W3C i18n WG

W3C i18n WG

《愚者の後知恵》今は解散した電子ライブラリーコンソーシアムの機関誌のために連載していた「電子化文書規格シリーズ」の第5回。
1998年3月
ELICON「電子化文書規格シリーズ」

このジャーナルが出るのは、1998年の4月より前だろうか、それとも後だろうか。
いずれにしても、今原稿を書いている時点からは、未来形ということになるが、4月の初旬に、東京であるワーキンググループのキックオフミーティングが持たれる。 W3C の i18n WG。例によって、何のことかさっぱり分からない。
W3C は、World Wide Web Consortium
i18n WG は、internationalization Working Group
i18nは、インターネットを築き上げてきた人たちの中で、internationalization を簡単にするために、i と n の間で18文字あるよ、といった符丁として使われている。
以前にも触れたことがあるが、インターネットを中心とするネットワークの世界では、情報交換のための約束事が不可欠だが、その進歩があまりに速いために、従来のISOを中心とする、公的な国際規格では対応できない事態が起こっている。巷間喧しいde factoとde juerの対立という議論も、この文脈の中に置いて考えるとよく分かる。

以前解説した Unicode/ISO 10646 の議論は、公的な機関による規格策定と民間企業の連合体による規格策定が錯綜した典型的な例と言うことが出来よう。

インターネットの世界では、TCP/IPに始まり、HTMLに至るまで、ほとんどの規格がde facto standardとして成立している。
その中でも、インターネットの広範なプロトコルを策定している、IETF(The Internet Engineering Task Force)と、HTMLやXMLなどを策定しているW3Cとでは、その規格策定のプロセスが若干異なっている。
IETFでは、rfc(request for comment)がすべて、と言っていい。何かインターネット社会に提案をしようと思う人間は、だれもがrfcを書くことが出来る。その提案は、時には黙殺され、時には多くのコメントが寄せられ、そして、支持者が多い提案は、自然と利用者も増えて、まさにde factoとなる。
一方、W3Cは、いささか仕組みが異なる。この組織は、Unicode Consortiumと同じように、民間企業の連合体の形態を取っている。規模は、会費、会員企業数ともに、Unicode Consortiumと比較にならないほど大きく、運用している予算も桁が違う。ヨーロッパでは、INRIA(Institut National de Recherche en Informatique et en Automatique )が、アメリカではMIT/LCS(Massachusetts Institute of Technology Laboratory for Computer Science )がホストを引き受けており、近ごろ慶應義塾大学の藤沢キャンパスに、アジア圏のホストが設けられた。それぞれの拠点には、有給の専任スタッフが勤務しており、事務的作業、規格策定作業、開発作業などを精力的に行っている。
W3Cの規格策定作業は、非常にユニークな方法で行われる。
W3Cの規格策定は、少数の専門家で構成されるWorking Groupが、中心となって進められる。WGのメンバーには、その分野の選りすぐりの専門家が集められ、短期間で集中的な議論が行われる。先日Proposed Recomendationが出された、XML(Extensible Markup Language )の例を日本から唯一WGに加わった富士ゼロックス情報システムの村田真氏にうかがったが、年3回のface to face meetingに、週一回の電話会議、それに都合2000通にもおよぶ電子メールのやりとりをしながら、超短期間で作業を行った、とのことだった。その期間の村田氏は、その負荷の高さに、通常の業務が手に着かないほどだったと言う。WGの外側に、Interest Groupと呼ばれる主にメーリングリストで運用されるグループが組織される。このグループは、WGほど負荷は重くないが、逆に権限もない。WGから投げかけられた質問に対して意見を述べることにより、WGが少数者の独断に陥ることを防いでいる。とは言え、最終的な判断を下すのは、あくまでもWGのメンバーである。
推奨規格案は、メンバー企業による投票に付され、正式な規格となる。
民主的な手続きを踏まえながらも衆愚による議論の沈滞を避け、短期間で可能な限り整合性の取れた規格を策定する工夫といえよう。しかし、この仕組みに問題がないわけではな。
多大な負荷を負った少数のWGメンバーが作業を進めるために、必ずしもすべての問題をバランスよく検討することが出来ない場合が生ずる。i18nの問題もその一つである。言うまでもなく、WGの議論は英語で進められる。インターネットの世界は、ことの善し悪しは別として、やはり英語中心の世界であることは疑いを得ない。しかしながら、一方でインターネットの世界で、さまざまな言語を平等に扱えるようにしようとの努力も着実になされている。問題は、そのi18nの専門家が極度に不足しているところにある。英語が堪能で、自らの母語を初めとする複数の言語状況に精通しており、コンピューターやネットワークの技術的な問題も理解できる人間となると、その数は、極めて限られてしまう。
一方、W3Cで進行中の規格化素案は少なからずある。HTML、XMLは言うに及ばずCSS(Cascade Style Sheet)、DOM(Document Object Model)、XSL?(eXtended Script Language)など。これらすべてに、i18nの要件が存在するにもかかわらず、それぞれのWGに別々のi18nの専門家を張り付けるのは、実際上不可能である。さらに、個々のWGにおけるi18nの方針間に齟齬を来す危険性もある。
このような状況の中で、W3Cにおいてi18nに関心が高いメンバーを中心に個々の規格に対応するWGとは独立した規格横断的なWGを組織する案が浮上してきた。
昨年3月のマインツにおけるユニコード会議の際に、INRI在勤のW3CスタッフであるBert Boss、イギリスLeutersのMisha Wolf、アメリカSun Softの樋浦秀樹氏、それに筆者らが、i18n WGの可能性について議論したのが、明示的な形としては最初と思われるが、XML WGでの経験を踏まえた村田真氏の切実な問題提起が、現実化への大きな動機付けとなった。
慶應在勤のW3Cスタッフの尽力もあり、昨年の秋から年末にかけて、まさにi18n WG結成のためのタスクフォースグループを組織し、Bert BossやMisha Wolfと連絡を取りながら、Breefing Packageと呼ばれる提案書を作り上げていった。

この過程で、WGだけではなく、英語のハンディを持っていたり、物理的に割ける時間が限定されるi18nの専門家の協力を取り込むIGの結成も提案に盛り込むこととなった。特に、IGの下で、英語以外の言語によるメーリングリストの可能性を明示的に認めたことは、画期的なことと言えるだろう。
WGに関しても、時差の問題や英語による即時的な会話能力への要求により、非英語圏とくに極東在住の人間に極度の負担を強いる電話会議を行わないことにした点など、随所に脱欧米の思想が盛り込まれている。

冒頭にも触れたように、1998年4月6、7の2日間、東京でこのi18n WGとIGのキックオフミーティングが開催される。その直後、8、9、10は、やはり東京で国際ユニコード会議(IUC)が開催される。
このi18n WGの結成は、日本が(日本語を母語とする人々が)、インターネットの世界に貢献できた数少ない成功例と言うことが出来るだろう。筆者は、このWGの組織化には微力ながら協力することが出来たが、負担の重さ、英語力の不足などがあり、WG自体に参加することは残念ながら叶わない。
しかし、IUCで、筆者やIBMのLisa Moore女史とともに、Co-chairを務めるMisha Wolfが、i18n WGで主導的な役割を担うことを約束してくれているし、樋浦秀樹氏も、真っ先にWGへの参加を表明してくれている。いわば、Unicodeで培ってきた友人関係が、W3Cへも広がっていくような気配である。

Unicode/ISO 10646の解説を皮切りに数度にわたって、国の内外の情報規格に係わる様々な問題を取り上げてきた。思えばひょんなことからUnicode Consortiumに係わったことが契機となって、いつの間にか、随分と遠くまで来てしまった。
先日、ISO10646の策定に係わるISO/IEC JTC1/SC2に対応する国内委員会である情報規格調査会JSC2の委員長である慶應義塾大学の石崎俊教授より、ISO10646の漢字パートを検討するISO/IEC JTC1/SC2/WG2/IRG対応の漢字ワーキング専門委員会主査への就任の打診を受けた。ジャストシステム社長の浮川の理解もあり、喜んで受諾させていただくこととした。5月には、このIRGの会議をジャストシステムの本社がある徳島に招致することも決定している。
筆者の年来の主張は、ある規格に不満を持つ者は、それが国際であると国内であるとに係わらず、ルールに則って積極的に改善要求を出していくべきである、というものである。随分と時間がかかったが、ようやく自らの主張を実践に移せるところまで、たどり着くことが出来たのではないか。
今後、機会があれば、まさに情報規格に係わる現場報告をさせていただくこととして、ひとまず擱筆する。

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