすぎた。
しばらくして、エスペリアは、今の西麻布に移った。
西麻布に移ってからのエスペリアは、ぼくにとっては、フレンチの三笠会館鵠沼店、うなぎのうな平、カレーのガネーシュとともに、最高のレストランの一つとなった。
森さんの料理が素敵なのは、ほんとうに、客に旨いものを食べさせるのが楽しくって仕方がない、という彼の思いが、詰まっているところだろう。森さんがヴォーノ・ヴォーノの支配人になったころ、冗談で、「裏切り者」と言ったことがある。だれよりもそのような思いを抱いていたのは、森さん自身だったに違いない。彼は、料理が作りたくって作りたくって、独立したに違いないのだ。そして、客にゆっくり自分の料理を味わってもらいたくって、今の場所に移ったのだ。
森さんの料理と小倉さんの接客ぶりに接するだけで、ぼくたちは幸せなひとときを過ごすことが出来る。
午後から見た、ミュシャ展は、大変混雑していた。ミュシャは、過日、プラハに行ったときにも随分見たが、作品の重なりはあまりなく、珍しい油絵作品や写真も出展されていて、なかなか充実したものだった。ちょっと嬉しかったのは、ビクトリア女王の在位50年だかを記念してネスレの注文で描いたポスターの左右上部に、ライオンと一角獣が描かれていたこと。幸子に言われて気付いた。ヨーロッパの文化の脈流に触れたような気分だった。
しかし、いつものことながら、東京の美術館の企画展の混雑と場内の案内は、もう少し何とかならないものだろうか。せっかくのゆったりした気分が、ずいぶんと削がれてしまった。
帰りに、東京駅で、《御門屋》と《あげもちや》の唐辛子揚げあられ。幸子に呆れられる。