最近刊行の文字コード関連書を読んで 出版社にとっての文字コード

最近刊行の文字コード関連書を読んで
出版社にとっての文字コード

《愚者の後知恵》出版ニュースの清田社長との共同作業。出版関係者を対象として、文字コード関連のブックレビューも兼ねて、文字コードと出版編集現場との関連を論じた。
1999年11月
出版ニュース’99.11/下

【リード】
情報処理学会情報規格調査会漢字ワーキング小委員会主査として、また、ユニコードコンソーシアム理事として、国際的な文字コード規格策定の最前線で活動する筆者が、編集現場の経験とアプリケーション開発現場の経験を踏まえて語る文字コードの現在(いま)。

コンピュータで自然言語を扱う困難
先ごろ出版された『漢字問題と文字コード』(小池和夫・府川充男・直井靖・永瀬唯著、太田出版刊)を面白く読んだ。
同書を初めとして、近ごろ文字コードやコンピューターやネットワーク上での漢字の扱いに係わる書物の発行が相次いでいる。
『パソコンにおける日本語処理/文字コードハンドブック』(川俣晶著、技術評論社刊)
『文字コードの世界』(安岡孝一・安岡素子著、東京電機大学出版局)
少し遡ると
『電脳文化の漢字の行方』(平凡社編・発行)
『日本語が危ない』(太田昌孝著、丸山学芸図書刊)
など。
雑誌当の記事に至っては、「ユリイカ」(1998年5月号、青土社)「しにか」(1999年6月号、大修館書店)など枚挙に暇がない。
(興味をお持ちの方は、先般終了した情報処理学会情報規格調査会文字コード標準体系検討専門委員会の報告書[http://www.itscj.ipsj.or.jp/domestic/mojicode/index.html]に、かなり詳細な文献目録が収録されているので参照されたい。)
いずれにしても、このような情報の氾濫は、コンピューターの上で漢字を初めとする自然言語を扱うことの困難さについての議論が、コンピューターやインターネットを初めとするデジタルなネットワークの爆発的な普及に伴って、一部の専門家、関係者内部から、一般のメディア、消費者にまで急激に拡大しつつあることの証左と見ることができよう。
議論の拡がりの過程で、日本文藝家協会名で国語審議会に提出された要望書を初めとして多くの誤解もまた生じることになった。

小池氏らの著書は、これらの誤解に対して、事実関係を正確に捉えた上で、やや一面的ではあるが、当を得た示唆を与えてくれている。
中でも、先般発行され、ベストセラーの一角も占めた井上ひさし氏の『東京セブンローズ』(文藝春秋刊)の組版上の問題に対する指摘は、特に出版業界(と印刷業界)における漢字とコンピューター問題を考える契機となる多くの論点が含まれている。
小池氏の主張を筆者なりの解釈で簡単に纏めると、「写植、オフセット印刷を前提とした現代的な明朝体フォントを基にして、いたずらに細部の字形だけをいわゆる正字に変更しても、井上氏が本来目指したであろう、当時(先の戦争直後)の印刷物の雰囲気は再現できず、むしろ出版物としての美的バランスを欠くことになりますよ」といったことになろうか。
論点を端的に二点に絞ろう。
一つ。手書き文字と活字の関係
二つ。活字設計の時代による変化
以下、これらの問題について、少しく検討してみたい。

手紙文字と活字
小池氏の論点は、井上氏の作品が先の戦争末期から敗戦後の時代を背景とする日記文学の体裁を取って書かれたものであるとしても、日記(=手書き)の書体や字形と、それを活字に組んで書物として発刊することは別の問題であるはずだ、という点にある。
筆者も以前、手書き原稿を基に活字を組み上げる際に、細部の字形に拘ることの愚(現実の印刷現場ではそのような愚が行われていないことは申すまでもないが)を、松尾芭蕉の自筆本に基づく翻刻や新約聖書の初期写本と最も権威のあるテキストとされるネストレ版との関係などを例として指摘したことがある。(「要求する側の責任ということについて」前掲『電脳文化と漢字のゆくえ』所収)
古典や聖典など殊更に厳密性が要求される書物でなくとも、かつての文選工が手書き原稿を基として活字を拾う際には、執筆者のさまざまな略字や癖を把握捨象した上で、自社が持つ一揃いの活字箱(本来のフォント!)から、適当な一本の活字を拾っていた。
森鴎外の「鴎」の字の字形がしばしば話題になるが、自身が手沢本に「×カモメ」を書いていた例を挙げるまでもなく、鴎外が「×カモメ」を書いても、手練れの文選工は何の疑問を抱くことなく「品カモメ」を選んでいたわけだ。
小池氏が顕在化させた『東京セブンローズ』のからくりは、近ごろしばしば話題となる字形への拘りの多くが、手書き文字と活字の違いに対する認識の欠如もしくは希薄さに起因することをはしなくも明らかにしたと言えよう。

活字設計の時代による変化
小池の主張の二つ目は、「時代とともに変化する書物の姿を、字形だけを捉えて切り取ってみても、無意味なことである」ということになろうか。
かつて筆者が駆け出しの編集者であったころ、筆者の周りには、まだ、活版印刷が残っており、写植オフセットの印刷は水っぽいといった風潮が大勢であった。しかし、集英社の女性向け雑誌「MORE」が本文書体として細ナールを使ったことに象徴されるように、時代は本文書体を含め、時機に応じてさまざまな書体を使い分ける方向に進んでいく。いわば、活字の母型を彫る労力が写植時代になって軽減されることにより、多くの書体を開発することが可能となり、それが時代の要求と見事に合致した、という塩梅である。
コンピューターの時代になり、新しい書体の開発はより容易になったが、それとともにデジタルフォントの使用が一般の人々の間にも広まることとなった。
ともあれ、言葉が時代によって変化するものであると同様、好まれる書体も時代によって変化する。言うまでもなく、書体が異なれば字形も変化する。比較的デザインが安定している明朝体といえども、時代とともに変化していく。小池氏が指摘したことは、時代とともに変化していく字の形について、全体のバランスを考えずに、些末をいじることの愚を述べたことのように思われる。

さて、小池氏が指摘したこの二つの問題は、出版業界にとっては、いかなる意味があるのだろうか。
以下、国語審議会、日本工業規格(JIS)、国際標準化機構(ISO)などの最近の動きと関連づけながら、検討しておこう。
それぞれの最近の動きを纏めると、
国語審議会:第21期の審議経過報告で印刷用標準字体表(案)の提示。第22期で継続して審議
日本工業規格:JIS X0208と同時に利用することを前提とした新規格X0213(いわゆる第3水準、第4水準)の策定(現在、審議の最終段階)
国際標準化機構:合計7万字規模の漢字集合の策定作業と、JIS X0213のレパートリーとの関連づけ
といったことになる。
この中で、一部の地名や人名などを除き、一般書籍の編集や印刷に従事する方々に係わるのは、国語審議会の動向と、従来から用いられてきたJIS X0208(最新版は997年改訂)とインターネットを中心に急速に普及してきたUnicodeもしくはISO/IEC 0646との係わり、ということになろう。
国語審議会が第21期に出した審議経過報告の要旨を一言で述べると、「常用漢字表以外の漢字の印刷標準字体は原則的にいわゆる康煕字典体にする」ということになる。そして、これらの方針は、出版業界全体にとっては、従来、一般書籍に対して、それぞれの出版社が印刷会社との関係で独自に採ってきた方針とほとんど一致する。このことは、国語審議会に対して、書協や雑協から、賛意を表す意見書が提出されたことからも明らかである。
問題は、これら従来の出版社の慣行と、作家などの手元で執筆に用いられるワープロソフトや電子メールで用いられる文字コードとの関連のところにある。さらに最近では、インターネットなどを通した表現行為との関連、パーソナルコンピューターを用いたDTPソフトウエアの普及などにより、従来印刷所が吸収してきた手書き文字と活字のずれ、JIS X 0208の規格票に現れる字形と出版・印刷業界の慣行とのずれが著者、編集者のレベルでも顕在化してきている。
結論から言うと、現在のJIS漢字コードでも、1997年版で新たに規格として明示された包摂規準を援用すれば、国語審議会の審議経過報告に沿った字形を表示、印刷できるフォントセットを設計することが可能である。
具体的に述べる。1978年に最初の版が作られたJIS X0208は、1983年の改訂の際、当用漢字字体表に記載されている略体字の考え方を援用し、多くの字体変更および旧字体と新字体の符号位置の変更を行った。これが、現在の混乱の大きな原因となっているのだが、1997年の改訂の際、新たに規格として包摂規準なるものを設け、この中で新旧JISの併存による混乱を追認することとなった。このことにより、先に挙げた「×カモメ」「品カモメ」のように、1978年版と1983年版で字形が異なるものも、同じ符号の異なる表現形態として「包摂」されることとなった。
このような理由で、いわば「品カモメフォント」を用意するだけで、「常用漢字以外の印刷標準字体は康煕字典体とする」という基準をクリアーすることができる。
同様なことは、小池氏も以下のような形で言及しておられる。(前掲書340ページ)

情報伝達の文字と字の形との関係
一方、近年とみに拡がっているUnicodeを用いると、さらに広い範囲で対応することが可能となる。実際、Unicodeには、JISの補助漢字(JIS X0212)が完全に含まれており、さらに現代の中国のみで用いられるいわゆる簡体字を除いても約6000字ほどもの漢字が含まれている。Unicodeは、その最初の時点でも正確には20902文字の漢字を規格化していたが、この数は、白川静氏らの漢字学、中国語学の専門家の言を待つまでもなく、日常的な言語使用には必要十分以上の字数である。そして、一部の例外を除き、ある文字コードを表現する字形として「いわゆる康煕字典体」を用いることは、何らUnicodeの規定に抵触するものではない。当然ながら、ISO/IEC 10646の場合でも同様である。
UnicodeとISO/IEC 10646の関係については、同一視される誤解、過度に別のものと考えられる誤解などこもごもだが、紙幅の関係で本稿ではこの関係の詳細を割愛せざるを得ない。表裏一体の関係で策定が進められており、キャラクターのレパートリーとコードアサインが同一であることだけを認識しておいていただきたい。
また、一部の例外について一言書き添えると、例外となるのはむしろ、本来は同じコードとすべきものが、さまざまな理由(多くは元になった各国の規格で別なコードが振られていたため)により別なコードが振られた場合である。
このようなわけで、Unicodeに準拠した適切なフォントセットを用意すれば、国語審議会の審議経過報告と矛盾しない形で、かつ、インターネット等での汎用的な情報交換性をも保証した形で、(康煕字典や諸橋漢和辞典に記載されている)2万字近くの漢字を自由に用いることが出来るようになっている。
しかし、実のところ、右記の方法では解決できない問題がまだ二点残る。
一点は、文字コードとしては同じだが異なる字形を使い分けたい場合(多くは人名、地名などの異体字)。
もう一点は、どの文字コードにも対応しない全く別個の意味と読みと形を持った字を使いたい場合。
前者については、現在も複数の方法が提案され、さまざまなレベルで検討が進められている。結論が出るまでには、まだ少しの時間がかかると思われるが、大勢としてはいたずらに字形の微細な差異に注目して別個の文字として新たな符号を付与することはせず、音や義が同一のものについては、文字コードとは別のレベルで字形を区別するべきだ、との考えに傾いているように思われる。今後、音と義と形の関わりの中で情報を伝達する文字(character)と、図形としての具体的な字の形(glyph)との関係を明確に意識した上での、具体的積極的な議論が待たれるところだ。
後者については、現在のISOの枠組みでは、使用実態が明確であり、かつ、既存のコードと明らかに異なることが明確であれば、若干時間はかかるものの、ほぼ百パーセント、規格に追加することが可能な状況になっている。JIS X0213として規格化されようとしてる規格のレパートリーについても、何らかの形で完全にISO/IEC 10646との対応関係を取ることが出来るよう、ISO/IEC への新たな文字の追加提案も含めて活動を行っている。
読者諸兄も、規格に明らかな遺漏があると思われる場合は、どうか声を大にして、具体的な提案をいただきたい。

言葉が変化するものであるとするならば、言葉を対象とする規格もまた変化を恐れるべきではない。しかし、過去との整合性を保つこともまた忘れるわけにはいかない。
規格策定の現場では、この二つの相反する原則をいかにして調和させていくかに、日々腐心している。我々にとって最も力になるのは、既存の規格を金科玉条とすることなく、積極的に活用していただいた上で、より現実に即したもの、より利用しやすいものとなるよう、批判や提案をいただくことにある。諸兄のご鞭撻を乞う次第である。

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「紙」の役割を代替できるか、できないか -電子書籍コンソーシアムの目指すもの-

「紙」の役割を代替できるか、できないか
-電子書籍コンソーシアムの目指すもの-

《愚者の後知恵》電子書籍コンソーシアムに事務局・技術責任者として係わっていたころ、新聞協会の研究会で発表した内容をまとめたもの。当事者の一人だったために、表だって否定的な考えは書いていないが、このころ、すでに電子書籍とそれよりも書物そのものの行く末に大きな疑問を抱いていたことが読み取れる。
1999年6月
新聞研究No.575

ブックオンデマンド実験の概要
特集「出版メディアの現在と未来」に当たって『新聞研究』編集部から与えられたテーマは、「『電子書籍コンソーシアム』の目指すもの」というものだった。編集部からの依頼状に、以下のような記述がある。

特に流通面では、ダイレクトに読者とつながることが可能になり、書籍流通に相当大きな影響を及ぼすと思いますが、現行の流通ルート、取次会社や書店はどう変容するのでしょうか。また人々の読書スタイルや、紙から電子へ、作り手側の変化はどのように起こるでしょうか。そしてなにより、「紙がなくなる」ということが出版文化に本質的な変化をどう及ぼすのか、参加出版社はこの構想に何を期待し、また何を大事に考えて、取り組まれようとしているのかについて、改めて伺いたいと存じます。
電子書籍コンソーシアムと、当コンソーシアムがJIPDEC(日本情報処理開発協会協会)との請負契約に基づいて行う「ブック オン デマンド 総合実証実験」については、御協会傘下の新聞社の何社かにも会員会社としてご参加いただいており、何よりも幾度か紙上でも取り上げていただいているので、長く繰り返すことはしない。
簡単にまとめると、以下のようになろうか。

  • 従来の電子出版物制作経験を踏まえ、通読系の書籍、特に出版界で流通量としても大きな比重を占めるマンガにも対応できるメディア=システムにする
  • 読者の代弁者としての編集者が納得のできるレベルの可読性を求める
  • 従来の紙の出版物の大きな特色であった可搬性を可能な限り確保する
  • 制作過程で検索などの機能をいたずらに追求することなく、リーゾナブルなコストで短期間に大量のコンテンツを電子化することを目指す
  • マンガなどの画像データへの対応、文学作品などに多く含まれる情報交換のための技術では扱いが困難な多様な漢字表現への対応を踏まえ、既存書籍を画像として取り込む方式を基本とする
  • 画像データでも可読性を損なわない高解像度の液晶ディスプレーの利用を基本とする
  • 画像データの問題点である膨大なデータ量に対応するため、衛星通信や光ファイバーなどの大容量通信手段を用いる
  • 大容量通信手段の普及度を勘案し、書店店頭、コンビニエンスストアなどに販売端末を設置する

以上のような基本構想の下に、実証実験の終了期限である2001年1月までの短期的なゴールとして、5000タイトルのコンテンツ電子化と、実験用携帯読書端末の開発、通信衛星から販売端末までを含む電子配信システムなどのシステム開発を平行して行っており、中長期的には、電子出版用の電子フォーマットの国際標準化、電子出版物の著作権処理に関わる諸問題の整理解決などに取り組んでいる。
概要については、以上のようなものであるが、これでは編集部の注文への回答になっていないことも、重々承知している。本論の読者が、新聞業界といういわばお隣の業界の関係者という前提で本音を語らせていただけば、質問していただいたそれぞれの項目への回答が既にして存在するぐらいなら、誰も実証実験なども行わず、コンソーシアムなどという曖昧な組織で議論をすることもなく、とうの昔に積極果敢にビジネスに討って出ていますよ、とでもいったことになろう。

以下は、これら、未だ結論を得ていない”Good Questions”の若干に対する、筆者なりの問題提起である。

電子的な読書環境の貧困さ
第一の問題。読みやすい紙面ないしは版面は、内容によって変化するか?
まず、素朴な質問をさせていただこう。一般の新聞では、通常の記事の場合、1行の文字数は12文字なのに、連載小説はなぜ1行22文字に、社説は1行19文字になっているのだろうか。(手近にある朝日新聞の場合)
もう一つ。NetscapeやInternet Explorerなどのブラウザーは、なぜ、欧文に比べ(特に長文の)和文が読みにくいのだろうか。
前者については、おそらくはこの「新聞研究」の読者諸兄の方が、筆者よりもずっと詳しくその理由をご存じのことと忖度する。
後者については、筆者なりに理由の一つを理解しているつもりでいる。すなわち、現今のブラウザーは、欧文フォントのデザイン設計を基準に開発されているので、和文行間への配慮が著しく欠如している、という点である。もう少し、詳しく述べる。
ラテンアルファベットは、そのデザイン設計上、”y”や”q”など、ベースラインから下にはみ出すものがあるため、ベースラインの下にもう一本、ディセンダーラインを想定する。そのため、ラインスペースをゼロ(いわゆるベタ組)にしても、ある程度の可読性を確保できる。
それに対して、和文の場合、1行の高さ全部を使って、方形にタイポグラフを設計するため、ベタ組にすると縦横の区別が困難になり、著しく可読性を阻害する。
言うまでもなく、この議論は、WWWのブラウザーの問題であるが故に、当然のことながら、横組みを前提とした議論であり、縦組みの議論などは、論外である。
筆者の友人に、世界規模で占有率最右翼のブラウザーの開発に携わっているエンジニアがいるが、彼の話によると、このブラウザーは、対応する言語すべてのヴァージョンを一つのソースコードで同時に開発しているという。このような状況の中で、明治以降、日本の出版人、印刷人が営々と築きあげてきた文字設計、組み版の技術を、電子的な媒体での読書に反映させることは、可能なのだろうか。
このような次第で、紙面設計、版面設計一つを取っても、解決すべき問題は、多岐にわたる。

  • 紙の印刷物とCRT、LCDでの表示は、同じイメージでよいのか。CRTとLCDでもデザインを変える必要があるのではないか
  • フォントの設計は、どうするべきか
  • 縦組みと横組みの使い分けはどうすべきか
  • 地球規模のアプリケーション開発競争の中で、日本(語)の歴史と文化に根ざした要求をどのように反映させればよいか、そもそも、それが可能か
  • メディアの変容とともに(かつて、活版印刷から写植+オフセットに変化した折り、版面設計のポリシーが変化したと同様)、あらたな画面設計のポリシーを創出すべきではないか

実のところ、このような議論は、まだ、ほとんど緒にもついていないような状況にある。新聞の連載小説は、単行本として上梓される際は、おそらくは、1行、42文字から43文字程度、1ページ17行から18行程度の版面で組み直されることだろう。紙で発行される紙誌、書籍の紙誌面、版面の多様性に比べ、現状での電子的な読書環境の貧困さは、覆い隠すべくもない。何よりも、メジャーなブラウザー環境は存在しても、メジャーなリーダー環境は未だ存在していない。
新聞の報道記事のためのブラウジング環境、社説のためのリーディング環境、小説のためのリーディング環境、それらについての、真剣な議論を巻き起こしていく必要があるだろう。
こうした中で、電子書籍コンソーシアム発足の直接的なきっかけが、シャープによって開発された高解像度モノクロディスプレイだったことは、故なしとはしない。
プロジェクトの関係者たちは、この液晶の精度の表現として、「ガラスに印刷したような」、「ルビまで読める」という言い方をしている。この液晶の175dpiという密度は、一般的な人間の目の解像度にちょうど相当し、比較的高品質なオフセット印刷やグラビア印刷のスクリーニング用マスクの線数とも一致している。
少なくとも、液晶の解像度という点で、技術は、紙の印刷物が人間の知覚能力との関係で築き上げてきた地点に到達したのだ。技術の新規性を喧伝することによって、表現力の貧弱さを糊塗する必要がなくなったのだ。それぞれの長短、特徴を、平等に検討できるスタートラインに立ったとでも言えようか。

「変わらねば」-書店の危機感
紙幅も限られている。もう一点だけ問題提起させていただく。流通、特に書店について。先日来、各地の書店組合、複数書店で構成される私的な研究会などに、何度かお招きいただき、電子書籍のプロジェクトに関して意見を交わす機会があった。その折り、共通に感じたのは、書店の方々のある種の危機感を背景とした熱心さ。もう少し正確を期すなら、紙の書物を読むという習慣と書店に出向いて書物を購入するという習慣の長期低落傾向の中にあって書店そのものが変貌しなければ生き延びていけないのではないか、という大きな問題意識の中で、電子書籍のプロジェクトを捉えられていた、ということになろうか。 中にストレートな質問をする方がおられて、
「結局は、本屋なんていらへんやないか」
などとおっしゃり、返答に窮したこともあった。
実際には、5年や10年で紙の書物が市場から消滅するとは考えられないし、古書市場まで含めて考えれば、紙の書物は、これからも数百年、数千年の単位で、文化と歴史を支え続けることになると思われる。
希望的観測で言えば、紙による読書と異なる読書手段を提供することによって、一部、紙から電子への読者の移行があるとしても、読書機会の増大による新たな読者の増加により、総体としての市場規模そのものが若干拡大するのではないか。
しかし、このような杓子定規な答弁とは別のところで、書店の現場の方々は、書店が変わらなければ生き延びてはいけない、と強く肌で感じておられることもまた事実であろう。
20年あまりも前、かつて筆者が駆けしの児童雑誌編集者であったころ、取材などでローカル線の駅に降り立つと、駅前には必ず本屋があり、その隣に定食屋があった。本屋で自分が編集している雑誌が店頭にあることを確かめ、隣の定食屋でカレーライスを掻き込み、駅前に止まっている二三台のタクシーの一台に目的の小学校名を告げる、というのが取材のスタートのいわば定型だった。筆者の記憶の景観の中で、これらの書店は、鉄道の駅舎と一体となって、異なる世界へのゲートウェイのような空間を構成していたように思う。いや、駆け出しの編集者の立場から言えば、見ず知らずの土地に迷い込みながらも、列車に飛び乗れば、すぐにでも東京に戻れるし、何よりも自分が編集した雑誌がそこにあることによって、この見知らぬ土地が自分の日常と繋がっているのだという安心感を抱くことが出来たのではないか。
これらのいくつかの駅前書店が、今はどうなってしまったか、筆者には知る由もない。一方、この20年ほどで爆発的に増加したのは、いわゆる郊外型の書店であり、その増加はファミリーレストランの増加と軌を一にしているように思われる。
昨今の筆者は、休日の昼下がりなど、家人に粗大ゴミ呼ばわりされることを避けるため、このような郊外型書店のいくつかを梯子したりもする。そこには、相哀れむべき同類が多々見受けられる。
ともあれ、書店とは、単に書籍を購う場所ではなく、自分と世界を結ぶ接面空間のような存在のように思われる。世界の空気を嗅ぐために書店に出向く、とでもいえようか。
新聞のことにも触れねばなるまい。新聞配達。毎朝、郵便受けに届けられる新聞は、確かにさまざまな記事や情報を運んでくる。しかし、それと同時に、「ああ、今日も自分は世界の中で生きて存在している」という社会とのつながり感も運んでくるのではないか、新聞休刊日に空の新聞受けを覗いたときに抱くある種の空虚感は、逆説的な形で配達された新聞が持つ自分と世界とを繋ぐ力を表しているのではないか。
大きな事件の折りなど、ターミナル駅の駅頭などで配られる号外なども、記事そのものの内容とともに、「号外が発行された」「号外を手に取る」という出来事、行為自体に、大きな意味合いがあるのではないか。
このように考えたとき、電子的な書物、電子的な新聞が、どのような形で、書店の役割や新聞配達の役割を代償できるか、もしくは、代償できないかは、それほど簡単な問題ではないように思われる。

期待される現代の“アルダス”
新しいメディアは、常に古いメディアのメタファーとして出現する。旧メディアの共通点をとば口として、社会に受け入れられていく。新規性だけでは、メディアの成功はおぼつかない。しかし、新規性がなければ、そもそも「新しいメディア」を標榜するわけにもいかない。この相反する要素にどう折り合いを付けていくか、今までの議論を反芻してみると、編集部からの “Good Questions” は、すべてこの点に係わっていたように思われる。
かつて、グーテンベルクは、42行聖書を制作するに当たり、大きさといい、リガチャの用い方といい、能う限り従来の写本の技術を継承することを目指した。グーテンベルクが作ろうとしたのは、いわば、写本の模造品ではなかったか。技術の革新性について云々しているのではない。インキュネブラ時代に活版印刷技術がヨーロッパ全土に拡がっていく速度は、目を見張るものがある。まさに燎原の火といった趣である。しかし、聖書が真に民衆に普及し、宗教改革へのエネルギーを蓄積させるには、アルダスによる馬の鞍に挟める小型聖書の発意を待たなければならなかった。アルダスは、読書の習慣そのものを変革することにより、ヨーロッパ近代の大きな礎を築いたのだった。
グーテンベルク革命以来の大きな変革の時期にあって、今、待望されているのは現代のアルダスなのかもしれない。

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次世代電子書籍システムを模索する 電子書籍コンソーシアムとBOD総合実験の今

次世代電子書籍システムを模索する
電子書籍コンソーシアムとBOD総合実験の今

《愚者の後知恵》終わってみれば、なんと馬鹿なことに荷担したのだろう、という慚愧ばかりが残る電子書籍コンソーシアムへの参画だったが、その慚愧も冷静に考えれば、未来を考える際の反面教師にもなりうる。自分の軌跡を抹消するわけにもいかないので、そのまま記録しておくことにする。
1999年4月
出版ニュース’99.4/中

本格的プロジェクトへの展開
1999年3月25日(木)午後1時30分より、神楽坂の日本出版会館にて電子書籍コンソーシアムの年次総会が開かれた。年次総会とはいえ、このコンソーシアムには次の2000年3月の年度末に予定されている年次総会しか残されていない。電子書籍コンソーシアムは現時点で、2000年3月までの期限を切った組織なのだ。その後の存亡は、偏にこれから一年間のコンソーシアムの活動成果にかかっている。

今回の年次総会では、昨年松以来空席になっていた代表にインプレスの塚本慶一郎社長が就任し、副会長陣が一新された。承認を得た新人事は以下の通り。

代表  塚本慶一郎 株式会社インプレス代表取締役社長
副代表 阿部 忠道 株式会社角川書店取締役
副代表 竹内 修司 株式会社文藝春秋常務取締役
副代表 藤田 昌義 株式会社小学館取締役
副代表 山野  勝 株式会社講談社常務取締役

同時に、幹事会に直結した形で総務会を設け、総務会の下に今までのオペレーションオフィスを発展解消した形で、事務局およびオペレーションセンターを置くことも提案、承認された。総務会長には従来副代表(代表代行)を務めておられた小学館インターメディア部次長の鈴木雄介氏の、副総務会長には副代表(代表代行)を務めておられた出版ニュース社の清田義昭社長の就任が、それぞれ承認された。
電子書籍コンソーシアムの今を望観する上で、この人事は象徴的な意味を持っているといえよう。すなわち、一部の電子出版に興味を持つ人たちによる準備的な先進的なプロジェクトから出版界こぞっての本格的プロジェクトへの展開。
代表に就任された塚本慶一郎氏は、パーソナルコンピューターの黎明期から近年のインターネットブームまでを第一線で引っ張ってこられた気鋭の出版人。いまだ若々しい代表を支える形で、コンソーシアムの発起人企業からは、経験豊かな取締役各氏が副代表として名を連ねる。ともすれば通信衛星であるとか高解像度液晶を用いた形態読書端末といったテクノロジーが先行する形で喧伝されてきたこのプロジェクトに、出版界がこぞって取り組むことを内外に印象づけた人事ということができよう。
年次総会の場で、日本書店組合連合会の萬田**会長が、来賓挨拶の中で日書連が賛助会員として入会したことの報告と、組織として電子書籍のプロジェクトに取り組む決意を述べられたことを付け加えると、このことはより鮮明になる。
プロジェクトの経過
ここで、年次総会に至るまでの、電子書籍コンソーシアムと「ブック オン デマンド総合実証実験」の動きを簡単に振り返っておきたい。本誌1998年8月下旬号に、鈴木雄介総務会長の一文が掲載されている。このプロジェクトに至る出版人としての「志」については、そちらをご参照いただきたい。V そもそも、このプロジェクトは、出版業界の中で、先進的に電子出版に係わってきた人々の中からの以下のような問題意識が発端となって立ち上がってきた。
すなわち、
今までの電子出版は、あまりにもコンピューターという機械=メディアに囚われすぎていたのではないか、従来の出版物との差別化を強調する形での「あれもできる、これもできる」というアプローチではなく、従来の書物の持つ特性のうち、何を引き継げて何を引き継げないかを、もう一度原点に立ち戻って考えてみる
従来の書物の持つ、可搬性の高さ、可読性の高さを継承するためには、高解像度の表示装置を持つ携帯可能な専用読書端末が必要ではないか いたずらに検索の利便性などの従来の本では実現できない機能に拘泥するのではなく、従来の書物の大部分を占める通読型の書物の電子化に焦点を絞るべきではないか 多品種少量という出版業界の特色を鑑みると一品目当たりの電子化費用は可能な限り低廉でなければならない
といったことになろうか。これらの輻輳した問題意識に解決の糸口を提供したのは、モノクローム高解像度液晶というある種成熟状態に達した要素技術だった。この要素技術を軸に据えることにより、先の問題意識に対する技術的な回答は非常に自然な形で固まることとなった。
175dpi程度(一般的な人間の目の解像度に相当)の高解像度液晶を持った携帯読書端末を開発する。形態的にも可能な限り、従来の書物のメタファーを尊重する
高解像度液晶を前提とし、書物の電子化を安価かつ大量に行うために、立ち上がり時点での電子化は、従来の書物をイメージデータとして取り込むアプローチで行う
イメージデータの宿命である大容量化に対応するため、情報の配信経路としては、通信衛星、光ファイバーなどの大容量可搬な手段もしくはパッケージメディアを用いる
このような枠組みで、さまざまな検討が、現在の発起人企業を中心とする有志によって、ほぼ2年にわたり進められてきた。
このごく私的なプロジェクトを実現可能にした大きな力が、景気対策のための補正予算枠の中で設定された「先進的**事業」の公募だった。
この公募に応募することを前提とし、プロジェクトは一気に具体的立案のフェイズに入った。募集の枠組みとしてのテーマが、電子商取引を主眼とするものであったために、電子化された書物をいわゆる販売端末を通して読者に届ける部分が中心となり、その要件を満たす技術環境として、オン デマンド でのタイトルの配信、著者への印税支払いまでをも視野に入れた課金精算方法などが組み込まれて、総合実証実験の計画が練り上げられた。
この間、さまざまな曲折はあったが、結果的には9月末日の締め切りまでに、総額18億円円あまりの申請が出された。
この実証実験プロジェクトの申請と雁行する形で、電子書籍コンソーシアムの設立準備も一気に加速することとなった。10月2日の設立総会を以て電子書籍コンソーシアムは正式に発足した。しかし、通産省からの補助金の額が確定しない段階で、請負契約に基づく「ブック オン デマンド総合実証実験」のプロジェクトと広い意味での電子書籍のプロジェクトの切り分けを明確にできないまま、いわば見切り発車的にコンソーシアムを立ち上げざるを得なかったことが、後に会員各社と幹事会会社(主として発起人企業)および担当スタッフの間に、若干の認識の差を生むこととなる。
11月10、契約実務を担当する日本情報処理開発協会(JIPDEC)より、正式採択の通知。これを受けて、12月1日、予算案を含めた臨時総会の開催。
プロジェクトとしては採択されたが、予算額は大幅に削減され、消費税一般管理費を含め、8億円の枠内で、すべての実証実験を行わなければならないこととなった。
実施計画を予算内に落とし込むにあたっては、全体を均等に縮小するのではなく、電子化した書籍をデータベース化し、必要に応じて検索配信の機能を担う、いわば上流のダムの部分に重点的に開発予算を配分し、さまざまな形態で読者に届ける部分については、販売端末、形態読書端末の数量も含めて大幅に絞り込むことにした。それを補完する意味で、自己リスクによる周辺的な実験や実際のビジネス展開の可能性を、会員各社に積極的に検討していただく方針が取られた。
実施計画策定も佳境に入った12月末、事業申請の際の代表企業としても、コンソーシアムの代表としても中心的な役割を担ってこられたオーム社(佐藤政次社長)が自社のご都合で退会されるという、コンソーシアムにとっては手痛い出来事が起こった。しかし、当初より中核的な役割を担ってきた小学館が、契約主体企業を引き継ぐ形で、契約実務は滞りなく進められ、最終的な成約に至った。
また、実証実験のシステム的な準備、契約手続きと平行して、電子書籍プロジェクトの中核となるタイトル電子化は、既にかなりなハイペースで進んでいる。会員各社から著作権処理に目処が立ったものを中心に電子化を希望するタイトルリストの提出をお願いし、現時点で1800タイトルのリストに基づき、御徒町に2月15日に開設した電子化センターで、1日25タイトル、2000年3月までに5000タイトルの電子化を行う。
しかし、コンテンツ電子化の最大の問題は、特に著作権者との間の権利関係の明確化にあることは言を待たない。コンソーシアムでは、この交渉をスムーズに進めるために、暫定的なものとはいえ、版元と著作権者との間の覚書の雛形を用意するなどして、環境づくりも進めている。
10年先を見据えて
一方、我々の「ブック オン デマンド総合実証実験」及び電子書籍コンソーシアムの動きと呼応するように、特に米国において複数の類似のプロジェクトが同時多発的に進められている。ヌーボーメディアによるロケットブックやソフトブックなどは、その代表的な例である。これらに関し、特筆すべきは、NIST(National Institute for Standard and Technology??)が中心となり、鼎立しつつあった電子書籍のフォーマットを統一しようと言う動きが出てきたことである。折しも、国内においても日本電子出版協会が呼びかける形で「出版標準フォーマット」策定の動きも始まっている。われわれの電子書籍フォーマットもこのような動きから孤立して策定することはもはや不可能であろう。LinuxやGNU、Javaなどのオープンソースコードソフトウエアの動きを見るまでもなく、インターフェースやフォーマットなどの情報規格をオープン化し、さまざまな製品、システムに広く用いられることによってデファクトスタンダード化を目指す以外に、最終的なエンドユーザーの利便性をも保証した形での普及は望むべくもない。電子書籍コンソーシアムとしても「出版標準フォーマット」の策定に積極的に関与協 力していくと共に、日本電子出版協会が開催するオープン規格の動向を巡るセミナー等にも共催、協賛の形で協力することを決定している。NISTからは、賛助会員として入会したいとのお申し出をいただき、手続きを進めている。
代表就任に際しての挨拶で、塚本慶一郎氏は、以下のような趣旨のことを述べられた。
「電子メディアの性能は、まだまだ紙の本の性能に追いついていない部分がある。今後の10年で、どこまで追いつくことが出来るか、追い越すことが出来るか、楽しみだ。10年先を見据えて、様々な議論をオープンに重ねていってもらいたい」
この半年ばかりの間、2000年3月までに何としても実証実験をやり通さなければ、といういわば強迫観念にも似た思いに凝り固まっていたスタッフの一員にとって、この言葉は大変新鮮に響いた。
思えば、グーテンベルクを嚆矢とする活版印刷の技術も 500有余年を費やして成熟してきたのではないか。今回の実証実験は実証実験として短期決戦で進めざるを得ないが、せめて視線だけは高く保って未来を見据えていきたい。グーテンベルク革命に匹敵する読書文化の革命は、今まさに緒についたばかりである。われわれが受け継いできた知的資産を、情報化、ネットワーク化の時代に発展的に生かしていくためには、ますますオープンかつ積極的な議論が不可欠であろう。今回の実証実験は、そのような議論を積み重ねていくための貴重な第一歩になることを確信している。読者諸賢の厳しくも暖かいご批判を乞う次第である。

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ネットワーク社会でのルビの再評価 HTML、Unicodeに即して

ネットワーク社会でのルビの再評価
HTML、Unicodeに即して

《愚者の後知恵》情報処理学会情報メディア研究会報告の予稿。この研究会で、ルビを視覚的に捉えるか、あくまでも音声化して捉えるか、という点を巡って田中克彦氏(音声派)とシュテファン・カイザー氏(視覚派)が、発表者そっちのけで刺激的な論争をされた楽しい思い出がある。ちなみに、ここに記載されているHTMLの表記方式は、現在標準化されているものとは異なっている。
1998年11月
http://ci.nii.ac.jp/els/110002946980.pdf?id=ART0003301271&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1367141414&cp=

【和文抄録】
ルビは、主としてある表記に発音のヒントを付加する日本独特の表現方法である。漢語を初めとする外国語を日本語に取り込む際、意味の多重化、異化の作用を持つことにより日本語の多様化に重要な役割を果たしてきた。1996年の香港で開催されたInternational Unicode Conferenceにおける紀田順一郎氏の招待講演を契機に、ルビを inline annotation として捉えなおし、HTMLやUnicodeに取り入れていこうという動きが活発になっている。この過程で、日本語としての文化の特殊性と普遍的な機能との間での鬩ぎ合いが顕在化している。
【Abstract】
Ruby is used frequently in Japanese to indicate the pronunciation of Kanji character. Mr. Jun’ichiro Kida made keynote address about Ruby in 8th International Unicode Conference, Hong Kong, March 1996. This address aroused new movement to standardize Ruby in HTML and Unicode as “inline annotation”.

最近、遅蒔きながら井上ひさしの『吉里吉里人』を文庫で読んだ。この本自体、本日の研究会のテーマである『ことばとグローバリゼイション』の問題を考える上で、非常に示唆に富んでいると思う。筆者自身、Unicode Consortiumに係わったことを契機として、さまざまな形で国際的な情報交換用文字コードの策定に携わってきた過程で、『ことばとグローバリゼイション』の問題を少しは考えてきたつもりでいたが、井上氏のこの小説には非常に大きな感銘を受けた。特にこの作品が、夙に昭和56年、すなわち1981年に発刊されていることを考え合わせると、その問題意識の新鮮さは驚異ですらある。この小説を読まずに『ことばとグローバリゼイション』の問題を軽々に論じていたことに、忸怩たる思いを抱いた。

この小説から得たものは非常に多いが、望外の収穫は、文庫版の解説を大学時代の恩師、由良君美氏が執筆しておられたことだ。中に、ルビについての言及がある。

 漢字にふりがな。「ルビ」という日本語の特殊な修辞力を、わたしは説いて久しいが、井上ひさしは、東北弁の修辞力の驚くべき今日的活力を、この作品のなかに、〈ルビ〉によってものの見事に実現してくれたのである。方言の尊厳のために、またルビの修辞的秘儀のために、井上ひさしのこの傑作を読んで下さる人とともに、わたしは乾杯したいと思うのだ。として、古いの文句をそえて---
《吉里吉里、千歳栄、白衆等……》(新潮文庫版p.519)

ここで由良氏が「『ルビ』という日本語の特殊な修辞力を、わたしは説いて久しいが」と言及しているのは、おそらく「《ルビ》の美学」(『言語文化のフロンティア』昭和50年、株式会社創元社刊所収)という評論のことだと思われる。以下、この評論に従い、日本語におけるルビの歴史を概観することとする。しかし、由良氏の博覧強記ぶりはこの評論においても例外ではなく、単純な要約は不可能である。興味をお持ちの方は、元評論に直接当たっていただくようお願いしたい。

自身幼少期の祖父の家での「ルビ屋さん」「検印屋さん」の思い出に引き続き、由良氏は、ルビの根を日本語の漢字採用時にまで遡って説き起こす。

「ルビの根は、日本語の漢字採用とともに古い。ここは音読すべきか、ここは訓読すべきかを指定する、古事記式割注とともに。そして、経文にみられる古訓点本の仮名の発達とともに、日本語独特の意味論的性質をかかえこんでゆくことになった。」(前掲書p.100)

 

ルビは、音読か訓読かを指定するための記号にとどまるものではない。ルビは日本語に独自の表記法といってよいが、その祖型は、もとより、中国に求めることができる。たとえば、契丹文字の判読に悩んだ古代中国人は、契丹文字の脇に、対応する漢字を小書きして読解の助けとしていたことは、出土資料によって明らかであろう。(同書p.100)(下図)


次いで由良氏は、黄表紙本の鼻祖恋川春町作『金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)』(下図)を例に、「漢文脈と和文脈との間に平行して作りだされる緊張関係」にある「ルビの面白さ」を解き明かしていく。

「文に曰く 浮世(ふせい)は夢の如し 歓をなすこといくばくぞやと 誠にしかり」は、一応、李白の詩「浮世ハ夢の如シ。歓ヲ為スこと幾何ゾヤ」を基にしており、「誠にしかり」と応ずることで、一知半解の読者をもまず良い気にさせるのである。この読者の知識を高く仮定するかのように見せて、心を一旦くすぐっておきながら、次第にあやふやなこじつけに移行し、全篇を支配する故事の滑稽な今様解釈という主題展開に、いつの間にか乗せてしまうのが狙いなのである。(同書p.105)

 

「一すひ」は、原語そのもののもつ〈一炊〉→〈一睡〉の掛け言葉から成りたつ寓意性を、読者に分からせるための故意の仮名がきであり、解釈上の微妙な方向づけを孕むことに注意されねばなるまい。(同書p.106)

ルビを契機とする由良氏の連想はさらに羽ばたく。

「漢字の持つイメージの喚起力は、まずフェノローサを感動させ、彼の研究を通じてエズラ・パウンドの詩法を産み、エイゼンシュテインの映画のモンタージュ理論の産婆となり、シクロフスキーのフォルマリズム詩学の異化理論の影の力になってきた。」(同書p.110)「まず漢訳し、つぎに邦訳する一種の〈ひとり重訳〉とでもいうべき二重手続きは、読解法としてみるとき、恐ろしく古臭い感じがするが、創作法として考え直してみるとき、それはシクロフスキー理論そのものといいたいほどの超前衛的な側面を示してくる。」(同書p.112)

 

 この〈ひとり重訳〉法が創作法に転化されたところに生れたのが、歌舞伎のであり、黄表紙滑稽本表題であり、それが本文内容構成まで深くしばりながら、高度のデザイン化を促すところに生じたのが、江戸文学のグラフィック・デザインであるといえよう。(同書p.113)

 

わたしが関心を持つのは、この成立史の問題をさらに大きく包み込んで、江戸期を現時点につなぐ、いっそう基底的なものである。それは、たとえば「」(南北)から「」(有人)を経て「」(野坂昭如)につながる、或る表題発想のしかたである。(同書p.113)

さて、由良氏の議論が野坂昭如に至ったところで、「ルビの美学」の紹介は、ひとまず措くこととする。しかし、論者にとってこの恩師の評論は記憶の根底に、深く残っていたものと思われる。この評論を読んだのは、発行されてすぐのことと記憶しているので、1975年ごろとのことと思うが、それから20年ほども経った後、紀田順一郎氏との雑談の折りに、忽然としてこの評論を思い出すこととなる。

紀田氏とは、氏がジャストシステムのユーザー誌「モアイ」に日本語に係わるさまざまな評論を連載されていたこともあり、ATOK監修委員会の座長をお願いしたことで、親しくおつきあいさせていただいていた。その折の会話。

「今度、モアイでルビのことを取り上げようと思うのですよ」

「そう言えば、学生時代の恩師にルビについて論じたものがありましたよ。今度探しておきます。」

このような会話が契機となって、氏の「ルビという小さな虫」(『日本語発掘図鑑』、1995年、ジャストシステム刊)の中に、由良氏の「ルビ屋さん」の挿話が取り入れられることになった。

紀田氏の評論は、現在でも書店で簡単に入手することが可能なので、詳細は実物を参照していただきたい。

1996年春、香港で第8回International Unicode Conference が開催された。ジャストシステムが日本からは唯一の正会員としてUnicode Consortium に参加していた関係で、アジアで最初の本格的なユニコードの国際会議にふさわしい招待講演者の推薦を依頼された。

論者は、迷うことなく紀田氏を推薦し、ご本人からも快諾をいただいた。その折りのテーマとして選ばれたのが「ルビ」だった。

紀田氏の講演は予想を上回る好評をもって迎えられた。理由はさまざま考えられるが、ユニコードにより漢字圏の言語を表現する基盤がようやく整い始めた段階で、ある言語(おそらくはすべての言語)が持つ文化的な複雑性を、ルビが象徴的に垣間見させたことにあるのではないかと思われる。

「ルビ」は、香港会議である種のブームを巻き起こし、このメカニズムを単に日本語に留めるのみならず、他の言語にも応用することが出来るのではないか、といった活発な議論が行われた。

中でも、HTMLのi18nに関して、活発な発言を行っているMartin Duerst(当時はチューリッヒ工科大学、現在は慶應義塾大学でW3Cの専任)は、特に熱心に紀田氏への質問を投げかけ、いささか論者らを辟易させたりした。

直後、Martin は、”Ruby in HTML”(http://claude.ifi.unizh.ch/groups/mml/people/dmuerst/rubi.html) という文章をインターネット上で発表する。

このMartinの文章がきっかけとなり、日本語のルビをどのようにHTMLで扱うか、また、ネットワークに流す文章に取り入れていくか、という議論がi18nに係わる人間たちを中心に議論されるようになり、現在もその規格化に係わる議論は継続している。

さらに、Unicode Consortiumの副社長であるAsmus Freytag が、”Support for Implementing Inline and Interlinear Annotations”(L2/98-055, For UTC Consideration Only)というプロポーザルをUnicode Technical Committeeに提出し、ルビの議論は文字コードの世界にまで入ってきている。

因みに、ルビの語源がイギリスの印刷業界において5.5ポイント活字を表す伝統的なジャーゴンに由来していることもあってか、最近ではRubyと表記して日本のルビに限定されない広い意味での inline annotation を表す言葉として定着し始める兆しが見える。

先の由良氏の評論からもうかがえるように、ルビにはさまざまな機能がある。

現在もっとも一般的なルビの理解は、「ある漢字列にひらがな列でその読みを与える」といったものであろう。しかし、由良氏述べているように、ルビにはその出自当初から意味の多重化、異化作用が本質的に含まれていたのではないか。
例えば、船戸与一の『蝦夷地別件』には、漢語の熟語にアイヌ語の読みをルビで振った例が頻出するし、最近話題になった馳星周の『不夜城』なども、同じ漢語に福建語や広東語の読みを振るようなことをしている。現代のミステリーや冒険小説の作家が、ごく自然なこととして、ルビが持つ表記と音との異化作用を活用しているという事実からも、日本語表現におけるルビの役割の重要さが認識できよう。
こういった意味も含め、ルビを単なる発音ではなく、inline and interlinear annotation として捉えた、Martin や Asmus の発想は、ルビの再評価という意味では、ある一定の評価をすることができよう。
では、このルビをコンピューター上で表現するためには、どうすればよいか。最後に、Martinのプロポーザルに即して、ルビをコンピューターで表現する際の問題点を指摘しておく。
彼は、ルビをHTMLで表現する方法が二通りあるという。
・Ruby as an Attribute

小林こばやし
<SPAN RUBY=”こばやし”>小林</SPAN>
<EM RUBY=”こばやし”>小林</EM>

ばやし

   <SPAN RUBY="こばやし">

              <SPAN RUBY="こ">小</SPAN>

              <SPAN RUBY="ばやし">林</SPAN>

   </SPAN>

・Ruby as an Element
小林こばやし

<RUBYBASE>小林</RUBYBASE><RUBY>こばやし</RUBY>
<RUBYBASE>小林<RUBY>こばやし</RUBY>

ばやし
<RUBYBASE>小</RUBYBASE><RUBY>こ</RUBY><RUBYBASE>林<RUBYBASE><RUBY>ばやし</RUBY>

<RUBYBASE>小<RUBY>こ</RUBY><RUBYBASE>林<RUBY>ばやし</RUBY>

ルビをアットリビュートとして扱う場合と、エレメントとして扱う場合の顕著な相違は、一見して分かるように、アットリビュートとした場合は、ルビの振る舞いを知らない処理系は、その部分を読み飛ばすのに対して、エレメントとしてあつかった場合は、タグの部分だけが読み飛ばされるために、意味不明の文字列になる場合がある点である。
この中間的なケースとして、タグの意味は知っているがレンダリングの機能としてルビを実装していない場合、同一行にパーレンでくくってルビ文字を入れるという妥協案も考えられる。

小林(こばやし)
小(こ)林(ばやし)

ルビをHTMLなどのマークアップ言語で表現する議論に関して、論者は肯定的かつ積極的である。しかし、議論が文字コードとなると、問題が異なってくる。
UTCに提案された最新の案は、HTMLの表記で置き換えると

<RUBYBASE>小林<RUBY>こばやし</RUBY>

のタイプに相当する、<RUBYBASE><RUBY></RUBY>という3つのタグに対応するコードを決めてしまおう、というものである。
先にも述べたように、ルビ記号を知らない処理系は、ルビ記号を読み飛ばして、ルビに相当する文字コードは残してしまう。
以下に、論者がサンマイクロの樋浦秀樹氏、アップルの木田泰夫氏と共同でUTCに提出した意見書”Suggestion to the inline and interlinear annotation proposal”から、ルビを本文に混ぜ込んでしまった場合の文意の変化のいくつかの極端な例を挙げておく。

彼の名前は出羽内ではない
彼の名前は出羽内ではない。

羽虫はむしです。
葉虫はむしです。

いいはなしです。
いい話はなしです。

はなしにならない。
話はなしにならない。

これらの例は、UTCの中で、ルビタグを熱心に推進していたマイクロソフトを中心とするグループには、かなり大きな打撃となったようだ。7月のUTCにおいては、侃々諤々の議論を経て、ルビタグに関しては、ネイティヴスピーカーを含むアドホックミーティングで再検討することとなった。

ともあれ、明治期に文明開化と共に日本に渡来したルビという言葉は、紀田順一郎氏の香港での講演を機に、情報技術の世界で日本を越えた議論の対象になっている。日本独自の文化として発展してきたルビの美学が、inline annotation という新たな意味づけを獲得して国際的に発展していくか、日本語の固有性を誇示しながら取り入れられていくか、状況はまだまだ予断を許さない。各位の主体的な関わりを期待する所以である。

 

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Bookガイド―――マルチリンガル以前の教養 編

Bookガイド―――マルチリンガル以前の教養 編

《愚者の後知恵》bitは、明らかにある時代のコンピューターサイエンスで最も権威のある雑誌だった。bitに自分の原稿が掲載されること自体、ある種の誇らしさを覚えたものだ。それはそれとして、bit誌上で田川健三やウンベルト・エーコにまで言及した裏には、情報通信技術の話題を、単なる技術の問題に押し込めておきたくはない、という思いがあった。
1998年8月
bit(共立出版)

【はじめに】 編集部からの注文は、「Bookガイド--わたしの本棚から」マルチリンガル編。この分野も話題になっているということなのかしらん。
実際、インターネットの普及に伴い、物理的には世界中のあらゆる地域と繋がっていることを実感できるようになった。そうすると、そこで使える言語が事実上英語だけだという今までの状況は、どこか異常なものに感じられてくる。先日なども、東京で開かれたユニコード会議の準備をしていて、ふと気がついてみると、ドイツに住んでいる日本人とひたすら英語で電子メールのやりとりをしている自分に気がついた。せめて、それぞれの自国語で作成したウェッブサイトを互いにブラウジングでき、地球上のどこにいても自国語での電子メールのやりとりに不便を感じないですむような環境を実現して欲しいと思うのが、素朴な希望というものだ。たしかに、最近になって、このような素朴な希望は少しずつだがかなえられるようになってきているが、まだまだ十分だとは言えない。
それにしても、翻って考えるに、なぜインターネットで使える言語が英語だけではいけないのだろう。ぎゃくに英語だけでいけないとすれば、実現すべき多言語環境とはどのようなものなのだろう。この疑問に即座に答えるのは、それほど容易なことではない。筆者自身、いわば突発事故でこの世界に引きずり込まれたわけで、決して専門家ではない。新しい分野なので、まとまった概説書があるわけでもない。本稿は、さまざまな問題に遭遇しながら、場当たり的に回答を求めて読み散らかしてきたここ数年の筆者の読書の記録である。本稿で取り上げる書籍に、”How”の答えはない。おそらくは、”Why”の答えもない。ただし、”Why”を読者諸兄が考えるヒントには満ちていると思う。
前半で、多言語問題を考える際に忘れてはならないと筆者が考えるいくつかの論点について、いくつかの書籍からの引用を中心にして述べる。その中で、筆者が実際に遭遇した具体的な事例にも言及する。
後半では、前半で引用した書籍も含め、多言語問題を考える際に筆者にとって何らかの形でヒントを与えてくれた書籍を、さほど秩序を考えずに挙げる。

【そもそもマルチリンガルもしくは多言語とはなにか】
まずは、ずばり、三浦信孝編『多言語主義とは何か』から。
三浦信孝編『多言語主義とは何か』(編者による「はじめに」から)

 言語帝国主義から、普遍言語の夢を引き継ぐコンピュータ言語まで、人間の言葉を一つに統一するのが便利だと考える傾向を「一言語主義(モノリンガリズム)」と呼ぶとすれば、言葉の多様性に意義を認め、互いに相手の言葉を学びあうことで意思の疎通をはかろうとする態度を「多言語主義(マルチリンガリズム)」と呼ぶことができる。社会言語学でいうマルチリンガリズムは、複数の言葉を併用する個人の能力や社会の多言語併用状態を指すが、言語政策や言語計画では、多言語併用に積極的価値を認め、これを保障し推進する立場をマルチリンガリズムと呼ぶ。
言語はコミュニケーションの道具であるだけでなく、世界認識の方法であり、自分を確認したり自分を表現したりするアイデンティティの拠り所でもある。伝達手段としては、皆が同じ一つの言葉を共有するのが効率的だし、特定の言語を共通語にするのは、経済取引など実用的な伝達には便利だろう。しかし人間には、外国語はおろか母語でさえうまく言えない微妙な感情や個的な深淵の感覚がある。もし世界が一つの言語によって統一されたなら、人々はアイデンティティの拠り所を失って、逆に大きな混乱が起こるだろう。また、言語は共同体の記憶の集積であり、個人のアイデンティティは言語共同体への帰属によって保障されるだけに、少数言語の抑圧は少数派を多数派に敵対させ、しばしば民族紛争の引き金になる。
だから、言語の多様性は守らなければならない。他者をよりよく理解し、他者に自分を開くためには、他者の言葉を学ばなければならない。自国の言葉のなかで自分を異邦人と感じている人ほど、他者の言葉を学ぶことに深い動機をもっているものだ。逆に、他者の言葉を学ぶことは、自分の言葉を他者の眼で見ることを教えてくれるだろう。「国語」を母語とする同質な人々の集まりという「想像の共同体」では、異質な他者は排除される。一枚岩の母語のなかに閉じこもり、そこから出ていこうとしない者同士のあいだに、理解や共感が生まれるはずはない。その意味で、征服者の言語を植民地に押しつける言語帝国主義も、〈一民族=一言語=一国家〉の虚構に固執するエスニック集団の分離独立主義も、他者を拒否する「一言語主義」という同じメダルの裏表でしかない。均質な単一民族国家の幻想が今なお支配する日本において、異質な他者に対する本当のホスピタリティを養うには、「多言語主義」について考える必要があるのではないか。(012ページ)

現在の筆者は、この文章に何の留保もつけずに賛同できる。しかし、ここで三浦が言及しているさまざまな問題の所在を理解するためには、社会言語学一般についての少しの理解が必要かもしれない。筆者自身、「均質な単一民族国家の幻想が今なお支配する日本に」育った故に、この問題に係わるまで、世界の言語を考える上でのいわば常識が欠如していたことは否めない。
では、社会言語学の世界での常識とは何か。
【社会言語学の常識--多言語問題を考える基礎として】

【常識その1】
●話すことは書くことに先行する●
田中克彦『ことばと社会』 現実にある言語共同体が用いていることばであって、話されているだけで書かれることのないことばは存在するが、書かれるだけで話されることのないことばは存在しない。つまり、話すことはつねに書くことに先行する。なぜ、こうまでくどく言わなければならないかといえば、それとは逆の見方がいまなおくり返され、それを説いた本がひろく読まれているからである。たとえば次の一例を見よう。

「口語文とはあくまでも文語文のくづれ、ないし変奏にほかならないのである。」(丸谷才一「日本語のために」)
文語文とて、かつては口語文だったのであるから、この一節はむしろ「文語文とは何百年も前に話されなくなって死んだことばであり、口語文とは、いまじっさいに使われて(話されて)いることばにもとづいて作られた書きことばである」と言いなおさなければならない。(26ページ)

話すことが書くことに先行する、という常識を踏まえれば容易に理解できることに、
●話されることばと書かれたことばは一対一に対応するとは限らない●
という常識がある。特に情報分野でさまざまな言語を対象としたときに遭遇する実際の問題は、この形で現れることが多いようだ。
以下は最近の筆者の体験。

【マレー語における書きことば(体験に即して)】
先頃、国際情報化協力センター(CICC)が主宰している「多言語情報処理委員会」の活動の一環として、慶應義塾大学の石崎俊氏のお供をして、マレーシア、シンガポールに多言語国家における情報処理状況の調査に出かけた際、マレーシアでこの項の典型的な事例に出会った。
マレーシアは、おおむねマレー系、中国系、インド系人々で構成される。それぞれ、マレー語、各種の中国語、ヒンドゥー語を用いている。また、全般に英語のリテラシーも高い。
この中で、マレー語については、一般にラテンアルファベットでの記述とJawiと呼ばれるアラビア文字を借用した記述が併存している。
調査に出かける前に、ジャストシステムに勤務しているマレーシア出身の同僚に状況を聞いたところ、
「マレー語は、アスキーコードで完全に表現できるから、何の問題もありませんよ」
との返事だった。ところが、現地に出向いてみると状況は一変していた。
1990年代初頭より、特にマレー語による初等教育において、Jawiを用いることが法律によって定められ、いわばJawiリバイバルが起こっているというのだ。特にイスラム教の宗教教育においてJawiが重視されているという。この教育改革により、Jawiに対するリテラシーに世代間のギャップが生じ、高年齢層と若年層のJawiに対するリテラシーが高いのに対して、壮年層に落ち込みがあるとのことだった。
この例に見るように、言語政策が比較的安定している日本にいては想像もつかないほど、特に開発途上国では言語政策に揺れがあり、ある時期の言語政策、言語状況を鵜呑みにして固定化された先入主を持ってしまうと、痛い目に遭うことが多々ある。
もう一つ例を挙げる。モンゴル語の記述に、古モンゴル文字を用いるかキリル文字を用いるかという問題についての、モンゴル政府の言語政策の揺れが、ISO/IEC JTC1/SC2におけるISO/IEC 10646の策定作業に影響を及ぼしている。
いずれにしても、一般的には自らが受け継いだ(話される言葉としての)母語を守り、次の世代に伝えていきたいという思いが、無条件にその記述方法にまで及んでいると思いこむのは非常に危険である。
日本においても近代が成立する過程で、日本語の表記に関してさまざまな議論があったことは、イ・ヨンスクの『「国語」という思想』にも述べられている。

もう一つの派生的な常識として、
●手書きの文字と印刷された文字の形は必ずしも一致しない●
というものがある。これも体験から。

【体験:古典ギリシャ語の表記にラテンアルファベットを用いても情報量は落ちない】 以前、『季刊哲学12号電子聖書』(哲学書房刊)という雑誌の編集を手伝ったことがある。共観福音書(Synoptic Gospels)をハイパーテキストと捉えて、そこから想起されるさまざまな問題を考察しようというものだった。雑誌の編集と平行して当時の貧弱なシステムを用いて福音書のハイパーテキスト化も行った。さらに、この雑誌では付録としてこのころ東京大学を退官された荒井献氏の最終講義の記録のハイパーテキスト化も試みた。
この中で、荒井氏が実際の講義で用いられたマルコ福音書のギリシャ語テキストの一部を電子化して採録しようと考えた。ところが、荒井氏には筆者の意図が理解していただけない。
「なぜギリシャ語で書かれたテキストが必要なのですか。ラテナイズしたもので十分ではありませんか。」
結果的には、当方の意図を押し通し、荒井氏に提供していただいたハードコピーをスキャナーで読み込み、イメージデータとして組み込んだが、後には釈然としない思いが残った。この思いは、ずいぶん後になって、田川建三の『書物としての新約聖書』を読んでいて、恥ずかしさと共に氷解した。

田川建三『書物としての新約聖書』

 大文字写本というのは、すべて大文字だけで書かれているから、このように呼ばれる。実は、小文字というのは中世になってから発明されたので、それもようやく九世紀のはじめ(あるいは八世紀末)のことである。発明されると、大文字よりも便利だから、急速に普及したようだが、それまではアルファベットの文字としては大文字しか存在しておらず、すべて大文字で書き、しかも単語の分かち書きもまだ導入されていなかったので、全文を切れ目なくずらずらと書いていたのである。句読点もまだ発達していなかった。(352ページ)

もうおわかりと思うが、ギリシャ文字とラテン文字は明確に対応している。複数のコードセット間での文字交換の際話題になるいわゆるround trip conversionが完全に出来る、といえよう。さらに、そもそも、荒井氏が用いたテキストそのものが、大文字写本を中心とするさまざまな写本から高度な校訂作業を経て再構成されたものなので、単にギリシャ文字を用いて表現したからといって、それをラテナイズしたものに比較して、情報量が増えるわけでも減るわけでもない。古典ギリシャ語の専門家にとって、あるテキストがギリシャ文字で表現されていようがラテン文字で表現されていようが、本質的には何ら相違がない。専門家にとっては、あるギリシャ語を表すテキストが、ギリシャ文字で書かれていようがラテン文字で書かれていようが、そんなことはどちらでもいいことだったのだ。
ここで急いで補足しておくが、先に挙げたJawiが特に宗教的な面から重視されるように、ある話された言語をどのような文字で表記するかという問題は、時に情緒的な側面から自由ではあり得ない。巷間、ラテン文字との間にround trip conversionが保証されている文字については、電子的手段での情報交換の際、効率性を重視してすべてラテン文字を用いればよい、という議論があるが、個々の言語使用者の情緒的側面を無視した暴論と言えよう。

【常識その2】
●母語と母国語は必ずしも一致しない●
まず、母語の解説から。

田中『ことばと国家』

生まれてはじめて身につけ、無自覚のままに自分のなかにできあがってしまったことば、それはもはや、あたかも肉体の一部であるかのように、他のことばとはとりかえることができない、そういうことばの概念も、固有語のそれに劣らず、ことばと人間との根元的な関係を考えるときに、しっかりと手放さないでおきたい。生まれてはじめて出会い、それなしには人となることができない、またひとたび身につけてしまえばそれから離れることのできない、このような根源のことばは、ふつう母から受けとるのであるから、「母のことば」、短く言って「母語」と呼ぶことにする。(29ページ)

先にも触れたように、われわれ一般の日本人にとって多言語の問題が厄介なのは、「国家語」と「母語」、「話されることば」と「ことばを書く手段」の関係が、ほぼ一対一に対応してかつ比較的安定しているところにある。まあ、このような幸せな状況は地理的にも歴史的にも非常に稀なものなのだが、日常生活の中で日本語にどっぷり浸かっていると、そのことを自覚することは極めて困難なことだ。しかし、ひとたび多言語とかマルチリンガルといった問題に足を踏み入れたとたん、この問題が突如として立ち現れてくる。
この辺りのやっかいな問題を見事に示す例を田中の前掲書から引いておこう。筆者も含むある世代の人たちは、国語の教科書で必ず読んだであろうドーデの「最後の授業」という短編について。

「・・・ドーデの短編は、*母国語*(以上原著では傍点)を奪われそうになる人々の悲しみと、死んでもそれを奪われまいと決意する、自分たちの言語への愛着を見事に描き出しているのである」(鈴木孝夫「閉された言語・日本語の世界」傍点は田中)と述べた例がそれである。・・(中略)・・永年の言語弾圧にもかかわらず、いまなお七〇%のドイツ語(あるいはアルザス語)を母語とする住民において「死んでも奪われまいと決意する」のは、どう考えても奇妙な、つじつまのあわない話である。その決意ができるのは「フランスばんざい!」と黒板に書いたアメル先生だけのはずである。しかし、注意しなければならないのは、アメル先生は決して「母国語」などということばを使ってはおらず、単に「自分のことば」と言っているし、翻訳された日本語でもそうなっているのである。それを「母国語」としたのは、またもや日本の一般読者向けの扇情的な思い入れである。(50ページ)

【「日本語」を固定したものと考える危険性】
一般的には母語と母国語が一致しないという世界の常識を身につける手っ取り早い方法は、母語=母国語という日本の常識をうち砕くことだろう。

酒井直樹『死産される日本語・日本人』

 歴史資料を見れば、多くの漢字で書かれた文献のなかに日本語と思われることばや統辞法が見つかるかもしれない。しかし、ある語や文字が孤立した単位であるかぎり、それが日本語に属するかそれ以外の言語に属するかは決定できない。したがって、たとえば、「ゲーム」ということばが一九九一年の時点で日本語に属するかどうかは、この単語だけからは決定できない。と同様に六二〇年の段階で「漢字」からなる成句が日本語に属していたかどうかも決定できない。それは、この語が日本語として同定されうる体系に組み込まれているかどうかにかかっている。それが現代日本語のような「漢語」を構成要素にする体系なのかどうかもわからないし、ひるがえって、「漢語」でない大和ことばの体系としての日本語が存在したかどうかも決定できない。したがって、そのような体系の存在をあらかじめ前提しないかぎり、ある特定の語が日本語かどうかは決定しようがないのである。逆にいえば、日本語起源論に代表される古代日本語に関する議論は、日本語の存在をあらかじめ前提にしたかぎりで可能になっていたため必然的に同語反復の構造をもち、しかも自らの同語反復的な構造に気がついていな い。「日本語」という実定性の定立によって、日本語の歴史言語学に包摂されるような経験の領域が可能になるのである。しかも、誤解をまねかないように言っておかなければならないが、この私の論証では歴史言語学の記述する経験がたんなる幻想であるということは、まったく意味されてはいないのである。
このことは、古代において文献の数が圧倒的に少なく、話しことばを記録する手段が未発達であったからそうなのではない。この議論は現代の日本語にもあてはまる。日本語という実定性の存在を前提するかぎりで、日本語の個々の要素を構成する日本の「ことば」が日本語として同定しうるものとなるのである。個々の日本のことばを「経験」するためには、それ自身は「経験」しえない体系としての「日本語」なる実定性を措定しなければならないのだ。私たちは日本語をひとつの体系性として「経験する」ことはできないのである。なぜなら、この「日本語」という実定性は「経験」を可能にするにもかかわらず、「経験」のなかにはけっして与えられることはないからである。その意味で、「日本語」という実定性は理念的な性格をもち、「統制的」実定性あるいは「経験発見的」実定性としての他の「被構成的」実定性と区別することが可能になるかもしれない。
したがって、「日本人」や「日本文化」の同一性は経験的には規定できず、古いことばでいえば、そこには必ず「神話」が含まれる。「日本人」「日本語」などの同一性は「神話」の媒介なしには成立不可能である。しかし、とくに戦後の天皇制においては「日本人」「日本語」「日本文化」は確実に前提されている。それらの実定性は「現実的に」存在している。「日本人」や「日本語」「日本文化」は神話によって媒介されているからといって、もちろん幻想であるということではない。
近代性とは、こうした「統制的」実定性が社会的現実を規定し、大多数の人びとがこうした「統制的」実定性の制約のもとにその社会的現実を生きはじめることと、とりあえず定義できるはずである。つまり天皇制との関連でいえば、近代性とは、「日本人」「日本語」そして「日本文化」といった統制的実定性と天皇制の諸制度が内在的な関係を結び、社会的現実の一部となりはじめることと考えられる。(137ページ)

なんと見事なそして強靱な文章なのだろう。酒井直樹は、長くアメリカで研究生活を送り、現在コーネル大学で日本思想史、文化理論、比較思想史、文学理論などを教えている。言語的人種的マイノリティとしてアメリカのアカデミズムの中で生きていくことによって、酒井には一般のいわゆる日本人が見落としてしまうものが見えているに相違ない。
一方、韓国人であるイは、逆に外国語として日本語を見ている。近代日本において「国語」ということばの成立が、いかに国家としての「日本国」の成立と深く係わり、かつそれが日本のアジアへの軍事進出と係わっていたかを解き明かしている。
イは、著書の「結び」で、本文で取り上げた山田孝雄、上田万年、保科孝一の「国語」思想と現在の日本語を巡る状況の関連を述べている。

 このような山田孝雄の神がかった「国語」の思想は、そのままのかたちではもはやよみがえることはないだろう。しかし、「国体」の伝統ではなく、今度は「文化」の伝統の連続性という文化主義的言説に衣をかえて、「国語」の純粋性と伝統を称揚することは、いまでも十分可能である。そのような立場に立つ者は、山田孝雄が憤慨したように、国語改良論は伝統を破壊する改革派官僚のしわざであると主張してやまないだろう。
それにくらべれば、上田と保科の「国語」の思想は、「敗戦」をこえて生き残った。戦後の「国語改革」が保科の長年の努力の結実であるばかりではない。ここ十年ほどでブームになった「日本語の国際化」とは、上田と保科の言説の延長上に位置づけることができる。本書で論じたように、現在「日本語の国際化」をめぐってさまざまに論じられている話題は、ほとんどが戦前に保科孝一がとりあげたものだった。このように考えてみると、あまり見栄えのしない保科を、「国際化」の先駆者として祭り上げることもできるだろう。
しかし、保科がひそかに心にいだいていた言語政策の夢を見おとしてはならない。すなわち、「国家語」と「共栄圏語」は、保科の言語政策の究極の目標であった。言語はその内部において宿命的に政治的なものをかかえこんでいることを理解しない、「日本語の国際化」論は、「国家語」と「共栄圏語」の思想へと直結するであろう。
おそらく、保守派と改革派との「国語」をめぐるヘゲモニー争いは、これからも続くであろうが、その争いそのものが日本の「言語的近代」の表現をかたちづくってきたと見なければならない。保守派と改革派の両者が争いのなかで相互に補完しあいつつ、「国語」の思想は揺るぎないものになってきたのである。
なぜなら、保守派も改革派も、ひとつの暗黙の前提を分かちもってきたからである。その前提とは、日本語のゆるぎない同一性である。山田孝雄と上田・保科とでは、この同一性が成立するレベルはかなり異なり、むしろ敵対しあう関係にあったにせよ、日本語がひとつの同一的な実体であるという信念は両者でかわることはなかった。
すなわち、日本語の同一性を暗黙の前提としているかぎり、「国語」の舞台の外には出られないのである。その意味で、「国語」の思想は、近代日本の言語認識の世界を限定づける地平線をなしている。しかし、いまや、その地平線の向こうには--アイザック・ドイッチャーの「非ユダヤ的ユダヤ人」という言い方をかりるなら--多様で無定形な「非日本的日本語」のつぶやきが聞こえてくるであろう。「国語」の思想が、「国家語」と「共栄圏語」の思想に変貌するかどうかは、これら「非日本的日本語」の声をどのくらい真摯に受けとめるかにかかっているのである。(316ページ)

われわれは、戦前の軍事的侵略と結びついた日本語教育が、決して過ぎ去った過去のものではなく、現在につながる問題であることをもう一度肝に銘じておく必要がある。
この項の最後に、川村湊が『海を渡った日本語』で引いている小説の一節を再引用しよう。

チェジュド(済州島)にチュウォルのビョンシン(知恵遅れ)の息子いてた。イルチェシデ(日帝時代)終わってすぐチュウォル済州島帰った。そやけどチェス(運)ないことに選挙反対や、選挙反対ゆもんペルゲンイ(アカ)やゆて、チェジュッサラム(済州島の人)とユッチサラム(本土の人)殺しあいしたゆ話お前も知ってるやろ。そのどさくさに出来たピョンシンの息子コモニム(姑母様)に預けてチュウォル日本に逃げてきたやげ。
在日朝鮮人二世作家、元秀一(ウォンスイル)の書いた小説『猪飼野物語』(草風館、一九八七年)の中で、大阪猪飼野(生田区)に住む在日一世のおばあさんがしゃべる、朝鮮語(済州島方言)と日本語(大阪方言)の入り混じった「イカイノ語」とでもいうべきクレオール言語の例である。(猪飼野は、在日朝鮮人が密集して住んでいる”朝鮮人部落”としてかつて有名だった。クレオールとは、二つ以上の言語が混じりあって出来上がった混合語。ビジン・イングリッシュなどのピジンが母語化すればクレオール語となる)。
こうした「日本語」は、これまで片言であり、”間違った”日本語として排斥や忌避の対象とはなっても、まともに言語学的な対象や、文学的な言語表現語として鑑賞の対象として取り上げられることは皆無といってよいほどなかった。琉球語、アイヌ語による言語表現が、「日本文学」として鑑賞や研究の対象として考えられてこなかったのと同じように(あるいはそれ以上に)、それは言語表現とも、言語とも認知されてこなかったというべきなのである。だが、日本語が「国際化」するということは、こうした「ヘルンさん語」(小泉八雲のことばを妻の節子が保存したもの。引用者注)「イカイノ語」が生まれてくるのが必然であり当然な社会になるということであって、「かわいい日本語に旅をさせよ」というのは、まさにこうした「日本語」を、日本語の「生きた力」としてとらえることが出来るかどうかにかかっているといえるのである。(269ページ)

ピジン、クレオールという複数の言語=文化がぶつかり合うところで生じる問題にとって、日本も例外ではあり得ないことが、ご理解いただけたと思う。因みに、カン・サンジュンも、前掲の『多言語主義とは何か』に寄せた論文で、崔洋一監督の『月はどっちに出ている』という映画を取り上げて、在日韓国人・朝鮮人の間に見られるクレオール化への予感を論じている。
ピジン・クレオールとは、

『多言語主義とは何か』

言語学の教科書的な定義から言えば、クレオールとは、ピジン(pidgin)がある言語社会の母語(mother tongue)となったときに生まれるものである。ピジンは、「共通言語をもたない人々の間に起こる、ある限られたコミュニケーションの必要を満たすために生まれる周辺的な言語」であり、接触の初期の段階では少数の語彙で事足りるような取引などに限定されていることが多いようである。このような性格をもつピジンの統語構造には、ある意味では当然のことだが、接触言語の「余剰性」(redundancy)をできるだけ少なくし、その構造を簡略化しようとする傾向がみられる。クレオールは、こうした単純化された言語構造をもつピジンを母語とし、さらに母語であることから、人間の経験のあらゆる領域を表現するためにピジンよりも語彙を拡大し、より複雑な統語体系をもつようになった言語である。(141ページ)

【最後に】
第二十期の国語審議会の審議経過報告は、その冒頭で言葉遣いに関する基本的な認識として、「平明、的確で、美しく、豊かな言葉の重要性」という一項を立てている。筆者はこのことに異を唱えるものではないが、上に挙げたイカイノ語をして「美しいことばではない」と言い立てる権利は、何人にもない。
三浦は、前掲書の「はじめに」の部分で、下記のように指摘している。

三浦編『多言語主義とは何か』

・・・歴史的に確認できるのは、新しい「媒体(メディア)」が登場する度に言語の淘汰が行われてきたことだ。すべての言語は話し言葉として生まれたが、文字の発明によって書き言葉をもったのはそのごく一部である。印刷術が発明されたとき、文字が活字で印刷されるようになったのはそのまた一部である。ラジオやテレビが発明されたとき、電波に乗ったのは支配的言語に限られ、電波放送は方言の消滅と国語の浸透に貢献した。そして、コンピュータが発明され情報ハイウエーの時代を迎えようとする今、電子ネットワークに乗るのはほんの一握りの言語にすぎない。(011ページ)

われわれが実現すべき多言語情報環境とは、遙か彼方の目標ではあるかもしれないが、決して単なる多国語情報環境ではなく、ましてや英語や日本語という単一言語環境でもなく、イカイノ語などのピジン、クレオールを含む多様なことばを豊かにすくいとるものではないか。
三浦が歴史的に確認したことを、少なくとも電子ネットワークの世界では覆す努力をしたいものだ。

【多言語問題を考える際にヒントとなる書籍】
三浦信孝編:『多言語主義とは何か』,藤原書店,1997.
この本は、タイトルからも分かるように、現代的な意味での「多言語主義」「マルチリンガリズム」について、さまざまな筆者が寄稿している。どうも1996年初夏にフランス語フランス文学会と日本フランス語教育学会の共催シンポジウム「一言語主義から多言語主義へ--フランス語の未来」というシンポジウムが契機となって編纂されたものと見受けられる。したがって、フランス語圏の話題がやや目立つ。しかし、編者の努力のたまものだろう、先に挙げた酒井直樹を初め、カン・サンジュン(東京大学社会情報研究所)、西垣通(東京大学社会科学研究所)、今福龍太(中部大学)など、筆者好みの執筆者も巻き込んで、アンソロジーとしての水準を単なるフランス語教師たちのお勉強会を遙かに越えた話題にまで引き上げている。
話題は多岐にわたる。
アフリカ、台湾、アメリカなどの地域に即した多言語環境の問題、クレオール文学、亡命者文学など、言語状況と不可分な文学の問題、インターネットを初めとする英語帝国主義の問題など。
田中克彦の「ことばと国家」がこの問題を考える上での基本教科書なら、さしずめこの本は、演習の教材といったことになるだろう。ネットワークやコンピューターの話題は、西垣通が論じているだけだが、(このこと自体が大きな問題だと思う。ビット的な話題と藤原書店的な話題を結ぶ人材が少なすぎる!)ここに取り上げられた問題は、どの一つを取っても我々に(ビット的な人間が)実装という意味で解決を迫ってくる問題ばかりだ。
やや長くなるが、今福の議論の要約を一つ紹介しておく。

アメリカとメキシコの国境付近のフリーウェイ上に、奇妙な道路標識がある。男と子供の手を引いた女がシルエットで描いてあり、上に英語で”CAUTION”と書いてある。下にはスペイン語で”PROHIBIDO”。メキシコ人がアメリカに密入国することに係わって設置されたものである。
しかし、この標識の英語が示す意味とスペイン語が示す意味は全く異なる。英語の”CAUTION”は、「道路を横断する人に気をつけて」という意味だが、スペイン語の”PROHIBIDO”は、「道路を横断して不法に入国することは禁止」という意味を含んでいる。複数言語が併記されていて、その持つメッセージの意味と想定されるメッセージの受容者が異なることは、異常な状態と言えるだろう。
ここでは英語を読むのはアングロ系アメリカ人、スペイン語を読むのは密入国したメキシコ人中米人という暗黙の前提がある。
これをアングロ系アメリカ人に対しては「道路を横断する人を轢くのは禁止」、メキシコ人や中米人に対しては「道路を注意して渡りなさい」というメッセージと読み替えてみることにより、新しい状況が見えてくるのではないか。

今福のこの例は、ある言語で発せられたメッセージが、時にそのメッセージの受け手を明確に規定し、言語の選択そのものがある種のメッセージを含んでいることを見事に示している。マクルーハンの謂いを借りるならば、「言語の選択はメッセージである」ということになろうか。

田中克彦:『ことばと国家』,岩波新書,1981.
田川:『書物としての新約聖書』

これは新約聖書に限らずどの領域にも共通することだが、専門家というものは、当然知っていなければならないような最も重要なことは、当然であるが故に、つい暗黙の前提にしてしまって、書物に書いたりはしないものである。しかし、その種の知識こそ、狭義の専門家以外の人々や、あるいはこれから専門的な勉強を志す人々にとって、実は最も必要なものである。(iiページ)

田川が指摘するように、どのような分野であれ、その分野の常識を過不足なく記したすぐれた入門書は、決して多くはない。こうした中で、田中克彦の『ことばと国家』は、多言語問題の前提となる社会言語学の最良の入門書となっている。必読。

酒井直樹:『死産される日本語・日本人』,新曜社,1996.
『日本思想という問題』(岩波書店、1997)、『多言語主義とは何か』に寄せた論文も含め、日本語を徹底的に相対化する視点は、強靱にして鮮烈。翻訳における非共約性の議論は、自動翻訳の問題を考える上でも有益。

イ・ヨンスク:『「国語」という思想』,岩波書店,1996.
田中克彦のお弟子さん。

川村湊:『海を渡った日本語』,青土社,1994.
酒井やイが、アカデミックな視線で「国語」「日本語」の問題を論じているのに対して、川村湊の著書は、植民地における日本語教育の問題を、ドキュメンタリーに近いスタイルで評論しており、熱い思いが伝わってくる。イの著書も含め、言語教育がいかに軍事的侵略行為の先兵となりうるかを、教えてくれる。

安田敏朗:『植民地のなかの「国語」』,三元社,1997.
時枝誠記の朝鮮における国語政策への係わりについての研究。
川村湊やイ・ヨンスクが見落としている資料まで丹念に掘り起こして、先の戦争中の朝鮮半島における言語政策への時枝誠記の係わり方を検証している。実証と推論のせめぎあいは、ある種のミステリーを読んでいるようなスリルがある。
全体の立論を省略して一部を引用するのは危険きわまりないが、あえて一個所だけ。イの時枝批判を肯定的に引いた後のところで。

言語の主体としての話者を、実際は「伝統」や「社会」や「民族」という概念で縛り付け、言語主体としての個人の意識に徹底的にこだわることをしてこなかったことは指摘してきた通りである。そのことは確かにイのいう「国語の生活のなかにいない外国人の研究者は、いったいどのようにすれば言語過程説による国語研究ができるのだろうか」という反問が正当であることを意味する。そうであるからこそ、時枝は臆面もなく朝鮮人は朝鮮語を捨て「国語において楽しむ」生活を送れといい得たのである。これは先にも述べたが、時枝の「言語過程説」の帰結なのであった。(165ページ)

田川建三:『書物としての新約聖書』,勁草書房,1997.
情報処理を専門とする雑誌の「多言語」を主題とするブックガイドで、「聖書」に係わる書物を取り上げることには、多くの読者が奇異を感じることと思う。しかし、敢えて。
誰が何と言おうと、聖書はやはり書物の中の書物、”The Book”なのです。一般の書物(テキスト)が遭遇するであろう問題のすべてに遭遇していると考えてよい。筆者の経験の範囲でも、何か新しいメディアに係わる問題を検討する際、聖書について調査ないしは思考実験を行えば、ほぼすべての問題点をカバー出来る。(聖書でカバーできない点は性を対象としたコンテンツを考えればよい。聖と性はけだし不即不離。)
田川のこの著書は、帯にも記されているように「成り立ち、言語、写本、翻訳を詳細に解説した画期的な入門書」である。
電子的な問題への言及はないが、「正典化の歴史」(電子テキストの原典性の問題)、「新約聖書の言語」(新約聖書はその成立から多言語世界を前提としている)、「新約聖書の写本」(正文批判)、「新約聖書の翻訳」(翻訳の本質的問題)と、電子テキストを考える際に、避けて通ることが出来ない重要な問題についての示唆に富んでいる。

ウンベルト・エーコ著、上村忠男・廣石正和訳:『完全言語の探求』,平凡社,1995.
言わずと知れた記号学の泰斗にして大ミステリー作家の作品。バベルの塔のエピソードで失われたといわれる完全言語を求める飽く事ない努力の系譜を描いている。この努力の系譜にどこか感じられる滑稽さは、モノリンガリズムの偏狭さと相通じるところがある。
媒介言語としての国際的補助言語についての言及は、異言語間のコミュニケーションへのもう一つの選択肢を考えさせられる。

江藤淳ほか:『電脳文化と漢字のゆくえ』,平凡社,1998.
筆者も寄稿しているが、全般的には日本文芸家協会の方々の漢字コードに対する危機感が基調にある。本稿で述べたいくつかの常識に照らして、議論の展開を追われることをお勧めする。
一部に明らかな事実誤認が目に付く。ただし、個々の事実関係については、当事者以外なかなか把握することが困難だろう。このこと自体が、情報規格が制定される過程の問題でもあるのだが。

アルバート・ゴア・ジュニア著,浜野保樹監修:情報スーパーハイウェイ,電通,1994
インターネットのバラ色の未来の背後に潜む、情報帝国主義を理解する最適のガイド。随所に「次の時代のアメリカの繁栄と優位性の確保」といったことばが散見される。アメリカが繁栄するのは結構なことだが、他の国々はどうなるのだろう。

 

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W3C i18n WG

W3C i18n WG

《愚者の後知恵》今は解散した電子ライブラリーコンソーシアムの機関誌のために連載していた「電子化文書規格シリーズ」の第5回。
1998年3月
ELICON「電子化文書規格シリーズ」

このジャーナルが出るのは、1998年の4月より前だろうか、それとも後だろうか。
いずれにしても、今原稿を書いている時点からは、未来形ということになるが、4月の初旬に、東京であるワーキンググループのキックオフミーティングが持たれる。 W3C の i18n WG。例によって、何のことかさっぱり分からない。
W3C は、World Wide Web Consortium
i18n WG は、internationalization Working Group
i18nは、インターネットを築き上げてきた人たちの中で、internationalization を簡単にするために、i と n の間で18文字あるよ、といった符丁として使われている。
以前にも触れたことがあるが、インターネットを中心とするネットワークの世界では、情報交換のための約束事が不可欠だが、その進歩があまりに速いために、従来のISOを中心とする、公的な国際規格では対応できない事態が起こっている。巷間喧しいde factoとde juerの対立という議論も、この文脈の中に置いて考えるとよく分かる。

以前解説した Unicode/ISO 10646 の議論は、公的な機関による規格策定と民間企業の連合体による規格策定が錯綜した典型的な例と言うことが出来よう。

インターネットの世界では、TCP/IPに始まり、HTMLに至るまで、ほとんどの規格がde facto standardとして成立している。
その中でも、インターネットの広範なプロトコルを策定している、IETF(The Internet Engineering Task Force)と、HTMLやXMLなどを策定しているW3Cとでは、その規格策定のプロセスが若干異なっている。
IETFでは、rfc(request for comment)がすべて、と言っていい。何かインターネット社会に提案をしようと思う人間は、だれもがrfcを書くことが出来る。その提案は、時には黙殺され、時には多くのコメントが寄せられ、そして、支持者が多い提案は、自然と利用者も増えて、まさにde factoとなる。
一方、W3Cは、いささか仕組みが異なる。この組織は、Unicode Consortiumと同じように、民間企業の連合体の形態を取っている。規模は、会費、会員企業数ともに、Unicode Consortiumと比較にならないほど大きく、運用している予算も桁が違う。ヨーロッパでは、INRIA(Institut National de Recherche en Informatique et en Automatique )が、アメリカではMIT/LCS(Massachusetts Institute of Technology Laboratory for Computer Science )がホストを引き受けており、近ごろ慶應義塾大学の藤沢キャンパスに、アジア圏のホストが設けられた。それぞれの拠点には、有給の専任スタッフが勤務しており、事務的作業、規格策定作業、開発作業などを精力的に行っている。
W3Cの規格策定作業は、非常にユニークな方法で行われる。
W3Cの規格策定は、少数の専門家で構成されるWorking Groupが、中心となって進められる。WGのメンバーには、その分野の選りすぐりの専門家が集められ、短期間で集中的な議論が行われる。先日Proposed Recomendationが出された、XML(Extensible Markup Language )の例を日本から唯一WGに加わった富士ゼロックス情報システムの村田真氏にうかがったが、年3回のface to face meetingに、週一回の電話会議、それに都合2000通にもおよぶ電子メールのやりとりをしながら、超短期間で作業を行った、とのことだった。その期間の村田氏は、その負荷の高さに、通常の業務が手に着かないほどだったと言う。WGの外側に、Interest Groupと呼ばれる主にメーリングリストで運用されるグループが組織される。このグループは、WGほど負荷は重くないが、逆に権限もない。WGから投げかけられた質問に対して意見を述べることにより、WGが少数者の独断に陥ることを防いでいる。とは言え、最終的な判断を下すのは、あくまでもWGのメンバーである。
推奨規格案は、メンバー企業による投票に付され、正式な規格となる。
民主的な手続きを踏まえながらも衆愚による議論の沈滞を避け、短期間で可能な限り整合性の取れた規格を策定する工夫といえよう。しかし、この仕組みに問題がないわけではな。
多大な負荷を負った少数のWGメンバーが作業を進めるために、必ずしもすべての問題をバランスよく検討することが出来ない場合が生ずる。i18nの問題もその一つである。言うまでもなく、WGの議論は英語で進められる。インターネットの世界は、ことの善し悪しは別として、やはり英語中心の世界であることは疑いを得ない。しかしながら、一方でインターネットの世界で、さまざまな言語を平等に扱えるようにしようとの努力も着実になされている。問題は、そのi18nの専門家が極度に不足しているところにある。英語が堪能で、自らの母語を初めとする複数の言語状況に精通しており、コンピューターやネットワークの技術的な問題も理解できる人間となると、その数は、極めて限られてしまう。
一方、W3Cで進行中の規格化素案は少なからずある。HTML、XMLは言うに及ばずCSS(Cascade Style Sheet)、DOM(Document Object Model)、XSL?(eXtended Script Language)など。これらすべてに、i18nの要件が存在するにもかかわらず、それぞれのWGに別々のi18nの専門家を張り付けるのは、実際上不可能である。さらに、個々のWGにおけるi18nの方針間に齟齬を来す危険性もある。
このような状況の中で、W3Cにおいてi18nに関心が高いメンバーを中心に個々の規格に対応するWGとは独立した規格横断的なWGを組織する案が浮上してきた。
昨年3月のマインツにおけるユニコード会議の際に、INRI在勤のW3CスタッフであるBert Boss、イギリスLeutersのMisha Wolf、アメリカSun Softの樋浦秀樹氏、それに筆者らが、i18n WGの可能性について議論したのが、明示的な形としては最初と思われるが、XML WGでの経験を踏まえた村田真氏の切実な問題提起が、現実化への大きな動機付けとなった。
慶應在勤のW3Cスタッフの尽力もあり、昨年の秋から年末にかけて、まさにi18n WG結成のためのタスクフォースグループを組織し、Bert BossやMisha Wolfと連絡を取りながら、Breefing Packageと呼ばれる提案書を作り上げていった。

この過程で、WGだけではなく、英語のハンディを持っていたり、物理的に割ける時間が限定されるi18nの専門家の協力を取り込むIGの結成も提案に盛り込むこととなった。特に、IGの下で、英語以外の言語によるメーリングリストの可能性を明示的に認めたことは、画期的なことと言えるだろう。
WGに関しても、時差の問題や英語による即時的な会話能力への要求により、非英語圏とくに極東在住の人間に極度の負担を強いる電話会議を行わないことにした点など、随所に脱欧米の思想が盛り込まれている。

冒頭にも触れたように、1998年4月6、7の2日間、東京でこのi18n WGとIGのキックオフミーティングが開催される。その直後、8、9、10は、やはり東京で国際ユニコード会議(IUC)が開催される。
このi18n WGの結成は、日本が(日本語を母語とする人々が)、インターネットの世界に貢献できた数少ない成功例と言うことが出来るだろう。筆者は、このWGの組織化には微力ながら協力することが出来たが、負担の重さ、英語力の不足などがあり、WG自体に参加することは残念ながら叶わない。
しかし、IUCで、筆者やIBMのLisa Moore女史とともに、Co-chairを務めるMisha Wolfが、i18n WGで主導的な役割を担うことを約束してくれているし、樋浦秀樹氏も、真っ先にWGへの参加を表明してくれている。いわば、Unicodeで培ってきた友人関係が、W3Cへも広がっていくような気配である。

Unicode/ISO 10646の解説を皮切りに数度にわたって、国の内外の情報規格に係わる様々な問題を取り上げてきた。思えばひょんなことからUnicode Consortiumに係わったことが契機となって、いつの間にか、随分と遠くまで来てしまった。
先日、ISO10646の策定に係わるISO/IEC JTC1/SC2に対応する国内委員会である情報規格調査会JSC2の委員長である慶應義塾大学の石崎俊教授より、ISO10646の漢字パートを検討するISO/IEC JTC1/SC2/WG2/IRG対応の漢字ワーキング専門委員会主査への就任の打診を受けた。ジャストシステム社長の浮川の理解もあり、喜んで受諾させていただくこととした。5月には、このIRGの会議をジャストシステムの本社がある徳島に招致することも決定している。
筆者の年来の主張は、ある規格に不満を持つ者は、それが国際であると国内であるとに係わらず、ルールに則って積極的に改善要求を出していくべきである、というものである。随分と時間がかかったが、ようやく自らの主張を実践に移せるところまで、たどり着くことが出来たのではないか。
今後、機会があれば、まさに情報規格に係わる現場報告をさせていただくこととして、ひとまず擱筆する。

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言語表現と非言語表現

言語表現と非言語表現

《愚者の後知恵》電子的に作成した原稿を紙媒体で発表すると、どうしても紙媒体による校正という作業が介在するために、紙媒体による最終的な形態と電子的に記録されている形態との間に齟齬が生じる。この原稿に関しても、紙幅の関係と、編集部の要請により、当初の「解題」を大幅に短縮し、別に同じ特集に寄稿された井上夢人氏、高本條治氏の原稿をも対象とした、用語や概念の解説を中心とする総論を書き足している。しかし、僕自身としては、当初の形態の方が、三宅さんや安斎さんとの結構長いつきあいへの思い入れも含めて、うまくまとまっているような気がする。そんなわけで、最初の解題の部分は、雑誌未掲載のものであることをご了承いただきたい。また、末尾には、変更した前書きおよび総論を掲載しておく。(1998年2月28日記)
1998年2月
月刊国語学「現代の言語表現」

解題
以下は、三宅なほみ氏(中京大学教授、認知科学)、安斎利洋氏(CG作家)および小林龍生(㈱ジャストシステム勤務、文責)による、「インターネットの表現論」に係わる電子メールを用いた議論のまとめである。以後、この議論の過程を電子鼎談と呼ぶこととする。
インターネットを中心とする電子メディアに関するリテラシーに乏しい読者のために、簡単にこの議論の背景を記しておく。
一般に、電子メディア(デジタルメディア)は紙メディアに比較して、改竄が容易である。同時に、劣化を招くことなく複製することが容易である。さらに、ネットワークを利用することにより、同時的な伝達も容易である。これらは、技術的には同一の根を持っている。
この特性から、電子メディアは、固定された結果よりも変化しつつある過程により多くの力点が置かれる傾向がある。
今回の電子鼎談でも、すぐに気づかれることと思われるが、参加者それぞれが、議論の過程で少しずつ立場ないしは論点をずらしていっている。議論のテーマの一つに、「発信する側のフレーム」と「受容する側のフレーム」という問題があるが、今回の議論そのものがこの論点の一つの実例になっていることに、ぜひ注目していただきたい。インターネットで多く行われる、電子メールや掲示板における議論に普遍的に見られる現象でもある。
因みに、掲示板とは、参加者だれもが読んだり書いたりできる議論、情報交換の場で、ちょうど、学生のクラブ活動の部室やペンションなどに置かれた落書き帳を思い起こしていただければよい。

議論に頻出するハイパーテキストという言葉について。
電子メディアの対話性を利用することにより、さまざまな分岐を含んだテキスト群を扱うことが可能となる。雑誌などに掲載されているYes、Noによって分岐していく占いやゲームなどを思い起こしていただければよい。ボタンが用意されていて、受け手の選択により様々な分岐の可能性を持つ。また、参考文献や注釈などを、通常は隠しておき、必要に応じて表示することなども可能となる。
古くは、テッド・ネルソンによって提唱された「ザナドゥ」が有名。アップルコンピューターのマッキントッシュ用にビル・アトキンソンによって開発された「ハイパーカード」により、一般に広がった。
インターネットにおける、ワールド・ワイブ・ウエッブにより、地球規模でのハイパーリンク関係が、誰にでも利用できる環境が整った。
筆者自身は、本質的な問題だとは考えていないが、画像や音声なども、このハイパーテキストの枠組みの中で利用することができる。
一般に文学作品を中心とする書物が、線形に通読することを前提としているのに対して、ハイパーテキストは、様々な読みの可能性を読者に委ねている。このような状況下での、送り手側の意図と受け手側の意図の違い、というのも電子メディアにおける表現を考える上で、非常に重要な問題となってくる。

もう一点、今回の電子鼎談の問題点を挙げておく。本来、電子メールは、個人対個人の閉鎖的なものであるはずである。筆者を含め、今回の参加者の間では、様々な形で電子メールでの議論の経験がある。そこでは、いわば日常のモードでの語り口というのが明らかに存在しているのだが、今回の、公開を前提とした電子メールでは、その語り口がやや変化している。それでも、電子メールでの語り口が、一般の手紙や論文、随筆などとは異なっていることは、くみ取っていただけるのではないかと思う。
個人的な語り口を不特定多数にさらす、という構造は、インターネット上でのいわゆる個人のホームページにも共通する問題で、今回は触れることはできなかったが、表現論としては、今後議論を重ねていく必要があると考えている。

このような次第で、電子的メディアでの議論の通例にもれず、今回の電子鼎談には結論らしきものは何もない。読者諸賢も、議論にヴァーチャルに参加しながら、過程それ自体を楽しんでいただければ幸いである。なお、印刷されて第三者の目にさらされることを勘案して、理解を容易にすることを目的として、一部、小林の責任において、参加者の発言の省略、改竄を行っている。三宅氏、安斎氏、そして読者のご寛恕を乞うゆえんである。

(小林龍生記)

>From:Kobayashi
三宅さん、安斎さん
元気にお過ごしですか。月刊「日本語学」から、原稿を頼まれました。「言語表現と非言語表現――インターネットの表現論――」というものです。かってに受諾してしまったのには目論見があって、お二人とインターネットでの代表的な表現方法の一つである電子メールで議論をして、そのまま原稿にしてしまおうというわけです。認知科学を専門とされている三宅さんと、ネットワーク上で「連画」というCGによるコラボレーションの試みを一貫して追及しておられる安斎さんのお二人なら、この問題に関する刺激的な議論が期待できます。それにやりとりの結果をそのまま紙に印刷することで、従来とは異なる電子メールの表現を少しは読者に読みとってもらえるかもしれません。

マーシャル・マクルーハンの『グーテンベルクの銀河系』に、こんなエピソードが紹介されています。

<citation>
たとえば、いま二人の男についての映画をアフリカの観客に見せているとする。ひとりの男の演技が終って場面の端から姿を消す。すると観客は男がいったいどうなったのかをたずねるのである。彼等にはその男の演技が終ったために、もはや物語は彼を必要としないということが解らない。そのため画面から消えた男がどうなったかを知りたがるわけだ。この疑問に答えるために、われわれは西欧人の観客には不必要な場面まで書き加えなければならなかった。たとえば、男が道を歩いていき角を曲がるところまでカメラが追う、といったふうに書きかえられた。在るものは画面から消えてはならず、現実にある曲り角のむこうに消えるのをみてはじめて納得するのである。
つまり、映画中の行動も、現実の事件発生の手順を追わなければならない。
</citation>

以前のぼくは、いわゆるマルチメディアには、かなり批判的で、「マルチメディアはサルにも分かるが、言語表現は人間にしか理解できない」などと公言してはばかりませんでした。しかし、この一節に出会って、君子豹変、この批判を口にすることはなくなりました。ただし、条件があります。マルチメディアにも、映画が育んできたと同様な文法の成立が必須である。
「言語表現と非言語表現」というテーマから最初に思いついたのは、このマクルーハンのエピソードです。お二人の刺激的な反応を待っています。

小林龍生

>From:Anzai

小林さん、三宅さん

小林さんの第一信、まるで近所のガキ大将が、ポケットの中の戦利品を見せびらかせて「なあ、いいだろうこの挿話」と言っているように思えました。
このエピソード、僕にとってふたつの意味で「いい戦利品」でした。ひとつは、絵を描く者が否応なく意識する「フレーム」に関する問題だということ。それから、人物が「道を歩いて行き角を曲がる」というイメージに、僕自身触発される何かがあるということ。それは、僕のトラウマ(人物は女ですが)にも関係していて、もし僕がこの映像を見せられたら、きっとアフリカの観客と同じように背中を向けて街角から消えていく人物に意識が釘付けになって、そのあとの映画が上の空になっちゃうと思います。人物が消えていくことに対して、受動的な了解ができないのです。僕のトラウマは、さておき。
線形の映像表現は「とりあえずこの人物の行方は保留して……」というふうに、進んで行きます。誰でも等しく、フレームの外に出ていった話線からは意識を外すだろうというコンセンサスが「映像の文法」であって、誰かはここにこだわり続けるだろうとか、ここをブックマークするだろうとか、ここから別のストーリーに分岐するだろうとかいうことになれば、客体化された映像表現は自ずと崩壊します。マルチメディアにも「文法の成立」が必要であると小林さんは書いていますが、それはコンセンサスを積み上げれば出来上がるというような呑気なものではなくて、ハイパーテキストが個々の体験や能動的な行為と地続きになった空間に生成するという、本質的な問題から出発しなければならないのです。
映像のフレーム、絵画を囲むフレーム、顕在化した言葉と潜在するコノテーションの境界、リニアライズ(線状化)のプロセスで保留されたパラレル世界の淵、ハイパーテキスト構造の表現は、それらを突き抜けるものとして立ち現れたわけですが、同時にハイパーテキストの表現は、「その男の演技が終ったために、もはや物語は彼を必要としないということが解らない」ところまで退行しているわけで、そこからすべてやり直さなければならない、もしくはそこからやり直すことができるのです。ひとりひとり個別に歪んだ土地に築くバベルの塔、といった感じでしょうか。その均一ではすまないところに、僕はわくわくします。
僕たちがやっている連画という方法も、フレームへのひとつの問題提起であると考えています。絵のフレームは、鑑賞者と制作者を分断するための装置として発明されました。このフレーム内は芸術である、という意味では美術館も大きなフレームでした。フレームの中は日常ではない、という意味が付与されてはじめて作品が成立するという構造は、フレーム(額)を故意に用いない現代美術の諸作品も同じことです。フレームの外にいるものがフレームの内側に手を入れると、けたたましくブザーが鳴る。
連画は、ほかの作品にリンクしていくことが大前提であって、リンクを断ち切る仕組みとしてのフレームとは相容れないものがあります。関連する絵が明示されていないと、連画はつまらない。誰もがここで連続を断ち切るという保証された輪郭を持たず、客体化し鑑賞する視点に立ったとしても、すぐさま手を入れて書き換える立場への転身を余儀なくされます。見ることと描くことが、あるいは観ることと行為することが分かち難く一体になった状態をもたらすという意味で、より原始的な絵を描く衝動にまで、人を引き戻してしまう、もしくは引き戻すことができるのが、連画の面白さなのです。

 

安斎利洋

 

 

>From:Miyake

小林様、安斎様

kobayashi> マルチメディアにも、映画が育んできたと同様な文法の成立が必須である

それはそうでしょうね。ここで言う文法が「実現象を解釈するために必要な枠組」というような広い意味で理解すれば、当然かとも思いますが。
マクルーハンの例についてちょっと不可解だなと思ったのは、アフリカの観客の反応で、ほんとにビデオや動画を「見たことがない」人だったのであれば、違和感はその程度ではすまなかったとしても不思議はないのに、ということです。物語や、芝居、ステージパフォーマンスについての経験的な知識がないとは考え難いですから、メディアが新規だというだけで
「在るものは画面から消えてはならず、現実にある曲り角のむこうに消えるのをみてはじめて納得するのである。」
と言われてもちょっと納得できないなぁ、という感想を持ちました。私たちが住んでいる現実そのものが結構マルチメディアなんだとすると、そこでもう現実に起きて流れて行くたくさんの事象を扱う「文法のようなもの」を、人間が、資産として、持っていない、というのも不思議な考え方であるような気がします。
けれど、この例で小林さんがいいたかったことは、なんなのだろう? 非言語表現にも文法が必要、ということであれば、異論はありません。それが、今のマルチメディア環境でどう作られていくのか、「こっちの方がいい」とか「こうすべきだ」とか言って関与する人なり団体なり、もっと漠然と規範なりが、必要なのではないか、という話であれば、ちょっと疑問です。小林さんの意見はどうなんですか? 私は、少なくとも自分がそういうものを作って人を規制する必要があるとはあまり思わない方ですし、ましてやそういう側に回ろうとは思っていません。

人は、新規なものに対して、自分の過去の経験を総動員して対処しようとしますよね。だから、「人物が消えていくことに対して、受動的な了解ができない」という人が現代日本にいても不思議はない。こういう立場を取ってしまうと、受動的な了解を出来なくさせているこの人の過去の経験ってなんなのだろう………と、興味の対象がそっちに向いたりします。アフリカでのマクルーハンの反応も、そうであっても良かったのではないかしら。この男が、今この画像を見て頭に思い描いているものが彼にとっての解釈であり、彼の物語である、と。もとの話を一観客(受け手、と言った方がかっこいいですね)の解釈による別の物語に<つないで>、そこから別の物語の可能性を見付けて行く、というような反応は、この映画作りをしていた人たちの頭の中にはなかったのかもしれません。そのあたりに、one voice による表現の限界を見る、とかいったら、これは安斎さんたちの<連>に触発され過ぎかもしれません。

でも、安斎さんが、このエピソードに関連させて、

Anzai>連画は、ほかの作品にリンクしていくことが大前提であって、リンクを断ち切る仕組みとしてのフレームとは相容れないものがあります。関連する絵が明示されていないと、連画はつまらない。

と書くのを見ていると、ここにはもう一つの読みが可能なことに気付かされます。上の文だけ読むと、連画によってフレームは壊れていくように読めるのですけれど、これは多分、表現として「見てとる」ことが可能なフレームの壊体を意味してはいないのでしょう。人と人との協調作業のプロセスそのものの中では、こういうフレームの壊体が起きるのかも知れません。けれど、現実の、目で見たり、手で触ったりできる<もの>(それが文章や、音声言語であってさえも)を通しての表現は、フレーム無しでは成り立たない。相手のフレームがあるからこそ、「そこから先は私がこうする」という世界が開けるはずだ、と思うのです。
「解釈のための文法」とか「フレーム」というものが一体なんなのか、私たちの敵なのか味方なのか、武器なのか、邪魔ものなのか、その辺の見究めをつけるために、もう一度安斎さんを引用しますと、

Anzai>誰もがここで連続を断ち切るという保証された輪郭をもたず、客体化し 鑑賞する視点に立ったとしても、すぐさま手を入れて書き換える立場への転身

が余儀なくされるような仕掛け、それが連画の場合には CG という<過去への退却可能な>メディアである可能性が高いのではないかと思うのですが、その仕掛けそのものの性質やら働きやらを探って行く必要がありそうだな、と感じています。

三宅なほみ

>From:Kobayashi
三宅さん、安斎さん

じつのところ、最初のメールでは、「マルチメディアの文法」とかいっても、あまり深く考えていなかったのです。しかし、お二人の議論の焦点が、マルチメディアの文法があることを前提にしながら、それを作り出す主体がどこにあり、その文法がどのように変化していくか、もしくは、その文法をどのようにして崩していくか」という問題に絞られているのに、正直なところ、やられたな、といった感じです。

お二人のメールを三回ぐらい読み返して気づいたことなのですが、小生が「文法」といった言葉を安斎さんが「フレーム」と読み替えて、そのうえで安斎さんの中で「フレーム」の意味が多重化してきていて、三宅さんは、その安斎さんの「フレーム」をさらにずらして解釈している。
お二人の議論を、「インターネットの表現論」に引きつけて読むと、インターネットでの、特にウェッブでの表現というのは、いえ、ウェッブで表現されている個々のページを様々に渡り歩きながら「ブラウズ」していくという「表現の受容の仕方」というのは、表現する側が持っている「フレーム」を別の「フレーム」で切り取り直す作業と言えそうですね。そして、そこには、ブラウズする側の誤読の権利といったものが、かなり明確にある。この権利というのは制度的に保証されたものでも経験的に積み重ねられてきたものでもなくて、技術的にその可能性が高い、ということでしょうね。

最初のメールでのマクルーハンの引用ですが、ちょっと補足しておくと、あのエピソードはマクルーハン自身のものではなく、ロンドン大学アフリカ研究所のジョン・ウィルソン教授の論文からの引用なのです。(“Film Literacy in Africa”Canadian Communications, vol.Ⅰ, no.4, summer, 1961, pp.7-14)
ま、マクルーハンも思いっきり引用による誤読を活用しているかも知れないけれど。
ついでに、同じ論文からの戦利品をもう一つ。

<citation>
次に生じた現象は証拠資料としてたいへんに興味深いものだった。この衛生監視員である男はアフリカ原住民の部落内にある一般家庭で溜り水を除去するにはどうしたらよいかを教示するため、ごく緩っくりとしたテンポで撮った映画を作ったのだった。まず水溜りを干し、空きかんをひとつひとつ拾って片づける、といった場面がつづく映画ができあがった。われわれはそのフィルムを映し、そのあとで彼等がなにを見たかを尋ねた。すると彼等はいっせいに鶏がいた、と答えた。ところが、映画を映して見せたわれわれのほうは鶏の存在に全く気付かなかったのである!……中略……すべてがスローテンポで撮られている映画なので、ゆっくりと空かんに向って進み、それを拾い上げるといった緩慢な動作が続く。そのなかで急に飛び出した鶏は彼等にとって明らかに生き生きとした現実の断片であったにちがいない。
</citation>

小林龍生

>From:Anzai

三宅さん曰く

Miyake>私たちが住んでいる現実そのものが結構マルチメディア

これには笑ってしまいました。だって、普通の人は現実こそがマルチメディアのお手本だと考えているわけで、すると
「私たちが作っているマルチメディアそのものが結構現実」
という言い方がノーマルになるんでしょうね。そういえば、この鼎談のはじめに小林さんが、

Kobayashi>マルチメディアはサルにも分かるが、言語表現は人間にしか理解できない

と言ってますが、これも逆のようで実は根っこが同じ。つまり、テキストに絵をつけ音をつけ動画をつけ……と人間の諸感覚の扉をひとつひとつあけていくうちに、挙げ句には現実のように豊かな、あるいは現実以上に豊かな仮想世界が繰り広げられるだろう、というふうにはお二人とも考えていない。傍らで鶏が走りぬけ、消え去った男は別なドラマをはじめるような、そういうわれわれをとりまく現実をそのままゴッタ煮状態で転写したマルチメディア表現なんてものが、いったいどんな意味があるっていうんだ? ってことですよね。そんなものは、現実の富士山そのものが表現でないのとおんなじで、カメラマンがフレームをファインダーに切り取らない限り写真表現にはならない。マルチメディアが表現となるためには、なにが必要か。文法? フレーム? というふうに問い掛けるのがここまでの話の流れでした(と僕は解釈しました)。

そこで、われわれは(少なくとも僕は)苛立つのです。本当は可能性に満ちているはずのマルチメディア表現が、そう易々とはテキストや映像の力強い表現に優ると思えないからです。マルチメディアって、実はメディアの退行なんじゃなかろうか。マルチメディアには、何かが決定的に足りないんじゃなかろうか。その欠落を新たなキーワードで言うなら<物語>なんじゃないかと思うんです。

物語の語り手は、複雑で入り組んだ世界の構造を巧みに一つの話線として紡ぎ出す技術をもっています。彼の周りを、静かに聞き入る聴衆が取り囲んでいる。聴衆は、語られているコンテンツを聞くばかりでなく、語り手の芸(変換技術)に聞き惚れる。それが、物語の景色であり、また書物や映画や放送の景色でもあります。マルチメディアの表現空間には、そのようなナレーターもいないし、作者は複雑なパラレル構造をシリアル変換することも放棄しています。どこにも語り手のいない空間は、まるでいま生きている現実の空間と同じで、すべて自分自身が選び取り、自分自身が語りを構成していかなければならない。

必要なのは文法だけではなくて、物語を超えてそれを補うような<何か>ということでしょう。電子メディアがその特性を生かしながら物語そのものを取り戻そうとすると、みんなRPGになっちゃいますよね。それも情けない。

僕の場合は、そのなにかを<連>に求めているということかもしれない。

miyake>相手のフレームがあるからこそ、「そこから先は私がこうする」という世界が開ける

kobayashi>「ブラウズ」していくという「表現の受容の仕方」というのは、表現する側が持っている「フレーム」を別の「フレーム」で切り取り直す作業

これらも、話し手と聞き手の錯綜したあたらしい景色を描こうとしているように思えるのですが、いかがでしょうか。

 

安斎利洋

 

 

>From:Miyake

職場の同僚(というには相当年齢、経験ともに上の方なのですけれど)に戸田正直という学者がおられて、イマジネーション=細切れビデオテープ説というものを考慮中です。経験のビデオテープは、細切れにされて再生されて、「物語」になり、人に伝えられたり、自分自身の反芻のデータになったりするのでは、という話です。なんで細切れになるかというと全部は保存できないからで、細切れになることの良さは、再生に時間がかからないこと。うまくいけば、ものごとの原因と結果のところだけが残っていたりして、そういう運のいいまとめが蓄積されればそこから自然界の法則性何かが見えてきたりすることがあるかもしれない、と。超うまくいけば予測に使える。しかも、もともと全部じゃなくて細切れを適当に繋ぐわけですから、現実には起こり得ない飛躍、現実に制約されない統合、現実には不可能な省略などが全部可能になるのですね。そこから、現実そのものを見直す契機が生まれてくる余地も出てくることが考えられます。そういうものがイマジネーションの価値だろう、というのが戸田説です。

これに、連画やらマルチメディア制作やら私の考えている思考中途結果の外化と操作による思考深化なんていう話を絡めて考えると、マルチメディア表現や認知過程の履歴が現実を切りとって、いわば細切れ<にしか>捉えられないことには積極的な意味があると考えてみることができます。さらに、細切れにしか捉えられなくても、それでも/なおかつ/その上に、電子化された表現は、undo を含めて、表現そのものを作り変えて行くこともできる可塑性を持っていますから、これまで頭の中でしか作り変えることのできなかったイマジネーションに逆に働きかけることが可能になったわけで、つまり、マルチメディア表現が、人間の持つイマジナティブな力、想像性そのものに働きかけて、太らせてくれる可能性があるのだ、と信じてみたくなります。

戸田説の不思議なところは、ビデオテープのスライシングのやり方がどうなっているのか、まだ説明されていないところ。マルチメディアのいかがわしさなりもどかしさも、それが現実すべてを切りとり得ないのだとしたらどこに焦点を当てて切り取るつもりなのかの覚悟がないところかも知れません。というところまで来て、これまでの安斎さん、小林さんの話ともつながりました……。
テキストだと自ずと切り取れるところが決まってきてしまう、という感覚そのもの|過程としての表現論

三宅なほみ

【愚者の蛇足】
月刊『日本語学』本号は、「現代の言語表現」が特集として組まれている。中でも、高本條治氏による「Eメール----新しい書き言葉のスタイル」、井上夢人氏による「ハイパーテキスト小説への期待」、そして筆者らによる「インターネットの表現論」の三本は、広い意味での電子メディアを対象として取り上げている。これらの三本の記事(それぞれ少しずつ意味合いが違っているがまとめて記事と呼ぶこととする)は、当然のことながら電子メディアに係わる共通の背景を持っている。簡単に解説を加えておく。

電子メディア(デジタルメディア)の特質をハードウエアの面から見ると、以下のような三点に逢着するように思われる。

紙メディアに比較して、改竄が容易であり、また、劣化を招くことなく複製することが容易である。
ネットワークを利用することにより、複数の対象への即時的な伝達が容易である。
情報のランダム(順不同)な読みとり、書き込みが可能である。この特性を生かすことにより、ユーザーとの対話による、自由な分岐やジャンプ(本質的には同じこと)が可能となる。

本号の*記事*の中から、上記の特性と関連する部分の例をいくつか見ておこう。
高本氏の*論文*中、相手から届いたメッセージの引用を示す符号への言及がある。また、筆者らの*記事*にも、相手のメッセージの引用が頻発する。このような「そのまま引用する」習慣が定着した背景には、複製が容易で、自由に切り取ったり張り付けたり出来るというハードウエアの特性がある。今回の特集では触れられていないが、複製、改竄の容易さは、技術的には従来の著作権の概念と真っ向から対立するものであり、この問題についての議論も巷間喧しい。
井上氏の*評論*に、分かりやすい解説があるハイパーテキストは、分岐可能性を最大限に利用したものといえる。ハイパーテキストは、技術的には、非常に単純な構造(単なる有向グラフ=いわゆるリンク)の集積にすぎないが、非常に多彩な表現の可能性を持っている。電子メディアの可能性を探る上で、このハイパーテキストの無限ともいえる組み合わせの可能性と、従来の紙メディアで一般的だったシークエンシャル(線形)で選択の余地のない情報の流れとの対比は、常に意識していただきたい。

以下やや詳しく、ハイパーテキストという構造を考える。ハイパーテキストは、複数のノードをリンクで繋いだものと考えることが出来る。地下鉄の路線図を想像していただけば良い。それぞれの駅がノードであり、そのノードを繋ぐリンクがレールに相当する。出発点と目的地が確定した場合でも、経路は複数ある。
考慮すべき問題は、ノードとリンクに大別できる。
ノードに関して。ノードをどの単位で取るか、という問題がある。語彙の単位、文の単位、パラグラフの単位などが考えられる。また、言語だけではなく、画像、音声などの非言語的表現も、ノードとなりうる。
井上氏のハイパーテキスト小説では、それぞれのページが、三宅氏が紹介している戸田正直氏の「イマジネーション=細切れビデオテープ説」では、細切れにされたそれぞれのビデオテープがノードに相当する。
また、個々のノードが、単独に存在するときも、表現を持ちうることに留意されたい。地下鉄の駅にもそれぞれの個性がある、ということである。
リンクに関して。地下鉄の例でも述べたように、一般に、ハイパーテキスト構造において、複数のリンクが存在するとき、あるノードから別のノードへの経路は、複数存在する。短時間で目的地に到達することを選ぶか、乗り換えを最小に留めるか、はたまた、地上に出て風景を眺める経路を選ぶか。複数の(時に無限の)経路を準備しておき、その経路の選び方を情報の受取手に、委ねるところにハイパーテキスト構造の大きな特徴がある。表現の問題に引きつけて言うと、情報の受取手によって、経路が選び取られることによって、初めて表現が完成する、ということが出来よう。井上氏の*評論*に紹介されていた、経路を問い合わせてきた読者は、ある種の権利放棄をしていることになる。

最後に、簡単に二つの問題に触れておく。過程の重視について。井上氏のハイパーテキスト小説は、未完成の状態で既に読者の目に触れている。筆者らの*記事*も、議論の経過によりそれぞれの立場が変化していることが読みとれることと思う。追加改変や伝達の容易さというハードウエアの特性が引き起こしたものであるが、結果ではなく過程をそのまま表現に結びつける傾向は、電子メディアにおいて顕著である。
話し言葉と書き言葉について。Eメールや電子掲示板などに顕著であるが、従来の書き言葉とは異なる、話し言葉に近い表現が現れている。筆者も、本稿と別稿で、あえて文体を変えている。電子メディアの特性と短絡することは慎みたいが、明治以来連綿と続く言文一致の動きを踏まえた上で、この問題を捉える必要はあるだろう。

 

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文字コードにとって真の国際化とは何か

文字コードにとって真の国際化とは何か

《愚者の後知恵》『マルチリンガル文書処理』というシリーズの第2回として書かれた。芝野耕司氏の批判にもあるように、UCSの各国コラム標記についてなど、一部、誤解があるが、例によって、歴史の改竄を避けるために、そのままで。
1997年11月
bit(共立出版)Vol.29,No.11への寄稿

最初に筆者の対外的な立場を明確にしておく。
職業は、株式会社ジャストシステム デジタル文化研究所勤務。デジタル文化研究所といっても、非常に小規模な組織で、個人的には、広い意味でのデジタル技術が、さまざまな文化状況とどう切り結ぶかを見極めようという大志を持っているが、実体は総務、開発、企画,営業といった明確な分掌から漏れ落ちるさまざまな仕事(標準化対応なども含め)を行っている。
Unicode ConsortiumのFull Member であるジャストシステムの代表として、Unicode Technical Comittee(UTC)に参加している。
ジャストシステムからの推薦を受け、Unicode Inc. のBoard of Directers の一員になっている。Unicode Inc. のDirecterは、属人的なものであり、筆者がジャストシステムの社員であることとは、独立である。
ISO/IEC JTC1/SC2に対応する国内委員会JSC2の委員を委嘱されている。この委員の一員として、ISO/IEC JTC1/SC2 およびJTC1/SC2/WG2 に日本代表団の一員として出席することがある。
ISO/IEC JTC/SC2/WG2/IRG に対応する国内委員会である、漢字ワーキング専門委員会の委員を委嘱されている。また、IRGに日本代表団の一員として出席することがある。
これらは、株式会社ジャストシステムに対する、委員派遣要請を受けてのことである。

【本稿のねらい】
日本でもっとも権威のあるソフトウエア学術誌であるbitとしては、本稿は異質のそしりを免れないことだろう。前もって、本稿の意図を明確にしておく。
本稿では、以下のような情報を読者の皆様にお伝えすることを目標にしている。

  • ISO-10646(UCS)およびUnicodeの現状についての、できるだけ正確な情報
  • UCSおよびUnicodeの制定過程に関して、巷間に流布している誤解の解消
  • 国際的な文字コードを見る観点についての一つの提案
  • 情報関係の国際規格が制定される過程の例示

これらの目標を達成するため、UCSおよびUnicodeに関わる面での筆者の個人史に即して、論を進めていくこととする。その上で、筆者が出会った問題に関しては、その時点での理解に留まらず、現状での筆者の理解、立場を明確にする。
眼高手低。読者諸氏のご寛恕をお願いする次第である。

【ユニコードに係わるようになった経緯】
筆者がユニコードに係わるようになったのは、Unicode Inc. の広告担当副社長でもあるAsmus Inc.のAsmus Freytagの突然の来訪がきっかけだった。どのような経緯で、Asmusがジャストシステムを訪ねてきたかは、つまびらかにはしない。専務の浮川に呼ばれ、Asmusとの面談に同席した。
筆者は、いくつかのJIS原案作成の委員会に参加したり、SGML懇談会というSGMLの普及促進に寄与することを目的とした任意団体に参加したりしており、Unicodeに関するある程度の予備知識を持ち合わせていた。その時点では、日本国内の一般的な風潮もあり、Unicodeに批判的な意見をより多く耳にしていた。
曰く、Unicodeは、16ビットの体系なので、65000字以上の文字は扱えない。他の言語に用いる文字もあるので、到底諸橋漢和に含まれる5万字近くもの文字を扱うことは出来ない。
曰く、Unicodeは、日本、中国、台湾、韓国の漢字について無理なUnifyをしたので、到底純粋な日本語に使えるものではない。
曰く、今度の改訂において、ハングルが約6千文字から1万1千文字に増えて、かつ、コードポイントも変更される。スタンダードとしての一貫性がないのではないか。

筆者は、これらの一つ一つにつき、Asmusに問いただしていった。正直なところ、ほとんど喧嘩腰といっていいような態度だったのではないかと思う。Asmusの返答には、納得できる点も納得できない点もあった。
しかし、もっとも気になったのは、「Unicodeは、これから世界の主流になる」一方、「Asmusは、UTCのコアメンバーとして活躍しており、Unicodeの細部までを知悉している」だから「Unicodeの実装について、Asmus Inc.のコンサルテーションを受けろ」という、自分が経営している企業の売り込みの姿勢が露骨な点だった。筆者には、ジャストシステムがUnicodeにコミットする、ということと、Asmusu Inc.のコンサルテーションを受けるということは、全く別次元のことと思われた。会談は、やや否定的な雰囲気で推移した。

しかし、会談の最後に及んでの、Asmusの発言が流れを大きく変えた。
「Unicodeに批判があるのであれば、Consortiumに参加して、正々堂々と意見を述べればよい。Unicode Consortium は、そのような意見に対しては、常に門戸を開いている。」
結果、浮川の判断は、ジャストシステムのUnicode ConsortiumへのFull Memberとしての参加。筆者は、Unicode Consortium の実体も分からないまま、担当者としての対応を迫られることになった。

【ユニコーダーから見た漢字】
最初の参加は、1995年9月の第7回Unicode Conferenceだった。それまで、ワークショップ形式で、比較的こじんまりとした規模で行っていた催しを、学会のような体裁を採って大がかりに行うように変更した最初の催しだった。
驚かされたのは、日本からの新たなメンバーだということで、オープニングセッションで、わざわざ歓迎の言葉が述べられ、参加者全員からの盛大な拍手を受けたことだった。会それ自体は、どちらかというと、学術分野での学会に近い体裁を採り、発表についても、可能な限り商業性を排し、内容についてもレビューボードが前もって審査をして、公正をはかるという姿勢が明確なものだった。
中でも、TeXで有名なDonald Knuth教授が、キーノートスピーチに招かれており、自身のスピーチの後も、熱心に多くのセッションに参加し、最前列に居座って、盛んに質問、提言をしておられた姿が、印象深かった。
しかし、疑問も残った。議論の多くが、インターナショナライゼーションをいう言葉を用いながらも、英語圏で開発されたシステムやアプリケーションの他言語化という視点に終始していたのだ。一部、中国語における簡体字から繁体字への一対多の対応を扱った中国人による発表などがあったが、多くは、例えば英語対中国語、英語対日本語といった風に、英語を中心としてそれを他の言語に展開するという発想から、一歩も抜けていなかった。このときの最初の印象は、今に至るまで、様々な形で異文化理解の困難さとして、幾度と無く経験させられることとなる。
帰国後、筆者のこの印象を聞いた、東京大学社会情報研究所助教授の水越伸氏は、言下に「小林さん、それこそまさに Pax Americana ですね」と、言ってのけた。確かに、彼等の思考方法の根底に Pax Americana が潜んでいると考えると、日中韓の漢字を、微妙な字形の違いを無視して統合しようという発想は、よく理解できる。彼等にとって必要なのは、英語から日本語、英語から中国語、英語から韓国語という、英語を中心とした個別言語への展開であり、中国語と日本語、韓国語と日本語という、英語から見ると他国語同士の共存や相互理解は、視野に入っていないのだ。Asmus Freytag と会う前に、さんざん聞かされていた日本の骨と中国の*骨*が、同じコードに割り当てられているという問題も、このような視点から見ると、実によく理解できる。以下、Pax Americana をキーワードとして、欧米人にとっての漢字文化圏理解の限界を考えてみたい。

【Interlingual と Multilingual】
日本語で、以下のような陳述を考えてみよう。
「中国語では、骨のことを*骨*と書く」
これは、JCK統合漢字の現在の問題を端的に示している。この陳述は、後述するように今の枠組みの中では、UCS/Unicodeでは、記述不可能なのだ。しかし、彼等には、
Han character “Hone” means bone. And written as “骨”
という言い方は思いつくが、
日本語で
「中国語では、骨のことを*骨*と書く」
という、言い方が存在するということ自体が、発想になかったのだ。
最近の筆者は、このことを、Multilingual ではなく、Interlingual でなければならない、と説明するようになっている。Unicode や ISO10646 の議論が、時に錯綜する背景には、この辺りの問題が明確に整理されていないことによる誤解が、多くあるように思われる。
読者諸賢はすでにお気づきのことと思われるが、先の言い方は二つとも、ある言語から見ると、メタレベルの表現になっている。多言語が共存できる環境を考える際、それぞれが「独立に共存できること」と、「混在できること」は、本質的に意味が異なる。例えば、ISO2022は、多言語を切り替えて「独立に共存させる」機構と考えることが出来る。巷間多く用いられるWWWのブラウザーでも、文字コードを例えばJISであるとかEUCであるとかLatin1とかが切り替えられるスイッチが用意されているが、これらも、多言語を「独立に共存させる」機構と捉えることが出来る。
しかし、これらの機構では、先の
「中国語では、骨のことを*骨*と書く」
という陳述は、表現することが不可能になる。もちろん、強引に
<japanese>「中国語では、骨のことを</japanese><chinese>*骨*</chinese><japanese>と書く」</japanese>
というように、ある陳述の中で、スイッチをこまめに切り替えていけば表現できないことはないが、いかにも煩瑣な手続きを要求される。

一方、当時 Unicode および ISO10646 に対して、従来から日本と中国で意味の異なる漢字に同一のコードを割り振った、という批判があり、「湯」が日本語では、「熱い水」を意味し、中国語では、「スープ」を意味するのにコードが同じだ、という例がよく引かれていた。しかし、これは、Coded Character Set の観点から見ると、おかしな議論で、「湯」という文字が表現できれば、どのようなコード系でも「湯は日本では熱い水を意味し、中国ではスープを意味する」という陳述は記述できる。もちろん、英語で
Han character “湯” means hot water in japanese and soup in chinese.
ということもできるし、中国語で、同様の意味のことを表現することもできる。
逆に、日本語の熱い水を意味する湯と中国語のスープを意味する*湯*に、別なコードを割り振ると、上記の陳述を記述する際に矛盾が生じる。
「湯」は、日本語では「熱い水」を、中国語では「スープ」を意味する。
「*湯*」は、日本語では「熱い水」を、中国語では「スープ」を意味する。
という風に、全く同じ意味の陳述に「湯」に用いるコードによって、二つの表現方法が可能となってしまう。
もちろん、この陳述も各個別言語から見るとメタレベルの陳述になっている。逆にいえば、日本語の湯と中国語の*湯*に、別なコードが割り振られていた場合、このようなメタレベルの陳述は不可能となり、結果的にそれぞれの言語は独立したかたちでしか共存することが出来なくなる。

ここまでの、筆者の議論をまとめておくと、

  • ユニコーダーには、抜き差しならない英語中心の先入主がある
  • その結果、彼等の言う多言語化は、英語と一つの他国語との二言語化が複数集まったものとなり、真の意味での多言語化にはなっていない
  • 真の意味の多言語化とは、複数言語にまたがるメタレベルの陳述が可能なものでなければならない

ということになる。

彼等の名誉のために、急いで付け加えておくが、彼等は決して悪意からそのように思っているのではなく、そのような発想をする習慣がないだけなのだ。だからこそ、この Pax Americana は、根が深いとも言えるのだが。

【UTCでの活動】
その後、筆者は、Unicode Technical Comittee に、日本人としてはただ一人参加していくことになる。その後の委細は省略するが、以下の二つのことを、報告しておく。
筆者が最初に参加したUTCは、ISO10646対応の米国国内委員会であるX3L2と合同で開催された。これは、参加者の大部分が重なることと、参加者の多くが全米に散らばっており、経費、時間の節約の必要性から、無理もないことではあった。
しかし、SC2/WG2に係わる意志決定のための投票の際、UTCとしての立場とX3L2としての立場を明確にせずに、投票に入ったのには、筆者もあきれるやら驚くやら、唖然としてしまった。急遽発言を求め、国際的なコンソーシアムであるUnicode Consortium と、米国のNational Body である X3L2 は、全く性格が異なり、筆者はUTCのメンバーではあるが、X3L2 とは、全く関係がないので、はっきり区別してもらいたいと、強く申し入れた。
申し入れは、驚くほど素直に受け入れられた。指摘に対して、感謝の言葉さえ受けた。
その後の会議では、まず、X3L2の事務的な話し合いを行い、次いで、UTCとしての議論、決議を行う、そして、最後に、個々の決議につきX3L2としての決議を改めて確認する、という方式が確立された。もちろん、筆者は、X3L2としての議論、意志決定の際は、席を外すことにしている。

昨年秋より、オリジナルのメンバーであり、しばらくメンバーから抜けていた Sun Microsystems が、Unicode Consortium に復帰し、Sun Soft の樋浦秀樹氏が、代表として UTC に参加するようになった。アメリカの企業に属しているとはいえ、日本人の仲間が UTC に加わったことは、この上のない味方を得た思いで、たいへん喜ばしいことと考えている。

【IRGへの参加】
UTC のメンバーとして、幾度か会議に参加しているうちに、どうも、Unicode の側からだけ見ているのでは、ISO10646 の動きの全体像が把握できない、という思いが強まってきた。UCSの中で、漢字パートを担当しているIRG に対応する日本の委員会である情報規格調査会漢字ワーキング専門委員会の委員長を務めておられる慶應義塾大学の石崎俊教授を、たまたま存じ上げていたので、お願いして委員会に加えていただいた。
国家同士の正式な条約に基づく、規格策定に係わる委員会に、「お願いして加えていただく」ことが出来る、という事実は、実は、やや意外な思いがあった。
ここでISO対応の委員会が、どのような形で運営されているかについて、簡単に説明しておく。
情報関係のISO規格に対応する国内委員会は、情報処理学会に事務局を置く情報規格調査会が、通産省工業技術院電気情報規格課の指導の下、会員各社の拠出金によって運営している。
各委員会は、会員各社から推薦される委員と、大学人を中心とする学識経験者とから構成され、委員の委嘱就任にあたっては、上位の委員会の承認を得ることになっている。
このこと自体、さまざまな経緯を経て現状に至っていることなので、口を差し挟む筋合いのものではないが、JISも含め、情報規格の多くが、一部の学識経験者と、筆者を含めて業界内の企業関係者とによって、決められていく現状を見ると、ユーザーないしは消費者の視点は、いったいどこで取り入れられるのだろう、という疑問を抱かないわけではない。

この漢字ワーキング専門委員会に加えていただくことにより、ISO10646の現状と、現状に至る過去の経緯が、随分と理解できるようになった。
UCSとUnicodeに関して、非常に分かりにくかったのは、現在のUCSの決定にあたって、Unicode Consortiumという民間団体が大きな影響力を持ち、結果的には、あたかも公的な国際規格が民間団体によって乗っ取られてしまった、といった印象を持たれていることの、事実関係の部分だった。
結論から言うと、問題点は二つ。
一つは、公的規格(デジュアスタンダード)が、民間規格(デファクトスタンダード)に対して、劣勢になりつつあるという事実。
もう一つは、UCSの決定にあたって、手続き上不備と取られても仕方のない事実関係があったということ。
特に後者は、当時日本の関係者として係わっておられた様々な方が、異口同音におっしゃることなので、恐らくは、相当大きな問題だったのではないかと推察できる。
しかし、経緯はどうであれ、日本の反対の投票にも係わらず、結果としては、UCSは、正式なISO規格として制定され、後にJISにもなっている。
上に挙げた二つの問題に即して、規格を用いる側の対応も、二つの局面が考えられる。
一つ。UCSないしはUnicodeを全面否定するか、存在は認めた上で、改正もしくは運用上の改善を求めていくか。
一つ。デファクトスタンダードとしての、Unicodeを取るか、公的規格としてのUCSを取るか。
現在漢字ワーキング専門委員会に参加している委員各氏の立場は、一般的にはUCSの存在は認めた上で、その改善を求めていく、ということになろう。その前提の上で、Unicode Consortiumに反対の立場をとる方、感情的に受け入れられない方が多いのも事実である。Unicode Consortiumが、善意からであれ、無意識であれ、悪意を持ってであれ、過去にこのような反発を招くような行動をとったということも、また、素直に認めなければならないだろう。

漢字ワーキング専門委員に加えていただき、ISO/IEC JTC1/SC2/IRG の香港会議に、日本代表団の一員として、同行したのは、1996年の6月のことだった。
ここで、また、漢字コードに関して、新たな問題が存在することを思い知らされる。現在IRGには、日本、中国、韓国、TCA(台湾)、香港、シンガポール、ヴェトナムという、7つの国と地域と団体、それに、アメリカとユニコードがオブザーバーといった感じで加わっている。しかし、同じ、東アジア漢字文化圏、といっても、それぞれの国や地域によって、漢字に対する考え方が、それぞれ異なる。例えば、ヴェトナムは、歴史的にはチェノムという独特の漢字を用いており、そのVertical Extension への追加要求を出しているが、彼らは必ずしも、チェノムをBMPに入れることを求めてはいない。IRGの大勢ができるだけ多くの文字種をBMPに入れることを、いわば悲願としてきたのとは、対照的である。
また、韓国の場合は、ハングルが基本にあった上での漢字であるし、シンガポールは英語、マレー語を含む多言語国家の中の中国語=漢字ということになる。
しかし、いずれの場合も自国が提案した文字(記号類)や方式を採用させることが、いわば国是となっているので、なかなか論理的に整合性のあるものを全体で話し合って決めるというわけにはいかない。

このような中で、CJKパートの統合の議論もなされたことだろう。いわば、あちら立てればこちら立たず、といった状況の中でぎりぎりの妥協が迫られたことと思われる。
漢字統合の議論にも、いささか不明瞭な経緯があったようだ。すなわち。
WG2で、複数のアーキテクチャが議論されていた。その中で、現在の16ビットないし32ビットの平面に日中韓の漢字を統合化して収録する方式が可能かどうかを、専門家グループを結成して検討することとなった。これが、IRGの前身であるCJK-JRGである。このグループに当初から関わっておられた小池建夫氏によると、当初、漢字統合化については、「統合化するならこのような方式になるだろう」ということで、あくまでも可能性を検討するというはずだったのが、作業を進めているうちに、いつのまにか統合化することが既定の事実になっていたという。
もう一つ、多くある誤解が、統合漢字は漢字のことをろくに知らない Unicode Consortium が強引に作ったものを押しつけられた、という誤解である。これも、どうも経緯としては、CJG-JRGとしてきちんとした提案をしなければ、Unicode案をそのまま採用する、という要請がWG2からJRGに出され、その結果、かなり集中的な作業を強いられた、というのが実状のようである。いずれにしても、限られた時間の中で、多くの妥協を強いられたとはいえ、漢字の統合化は、アジアの漢字国の、それなりの当事者の献身的な努力の成果であることは、改めて確認しておきたい。
結果の問題点を指摘し、今後の改善に資することは、もちろん大切なことだが、誤解に基づく全否定は、厳に戒めなければならない。

【IRGでの現在の議論】
ISO10646は、93年に正式な規格として成立した後も、引き続き改訂作業が行われており、多くのAmendmentが成立している。公的な条約、規約のご多聞に漏れずご多分に漏れず、手続きが非常に煩瑣なので、個々の規格やAmendmentが正式にはどのステージにあるかは、当事者でもなかなか把握しきれるものではない。ましてや、一般の人々にとっては、ISOの規格それもAmendmentが、いったいいくつあり、どのようなステージにあるかは、ほとんど情報を得る機会はないのではないか。
過去成立したアメンドメントの中で、重要な点につきいくつか触れておく。

・UTF16
サロゲートという仕組みをとって、16ビットの平面の中で、面を切り替えてUCS4の一部(16ビットの平面16枚分)を表現する仕組み。Unicode Ver.2でも正式な規格に加えられている。一部に、このUTF16は、Unicode独自のであるとの誤解があるが、ISOでもAmendmentとして正式に成立している。
・ハングルの増強と移動
ハングルが約11000に増え、位置も移動した。
・CJK Vertical Extension A
IRGでは、現在、統合漢字パートに含まれる20902字に追加する漢字につき、継続的に議論している。最近になり、追加約6000字を、BMPの内部でハングルが移動した後に追加するというほうこうで、WG2、SC2も含めて、おおむね了承が得られた。
・部首のコード化と部品による漢字の合成
部首を漢字コードとは独立に登録しようという議論と、漢字を部品を合成することによって表現しようという議論が、継続中である。
・off BMPの議論
BMPがいっぱいになるのはすでに時間の問題なわけで、BMP以外の面の割り振りについての議論が始まっている。

【Unicode Technical Comitteeの現状】
UTCとしては、基本的には、SC2/WG2と共同歩調をとっていくという姿勢に変更はない。
しかし、W3CやJAVAが、Unicodeを積極的に採用、サポートしていることもあり、デファクトベースでのさまざまな、規格化の動きに機敏に対応する必要性が生じている。UTCのメンバーの中には、従来のISOのペースでは、時代の流れに即応していくことが困難なのではないかという危機感が生じている。インターネットの世界の激しい動きは、UTCにとってもある種の驚異になっている。

【結語】
ジャマイカ生まれでイギリスで教鞭を執っている社会学者である、スチュウアート・ホールは、自らをディアスポラ(離散ユダヤ人)的知識人と呼んでいる。開発途上の地域に生まれ、先進地域で教育を受けたために、生まれ故郷ではイギリス文化圏の人間と目され、イギリスではいつまで経ってもジャマイカ生まれの異邦人としてしか遇されない、居場所のなさを、ディアスポラ的と表現したのである。
スチュウアート・ホールには及びもつかないが、日本の企業を代表する日本人として、UTCに参加している筆者も、やはりこのような居場所のなさを感じている。国際的な議論の場に放り出されたとき、日本の立場だけに拘泥していては、だれもこちらの発言に耳を傾けてはくれい。本人としては、可能な限りメタのレベルで議論を展開しようと考えるのだが、それでも、どこか「タツオは日本人だから」とか「コバヤシサンは東洋から来たお客さんで文化が違うから」という先入主が抜けきらない。一方、国内では、下手にユニコードの連中を養護しようものなら、まるで、魂を外国に売り渡してしまった日本人、とでもいった目で見られる。
しかし、複数言語間の完全なコミニュケーションは、原理的にあり得るものではない。であるならば、いたずらな原理主義に立ってコミニュケーションを拒絶するよりも、不完全な中でも、少しでもベターなコミニュケーションを目指すことの方を、選びたいと思う。そのために、今しばらく、現在のディアスポラ的な居場所のなさを甘受しようと考えている。

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三笠会館鵠沼店にまつわる思い出

三笠会館鵠沼店にまつわる思い出

《愚者の後知恵》
1997年9月
私信(電子メール)

谷善樹さま

9月8日の御社本店改装の内覧会会場で、石橋総支配人にご紹介いただいた、ジャストシステムの小林です。もう四半世紀ほどにもわたって、さまざまな形でお世話になってきた三笠会館の経営者にお目にかかれて、感銘深いものがありました。
小生にとって、本店を初めとして、新宿店、ボーノボーノ、鵠沼店などのお店には、家族の歴史の節目や、仕事上の大きな転機と係わり合って、とても懐かしく豊かな思い出が数限りなくあります。特に、鵠沼のお店には、小生の結婚、子供たちの成長、実母の葬儀と、小生の両親、小生の夫婦、子供たちの三代にわたる思い出が、本当にぎっしりと詰まっています。
お忙しいことと思いますが、感謝を込めて、三笠会館にまつわる思い出を書きつづることをお許しください。いえ、ちょっと長くなりますので、急いでお読みいただくことなどありません。
当方も徒然なるままに書き連ねますので、お暇な折りにでもご笑覧いただければ幸いです。

きっかけは鵠沼店でした。おそらくは出来たばかりのことだったでしょう。4歳ばかり年長の友人が、「鶏の唐揚げとカレーライスがとてもおいしい」といって、連れていってくれました。この友人とは、カトリックの信仰を共有する、神戸以来の家族同士のつきあいでした。
鶏の唐揚げ、スープ、カレーライスというボリュームたっぷりのディナーは、大学生だった若者には、リーゾナブルな価格で豪華な雰囲気を味わうことの出来る格好のメニューでした。三笠会館の名は、親父やお袋も存じており、近くに銀座から本格的なレストランがやってきた、ということで何か鵠沼という土地柄自体が華やいだものになったような気がしたものです。
梅雨に入る直前、5月の末から6月初旬でしょうか、真夏を思わせる日差しが、鵠沼の海岸を照らすわずかな日々があります。そんな折り、その友人や兄弟たちと、水辺で戯れ、そのままの格好でお店にうかがったことがあります。今から思えば、ずいぶんと失礼なことをしたと思うのですが、海水に濡れた若者の一団が「お茶だけなのですけれど」などとお願いしても、お店の方はいやな顔一つせずに、中に案内してくださいました。

そのころから感じていたことなのですが、鵠沼のお店は、郊外店のゆったりした雰囲気と都会的なスマートさとを見事に統一していました。海岸沿いにある何軒かのレストランが、あるいは、若者に迎合したり、あるいは、ある種の尊大さで若者を拒否したりしていたのに対して、三笠会館のお店は、暖かく泰然としながらも、お店と思いを同じくするお客さんを、きちんと選んできた、そんな気がするのです。僕たちが(気分がゆったりしてきました、「小生」から「僕」に切り替えることをご寛恕ください)、通い始めたころから今に至るまで、お客さんの雰囲気が全く変わらないのです。
その後のいくらかの経験で知ったことですが、良いお店は、それと悟らせることなく、お客さんを選ぶことが出来るのですね。
後になって、隣にマクドナルドの大きい店が出来たとき、たまたま僕たちは開店の日に、お店にうかがっていました。入り口の石畳の上で、当時の支配人の石橋さんが、ものすごい目で隣を睨んでいたのを覚えています。もちろん、マクドナルドにはマクドナルドの生き方があり、三笠会館には三笠会館の生き方があるのでしょう。石橋さんのその時の思いを知る由もありませんが、隣のマクドナルドは三笠会館には、少なくとも僕に見える範囲では、全く何の影響も与えませんでした。

僕たち夫婦は、藤沢カトリック教会で結婚式を行い、鵠沼のお店でささやかな披露のパーティーを開いたのですが、その前にも、二人の思い出は一杯です。
結婚を意識するようになってからでしょうか、二人で行った、二度の食事をとてもよく覚えています。
一度は、ローストビーフのワゴンサービス。水曜日だったかしらん、えーと、4500円? そのころの学生の身には安いものではありません。家庭教師のアルバイトの謝礼を、文字通り握りしめて、一大決心をして、彼女を誘いました。昼下がりの海岸側の窓際の席。向かい合って。
思い切って、お店の方に
「ワインを飲みたいのですが。でも、よく知らないのです。」
親切に、こう教えてくださいました。
「それなら、ボジョレーをお飲みなさい。困ったときのボジョレーだのみ、値段も安いし、どんな料理にも無難です。」
帰りに、分厚いワインの本を貸してくださいました。
この時以来、鵠沼のお店は、僕にとって料理やマナーの学校になりました。ワインのテイスティングの方法を教わったのも、シャブリと生ガキが合うことを教わったのも、このお店でした。僕たちが何か尋ねると、みなさん、本当にうれしそうに親切に教えてくださるのです。そう、小学校の先生が、良い質問をした生徒に答える、という雰囲気でしょうか。
知ったかぶりをするのではなく、知らないことを知らないと言うこと、そして、教えを請うこと、このことは、食事に限ったことではなく、小生にとっては、人生全般にわたる努力目標なのですが、鵠沼のお店から得た教訓は決して小さいものではありませんでした。
次のデートは、生ガキ半ダースに、シャブリのハーフボトルのサービスセール。
今にしてみると、嘘みたいな話ですね。シャブリがサービスですよ。小生は、三笠会館の教育にも係わらず、ワインの銘柄はなかなか覚えられないのですが、さすがに、ボジョレーとシャブリ、それから、後に触れる新宿店でのエルミタージュ、ボーノボーノのソアベ・クラシコとエスト・エスト・エストなどは、思い出とともに頭と舌に焼き付いております。

僕たちが結婚したのは、1976年の10月30日。僕が6年かかって大学を卒業し、小学館という出版社に入社した年の秋でした。妻の幸子は、私立の女子大を4年で卒業し、彼女の実家のある大船で、母校の教師をしていました。
結婚の半年前に、大船の教会で婚約式。この折りも、二人の家族と鵠沼のお店で会食しました。その前に結婚した姉も、婚約式の折りの会食は、やはり鵠沼のお店でした。

僕たちの結婚披露のパーティーは、今でも親戚の間で語りぐさになっています。
そう、料理がおいしかったって。新郎がりりしかったとか、新婦が初々しかったとかの話は、皆無です。
あのころ、まだ鵠沼のお店は、結婚披露パーティーの経験がさほど無かったのではないでしょうか。そのせいか、石橋支配人初め、みなさん、ほんとうに一生懸命に対応してくださいました。まあ、料理のメニューを決めるためだけに、二度も打ち合わせに出向いたカップルもそうはいないでしょうが。
出席者は、60人足らずと、こじんまりしたものでしたが、形式張らないとてもいいパーティーになったように思います。シェフがマイクを持って、わざわざメニューの説明をしてくださいました。今、念のために当時の写真を見てみたら、何ということでしょう、お袋がシェフに食らいついて、説明を聞いているショットがありました。お袋も、本当に食べることと料理を作ることが好きな人でしたから。
メニューの目玉は、ウェリントン。ところが、新婦がお色直しに中座している間に、ソールドアウトになってしまい、新郎は長年にわたって恨み言を聴かされる羽目になりました。
家内の怨念がはらされるのは、ずっと後になって、親父の古希の祝いを開いたときでした。
この他にも、上の妹の婚約の時、下の妹の結婚の時、親父の喜寿とお袋の古希を同時に祝った時と、僕たちの家族は、折に触れて三笠会館鵠沼店に集い、語らい合ってきました。人生の節目には、鵠沼のお店でパーティーを開く、というのが誰が言うともなく恒例になっていたのです。

昨年の2月、お袋が他界しました。その顛末は、別に書いたものを小生のホームページ(http://www.kobysh.com/tlk)に上げてありますので、のぞいていただれれば幸いですが、お袋の葬儀の際も、誰が言い出すでもなく、三笠会館で食事をしようということになりました。急なことでもあり、葬儀ミサと火葬とのスケジュールの調整など、面倒なことをお願いしたにもかかわらず、お店の方々の対応は、大変心の行き届いたものでした。結婚などの祝い事であれば、お店の方も明るく華やいだ対応をすればよいのでしょうが、このような弔事の際の対応は、難しいのではないかと忖度します。しかし、入り口にさりげなく清めの塩を準備しておいてくださったり、落ち着いた感じの花を飾った故人の写真を置く台を用意しておいてくださったり。
料理は、言うまでもありません。お袋の古希の祝いの際に、鵠沼のお店の同じ部屋で撮ったお袋の写真を囲んで、僕たちは、お袋とともに過ごした日々を料理の味と重ね合わせながら、存分に語り合うことが出来ました。

僕たち家族にとって、三笠会館鵠沼店は、パーティーのためだけの存在ではありません。もちろん、毎月、毎週訪れるほどの経済的な余裕はありませんが、ここ数年、僕たちは子供を連れて、6月の妻の誕生日の前後と、10月の僕たちの結婚記念日の前後の、二度はお店を訪れます。
結婚後、横浜に住まいを移したこともあり、子供が次々に生まれて、子育てに忙殺されていたこともあり、しばらくは、日常的にお店におじゃまするのが難しい時が続きましたが、下の娘が幼稚園に入るころから、この習慣は始まりました。

鵠沼のお店にうかがうのは、たいてい日曜日の午後。ここのところ、メニューはお昼の小皿コース。子供たちは小さい間は、お子さまメニューでした。中学校に入ったら、大人メニューの仲間に入れてあげる、というルールにしていました。
料理の種類の少ない子供たちは、僕たちよりも早く食事が終わってしまうのです。
退屈して席を立ってうろうろし出します。グリルのところに行って、高尾シェフとおしゃべりしたり、入り口の階段のところでお店の方に遊んでいただいたり。
ともすると、きちんとしたフレンチレストランは、小さい子供連れの入店を断ったり、それでなくても、何となく迷惑がったりするようなところがありますが、鵠沼のお店は、全然違うんですね。他のお客様も、子供たちがうろちょろするのを迷惑がるどころか、とても暖かくて優しい目で見ていてくださる。そんな中で、子供たちは、少しずつ周りの人に不快な思いをさせない、というマナーの基本を学んでいったようにも思います。
長男が、お子さまメニューを卒業し、次男が卒業し、長女は、末っ子の特権でしょうか、まだ、小学生なのに、いつのまにか、一人前に小皿コースに挑戦しています。長男はまもなく二十歳になります。普段は、家にいるかいないか分からないような生活をしていますが、三笠会館だけは別です。家族五人が、本当に揃って楽しく食卓を囲むことが出来ます。とても暖かくて、ちょっとよそ行きの気分で。

時に、食後に海岸を散歩することもあります。鵠沼の海岸もずいぶんと変わりました。思えば、鵠沼のお店も、もう四半世紀が、経っているのですね。僕たちの家族も、前史を含めれば、鵠沼のお店とほぼ同じだけの歴史を積み重ねてきたわけです。先日、親父は鵠沼の家を売りました。今は、姉の住む世田谷に小さなマンションを購って暮らしています。鵠沼は僕にとって青春と呼べるある時期を過ごした忘れ得ぬ場所です。その鵠沼に、僕たちの生活の痕跡は、もうほとんど残っていません。でも、三笠会館があります。
このお店を訪れるごとに、僕は、単なる思い出としてではなく、今に続くものとしての、自分を取り巻くささやかな歴史を呼び戻すことが出来ます。そして、食事の後の満足感は、半年後に訪れる時への期待に満ちています。
「おいしかったね。また来ようね」
誰とも無く、口にするこの言葉とともに、僕たちは、また日々の歴史を刻むために日常に帰っていきます。
このようなレストランを持つことが出来た幸せを、僕は改めて思いしめています。感謝を込めて。そして、鵠沼のお店が、建物や内装が変わっても、味と雰囲気だけは決して変わらないことを願って。

突然の不躾なメール、ご寛恕ください。

不一

p.s.新宿のお店にも、本店にも、ボーノボーノにも、それぞれ愉快な思い出があります。そんな話は、よろしければ、またの機会に。

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ISO/IEC SC2 クレタ会議の報告

ISO/IEC SC2 クレタ会議の報告

《愚者の後知恵》今は解散した電子ライブラリーコンソーシアムの機関誌のために連載していた「電子化文書規格シリーズ」の第4回。
1997年9月
ELICON「電子化文書規格シリーズ」

いささか旧聞に属するが、本年(1997年)6月30日から7月9日まで、ギリシャのクレタ島で、ISO/IEC JTC1/SC2 の、WG2、WG3、全体会議が、集中的に行われた。
いつものことながら、このような呪文が、一般の方に理解できるとは思えない。実のところ、つい先頃までの筆者自身、この呪文の意味は、皆目見当が付かなかった。
まず、この呪文を解読することから始めよう。
ISO:これは、分かって欲しい。International Organization for Standardization (国際標準化機構)
IEC International Electrotechnical Commission (国際電気標準会議)
以下、
JTC:Joint Technical Committee
SC:Sub Committee
WG:Working Group
ということになる。情報関係の国際規格は、ISOとIECという二つの標準化組織が、合同で委員会を設けて、運営決定を行っている。
SC2は、この中で、符号化文字集合(Coded Character Set)を担当しており、WG2は、複数バイト系(Multiple Octet)を、WG3は、8ビット系の規格を策定している。端的に言えば、ISO/IEC 10646 を作っているのが、WG2、ISO/IEC 8859 を作っているのが、WG3ということになる。
筆者も、この会議に日本代表団の一員として参加した。今回は、その様子を報告することとする。

ISO/IEC の会議は、それぞれの会議の議長が召集し、ホストを申し出てメンバーの承認を得られた国で、開催される。今回は、ギリシャのナショナルボディであるELOTがホストということになる。開催場所がクレタ島のエラクリオンということで、筆者も出発前に不当な誹謗と怨嗟を受けたが、確かに、ホストは、開催場所の選定に関しては、ある程度その国の代表的な観光地であるとか文化的な歴史を持つ、といったことも考慮しているようである。
言い訳めくが、クレタ選定に当たっては、おそらくは、ミノス文明発祥の地であり、スクリプトBやファイストスの円盤などという、文字の歴史を考える上で欠くことの出来ない重要な文化財が出土したところ、ということも考慮されたと思われる。
会議は、6月30日(月)から7月4日(金)の午前までが WG2、4日(金)の午後と7日(月)がWG3、8日(火)と9日(水)が、SC2の全体会議というかなり長期かつハードなものだった。その間に、ELOT主催のレセプション(8日)とクノッソス宮殿などへの観光(10日)が、行われた。

現在、WG2のConvener は、アメリカの Mike Ksar。ISO の委員会では、SCレベルの議長をChairman、WGレベルの議長をconvener、IRGのような Rapporteur Group の議長をRapporteur というように使い分けている。Convenerは、日本語で言えば、さしずめ主査か。Mikeは HP の社員で、出身はヨルダン。アメリカの市民権等についての情報は筆者にはない。彼の司会で、議事は進められていく。
日本から代表団として参加したのは、期間中の出入りはあったが、HPの佐藤孝幸氏を団長に、慶應大学の石崎俊氏、凸版印刷の加藤重信氏、それに筆者。他に、日本からはSC2の書記局を務めている情報規格調査会の木村敏子女史と会議開始時点でSC2の臨時議長(後に全体会議での了承を経て、JTC1総会で承認)であった東京国際大学の芝野耕司氏。
他の参加者としては、23カ国9関連機関、1オブザーバー。
参加者の自己紹介に続いて、議題の確認。ここからはや手続き上の駆け引きが始まる。どのような議題をどのような順番で審議するか、といったことにも、優れて政治的な駆け引きが存在する。
ようやく議題が確定するまでに、初日の午前中の時間は早々と経過していた。
以後、提出された文書に基づき、次々と議題がこなされていく。と言っても、なかなか一直線には進まず、時につまらない手続き上の問題で停滞し、時にナショナルボディ間の利害が対立して停滞する。情報規格という情報化社会を支えるテクノロジーの基幹に関わる問題が、駆け引きと力関係の中で決められていく。
今回のWG2の議題は、細々とした修正(Amendment)が中心で、大きな流れの変化はなかったと言えよう。強いて挙げれば、ハングルの拡張に伴う実作業の遅れが問題にされたことと、IRG の進行中の作業に関して、正式なプロジェクトとしての見直しが検討されたこと、BMP(Basic Multilingual Plane)以外の面への、文字のアサインが現実味を帯びて議論されたこと等だろうか。
しかし、圧巻は、次回の会議の開催場所についての議論。次回WG2の開催場所として、日本、オランダ、アメリカが名乗りを上げていた。しかし、様々なスケジュールを勘案すると、WG2だけの単独開催は困難であり、SC2全体会議、WG3と同時に開く必要がある。となると、SC2としての意志決定が不可欠になるが、WG2のConvenerは、かなり強引にアメリカのシアトルでの開催を通してしまった。結果的には、WG2全体の投票で決定したことではあるが、Convener が、出身母体のナショナルボディにあからさまに肩入れする姿は、決して美しいものとは言えなかった。「開催国を取る」ということが、ある種の実績と考えられ、そのために、規格策定とは無関係の多大なエネルギーと時間が浪費される状況は、世間一般の常識から見ると、決して健全なものとは言えないだろう。

WG3 は、会議開催時点で、Convener が空席になっていた。そのため、SC2 Acting Chair の芝野耕司氏が、Acting Convener を務めた。
ISO/IEC 8859 は、日常的には日本語との関わりは大きくないが、7 ビットの ASCII コードにもう1ビット加えて、8ビットとし、その結果増えた128個分の文字の領域に、基本的なラテンアルファベット以外の文字を付け加えて、そのグループを切り替えながら使うものと考えれば良いだろう。アーキテクチャとしては、カタカナ半角を8ビットで表現するものも同じと考えて良い。(カタカナ半角は8859にはなっていない)
今回の、WG3 の特徴は、さまざまな国から、この 8859 の新しいパートの提案が多くなされたことにある。例えば、タイ、ベトナム、インド、ルーマニアなど。この提案にはラテン文字への個々の文字の追加の場合も、言語を表現するためのスクリプト全体としての場合もあるが、いずれにしても、8859 で、自国語が表現できるということが、ある種情報先進国への仲間入りのためのパスポート、といった認識が広がりつつあることを実感させられた。
これらに対する一般的な反応としては、日本、アメリカなどの、これ以上8859のパートを増やしたくはない、という陣営と、スウェーデン、フィンランドなど、おそらくは自国の利害が関わらない問題については、ある種「恩を売る」ために、賛成に回るという陣営とに二分されていた。結果的には、提案内容の準備不足もあり、必ずしも全ての提案が受け入れられたわけではないが、16ビットないし32ビットの10646へ移行していこうという趨勢に対して、情報発展途上国の8ビットコードへのこだわりが、改めてクローズアップされることとなった。
WG3の最後に、Convener にギリシャの Melagrakis 氏を選任した。ELOT 主催のすばらしいレセプションと、日曜日の観光ツアーの後では、なかなか反対の意見を述べるのは難しい雰囲気だった。むろん、Melagrakis 氏の手腕、人格を否定するものではないが、やはり各国委員も人の子、やはり接待の効果あり、といったところであろうか。

SC2全体会議は、基本的には、WG2、WG3の議論を追認する手続き上の議題が中心となった。しかし、WGでの議論の蒸し返しがあったり、参加者の出入りがあったりで、やはり議論がすんなりと進むという訳には行かなかった。このような状況の中で、議長を務めた芝野氏は、困難な議事運営を多大なエネルギーでこなされた。
昨今、国際規格における日本の寄与の少なさが云々されることがあるが、今回正式に SC2 委員長になられた芝野氏と、Secretariat として会議運営をまさに細腕一本で支えられた情報規格調査会の木村女史の活躍に対して、筆者はお二人の出身母体の代表団の一人として、心からの尊敬と感謝を捧げたいと思う。

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『ATOK監修委員会設立秘話』

『ATOK監修委員会設立秘話』

《愚者の後知恵》ずっと『電脳辞書の国語学』を書かれた箭内さんのことが心にかかっていて、「広告」に原稿を書く機会を与えられたとき、その思いをまとめた。箭内さんとは、その後、月刊アスキーの『電脳辞書の国語学--ATOK監修委員会インサイドストーリー』の座談会で再会を果たした。
1997年5月
「広告」(1997年5、6月号、博報堂発行)

コンピューターやワードプロセッサーで日本語を入力するとき、通常は意識するとしないとに拘わらず、仮名漢字変換システムというプログラムのお世話になる。筆者が属しているジャストシステムでいえば、ATOKというのがそれに相当する。
たとえば、今の水準の仮名漢字変換システムでは、「けいきがわるいのでこうこくとりにくろうする」とひらがなを入力すると、「景気が悪いので広告取りに苦労する」とまず正しく変換するレベルになっている。しかし、ここに至るまでには、長い研究開発の道のりがあった。以前のレベルでは、たとえば「計器が悪いので広告鳥肉老刷る」といったとんでもない変換をしかねなかった。
当初、仮名漢字変換は、一つ一つの漢字に対応する読みを区切って入力する、いわゆる単漢字変換からスタートした。その後熟語変換、単文節変換をへて、ひらがなのつながりを自動的に文節に区切った上で変換する技法が一般的になっている。
今では、「きしゃのきしゃがきしゃできしゃした」を「貴社の記者が汽車で帰社した」と変換するといった同音異義語の使い分けまで、文脈をみながら正確に変換するソフトも現れている。
このような、仮名漢字変換システムの進化は、一方で日本語の文法をコンピューターで扱うための技術の進歩、もう一方で多様な日本語の語彙を読み、品詞、表記などで体系的に収録しているいわゆる仮名漢字変換辞書の進歩が、車の両輪となって支えてきた。
しかし、常に揺れ動き変化を続ける日本語をコンピューターで扱うためには、単に技術的論理的な研究だけではいかんともしがたい不分明な要素を取り込むことが不可欠となる。そして、そこには、優れて人間くさい側面が存在している。
ジャストシステムでは、辞書内容、アルゴリズム双方について、言語学、日本語学、社会文化の動向など多方面の知見を反映すべく、1993年から「ATOK監修委員会」という社外の識者数名からなる集まりを組織化運営している。この設立に至る一つのエピソードを紹介しよう。

筆者は、前職が児童雑誌の編集者だったこともあり、ジャストシステムに転じてまもなく、「学年別ATOK辞書」という製品の企画開発に携わった。以前から知遇を得ていた小学校のベテラン校長先生に依頼し、子供たちが学校で習う言葉、日常使用する言葉の双方から、かなり丁寧に言葉を収集吟味して、この製品を作った。教育用途ということで、目的が明確だったので、比較的整合性のとれた辞書を作ることが出来、大方の評判も好意的なものが多かった。
ところが、思わぬ伏兵が潜んでいた。当時「TheBASIC」という雑誌に掲載されていた『電脳辞書の国語学』という連載記事で、思いも寄らぬ指摘を受けた。筆者は、箭内敏夫氏。長く市中銀行に勤務し、そのころは系列の不動産会社に勤務するごく普通のベテラン企業人だった。後におうふうから単行本として刊行されたものから、引いてみよう。

「先生の教材作成向けにジャストシステムが発売した小学校学年別のATOK用辞書、たとえば6年生用のSHO6は、見れる・着れる・食べれるを登録している。カタログには「」新教育指導要領に準拠した語彙」と表現していた。文部省がラ抜き表現を公認したこととは聞いたことがない。」(56ページ)

「ATOKの気まぐれ登録は、ATOK7だけではない。Large辞書でも小学校学年別のSHO辞書でも変わりはない。たとえば長野県木曽郡の日義(ひよし)小学校の生徒たちは、隣村の楢川(ならかわ)が一発で出てくるのに自分たちの日義は日吉にしか変換できないと、ひがむことだろう。」(69ページ)

この二か所に筆者は、まさに愕然とした。最初のラ抜き表現。当時からATOKは、動詞に関して「見られる」「見られない」という通常の使い方と「見れる」「見れない」といういわゆるラ抜き表現の双方に対応できる機能を持っていた。さらに、ラ抜き表現を抑制することも可能になっていた。しかし、迂闊なことに、せっかく専門の教育関係者に語彙の選択を依頼したのに、動詞に関してラ抜き表現をどうするかという疑問を呈することなく、製品化を行ってしまったのだった。語彙としての動詞を考える際に、その活用の揺れにまで踏み込んで検討する、という今となっては当然の配慮が欠如していたのだ。事後的に監修者にお伺いを立ててみたところ、「現場の国語教育、特に作文教育では、格別ラ抜き表現を指摘することはほとんどなく、むしろ子供たちの自由な表現を尊重することに重点が置かれているので、ラ抜き表現をことさら抑制することもないだろう」という答えをいただき、胸をなで下ろしたものだった。

地名について。この辞書の制作過程では、ある時期まで人名、地名などの固有名詞も、各社の教科書に記載されているものを中心に体系的に採録するという方針を採っていた。しかし、最後の段になって、固有名詞に関しては、ユーザーである先生方の仕事の中で、児童たちの住所、氏名の入力が、大きな比重を占めることを考え、通常製品に含まれる固有名詞をそのまま、流用することに方針変更をしたのだった。結果、通常製品の持つ問題点が、この辞書にも反映されることになってしまった。

箭内氏の指摘は、見る人が見れば仮名漢字変換辞書を制作する側が意図したことや意図から漏れ落ちていたことなどを見透かすことが出来るということを、いやというほど思い知らせてくれた。

仮名漢字変換システム用辞書の制作に当たって、ある一貫した意図ないしは方針が必要だという指摘をしていたのは、箭内氏だけではなかった。パーソナルコンピューターの最初期からユーザーとして発言しておられた、文芸批評家、作家、文化史家の紀田順一郎氏も夙に以下のような指摘をしておられた。

「OA文具としてのワープロの現況を見る限り、漢字処理能力にはまだまだ不満が残る。一つは辞書の貧弱さであり・・・・。これはいまだに辞書の編者が明らかでないことも関係があろう。そこには辞書編纂に必要な編者の人格性(思想や言語生活の体系)が存在せず、言語生活における定見を有しない係員が、かなり恣意的に既成の紙辞書を孫引きしたり抜粋したりするだけという弊害が一向に改まっていないようだ。」(大修館刊、月刊「しにか」Vol.1/No.2 9ページ)

箭内氏の非常に具体的な紙礫(かみつぶて)は、ジャストシステムが紀田氏の指摘する方向に一歩踏み出す、大きな契機となった。社長の浮川の指示もあり、筆者は紀田氏、箭内氏にお目にかかったうえで、率直な問題点の指摘をお願いし、ATOKの辞書に規範性と人格性を持たせる方策を考えていった。
結果、紀田氏を座長とし、気鋭の日本語学者若干名から構成されるATOK監修委員会という組織を発足させ、そこでの討議を経て、ATOK辞書制作の規範を求めていくこととなった。この組織への筆者からの参加要請に対して、箭内氏は市井の批判者としての立場を貫きたいと意志から、参加を固辞された。

ATOK監修委員会設立の効果は、目を見張るものがあった。紀田氏は、その超多忙な執筆スケジュールにも拘わらず陣頭に立たれ、百科事典の項目リストをそれこそトイレの中から移動中の電車の中まで持ち歩かれ、必要な語彙のチェックをしてくださった。委員会の場における議論も活発を極めた。言葉が常に移ろいゆくものだという基本認識の元、今の時点で多くのユーザーに信頼され、かつ納得される辞書内容とするため、さまざまな議論が繰り返された。たとえば、誤用が日常的に用いられるようになって定着したかどうかの判断。現在のATOKでは、「やまいこうもう」と入力した場合は、「病膏盲」ではなく本来の表記の「病膏肓」に変換されるが、「どくだんじょう」と入力した場合は、「独擅場(どくせんじょう)」ではなく「独壇場」と変換する。これなども、「どくだんじょう」は定着したが「やまいこうもう」は現時点ではいまだ誤用と考えるべきだ、との判断があり、その上でユーザーの誤用を受け入れた上で従来正しいとされている表記を出す、という方針決定の結果なのだ。

ATOK監修委員会の最初の成果は、ATOK8として結実した。ATOK8の出荷を受けて、箭内氏は、「電脳辞書の国語学-番外編」として、「ATOK8辞書を評定する」という評論を書かれた。開発を担当した社員、監修委員の先生方の努力にもかかわらず、やはり箭内氏の批判は歯に衣を着せぬ厳しいものだった。しかし、その最後に書かれた一言は、筆者を含め議論に議論を重ねた関係者の努力に報いて余りあるものだった。

大修館書店の月刊言語は、93年5月号で「辞書 新時代」を特集テーマに取り上げていた。紀田順一郎さんは「新時代の辞書に望む」ことを次のように書いている。ATOK監修委員会の座長である。

もともと辞書というものはなんらかの規範性を意識しなければ編纂が不可能なことは、だれでも知っていることである。語彙の選択にあたっても、編纂方針やスペースの範囲内で妥当かつ十分なものであるかどうかが考慮される。その辞書の利用者にとって「拠るべきもの」であることが意識されるはずである。

その通りだと思う。スペースはかなりの範囲まで広がったのだから、座長の編纂方針がスタッフの一人一人に浸透し辞書内容の一語一語にまで十分な配慮が届いたら、ATOK8はもっと規範性の高い辞書になったに違いない。
ジャストシステムが業界でトップの地位にあるからこそ、あえて厳しい指摘をした。
いずれにしても現在の日本語変換システムの中で最高水準にあることは事実である。潜在的な素質を備えた、育て甲斐のある辞書だ。私はATOK8を常用するようになるだろう。
箭内氏がこの連載を通して、日本の仮名漢字変換辞書の品質向上に果たされた役割はけっして少ないものではない。この連載が、国語学関係の出版を専門とする「おうふう」から単行本になるに際して、仲介の労を執られたのは、当初からの監修委員の一人だった近藤泰弘氏(青山学院大学助教授)だった。

 

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国語審議会の動向

国語審議会の動向

《愚者の後知恵》今は解散した電子ライブラリーコンソーシアムの機関誌のために連載していた「電子化文書規格シリーズ」の第3回。
1997年5月
ELICON「電子化文書規格シリーズ」

日本の言語政策を考えるときに、国語審議会(およびその前身となる国語調査委員会、国語調査会など)の動向は、避けて通ることが出来ない。というよりも、国語審議会とこの審議会を管掌する文化庁文化部国語課は、仮名遣い、当用漢字および常用漢字、ローマ字表記、敬語のあり方など、常に日本の言語政策の中枢を担ってきた、と言ってしかるべきだろう。
しかし、言語政策の中に重要な比重を占める漢字政策(というものがあるとして)に関しては、近年、どうも様子がおかしい。コンピューターの普及と共に、いわゆるJIS漢字の話題であるとか、戸籍の電子化に伴う人名用漢字の取り扱いであるとかは、しばしば話題に上るのに、文化庁の漢字政策は、もう一つはっきり見えてこない。国語審議会の区切りごとに、年中行事的に、新聞に取り上げられるだけ、と言っては言い過ぎだろうか?
いずれにせよ、建前はどうであれ、現在の漢字政策には、文化庁文化部国語課、通産省工業技術院規格部電気情報規格課、戸籍を管掌する法務省民事局第二課、の三省庁が係わっている。はた目から見ると、漢字行政は、何かお役所の縦割り政策の狭間で混乱しているのではないか、という危惧すら抱いてしまう。
今回は、国語審議会および文化庁国語課の、漢字政策に対する考えを探るために、筆者が係わった範囲で、時系列に沿って、動きを見ていきたいと思う。

第20期国語審議会審議経過報告として1995年(平成7年)11月に出された『新しい時代に応じた国語施策について』は、全体を
Ⅰ言葉遣いに関すること
Ⅱ情報化への対応に関すること
Ⅲ国際社会への対応に関すること
と、3部構成とした上で、Ⅱの3で、特に「ワープロ等における漢字の字体の問題」を取り上げている。この部分をすべて引用すれば、今回の使命はほとんど終了するのだが、紙幅の都合もあるので、筆者の観点から、簡単に趣旨を要約しておく。
現状で、ワープロ等の漢字の字体は、非常に混乱している。JIS0208の昭和58年の改定時に行われた、第1水準中、常用漢字表に含まれない漢字の略体字化が、混乱の主たる原因である。
例えば森鴎外の「*鴎*」や、冒涜の「*涜*」など、いわゆる康煕字典体に対する要求も根強くあるので、何らかの方法で、康煕字典体を出力できるようにすることが望ましい。
このような、議論をした上で、この節の付論として、「戸籍事務の電算化に伴う漢字の取り扱いについて」として、法務省が取った施策を事実関係のみに限って紹介している。
この答申を受けて、1996年(平成8年)2月に、「国語施策懇談会」という会合が開かれた。
筆者は、このような会合の存在をその時まで知らなかったのだが、国語審議会の審議経過を一般に周知させるとともに、一般からの意見も吸い上げるという目途を掲げて、国語審議会審議報告の解説、識者による意見発表、パネルディスカッションという3部の構成として、この年から形式を一新したとのことだった。
この会合の2日目、午後のパネルディスカッションのパネリストの構成が、非常に目を引く。国立国語研究所の水谷修所長を司会とし、小林一仁(茨城大学教授)、芝野耕司(東京国際大学教授)、鳥飼浩二(文筆業)、松岡榮志(東京学芸大学助教授)の各氏が名を連ねている。芝野氏が、当時作業のただ中にあったJIS X0208の改訂を担当する委員会の委員長であること、松岡氏が、Unicodeに対応するIS規格である10646の漢字部分を担当するISO/IEC JTC1/SC2/WG2/IRG対応の漢字ワーキング専門委員会委員である点を考えると、工技院の所轄である情報規格の分野にも一歩足を踏み込んで議論を進めようという文化庁の意欲のようなものが伺える。

同年6月、第21期国語審議会が発足。筆者の属する㈱ジャストシステム代表取締役社長である浮川和宣もその委員を委嘱された一人だった。各界で経験を積まれてきた方が多く、比較的年齢層の高い委員構成の中にあって、浮川は、先期に引き続き委員を委嘱された歌人の俵万智氏に次いで、年齢が若い。このことからも、国語審議会として、「ワープロ等における漢字の字体の問題」に、積極的に取り組む姿勢を、世上に強力にアッピールしようという強い意図が読みとれる。
筆者は、漢字ワーキング専門委員会において、オブザーバーとして出席しておられた国語課の国語調査官と面識があったこともあり、また浮川を補佐する必要もあって、このころから国語課との連絡を密にすることとなった。
以下は、この過程で知り得た、第21期国語審議会の審議経過の一部である。
基本的には、第20期の答申を受けて、二つの専門委員会が設置されている。一つが言葉遣いについてであり、もう一つが漢字問題についてである。
漢字問題に関しては、今期中に何らかの答申を出すことを目標にかなり意欲的に審議が行われている。この過程で、JIS制定の経緯やUCS制定の経緯に関しても、調査やヒアリングが行われている。

今年(1997年)に入って、やはり2月に平成8年度の国語施策懇談会が行われた。
漢字問題についてのパネルの出席者は、司会に昨年同様水谷修氏、パネリストとして、阿辻哲次(京都大学助教授)、小池建夫(日立製作所)、小林一仁、豊島正之(東京外国語大学助教授)、堀田倫男(日本新聞協会)の各氏。ここでも、漢字ワーキング専門委員会の小池氏、JIS X0208改訂のエディターを務められた豊島氏という情報規格策定の最前線におられる方から率直な意見を聞き出そうという意欲が読みとれる。

本稿では、期せずして「意図」や「意欲」という言葉が頻出している。筆者が係わった範囲で見る限り、国語審議会、文化庁国語課は、けっこう頑張っている。国語施策懇談会でのパネリストや意見発表者の人選にも、単なるお役所仕事を越えた意欲が感じられる。例えば、本年2月に行われた懇談会で意見発表をされた小泉保氏(関西外国語大学教授)の当用漢字制定に至る戦前からの経緯のお話など、微妙な問題も含まれるので、ここでは深く触れることは出来ないが、現今のいわゆるユニコードに対する無定見な批判と重ね合わせてみたとき、ある種の歴史的な系譜のようなものが浮かび上がってきて、知的な興奮さえ覚えさせるものであった。
また、他省庁との連携に関しても、筆者が見聞する限りでは、現場レベルでは、非常に意欲的に取り組んでいる。JISやISOの委員会への国語調査官のオブザーバー参加や逆に国語審議会への工技院電気情報規格課技官のオブザーバー参加などが行われており、筆者自身も担当者間の情報交換の場に立ち会ったことも、度々ある。
いずれにせよ、第21期国語審議会も折り返し点にさしかかっており、あと一年ほどで何らかの答申ないしは審議経過報告を出さなければならない。国語審議会が既存の情報規格にいたずらに妥協することなく、かつ、情報規格の側の改変も含めて、整合性があり真にユーザーの利便を高め、文化を豊かにする答申を出されることを期待したい。

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