La Folia

顧問会計士の中森さんとの定例打ち合わせのため、都内に向かう電車の中で。
妻の幸子が、
「今朝、FMでやっていたのだけれど、La Foliaって、ずいぶんいろいろな時代のいろいろな人がいろいろな変奏を書いているのね」
子供たちが幼かったころ、鈴木メソッドの練習でさんざん聞かされた曲だけれど、もちろん、鈴木メソッドでやるのは、そのうちの、ごく一部の変奏のみ。
で、La Foliaの”Folia”がどうにも気になってたまらなくなった。
たとえば、タランチェラ(tarantella)というのは、タランチュラ(tarantula)という南欧産の毒蜘蛛に刺されてのたうち回る様子からの連想で付けられた激しい舞曲の種類を指すし、ディエスイレ(Dies Irae)は、ご存じ、カトリック典礼の死者のためのミサの続唱で、このメロディーが、ベルリオーズの幻想交響曲やラフマニノフのパガニーニ変奏曲など、多くの曲に使われている。
で、La Foliaは何なのだろうと思って、自宅に帰ってから調べたら、何と、
folia⇒foliumの複数形
folium⇒《紙などの》一葉、一枚
ということで、目から鱗、胸のつかえがスッと落ちた。
folioというのは、書物の世界で二つ折り版のことを指すが、元々は、印刷した紙の一葉から来ているし、金融業界で使われるportfolioも同語源。
で、幸子に
「要は、La Foliaって、音楽のミルフィーユだね」
などと、軽口を叩いて、念のために辞書を見てみたら、
mille-feuille⇒《「千枚の葉」の意》フランス風菓子の一。
とあって、これも同語源。
ついでに、最近健康サプリとして注目されている葉酸もfolic acidで、同語源。
いやあ、いい勉強になりました。
トリビアするかなあ。

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別府アルゲリッチ音楽祭と昼どきクラシック

ちかごろ、興味深い室内楽コンサートを二つ続けて聴いた。
一つは、5月16日(日)の別府アルゲリッチ音楽祭室内楽コンサート、もう一つは、5月18日(火)の横浜みなとみらいホールの昼どきクラシックというコンサートシリーズの一回。
ぼくにとっては、横浜のコンサートがとても楽しく興味深かった。
ウィーン・フィルのヴァイオリン、チェロ、クラリネットの首席奏者と西山郁子というウィーン在住の若手ピアニストの共演。ウィークデーの14:30開演ということで、午前中から所用で横浜に出かけていた妻と落ち合って軽く昼食をとってから会場に入った。中年の婦人や高齢の夫婦が目につく。たぶん、ぼくの世代の男性は少数派なのだろうな。
町の歌というニックネームを持つ、ピアノ、クラリネット、チェロのトリオに始まり、シューマンのクラリネットの幻想小曲集、無名作家のヴァイオリンとチェロ(原曲はビオラ)のパッサカリアなどなど。最後は、ブラームスのハンガリアン・ダンスで締めくくられた。
1時間ちょっとと、コンサートとしては短かったが、なんと入場料がたったの千円。毎月聴きに来る常連も多いとのこと。
コンサートの後、妻と、近くのホテルでお茶を飲みながら余韻を味わった。
演奏者(若いピアニストを除いて)もみんなリラックスしており、聴く側にも、何とも言えぬ余裕というかゆとりが感じられた。
かといって、演奏に手を抜くということもなく、聞き手も、たとえば、チェロとピアノで演奏されたブルッフのコル・ニドライなど、最後の余韻まで聴き逃すまいとするように、拍手が始まる前に、絶妙な空白があった。一方、カステルノーヴォ=テデスコによるヴァイオリンのためのセビリアの理髪師のテーマによるパラフレーズ(初めて聴いた楽しい曲!)など、演奏を終えるか終えないかのうちに盛大な拍手。曲による拍手の間合いの違いからも、聞き手の成熟ぶりが素直に感じられた。
このような反応が、演奏者によい影響を与えないわけはなく、会場には演奏者と聴衆との間の心地よい一体感が拡がっていた。
夕方の横浜港を眺めながら、ぼくたち夫婦は、何とも言えぬ贅沢な時間の余韻を過ごしたのだった。
今聴いたばかりの楽しい演奏会の印象は、自ずから、少し前に聴いた別府でのコンサートを思い起こさせた。
決して悪い演奏会ではなかった。今年で6年目を迎えるというアルゲリッチがプロデュースする音楽祭の掉尾を飾る室内楽コンサートで、音楽祭の参加者総出演で、何と16時開始で終わったのが22時という文字通りのマラソンコンサート。さまざまな弾き手が入れ替わり立ち替わり趣向を凝らした曲目を演奏するのだから、まあ、体力さえあればさぞ楽しい演奏会になるだろうと思いきや、正直なところ、楽しさもそこそこのものだった。というか、演奏者と曲目による落差が非常に大きかった。
不満の一つ。中国のベテランピアニスト、フー・ツォンが弾いたモーツァルトのコンチェルト。
ピアニストの演奏スタイル(大時代がかったショパン風のもの)と、コンサートホールのピアノ(おそらくはニューヨークのスタインウェイ)、若手演奏家たちによる弦楽合奏(管楽器はなし)、近代的な指揮の教育を受けたとはとても思えない指揮者(後で知ったのだが、ロシア生まれでアメリカ在住のヴァイオリニストらしい)といった組み合わせからは、何とも奇妙奇天烈な食い合わせの悪いばらけた印象の音しか聞こえてこなかった。
急いで付け加えておくが、個々の演奏者が決して悪いということではなく、フー・ツォンがアルゲリッチとやったモーツァルトの連弾曲など、個性の違いを認め合った上で合わせよう、といった大人の遊び心が感じられて、それなり以上に楽しめたのだが。
不満の二つ。
イダ・ヘンデルという御年84歳というかつての天才ヴァイオリニスト。
うーん、昔は良かったかもしれないけれど。毒のある言い方になるが、かつての人気歌手が落ちぶれて場末のホテルでディナーショーをやっている感じ、とでも言えばいいのだろうか。
アルゲリッチとのフランクのヴァイオリンソナタを皮切りに、延々と彼女のゆったりしたテンポの大時代がかった演奏を聞かされたのには、正直なところうんざりした。追い越しもままならない細い坂道で、紅葉マークの車の後ろについたような気持ち、とでも言えばいいのだろうか。伝説は伝説として、潔くもっと早くに引退していれば良かったろうに。
不満の三つ。
コンサートが終わって、客席中央前方に座っていた男性が、スタンディングオベーションを始めた。ぼくは、ブーイングこそ控えたものの、とても、盛大な拍手をする気にはなれず、儀礼的な軽い拍手をしていた。
驚いたことに、その男性は、客席の後ろを振り向いて、他の聴衆に向かって、手を動かしてスタンディングオペーションを促したのだった。
こういう気分を、鼻白むって言うんだろうな。
本人が自己陶酔するのはご自由だが、それを他人に強要するのはやめていただきたい。
イダ・ヘンデルの演奏だって、蓼食う虫も好き好きで、魂が打ち震えるほど感動する人がいるかもしれないし、別に、そのことをとやかく言うつもりはない。
しかし、アルゲリッチの出番が終わった後、歯が抜けるように空席が目立ち始めた客席の、いささか寂寞とした雰囲気が分からなかったのだろうか。もしかしたら、イダ・ヘンデルの音楽に共感できない聴衆がいるかもしれない、という想像力は持てなかったのだろうか。
ぼくは、せっかく別府にまで招いてくれた友人への感謝の気持ちが、その男性のせいで、少し後味の悪いものになったことが、残念でならない。
別府アルゲリッチ音楽祭が、地元の多くの音楽愛好家によって支えられていることは想像に難くない。受付やら休憩所の飲食物の販売やら、みなさん、気持ちよく対応してくださっていた。
しかし、このコンサートは、有料のコンサートで、聴きに来ている人たちは、みな客のはずだ。テレビのお笑い番組の公開録画ぢゃあるまいし、聴いた音楽の評価を、どのような形で表すかは、いわば聴衆一人一人の権利と言ってもいいものだと思う。
ぼくは、スタンディングオベーションを強要した男性に、ある種の独りよがり、独善を感じた。
地方都市で、上質な音楽を提供し続けることが困難なことは理解しているつもりだ。だからこそ、個々の演奏者に対しても、プロデュースを行ったアルゲリッチに対しても、時には厳しい評価を表すことが、音楽祭をより良いものに育てていくことに繋がるのではないか。
横浜の昼どきクラシックを聴いて帰った後、ぼくたちは、7月と8月のコンサートのFAX予約も行った。このシリーズ、人気が高くて、FAX予約は、時に抽選になるらしい。

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デジタル出版と製本技術

デジタル出版と製本技術

《愚者の後知恵》1998年から2000年にかけて係わった電子書籍コンソーシアムは、苦い思い出と共に多くの多くの考える糧を与えてくれた。この論考もその一つ。
2002年2月
不明

1998年から2000年にかけて、電子書籍コンソーシアムという団体に関わり、「Book on Demand総合実証実験」という衛星配信による電子書籍の実証実験を行った。
この実験は、正直なところ惨憺たる失敗に終わったのだが、失敗から得られた教訓も多かった。今後も折に触れて、ぼくが得たさまざまな教訓について触れることになると思うが、今回は、製本について。
デジタルコンテンツの話題を主とするサイトで製本の話題、というのを奇異に感じる方も多いと思うが、現在のテクノロジーを前提に考えると、紙の書物とデジタル配信された書籍との相違を突き詰めていくと、高価な機械を用いてプロフェッショナルな職人が製本したものか否かという点に行き着くように思う。
デジタル書籍と紙の書物の相違を、例えばディスプレーで読むか、紙で読むか、ネットワークを通して配信できるか否か、といった形で比較していったとき、守旧派からよく指摘される点は、やはり書物というものは、紙に印刷された形で読まなければ深い意味での内容の把握は困難である、という批判である。この指摘にはある程度の説得力があり、インターネット上の様々なドキュメントやメールのやりとりを、一端プリントアウトして読む人もいまだに多くいる。電子書籍も、LCDやCRTで読みにくいのなら、プリントアウトすればいいではないか、という話。
ところが、ちょっと考えると思い至るのだが、PDFファイルをプリントアウトして読んでもどうもありがたみがない。図書館で借りた書物をコピーマシーンでコピーして読むのと同じような味気なさが残る。
このPDFのプリントアウトやハードコピーと、書物の差は、突き詰めたところ、先に述べた高価な機械を用いてプロフェッショナルな職人が製本したものか否かという点に行き着くような気がするのだ。これは、あくまでもぼくの気分だけの問題かもしれないが、書物を書物たらしめている大きな因子がバインドアップされて物理的に一つのまとまりとなっているか、バラバラの紙葉の集積か、という問題は決定的なものに思われる。
今後デジタルテクノロジーの進展とともに、旧来の書物の市場がどんどん衰退していくことは目に見えているが、それでも製本技術というものは書物を書物たらしめる貴重な伝統として生き延び、いつか注目を集める日が来るのではないか。

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銀婚式ディナー

銀婚式ディナー

《愚者の後知恵》三笠会館社長の谷氏に宛てた私信の形を取っているが、実際には送っていない。書いた当時、妻の幸子に「やりすぎ」と言われて、送信を思いとどまった。最近になって、この料理を作ってくれた高尾シェフの訃報を聞いた。改めて読み返してみると感慨深いものがある。(2004年11月7日)
2001年11月
未発表

谷善樹さま
小林龍生です。
覚えておいででしょうか、もう五年ほども前に、一度メールを差し上げました。
今日は、どうしても、ご報告したいことがあって、久々にキーボードに向かっている次第です。

先日、2001年10月30日に、ぼくたち夫婦は結婚25周年の記念日を迎えました。
この日、そう、ぼくたちは、家族で三笠会館の鵠沼店に行ったのです。ぼくたちが経験したすばらしいディナーの報告をさせてください。

そろそろ銀婚式が見えてきたころから、正確に言うと、2000年の春なのですが、ぼくは、銀婚式のディナーを三笠会館鵠沼店で食べよう、と固く決心していたのです。
この秋、ぼくは、アメリカ出張の折りに、サンフランシスコ在住の友人に案内してもらって、ナパヴァレーのワイナリー巡りをしました。さまざまなワイナリーを回ったあと、セントヘレナという町にあるワインショップに立ち寄ったのです。ここには、ナパヴァレーの主要なワイナリーのプレミアムワインが非常に多く置かれていました。
ぼくはこのとき決心しました。ここでプレミアムワインを買って、銀婚式の時に三笠会館に持っていって、ワインに合った料理を食べさせてもらおう、と。
この時から、ぼくは、この友人の先達で、少しずつワインのことを知るようになり、アメリカに出張するたびに、二三本ずつのワインを買って帰るようになりました。少しずつ集めていったワインを並べて、銀婚式の時には、どのワインを開けようか、と考えるのが、新たな楽しみとなりました。

いよいよ、銀婚式の日が近づいてきて、ぼくは、鵠沼店に予約の電話を入れました。
「10月30日の夜、6人で予約をお願いします。お宅で結婚パーティーをやったぼくたち夫婦の銀婚式なんです。*円ぐらいの予算で(言わぬが花ですが)メニューを考えていただけませんか?」
電話を横で聞いていた娘が、間髪を入れずに叫びました。
「ウェリントンがいい!」
「ええっと、メインディッシュはウェリントンにしていただいて。」
後で詳しく述べますが、この時点で、娘にとってウェリントンは、話でしか知らない幻の料理だったのですが。
「ワインを一本持っていきたいのです。ルーチェというイタリアのワインか、ドミナスというカリフォルニアのワインか、どちらかを。料理と合わせて、どちらを持っていったらいいか、ソムリエの山田さんにアドバイスをいただきたいのですが。」
「それから、二階の個室が使えるようであれば、お願いします」
「かしこまりました。では、後日、山田の方から連絡をさせていただきます」

銀婚式の3日ほど前になって、山田さんから電話が入りました。
「シェフの高尾とも相談したのですが、今回のメニューには、ドミナスの方がよろしいかと思います。前日か前々日にセラーから出して、立てておいてください。そっと持ってきていただければ大丈夫ですから。当日、わたしは生憎休みに当たっていますが、すべて分かるように申しつけておきますので」

10月30日当日、ぼくたち家族は、我が家のファミリーファーザーとも言うべき、ジョン・カーテン神父と共に、三笠会館鵠沼店に向かいました。
休みのはずの山田ソムリエが出迎えてくれました。
「あれ、お休みではなかったのですか」
「いえ、せっかくですから。ご心配なく、休みは他の日に振り替えて取りますから」
ぼくは、後生大事に抱えてきた(ぼくは車の運転をしていたので、抱えてきたのは妻ですが)ドミナスを、山田さんに預けました。

ぼくたちが、案内された個室は、婚約式の後の会食をした部屋でした。ナプキンの畳み方もなんだか特別で、小さな花が添えてありました。高尾シェフがさっそく挨拶に来てくださいました。
「おめでとうございます」
「高尾さんは、ぼくたちの結婚式の時、もうこの店にいらしたんですよね」
「ええ、二番をやっていました。お二人の結婚式は、よく覚えていますよ。あとで、またうかがいますから」

この部屋で、ぼくたちは、カーテン神父の司式で、(神と)子供たちの前で、結婚の誓約の更新をしました。山田さんが、その様子を写真に撮ってくれました。

乾杯は、山田ソムリエオリジナルのフランボワーズとシャンペンのカクテル。

山田さんが、ドミナスのデキャンタージュをやってくれています。デキャンタは、山岸支配人がフランスで買ってこられたという、水鳥の形をしたもの。ろうそくの火で澱を見ながら、ずいぶんと丁寧にやってくださっています。

最初のオードブルが出てきました。大きなマッシュルームとヒラメを軽く昆布締めにしたもの。上には、阿寒湖のザリガニ。出足快調です。高尾さんお得意の湘南フレンチ。海の幸を使って、和風の味付けを取り入れた高尾さんの技法は、ぼくも大好きで、以前ごちそうになったそばの実とじゅんさいのスープなど、忘れることが出来ません。
オードブルの二皿目は、フォアグラ、アナゴ、長なすをトウモロコシの粉で作ったクレープのようなもので包んで焼いたもの。これもまた絶品で、ドミナスとものすごく合うのです。料理とワインの取り合わせとは、こういうものだったのか、と変に納得したりして。
「どうぞ、ソースもパンに付けてお召し上がりください。ソースが残っているとね、キッチンが心配して、お客さんに理由を聞いてこい、なんてうるさいんですよ」
そういえば、次男は、子供の時から、お皿のソースをパンで拭って食べるのが得意で、本当にお皿がぴかぴかになるまで、ソースを片づけてしまうのですね。彼なりに、そうすることでお店の方が喜んでくださることを、感じ取っていたのでしょう。

食事をしながら、ぼくたちの話題は、三笠会館と家族のささやかな歴史を巡って、つきることがありません。
「以前は、よく、食事の後に、前の海岸を散歩したね」と長男。
「ええ、昔は目の前がすぐ海でしたから。今では、防砂林と遊歩道で遮られてしまいましたけれど」と山田さん。
「ぼくたちが初めてワインを飲んだものこのお店だったんですよ、ローストビーフのワゴンサービスで」
「水曜日でしたね。今日も、後で高尾がウエリントンをワゴンでサービスしますよ」

スープは、日本とフランスのキノコが何種類も入ったもの。器までオーブンで焼いてあって、最後まで熱々のまま飲めました。

「今日は、キッチンもピリピリしていまして。高尾が直に手を出しているものですから、下のものが恐れをなしてしまって」
「それでも、今日はウィークデーでお客様が少ないので、他のお客様に迷惑がかからずにすんでいます」
「いやあ、無理をしてでも、結婚記念日当日に来て、本当に、結果オーライだったね」

魚料理は、アワビを蒸したもの。柔らかくってジューシーで。
カーテン神父が
「これはおいしい。こんなアワビを食べたのは初めてだよ。今まで、アワビなんてこの世になくてもいいと思っていたけどね」
「あれ、世の中になくてもいいものは、ナットーだけじゃなかったの」
「そういえば、昔はよくアワビのドリアを食べたね」
「ええ、あれも当店の名物料理でした。最近は、器としてはアワビの殻を使っていますが、中身はふつうのシーフードのドリアになっていますが」

思い出しました。学生時代にオーケストラ活動を通して知り合った京都の友人、神前和正君が婚約したばかりの遊亀さんを紹介してくれたときも、アワビのドリアを食べたっけ。
彼は、ぼくたちの結婚式にも来てくれて、鎌倉のホテルにも一緒に泊まって、朝起きたらぼくたちの車は、ビニールテープと空き缶で見事に新婚カップル仕様になっていたっけ。
彼も、今では鬼籍に入ってしまった。

さて、いよいよ、メインディッシュとともに、高尾シェフの登場です。
「最近は、ウェリントンをご注文くださるお客様もほとんどいらっしゃらなくて。今回も、久しぶりなんですよ」
高尾さんが、あざやかな包丁さばきで、お皿に切り分けてくださいます。ソースもアシスタントのかたを押しのけて、ご自分で。
「どうぞ、ごゆっくりお召し上がりください」
このウェリントンを、どう表現すればいいのでしょうか。
中のお肉がミディアムレアなのです。ぼくの記憶では、ウェリントンは、もっとよく火が通っていて、肉汁が外側のパイ生地にしみこんだあたりが一番おいしい、といった塩梅だったのですが、今回のウェリントンは、肉そのものがとびきりおいしい。うまみがすべて肉の中に封じ込められている、といった風なのです。
「すごくいい肉が手に入ったものですから。ふだんは、ウェリントンなどにはしないのですが。」

「あたし、絶対に三笠会館で結婚パーティやるんだ。それで、ウェリントンを絶対に食べるのだ」
と娘。
「相手がいればね」
と、長男、次男が同時に合いの手。
前の手紙にも書いたことですが、ぼくたちの結婚パーティの時も、ウェリントンがメインディッシュだったのですが、ウェリントンのワゴンサービスが始まった時、妻はちょうどお色直しで席をはずしていて、食べそびれてしまったのでした。
この後、父の古希の祝いの時に、ウェリントンを出していただいて、妻は結婚パーティの怨念をはらしたのでした。
日ごろから、このような話を聞かされていた娘は、ウェリントンを食べることをとても楽しみにしていたのです。
ぼくは、メインディッシュは、この二三年秋にお邪魔する際の定番になっていた、ローストビーフもいいかな、などと思っていたのですが、娘はよほどウェリントンが食べたかったのでしょう、先にも触れたように、ぼくが電話で予約をしているまさにそのときに
「ウェリントン」
と叫んだのでした。
それにしても、このとびきりのウェリントンに出会えたことは、娘に感謝しなければならないでしょうね。

デザートは、洋なしのソルベとコンポート。
びっくりしました。ぼくと妻の皿には「祝銀婚式」という文字が、チョコレートで。
みなさんが、心からぼくたちの銀婚式を祝ってくださっていることが伝わってくるような文字でした。そして、ぼくたちの思いこみかもしれませんが、みなさんが、ぼくたちの特別なディナーを祝うことを、楽しんでくださっている、という気配も感じることが出来ました。

こうして、ぼくたちの銀婚式ディナーは、終わりました。お店を出る前に、もう一度、山岸支配人と高尾シェフにご挨拶。
「高尾さん、ごちそうさまでした。娘の結婚式でもウェリントンをよろしく。その時まで現役でいてくださいね」

山田さんが、扉の外にまで見送りに出てきてくださいました。
「山田さんも、まだまだ引退できませんよ」

あの日のディナーのすべてを文字で伝えられないのが、いささか歯痒くはありますが、ことの顛末は、以上のようなものです。

ぼくたちのささやかな家族の歴史の節目を、こんな素敵なディナーで祝うことができた幸せを改めて噛みしめています。

感謝を込めて。高尾シェフ、山岸支配人、山田ソムリエを初めとする三笠会館鵠沼店のすばらしいスタッフの方々に。そして、このようなすばらしいスタッフを育んでこられた三笠会館の経営者に。

素敵なディナーとすばらしいもてなしをありがとう。そして、これからも、末永くよろしく。

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インターネット時代の文字コード(まえがき)

インターネット時代の文字コード前書き

《愚者の後知恵》bitの最後の別冊。XML解説者の日を契機としてこの別冊に結集したメンバーの一部が、新しい仲間も巻き込みながら、Unicode第4版の翻訳に挑んでいる。
2001年4月
bit別冊『インターネット時代の文字コード』

1999年3月に、今はIBM基礎研究所に所属している村田真さんと優れたテクニカルライターでもありフリーのソフトウエアアーキテクトでもある檜山正幸さんが語らって、XML開発者の日というイベントの第1回目が開催された。村田さん、檜山さん、それに今回も寄稿してくれたサン・マイクロシステムズの樋浦秀樹さんとは、何度か月刊アスキーの対談でご一緒したことがあったので、ぼくと樋浦さんとで、「Unicodeの現状」といった状況報告を行った。
XMLのレコメンデーションが出たばかりだったし、村田さんや檜山さんが、川俣晶さんなどとともに、XMLの日本語プロファイルの準備をしていた時期でもあったので、Unicodeを使う側としてのXML陣営から、厳しくも鋭い質問と要望が噴出した。
規格を策定する最前線(まさに鉄砲玉が飛び交う、という意味で)にいる日本人同士が、直接規格に反映する可能性を秘めた形で、激しくも熱心な議論を行ったという意味で、このイベントは、希有の例ではないかと思う。日本でだって、これだけのレベルの議論が出来る場があるのだ。
このイベントは、参加者の好評を得たようで、現時点で第4回まで回を重ねている。ぼくと樋浦さんも、どちらかが(可能なときは二人で)Unicodeの状況報告を継続的に行っている。
bit編集部の浦山編集長に、この別冊の編纂についての相談を受けたのは、この第1回XML開発者の日の会場でだった。
この直後、ぼくと浦山さんとで話しあって、戸村さんと安岡さんに編集委員をお願いすることとした。もちろん、ぼくたちよりもずっと長く専門的に文字コード問題に取り組んでこられた専門家は多くおられ、その方たちから学んできたこと、学ぶべきことは多岐に及ぶことは重々承知していたし、そういった方々から見れば、ぼくたちがまだまだ文字コード問題については浅学非才であることも認めるにやぶさかではない。
しかし、一方で、ここ数年文字コード特に漢字コードの問題に係わってきて感じていたことがいくつかあった。
それは、おおむね以下のようにまとめることが出来るだろう。

  • 文字コードの議論は、我々の母語である日本語という自然言語との係わりが深いため、どうしても自然言語との類推が働き、それぞれの言語観に基づくターミノロジーの揺れが生じ、一定・共通のターミノロジーを定義することが困難である。
  • 同様に、文字コードが個々人の言語観に深く係わるため、得てして議論が言語観=世界観の相違にまで踏み込むことになり、相手の立場を理解した上での生産的な批判が困難になっている。
  • “日本”が、単一の言語、国籍、人種から構成されているという共同幻想を背景として、一部の人に「日本語は特別なもので日本語を母語としない人には理解が困難である」というある種の特権意識があり、この意識が国際的な文字コードの議論の場で、世界の大きな動きに対応していくことを困難にしている。(このことは、以前、bit誌に多言語情報処理に関するブックガイドとして言及したことがある)

これらの点を勘案し、ある一定の立場から統一的に文字コード問題を語るのではなく、むしろ、さまざまな立場から現状での文字コードを巡る問題点を指摘していただく方が、この問題の本質を理解していただく上で有益であろうと考えた。
ぼくが、戸村さん、安岡さんを編集委員として浦山さんに推挙したのは、こういった考えに照らして、お二人が、若い世代に属することもあって、それほど自身の世界観に拘泥することなく、さまざまな意見に耳を傾ける資質をお持ちであり、かつ、文字コード問題に対して多くの洞察に満ちた発言をされていたことによる。
後に編集委員に加わっていただいた三上さんも、文字コード問題のプロパーというよりも、東南アジア諸国のIT状況に直接触れていく過程で、文字コード問題に逢着されたという点で、文字コード問題が言語=文化的に非常な多様性を持つことを、肌で感じておられる日本では希有な存在として、単なる寄稿のみならず編集作業への参画を慫慂した。

先に挙げた問題点については、ぼく自身も常に自戒を忘れないように心がけた。
編集委員諸子の協力と浦山さんの努力により、文字コード問題の諸相を縦横に貫くさまざまな視点を持つ論者に寄稿をお願いすることが出来たと思う。
編集委員の仕事を取り巻く環境の変化と、あとがきにも述べるような、文字コードを巡るさまざまな動きにより、編集作業に思わぬ日時を要してしまった。いち早く玉稿をお寄せいただいた執筆者の方々に刊行の遅れをお詫びするとともに、編集委員諸子、執筆者諸兄に、改めて謝意を表する次第である。
この別冊bitの諸論考が、文字コード問題を多面的に読み解き、議論を深めていく小さな契機となることを願っている。

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bit別冊『インターネット時代の文字コード』(あとがき)

《愚者の後知恵》bitの最後の別冊。この後書きを書いた時期は、ぼくの文字コード標準化への係わりという点でも、大きな転換点のさなかだった。
ここでは、曖昧な形でしか書いていないが、この時期から、2004年初頭まで、ぼくは、JIS X 0213を表外漢字字体表の主旨を反映するように改正する委員会に幹事として係わることとなる。しかし、それは、また別の話。

 

2001年4月

bit別冊『インターネット時代の文字コード』

2000年12月8日、第22期国語審議会は、期答申を文部大臣に提出して、国語調査会も含めると明治以来**年に渡る国語施策への関与の幕を閉じた。
その一日前に、2000年12月7日、ISO/IEC JTC1/SC2/WG2/IRGは、ISO/IEC 10646-2 JCS Unified Ideographs Extension-BのDraft Internasitonal StandardのIRGとしての最終稿をISO/IEC 10646-2のエディターに付託することを決議し、20001年6月に香港で再会することを約して、予定よりも一日早く審議を終了した。

清水国語審議会会長が文部大臣に、答申を提出しているころ、ぼくはソウル郊外のホテルの一室で、bit別冊『文字コード』にSun Microsystemsのヒウラヒデキが寄せる原稿をせっついていた。

20世紀の掉尾を飾る記念すべき年の瀬に、ぼくは「日本の符号化文字集合と社会」と題する原稿を書こうとしている。

以下は、偶然の成り行きから符号化文字集合の標準化活動に係わりを持った一個人の現在(いま)から振り返ってみた、日本の符号化文字社会、就中国際社会との係わりに関する、雑感である。

第21期国語審議会は、1996年(平成8年)7月、第20期の答申を受ける形で、常用漢字表外字の字形問題および敬語の問題を主たる議題として、審議を開始した。
中でも、新聞や放送等のメディアは、ワープロ等に現れる字形と教科書等で教えられる字形との相違を、取り上げ、いよいよ国語審議会がこの問題にメス入れる、といったややセンセーショナルな扱いで報じた。
この期の委員として、最年少の俵真智委員とともに、(おそらくは男性として最年少の)浮川和宣ジャストシステム社長も名前を連ねていた。
浮川社長は、初回の委員会に、所用で出席することができず、当時ジャストシステムに在籍していたぼくは、文化庁担当者の許諾を得て、報道席の片隅で、委員会を傍聴した。
委員会の終了後、浮川社長からのインタビューを目論んでいた放送記者の一人から、ぼくは、浮川社長の身代わりとしてインタビューを受ける羽目に陥った。

そこでの質問の一つ。
「JISの字形と教科書の字形の違いが云々されていますが、情報機器で文字や言葉を扱う立場から、この問題をどのようにお考えになりますか」
ぼくの答えの概略。
「もちろん、この問題は非常に重要な問題で、だからこそ国語審議会で審議されることにもなったのでしょうし、メーカーとしても、出来る限り早く、国としての方向性を出していただき、いい方向で解決が図られることを期待しています。ただ、一言申し上げておきたいのは、最初のJIS漢字を作られた方々は、おそらく一般社会の中で今のような形でJIS漢字がこれほどの影響力を持つとはお考えにならなかったのではないでしょうか。現在の混乱の原因の一つは、JIS漢字が、その制定当事者の想定していた利用目的を遙かに越える形で、広く使われるようになったことにもあると思います。その混乱の責任を、制定当事者に帰すような報道、発言は、是非とも慎んでいただきたい。」
最後の部分が、ニュース等で放映されたかどうかの記憶は、ぼくにはない。

ここで、JIS漢字として言及しているのは、JIS X0208。言わずと知れた「情報交換用符号化文字集合」のこと。混乱として、指摘されているのは、この規格の1983年版が、最初の1978年版(制定当時はC****)から大幅な変更を伴う規格改訂によって引き起こされた混乱のこと。
規格それ自体の変遷については、別項で安岡**氏が言及されているので、ここでは深く触れないが、様々な方々の発言、JIS X0208:1997の解説などを総合すると、当時のJIS原案作成委員会は、国の国語施策の流れと世の中の漢字字形に対する捉え方の変化を予測する形で改訂作業を行ったが、流れはその予測とは異なる方向に進んだ、と言うことのようである。端的に述べれば、(この当時から現在に至る)社会は、簡略化を伴う漢字字形の変化に対して思いの外保守的であった、ということになろうか。

そして、最後の部分での、混乱の責任云々という言及は、そのころ巷間喧しかった
「日本文化の根幹たるべき漢字の使用が工業規格ごときに左右されるとは何事か」
といった風潮のJIS批判、ISO批判に対する、ぼくなりのささやかな抵抗であった。
この部分を、もう少し詳しくパラフレーズすると、以下のような趣旨となる。
一つ。
まず、当初のJIS漢字は、あくまでも、「情報交換用符号化文字集合」として作られた。規格票にもあるとおり、そこでは、例えば、文学作品の創作に、「情報交換用符号化文字集合」が用いられることは、想定されていない。いわば、(規格票を読みもせずに)規格のスコープ外の議論を吹っかけられているように思われた、ということ。
二つ。
当初の規格が想定していた利用領域から逸脱した使用が発生したことを認識した上で、なお、規格に対する要望があるのであれば、ヒステリックで声高な抽象的非難ではなく、具体的な形で提示して欲しい、ということ。(このことは、別のところに詳しく書いた。平凡社本)

このようにして、ぼくの国語審議会、文化庁文化部国語課国語調査官の方々との係わりが始まった。
以後3年、ぼくは折に触れて国語審議会総会を傍聴し、一度などは、漢字問題を扱う部会で、ユニコードについての説明まで行うこととなった。

文部省文化庁が所轄する国語審議会が、通産省工業技術院が所轄するJIS規格に係わる問題に、正面からかつ真摯に取り組んだことも画期的なことであれば、以下のエピソードに代表される工技院の対応も、また画期的なことのように、ぼくには思われる。

たしか、ぼくがユニコードについての説明を行った委員会の席だったと思う。委員のおひとりだった井上**氏が、「JISに係わる問題を審議しているのに、(工技院の)JIS担当者がいないのはおかしい。フェアではない」という発言をされた。
文化庁担当者の対応も早かったが、それに応じて担当者を審議の場に出席させることとした工技院の対応も、また迅速であった。
爾来、工技院の担当者は、国語審議会の審議過程を、ぼくと同じように報道関係者席から、常に見守ることになった。

1999年5月、ぼくはIRGの会議のため、香港にいた。
そして、同じころ、JIS X0213の審議をしていたJCS委員会は、この規格に採録する文字のレパートリーを、ほぼ決定しようとしていた。
この時のIRGに、すでにかなり作業が進んでいたExtension-Bのレパートリーとして、香港と台湾、中国が、突如、かなりの数の新しい漢字を提案してきた。ぼくたち、日本の代表団は、(あまりフェアなこととは言えないが)これらの尻馬に乗る形で、X0213に含まれており、CJK Unified Ideographおよび同Extension-Aとの対応付けの取れない文字を、Extension-Bに追加収録することを提案し、若干の条件付きながら、承認を取り付けることに成功した。
思えば、これが、ISO/IEC関連の審議の場、Unicode Techinical Committeeでの議論の場で、X0213との係わりに振り回される端緒となった。

経緯の委細は記さない。標準規格策定の現場が、個人や組織の主張と利害がぶつかり合い、駆け引きと妥協が渦巻くすぐれて人間くさい営為の積み重ねである、ということを記憶しておいていただければ十分であろう。
その上で、本稿の主題である規格と社会との係わり、という点では、X0213をめぐることどもは、いくつかの大きな教訓を残したと思う。
一つ。
規格の制定とその実装とは別物である、ということ。
規格の制定直前になって、X0213に含まれる実装規定部分が、規格本文から参考に変更された。
このことの背景には、文字コードを巡る環境が、規格原案を検討し始めたころと、規格制定の時期とで大きく変化していたことが挙げられる。具体的に述べれば、Shift-JISエンコーディングからUnicodeへのかなり急激な変化。
X0213の原案策定作業が大詰めにさしかかったころ、新聞などで以下のようなコメントや言及を読んだ。すなわち、

  • 「マイクロソフトは、JIS X0213のレパートリーが、Unicodeに採録されるまでは、実装を行わない」
  • 「アップルコンピュータは、JIS X0213のレパートリーを、独自の観点から整理し直し、基本的にはUnicodeの枠組みの中で、順次実装していく」

このことは、(日本の)マイクロソフトやアップルコンピュータなどが、レパートリーとしてのJIS X0213を評価しながらも、実装方法としてのShift-JISは視野に入れていない、ということを如実に物語っていた。
実際、X0213の策定が始まった1997年ごろは、まだ、Unicodeの影響力は、それほど大きなものではなかったと思われる。マイクロソフトのWindowsも従来のコードベージの考え方を引きずっており、アップルコンピュータも、Shift-JISの枠組みの中で、さまざまな工夫を凝らしたプロ用の漢字レパートリー実現技術を模索していた。ハードウエアとしての専用ワープロも一定のシェアを持っていた。
しかし、その後の変化は、劇的なものがあった。
Javaが、XMLが、Windowsが次々とUnicodeをデフォールトのCoded Character Setとして採用し、世界は一気にUnicodeに傾斜していく。
そうした中で、日本のハードウエアヴェンダーは、Coded Character Setとは不可分であるO.S.に関する主体的決定権をもはや維持することが出来なくなり、地球規模企業の市場戦略の一部としてのO.S.の地域化(Localization)としてしか、日本の文字のレパートリーを位置づけてもらえない位置に追い込まれてしまう。
確かに、Shift-JISで作られた膨大な情報の蓄積があり、さらにそれを上回るであろう、メインフレームを用いた専用システム上での情報の蓄積があるにも係わらず。
いや、むしろ、市場は、屋上屋を重ねる形での新しいShift-JISへの移行ではなく、全く別物であり世界の趨勢となりつつあるUnicodeへの移行を選んだ、と言うべきか。

X0213は、レパートリーとしては非常に高く評価されたにもかかわらず、その当初の目論見であったであろう、そしてレパートリーの選定とは不可分であるはずのエンコーディングスキームとしてのShift-JISとは、切り離される形で、社会から受容されることとなった。
二つ。

  • これも、最初の問題と関連する。世界は、X0213をどう見たか。
  • 日本におけるJIS X0213の規格制定は、UTCでも大きな話題となった。JIS原案策定の委員会から、UTCやISO/IEC JTC1/SC2に対応する米国のナショナルボディに相当するL2に対してUnicodeへに採録を要請するレターが行ったこともあり、感情的な反発も含め、その取り扱いについては、多くの議論が交わされた。

そうした中で、特に強く印象に残ったのは、マイクロソフト、アップルコンピューター、IBMなどの地球規模企業の代表が、どのような形で取り扱うかは措くとして、UnicodeとJIS X0213との相互互換性の確保を、ある種“至上命令”もしくは“既定事実”として考えていることであった。
この議論の過程で、”Round Trip Conversion”と”Around the World Trip Conversion”という言葉が、いわば符丁として多用された。
前者は、JIS X0213であるコードを付された文字をUnicodeのコードに変換し、それをまたJIS X0213に戻したときに、もとのコードに戻る、という“往復”の互換性を確保しよう、というもの。
後者は、例えば、JIS X0213であるコードを付された文字をUnicodeのコードに変換し、さらに、Unicodeのコードから、GBKに変換する。それを、また何らかの方法で、JIS X0213のコードに戻したときに、元のコードに戻る、という経路に係わらず“世界一周”での互換性を確保しよう、というもの。
本誌の読者は、すでにお見通しのことと思われるが、ISO/IEC 10646-1:1993とここに記載されている各国/地域の規格との間には、(対応関係が明記されている場合に限ってではあるが)”Around the World Conversion”が保証されている。そして、UCS開発の際には、各ローカル規格との間の”Round Trip Conversion”を確保するためのものとして、CJK Unified Ideographsに関して、Source Code Separationという原則が採用され、さらに、それでも救いきれない状況に対応するために、CJK Compatibility Ideographsが用意された。
今回、UTCがJIS X0213にどう対応するか、という議論は、規格制定当時からの、”Round Trip Conversion”と”Around the Trip Conversion”の議論が、Unicodeという規格の市場性という点から、未だに非常に重要な論点となっていることを明らかにした。
Unicodeに参加している地球規模企業の立場を端的に纏めると、以下のようになるのではなかろうか。

  • Unicodeのコードポイントが膨張することは、開発コストの点も含めて、好ましいことではない。
  • ある程度以上の市場規模を持つローカル規格に関しては、その規格が持つ市場を取り込むために、”Round Trip Conversion”は、欠くことが出来ない。その際、”Around the World Conversion”は、視野に入っていない。

UTCに参画している地球規模企業にとって、JIS X0213は、あくまでの市場確保のために対応を余儀なくされている局地的な問題でしかないのではないか。UTCの場で、議論に加わっていたぼくの率直な感想である。

日本の国内事情と、UTC傘下の地球規模企業の事情は、奇妙なところで利害が一致する部分があった。いわば、同床異夢といった塩梅で、JIS X0213のレパートリーは、かなり強力かつ迅速にUCSに取り込まれることとなった。
委細は略するが、現時点で、漢字に関しては、ISO/IEC 10646-2のExtension-BおよびISO/IEC 10646-1:2000の補遺に含まれるJIS Conpatiblity Ideographsとして、非漢字に関してもISO/IEC 10646-1:2000の補遺の中のさまざまな場所に、採録することで、ほぼ決着が付いたと言えよう。

2001年4月から、国語審議会の答申を受けて、JIS規格の改訂を検討する委員会の審議が開始される。この委員会には、国語審議会委員として、答申の審議に深く係わった方々の参画もあるやに聞いている。また、JISの原案を策定する委員会と、ISO/IEC JTC1/SC2に対応する国内委員会との、合同委員会発足のプランも進んでいる。

一ユーザーとして外から見ていた標準規格は、“既定の事実”、“天から降ってきた金科玉条”といった塩梅で、いわば盲目的に遵守すべきものである、という印象が強かった。
ふとしたきっかけで、文字コードの開発現場を垣間見てみると、標準規格も、人間が作るものであり、時代と社会の制約の中で、さまざまな矛盾を内包せざるを得ないものであることが分かってきた。
そして、一度制定された規格も、時代と社会の要請の中で、その役割が変貌していくことも、身をもって知ることができた。
だからこそ、JIS規格にもISO規格にも、5年ごとの見直しと、改訂、廃止の議論が制度化されている。

第21期国語審議会開始の際に、ぼくが述べた考えは、今も変わってはいない。標準規格の開発に係わっている人たちは、意見の相違や利害の相違はあっても、みなが自らの業務や教育、研究の時間を割いて、ボランティアで係わっている。そして、標準規格が広い意味で社会全体の利益となることを願っている。それだけに、自分たちが開発に係わった標準規格が、社会の要請に応えることが出来ず、いわば店晒しとなって実装されることもなしに、ひっそりと廃止されることは、出来ることならば、避けたいと思っている。
だからこそ、エンドユーザーも含め、標準規格の利用者は、標準規格に対する要望を、可能な限り具体的な形で声にしていただきたいと思うのだ。

この別冊bitも、bit本誌の休刊に伴い、当面“最後”の別冊になると聞いている。
編者の一人として、この別冊が、文字コード規格のユーザーが、その要望を具体的な声とするための一助となれば、これに勝る喜びはない。

カテゴリー: デジタルと文化の狭間で, 旧稿再掲 | コメントする

国際符号化文字集合 多言語環境への試み

国際符号化文字集合
多言語環境への試み

《愚者の後知恵》本稿は、2001年3月9日、10日の両日、フランスのユネスコ対応委員会の主催でパリで開催される「情報社会における言語の多様性(Language Diversity in Information Society)」と題されたコロキウムにおける発表の予稿である。このコロキウムには、東京大学の西垣通さんの紹介によって参加した。
2001年3月
Unesco Paris

本論では、情報技術分野における標準化活動、特に、私が係わってきた言語文化に依存する分野における、互換性を維持することと国際的な協力の重要性を、自らの経験に基づいて論じたい。

【汎アメリカ主義症候群】
最初は、自分のいくつかの体験から話を始めたい。
現在、私はISO/IECの文字コード標準を制定する委員会の活動に係わっている。そのきっかけになったのは、以前勤めていたソフトウエアヴェンダーが日本の企業としては、唯一かつ初めてのフルメンバーとして、ユニコードコンソーシアムに参加したことによる。
直接の上司だった会社の副社長であり共同創立者であり経営者の妻の指示により、私はユニコード技術委員会に、唯一の日本人として参加するようになった。
ユニコードというのは、世界中のあらゆる文字をコンピューターやネットワークで使えるようにするために、一意な文字コードをつけようといういわばバベルの塔のような壮大なプロジェクトで、さまざまな経緯はあったが、現在では、ISO/IEC 10646というISOとIECの合同規格と表裏一体のものとして、制定とメインテナンスが行われている。
ユニコードを制定しているユニコードコンソーシアムは、アメリカの西海岸に本拠をおくIBM、アップルコンピューター、マイクロソフトといった地球規模企業が中心になって運営している。技術委員会は、ユニコードコンソーシアムの中で、ユニコード規格の内容に責任を持っている。
私がUTCに参加して、最初に驚かされたのは、この会議が、ISO/IEC JTC1/SC2に対応する米国のナショナルボディである、NCITS/L2(the National Committee for Information Technology Standards L2)と合同で行われていたことだ。決議もUTCとしての決議とL2としての決議の区別さえされていない状態だった。おどろいた私は、おずおずと手を挙げて、通訳を通して、このことに抗議を行った。
「ユニコードは、国際的なコンソーシアムではないのか? それに対して、L2は、合衆国内の組織のはずだ。私は、日本のジャストシステムの代表としてこの会議に出席しており、ユニコードの意志決定には参加できるが、合衆国の意志決定には係わりはないはずだ」メンバーの対応は、さらに私を驚かせた。
彼らは、異口同音に私に感謝の発言をしたのだ。
「タツオ、指摘してくれてありがとう。」
「今まで気がつかなかった。」
「これからは、UTCとしての意志決定とL2としての意志決定をはっきり分けることにしよう。通常の会議の間は、ユニコードとしての採決だけを行い、最後にまとめて、L2のメンバーだけで合衆国として、採決の再確認を行うことにしたい」
これが、私がUTCで行った最初の貢献となった。

日本に戻ってから、私はこの話を友人の社会学者にした。彼は、すかさずに答えた。
「小林さん、それこそパックスアメリカーナの見本みたいな出来事ですよ」
しかし、パックスアメリカーナの例は、この出来事一つで終わることはなかった。その後、現在に至るまで、私はUTCのアメリカ中心主義に何度も出会うことになる。
なによりも一番大きなパックスアメリカーナの例は、ユニコードに含まれている35余りのスクリプトの中に、そのスクリプトを実際に使っている人が一人も関与することなく、いわば「異邦人」によってだけで規格化されたものがいくつもあることだ。
アメリカは偉大だ、アメリカ人は何でも知っている、自分の母語の研究を専門とする人よりも。

ちなみに、この考えは、アメリカ人だけに限られたのものではない。さまざまな形で、多言語問題に係わってみると、私自身を含めて日本人の中にもパックスジャポニカ的な観念があることも分かってきたし、中国を初めとする東アジアの漢字圏の人たちと議論をするようになってからは、中華思想に往生させられ続けている。おそらくは、ヨーロッパにはヨーロッパで、現代のパックスロマーナがあることだろう。

彼らのパックスアメリカーナをもう少しブレイクダウンして考えてみよう。
じつは、UTCのメンバーの中には、アメリカ生まれのアングロサクソン以外の人間が多くいる。ある人は、ドイツ生まれだし、ある人はオーストラリア生まれ、またある人は、ヨルダン生まれのカトリック教徒。カナダで働いているインド人もいる。最近では、台湾出身の中国人も何人か参加している。
だから、必ずしも、彼らがアメリカの外の世界を知らないということではない。しかし、彼らはアメリカを基盤とする情報技術企業で働いており、それらの企業の技術と繁栄を信じているのだ。場合によっては、彼らの意志決定の存立基盤は、アメリカという国ではなく、自らが属する地球規模企業とそれを支える技術にあるのかもしれない。彼らにとって、アメリカとは、従来の意味での国(Nation State)ではなく、地球規模企業とそれを支える技術の集合体なのではないか。

少し結論を先走りすぎた。話を戻そう。
UTCのメンバーは、自分たちの技術に絶大な自信を持っており、その技術が世界に貢献できると信じている。しかも、彼らは心の底から自分たちの技術が善だと信じており、世界中の出来るだけ多くの人々に彼らの技術の恩恵が行き渡るようにしたいという信念を持っているように思われる。
一方、地球上にはさまざまな言語があり、文化があり、考え方がある。自分たちの価値観と異なる価値観があり得ることへの想像力が欠けているとすると、それはいささか問題ではないだろうか。

【漢字は中国人のものか】
UTCに参加するようになってしばらく経って、私は、ISO/IEC JTC1/SC2に対応する日本のナショナルボディにあたる委員会の委員になった。こうして、私は、UTCにおいては日本の一民間企業の代表として、ISO/IECの会議の場では、日本の代表団の一員として、そして、特に中国、台湾、韓国などの漢字圏の国や地域からの代表で構成され、統合漢字の規格化作業に責任を持つIdeographic Raporteur Group – IRG という委員会の場では、日本の代表団長として活動するという、いくつもの帽子をかぶり分けなければならない立場となってしまった。
ここで、IRGの活動について、もう少し詳しく述べておきたい。
漢字という文字のカテゴリーは、言語の多様性と多言語によるコミニュケーションという点で、非常に興味深い問題を持っている。
そもそも、IRGの前身であるCJK-JRG(China, Japan, Korea Joint Research Group)というグループは、中国、日本、韓国などの漢字圏の国家/地域で使われている漢字コードを、一つのコードに統合して使用することが出来ないかどうか、ということを検討するためのボランティアによる集まりが始まりだ。
漢字は、もともとは中国で使われていたものだが、日本や朝鮮半島、ヴェトナムなど、その周辺の地域にも広がっていった。その過程で、地域や国家の環境や文化の相違によって、少しずつ変化し多様性を増してきた。日本では、漢字を源としながらもっぱら音を表すために使う、ひらがな、かたかななどを生んだし、日本独自の漢字も生んできた。
韓国やヴェトナムでも似たような事情がある。何よりも、中国自体が、簡体字という新しい形を作り出すことによって、漢字の世界に大きな変化をもたらした。
CJK-JRGの当初の目的は、このように多様性を持つようになった漢字を、現代のテクノロジーを用いて統一的に扱うことはできないか、というもう一つのバベルの塔の試みだったのだ。
CJK-JRGの活動は、結論が出ないままに、IRGの活動に引き継がれ、「バベルの塔が建てられるかどうかを検証するためにバベルの塔を建ててみる」といった状況で、現在も続いている。
以下に、漢字の多様性と統合の問題を説明するため、最近議論している例を挙げよう。
現在、元は同じ形をしていた漢字でも、中国本土、台湾と香港、日本と韓国という大きく分けて3つのグループがある。
[fig]
漢字圏の人なら、だれもがこれらが同じ字である、ということは理解することが出来る。そして、規格上は、これらの文字は、同一のものとして、一つのコードが付けられている。
しかし、市場では、中国でビジネスをする場合は、中国風の形を、台湾でビジネスをする場合は、台湾風の形を、日本でビジネスをする場合は、日本風の形を持ったフォントを準備しなければならない。
IRGの会議の席では、ともすると、このような多様性を無視して、コードだけではなく、形も統一しようという動きが出てきがちである。そうならないように、文化的な相違、多様性を受け入れ、相互に尊重しながら、可能な限りの共通点を見つけだし、漢字圏でのコミニュケーションを容易にする環境を作っていくことが、IRGに参加する際の私自身の目標である。

【Dream comes True】
最後の話題に移ろう。
この四五年、私は、国際情報化協力センター(CICC:Center of the International Cooperation for Computerization)という日本の政府関連組織が主宰している、多言語情報環境技術委員会という委員会に委員として参加している。この組織は、名前からも想像できるように、さまざまな形で、特にアジア諸国に対して情報処理技術取得のためのさまざまな援助活動を行っている。エンジニアを招いての研修、各国政府の情報規格担当者間の情報交換のための会議、情報規格制定のための方法論の伝授など。
また、1997年から1999年まで、都合4回MLITというシンポジウムシリーズを行った。このシンポジウムでは、各国の言語、文字に依存したIT技術の状況の報告と、IT技術の地域化では先進地域である日本の、成功と失敗の経験を伝えることを行ってきた。
先にも述べたように、現在のISO/IEC 10646には、おおよそ35の“スクリプト”が含まれている。ヨーロッパの言語を例に取ると、ラテン、グリーク、キリル、アルメニア、グルジア、ルーン、オーガムなどのスクリプトがあり、ラテン文字一つをとっても、英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語など、アクセント付きの文字も含めて、多くの言語を表現することが出来る。
アラビア文字やインド文字なども、一つのスクリプトのグループで多くの言語を表記することが出来るので、ISO/IEC 10646で表現できる言語の数は可能性としては、数百に及ぶと思われる。
ただし、問題も多くある。
いちばん大きな問題は、すべてのスクリプトについて、そのスクリプトを母語の記述に使う母語話者やその言語の専門家が関与しているわけではないことである。
問題はさらに二つに分かれる。
一つ。
スクリプトの利用当事者もしくは専門家が参画していない場合。
二つ。
あるスクリプトを用いる言語が複数あり、そのすべての言語の母語話者もしくは専門家が参画していない場合。
なぜ、このような問題が起こるのだろう。
一番大きな問題は、国際規格の制定に参加するためには金がかかる、ということだ。
ISO/IECの規格制定に投票権を持って主体的に係わるためには、会費を払ってどちらかの組織に参加する必要がある。世界各地で開催される会議に参加するための旅費は、会費以上に大きな問題となる。
以前、IRGの日本での会議をホストとしてアレンジしたことがある。
四国の徳島にある当日勤めていた会社の本社で会議を行ったのだが、出来るだけ安く泊まれるホテルの確保、朝食の準備など、(物価の高い日本で)参加者の負担を出来るだけ軽くするために、ずいぶん苦労した。幸いに、会場となった会社の食堂に無理を言って準備してもらった朝食は、参加者から非常に感謝された。
しかし、費用以前の問題もある。情報規格制定のプロセス自体を、政府や産業界の担当者が知らない場合が多い。デジュアなものであれデファクトなものであれ、規格でマジョリティを取ることが、情報産業そのものの成否に大きな影響を持つことを考えると、情報規格に関する情報を持っていないことは、その国/地域の産業発展にとって大きなハンディキャップとなる。CICCでも、国際規格についての情報を開発途上国に伝えることは、その活動目的の大きな柱となっている。
東南アジア諸国でも、ITに関する関心は非常に高い。

ヴェトナムのホーチミンシティで行われたMLITの折りのことである。お昼近くになって、午前中の議事が終わろうとしたところで、情報担当大臣である将軍のお声掛かりで、議事には含まれていなかった某地球規模企業がオペレーションシステムレベルでサポートしたヴェトナム語のデモンストレーションが行われた。
その企業の担当者が、恐ろしく流暢な英語でプレゼンテーションを行った。彼の英語は、この会議のどの参加者よりもうまかったに違いない。
しかし、画面に表示されたヴェトナム語は、他国人から見ても決して美しいものではなかった。
将軍は、表示されるヴェトナム語の品質云々よりも、その企業がオペレーションシステムレベルで自国語をサポートしたことそれ自体を喜んでいたのかも知れない。
実際、インターネットブラウザーなどで表示されるラテンアルファベット系以外の文字の品質は必ずしも高いものではない。日本語でさえも、文字レベルではある一定の水準に達しているが、文章として表示したときに読みやすさ、という点では、まだまだ完成度が低い。
なぜそうなるか、ということは技術的には単純なことである。ラテンアルファベットは、そのタイポグラフの設計段階から、アセンダーライン、ディセンダーラインが設定されており、ラインスペースをゼロに設定しても読みやすさを確保できるように作られている。それに対して、日本語をはじめとする漢字圏では、文字は四角い箱一杯にはまるように設計されており、ラインスペースがないと縦組みか横組みかもはっきりせず、とても読みにくくなる。
ところが、通常のインターネットのブラウザーは、欧米の文字用に実装された表示部分を変更せずに日本語にも利用するので、とても読みにくい表示となる。
タイ語なども、4階建ての構造を持っているのだが、これをラテンアルファベット用のシステムを流用して表示しようとすると、とんでもなく不格好なものとなってしまう。
地球上には、多様な文字の体系が存在し、それぞれの文化に根ざした美意識もあるのだが、欧米中心の美意識からはなかなかそれが理解できないようである。

もちろん、こういった文化の多様性に対する配慮を行っている地球規模企業もあれば、個人もいる。
イギリスに住む友人の一人は、複写機のLCDに表示するアイコンの文化依存性を研究しいており、通常は(日本も含め)STOPの意味に使う手のひらを拡げて相手に向けるアイコンが、ギリシャでは相手に対して決闘を申し込むときに使う、という話をしてくれた。そのため、この企業では、ギリシャ向けに出荷する製品では、”STOP”のアイコンを変えているとのことだった。
このような文化の多様性に対する配慮は、ユーザーの満足感を高めると同時に、最終的には企業の利益にも繋がると思われる。

ヴェトナムでのプレゼンテーションのもう一つの大きな問題は、ここで紹介された技術が、米国のレッドモンドにある本社の統一的な方針に基づいて行われたものではなく、この会社の現地組織がいわばアドホックに地域化したものであるらしい、というところにある。日本でも、日本語版のアプリケーションで作った英語やフランス語の文書ファイルが、英語版やフランス語版のアプリケーションとのコンパチビリティが取れない、といった信じられないようなことが多くあった。互換性を無視した地域化は、結局はその技術環境の孤立化を招き、コミュニケーションの非活性化によって、経済的な発展にとってもマイナスの影響を与えることになるのではないか。

最後に、こういった問題の典型的な例であり、数少ない成功例を紹介する。
これは、ミャンマーの当事者からCICCに送られた感謝の手紙である。長くなるが、そのまま引用する。

夢の実現(和訳)
はじめに
この話は、成功の話でも見本とすべき話しでもない。これは単に、私たちの経験をみなさんと共有し、私たちの地域における共同作業の重要性を示すために書かれたものである。 具体的には、ISOスキームの中でのミャンマー文字のコード化に関する経験談を述べさせていただきたいと思う。

背 景
1990年以降、ミャンマーでのPCの使用率は急速に伸びた。そのため、国内におけるPCの普及に伴い、ミャンマー文字処理システムが必要とされるようになった。
1992年より、多くの方言のローカルな実現方法が開発されてきた。しかし、そのほとんどのものは、フォントセットの実現にとどまっており、情報処理の実現の段階まで届いていなかった。さらに、私たちは文字コードが国内的にも国際的にも標準化されるべきであると思ってはいなかった。
1996年に、私は日本の茨城県筑波で行われたシンポジウムに招待された。当時、私はミャンマー語の構造についての発表は出来たが、そのシンポジウムで議論された標準化に関わるほとんどの事項が、私の知識外のことであったと認めざるを得ない。グリフ、文字コードセット、ISO/IEC 10646、ユニコード等の単語は、私が聞いたことのないものであった。電子技術総合研究所が、何かの手違いで私をシンポジウムに招待したのだと思ったほどであった。しかし、私はそれらのことが自分の国で必要であるということ、また私にはシンポジウムで教わったことを自分の同僚に知らせる義務があるということを認識した。
その後、この過去数年で私はさまざまな国のセミナーに参加した。セミナーへの出席をアレンジしてくれたこと、私の非常に遅い成長につきあってくれたことに、国際情報化協力センターや関係の組織に対し、深く感謝の意を表したい。私は、セミナーに出席して帰国した後、学んだ知識を友達に伝え、政府担当者に今後の方針についての提案をする等をしてきた。
このような年月の中、ミャンマーの人々によって、ミャンマー文字のコード化を国際標準にすることが私の夢になっていった。もちろん、当時その夢を実現するのは非常に困難なことであったと認めざるを得ない。なぜなら、当時、私たちには技術も情報も、支持も予算も何も無かったからである。
1997年、私は日本での多言語情報処理国際標準化シンポジウム(MLIT)に参加する機会を得、その場で佐藤氏にミャンマー文字コードが、ミャンマーの人々の関わりもなしにISOの場で決定される段階にあるという話しを聞いた。佐藤氏は、私たちのISO会議の出席を勧め、彼のサポートを約束してくれた。帰国後、私はこの件について政府機関に報告し、標準化事業に携わる委員会を即時に設立することを提案した。
政府はこの件の重要性を認識し、ミャンマー情報技術標準化委員会(Myanmar IT standardization Committee“MITSC”)を設立した。MITSCは、情報技術専門家とミャンマー語の専門家から成り立つ。私たちは、ミャンマー語の国内標準の設置を担当するミャンマー委員会(Myanmar Language Commission)とともに作業を進めた。私たちはベストを尽くして提案書を改訂し、佐藤氏の支援を得てISOに送った。さらに、佐藤氏、三上氏をはじめとする関係者方々の協力を得て、私たちは1998年9月にロンドンで行われたISO/IEC JTC1/SC2/WG2会議に出席することが出来た。

ロンドンでのアドホックミーティング
実は、その時点でミャンマー文字コードは、ISOのPDAMの段階まで進んでいた。ロンドンでの会議は、私たちの意見を表し、私たちの文化や伝統に基づいた提案書の修正を提出するほとんど最後のチャンスであった。ここでまた、私たちは沢山の支援を受け、佐藤氏よりISO会議での議論の進め方につき教わった。私たちは多くの関係者と対面し、1998年9月21~24日の間、幾度ものアドホックミーティングを重ねた。
議論の中で、私たちはいくらかの誤解や反対を受けたものの、議論のすべてはとても生産的であり、実のあるものであったと思う。ISOやユニコードの関係者より、多くのことを学んだ。この点で、彼らの忍耐と私たちに対する理解に大変感謝したいと思う。最終的に、彼らは私たちの技術的、文化的なコメントを受け入れてくれ、その内容をFPDÅMに入れてくれることになった。私たちは出席者のコンセンサスを得ることが出来、またいくつかの点が今後の検討課題として残された。私たちは、FPDAMに基づいたミャンマー文字処理システムを実現することに合意し、ユニコードとISOに対して、その結果についてのコメントを伝えることにした。

<現在の状況
私たちは、合意された文字コードスキームを基礎にしたミャンマー語の処理システムを開発し、実験した。そして、それは私たちが予想したように動くことが認められた。私たちはFPDAMへ更なる修正は不必要であると考えた。私たちは、1999年3月に日本の福岡で行われるISO/IEC JTC1/SC2/WG2に出席し、この結果に対しての議論をする予定である。そこで更なる議論やアメンドメントの提案が出されるかもしれない。そこでの反対意見を解決し、国際規格にするというもう一つ上の段階に進められればと願う。

私たちの夢の実現
ついに、私たちの夢は現実のものとなった。これは大変なサクセス・ストーリーであるとは言えないと思う。しかし、この話しは、ミャンマーの人々と日本の友達との共同の努力によってもたらされた結果であるということは、誰もが認めることであると思う。もちろん、私たちの政府の奨励やサポートが大きな役割を果たした。私は、アジア太平洋地域の情報技術標準化の分野における日本のイニシアティブを感謝したいし、このようなサポートが継続されることをお願いしたい。
最後になるが、私たちの夢の実現に貢献をしてくれた三上氏、佐藤氏、小紫氏、そしてCICCのスタッフに心からのお礼を述べたい。ミャンマーの人々は、ミャンマーの情報技術発展に対する彼らの貢献を常に感謝し、忘れることはないだろう。

ミャンマーコンピュータ連盟 幹部評議会メンバー
ミャンマー情報技術標準化委員会 幹部評議会メンバー
KMDCo.Ltd.専務取締役
タウン・ティン

この手紙の後、日本の福岡で行われたISO/IEC JTC1/SC2の決議と国際投票を経て、ミャンマー文字は、正式な国際規格として、成立した。この福岡の会議には、ミャンマーの代表もオブザーバーとして参加し、提案された規格がミャンマーの人々にとっても満足できるものであるという意見を表明した。また、この経緯を通して、ミャンマーには情報技術の標準化に関与する委員会も設立された。

繰り返すが、これは、数少ない成功した例である。実際には、国家の政治的な思惑や地球規模企業の市場性最優先の戦略によって、当事者の利益とはかけ離れた規格や実装が出来る例が少なくない。

今年の初めに、香港でIRGのメンバーである友人とデジタルデバイドの議論をした。
その時、彼女が言ったことが非常に大きな啓示となった。
よくコンピューターリテラシーとかITリテラシーとかいった言葉を聞く。コンピューターの操作の仕方が分からない、インターネットへのアクセスの方法が分からない、といったことが、情報化時代において新たな差別を生むのではないか、ということだ。
しかし、IT技術が本来目指すべきことは、ユーザーに対してIT技術のリテラシーを求めることではなく、誰もが簡単に使えるような技術を開発した上で、本来の意味でのリテラシーを高めるために役立つことではないか。
一言で述べれば、
「ITのためのリテラシーではなく、リテラシーのためのIT」
ということになる。
以前読んだ、「多言語主義とは何か」という本に、新しいメディアの出現は、言語の多様性を減らす力を持つ、ということが書かれていた。
文字コード規格という、言語の多様性に係わる規格の標準化に係わる人間の一人として、IT技術が地球上のすべての人々がみずから育んできた言葉の多様性を言語の豊かな多様性を損なうことなく、さらに豊かに育てていき、かつ、相互に尊重し、理解し合えるようになることを願うと同時に、少しでも役に立てるように努力を続けたい。

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Universal Coded Character Set an attempt for multilingual environmen

Universal Coded Character Set
an attempt for multilingual environment

Language Diversity in Information Society
2001/03/10
Unesco Paris

This paper describes the importance of maintaining compatibility and global cooperation which is in regard with the IT standardization activity where I have been involved with, especially in conjunction with the language and culture dependent aspects based on my experiences.

There are three major topics the paper discusses;

  1. Pax Americana syndrome.
  2. Chinese way of standardization in a ISO activity.
  3. Standardization of Myanmar script on International coded character set.

[Pax Americana syndrome]
I have been attending Unicode Technical Committee who maintains the Unicode Standard since while ago as a representative of JUSTSYSTEM who is a Japanese software vender where I worked for at that time. Throughout entire Unicode Technical Committee history, none of Japanese companies other than JUSTSYSTEM has been a full member of Unicode Consortium.

Unicode is a coded character set. Unicode is designed to cover very large range of scripts in the World if not all. One believes it is fairly practical, one said that Unicode is a full of self-conceited arrogance, just like building the Tower of Babel. After a series of complex course of events, Unicode became virtually identical with ISO/IEC 10646, one of the international de jure standards rather than a de facto standard. Since then Unicode Consortium and the ISO/IEC working group collaboratively develop and maintain Unicode Standard and ISO/IEC 10646 in parallel.

The Unicode Consortium, which develops and promotes Unicode, is a non-profit organization based in California, USA, consists of many U.S.A origin global corporations/enterprises like IBM, Microsoft, Apple Computer, Sun Microsystems, etc.
The Unicode Technical Committee, abbreviated as UTC hereafter, which is the primary decision making body within the Unicode Consortium, is responsible for the development and maintenance of the Unicode Standard.

Here I’d like to share my surprising experience with you when I attended UTC meeting first time. UTC was held together with NCITS/L2(the U.S. National Committee for Information Technology Standards/L2 ) meeting as joint meeting. NCITS/L2 is the national body of the U.S.A for ISO/IEC JTC1/SC2/WG2. ISO/IEC JTC1/SC2/WG2 is the working group of ISO/IEC who is in charge of ISO/IEC 10646, the international standard compatible with the Unicode standard. It appeared awfully inappropriate enough to me that they held such meeting jointly on the ground where they selfishly thought they could justify why they held jointly, which only because most of the UTC attendees and NCITS/L2 attendees were the same. (I have to note that even after all, they still hold UTC and NCITS/L2 meeting jointly at least as of today, though) In my understanding, those two organizations in principal represent the completely different interest parties and are chartered differently even though most of the attendees are entical. It can not be counted whether the members are identical or not to justify one country’s national body and international organization mixup their different position and charter. Such apparent superpower arrogance was enough to make me upset to stand up, but before taking an action, I soon discovered that their arrogance actually went even beyond the level of surprise. They did not only hold the meeting jointly, but also undistinguished them as the decision making bodies. Even though I had hesitated to speak up in front of such many strangers because I had to use interpreter to express my opinion due to my English limitation, they looked amazingly or awfully inadequate to me as the representatives of national body and the representatives of International standard consortium members. Finally they led me break though the barrier. I stood up and questioned them that their justification of taking the UTC resolution and the L2 resolution in undistinguished fashion while possibly the UTC and the L2 could have different positions because one is an international consortium and the other is the U.S. national body. I also explained that I was not entitled, and I did not want to be entitled, to vote for the U.S. national body.

After I came back to Japan, I talked this episode to my friend. He is a sociologist and is researching media theory. He responded immediately; “Mr. Kobayashi, this story is a stereotypical episode of Pax Americana syndrome”. This episode was the tip of the iceberg. Since then I constantly discover they can be American centric time after time.

By the way, I would like to share my experience of feeling the American justice as well on the example I experienced above.
When I complained about the UTC and NCITS/L2 mixed-up of national body position and international organization position, I was actually so afraid, and actually expected huge push-back from those strangers I had never met with, and who had been entitled to run the meeting in such way for long time. However, what I actually got was their word of appreciation instead.

“Thank you very much Tatsuo. We had never ever aware of such our problem. We will separate UTC and L2 meeting from now on. We will only have a balloting for UTC during UTC meeting. After UTC meeting, we will have the NCITS/L2 meeting and even though for most of the attendees, having another balloting is duplicate, we promise we will demonstrate our discipline”.
It eventually became my first contribution to UTC.

We can see one of the typical examples how they are PAX AMERICANA in Unicode Standard itself. There are more than 35 scripts already standardized in Unicode but some of them are standardized without having native speakers involved.

America is great. American knows everything. American knows all scripts better than native speakers.

This symptom is not peculiar to Americans. I do see the same symptom in Japan, China, and even in Europe. I encountered not only Pax Americana but also Pax Japonica, Pax Chinica, and Pax modern Romana through out my experiences with international standardization activities.

Let’s pick the UTC example to study further this Pax Americana syndrome as a representative Pax XXX syndrome.

Actually, not all of UTC members are Anglo-Americans. Rather, foreign-born citizens like German-American, Austrian-American, Jordanian-American, Indian live in Canada, and a few Chinese from Taiwan take majority.
So it is not the case that they are simply ignorant on the situation of the World. Those foreign-born citizens work for IT industry in the U.S., and they believe in technology and prosperity of the U.S.
We may be able to say that their ground upon making decision is not where they physically live or were born but which global company they work for and which leading-edge technologies they believe in.
For them, the United States is not a Nation State in traditional meaning, but the united virtual entity of global companies as a nucleus of producing leading-edge technologies.

UTC members are confident on the technology they develop and believe in their contribution to the prosperity of the world by doing that.
They develop the technology in good mind and devote their life to deploy their technology worldwide to make the world happier.

On the other hand, there are many languages, scripts, cultures and sense of values in the world. They should always be sensible on the fact that if they misrepresent those whom they pretend to represent, their good faith may end up result only to make someone miserable.

[Chinese characters are only for Chinese?]
Briefly after I joined UTC, I also joined Japanese committees for ISO/IEC JTC1/SC2 and JTC1/SC2/WG2/IRG.
Now I have several caps, one is cap of JUSTSYSTEM in UTC, one is cap of Japan national body in ISO/IEC JTC1/SC2 and SC2/WG2, and one is cap of Japanese head of delegation in SC2/WG2/IRG. IRG is Ideographic Rapporteur Group in SC2/WG2 which is in charge of developing unified ideographs.

Before I talk about second episode, I would like to explain what IRG is in detail. IRG consists of national representatives of China, Japan, Korea, North Korea(Democratic Peoples Republic of Korea), Taiwan, Singapore, Vietnam, Hong Kong SAR, USA and representatives of Unicode Consortium as observer.
All countries and regions use Han Ideographic characters, as known as Chinese characters.

The problems around Han characters are very interesting from the view point of language diversity and communication in multilingual environment.

At the beginning, predecessor of IRG called CJK-JRG(China, Japan, Korea Joint Research Group) was set up to research for the feasibility of unification between Chinese, Japanese, Korean Han characters as voluntary group.
Han characters are originally used in China, spread over Japanese archipelago, Korean Peninsula, and other regions like Viet Nam. And along with its dissemination, Han characters acquired diversity.
For example, Japanese phonograms called Hiragana and Katakana, are derived from Han characters. There exist many Japanese origin Han characters which are not found in the original.
Korea and Viet Nam also have there original Han characters. Above all, China made new shapes called “Simplified Han characters”.
This is how Han characters got to have such huge variations and diversity.

The initial objective of CJK-JRG was feasibility study to unify these Han characters by using modern technology.
This may be yet another attempt to build the Tower of Babel.

Although the CJK-JRG did not carry out any conclusion against their objectives, IRG is formed as a successor of CJK-JRG. Their mission is as if they are to build the Tower of Babel to find out whether it is possible to build the Tower of Babel.

The following is a typical example of unification of Han characters.

Now, there are three groups in shapes. One is the shape used in main land China, one is in Taiwan and Hong Kong, one is in Japan and Korea.
Native Han ideograph characters users can easily tell these different shapes represents same character identity.
In the ISO/IEC 10646 standard, these shapes are considered as a minor glyphic variations, thus, are unified as same character and single code point is assigned to those different shapes.
Distinguishing those minor shape variations becomes crucial when it comes to business. A product for China requires Chinese shapes, a product for Taiwan requires Taiwanese shapes, a product for Japan requires Japanese shapes. Everybody in IRG is supposed to know the importance of conserving those shapes differences. However, they sometime fall into the pitfall of national ego upon discussion regarding shapes. It is desirable for the international committee like IRG that members respect other members’ culture and its diversity, help accommodating conflicting requirements, and move forward to develop technology usable for people shares Han Ideographic scripts for communication.

【Dream comes True】
In these couple of years, I have participated in a committee called “Multi Lingual Information Environment Technology” organized by CICC(Center for International Cooperation for Computerization).

CICC was established in June 1983 to cooperate and assist developing countries in the introduction of computers and information technology, and to promote computerization thereby for their economic and social development.

*** foot notes ***

[CICC]
CICC is currently conducting the following cooperation programs: *Training on computerization for developing countries *Education and guidance on computerization for developing countries *Surveys, research, and R & D on computerization for developing countries *Collection and dissemination of information and data on computerization in developing countries *International interchanges related to cooperation for computerization *Other activities to achieve the objectives of CICC
[MLIT]
In the networked Information Society to come, most computers are going to connect to worldwide networks such as the Internet. For developing electronic commerce and cultural exchange in the age of global network, it is insufficient to go with computers of individual implementation of single language. To meet the needs of the worldwide network, information processing and information exchange via computers shall be able to handle multiple languages (multi-lingual systems). This is the “Multilingual Information Processing Environment” that MLIT is aiming at.

** end of foot notes **

Now, ISO/IEC 10646 includes about 35 scripts. One “Latin” script is shared among several languages like English, French, Germany, Spanish etc. Arabic and Indic scripts also shared among several languages. So, ISO/IEC 10646 can be use for huge languages.

But there are many problems exist in ISO/IEC 10646. Largest problem is that some scripts were developed without having participation of native speaker or specialist of each scripts. Since single script may be shared among multiple languages and may be used differently, it would be ideal to have native speaker or specialist of each languages which use the script, but the reality is often opposite.

One of the reasons of this problem is that it is costly to participate in the international standardization activities.
It costs not only to affiliate with ISO or IEC as voting member, but also to attend committee meetings held consecutively everywhere in the world.

Another reason is that government staffs and subject specialists in the concerned nations or regions are not familiar with the process and the situation of ISO/IEC standardization. In those days, especially in the IT field, it became a common practice that whom leads the standardization activity takes the priority start for the races of development of industry. This holds true not only in de jure standard but also in de facto standard.

IT became a center of public interest in South East Asian countries as well.

A little before the lunch at MLIT symposium held in Ho Chi-minh City, Viet Nam, a world wide company demonstrated the operating system which supports Vietnamese language. The demonstration was not scheduled in the conference program. Due to the special arrangement of the general and minister of Information, the demonstration was interjected after the programs scheduled originally in the morning session were finished.
An operator of the demonstration spoke English fluently. Although he spoke very good English, probably best among attendees of the symposium, the demonstration was very poor due to the quality of its support of Vietnamese. Since it was even noticeable to non native like myself, it must look awful to native Vietnamese. I was wondering why the general interjected the demonstration of such poor quality support of Vietnamese. I still do not know for sure, but he might think it was a big step forward for Viet Nam to have their script supported in such major operating system regardless of its quality.

Actually, we can see such quality problem everywhere. As we know, web browser is one of the most advanced multilingual capable programs.
However, even the Web browsers do not reach the reasonable level of language support in terms of quality. The quality of the Western European languages support is reasonable but the quality of the other languages support is typically unreasonably poor. The reason is that the browser is originally designed only for Western European languages, the system architecture is based on Western typography and Western font design. Because the foundation of the system design is not internationalized, building the add-hoc language support on top of such insufficient foundation becomes very difficult in terms of quality. For example, a very basic, common idea of ascend/descend line in Western typography does not exist in Japanese typography.
A Japanese font designer typically use up all pixels to fill out the entire display cell by assuming the existence of reasonable line space in all the rendering systems.

There are many scripts, thus, there are many senses of beauty.
However, if one sticks with the Western centric view, one may not be able to see them.

Of course there are global enterprises which are sensible on cultural diversity.
A friend of mine lives in England and works for a famous copy machine company as researcher of cultural differences taught me that in Greece we should not use an icon with open hand sign to indicate STOP.
The icon with open hand sign typically represent STOP in Western countries, but it means antagonistic in Greece. Therefore, his company uses different icon for Greece model. I believe such sensible company would be successful because what they have done contributes to customer satisfaction in the global market and such a satisfied customer would become repeater of and evangelist for the company.

Another possible reason that the demonstration at MLIT symposium in Vietnam was poor is that the Vietnamese support was not conducted with the internationalization Engineers in the U.S.A head quarter who had involved with the team developed the original Western version of operating system. It is often seen that the local sales office patches out the original to make their own language only version by using ad hoc approach.

Such ad hoc localization approach can be found everywhere. For example, I have seen the incomparability problem among different language versions of same word processor.
Even the file contents are Latin alphabets, such ad hoc localization breaks the interoperability with the original.
It is often said by such global companies’ local sale office that time to market is highest priority to boost the local market, therefore, such ad hoc localization is justified. I, however, do not think it is a good idea because such ad hoc localization causes compatibility problems among its product line, thus, it ends up diminishing the economy of the local market by isolating them from global market.

I would like to quote a letter from Myanmar representative to CICC.

The Dream Comes To A Reality
Introduction
This is neither a story of success nor a story of a model. Only a story that try to share our experience and enhance the point how important of cooperation in our region. In particular, I would like to share our experience of encoding Myanmar characters under ISO scheme.

Background History
Starting from 1990, the use of personal computers in Myanmar has been increasing very rapidly. Naturally Myanmar Language Processing is much needed for widespread use of PCs in the country.

There are many dialects of local implementations available starting from 1992. However, almost all of them are only the implementation of font sets and could not provide information processing. Moreover, we didn’t realize that the character codes should be standardized nationally and internationally.

In 1996, I was invited to participate in the symposium held in Tsukuba, Japan. Although I could present Myanmar language structure, I had to admit that almost all the things related to the standardization discussed at the symposium were outside of my scope. The terminology such as glyph, encoding character set, ISO10646, and UNICODE were so strange to me. My first impression at that symposium was that I was wrongly invited by ETL.
But I did recognize that those kind of stuffs are needed in our country and I had the responsibility to distribute what I had got in the symposium to my colleagues.

Then I have attended several seminars in several countries over the past few years. I have to express my many thank to CICC and related Japanese organizations for their kind arrangement to attend these seminars and their patience to my slow progress. I always convey the information to my friends and suggest higher authorities what we should do whenever I come back from these seminar. Over the years, to encode Myanmar character internationally by Myanmar people became my dream. Of course, I had to admit that at that time, it was very difficult to convert the dream into a reality. Because we then were lack of technology, lack of information, lack of support, and lack of budget. In 1997, I attended MLIT meeting in Japan and got an information from Mr. Sato that Myanmar character code was going to be approved at ISO without the knowledge and involvement of Myanmar people. Mr. Sato encouraged us to participate the ISO meeting and offered his help to make it. Whetry, I reported this issue to the government and suggested to form a committee to perform standardization task immediately.Our government realized the importance of this issue and formed the Myanmar IT Standardization Committee (MITSC). MITSC consists of several IT people and Myanmar Language experts. We worked closely with Myanmar Language Commission, the only organization which is responsible for setting the national standard of Myanmar Language. We tried our best to develop a revised proposal and sent it to ISO through Mr. Sato’s kind help. Moreover, with the kind contribution of Mr. Sato, Mr. Mikami and other friends, we could make it to attend ISO/IEC/JTC1/SC2/WG2 meeting held in London in September, 1998.
Our government realized the importance of this issue and formed the Myanmar IT Standardization Committee (MITSC). MITSC consists of several IT people and Myanmar Language experts. We worked closely with Myanmar Language Commission, the only organization which is responsible for setting the national standard of Myanmar Language. We tried our best to develop a revised proposal and sent it to ISO through Mr. Sato’s kind help. Moreover, with the kind contribution of Mr. Sato, Mr. Mikami and other friends, we could make it to attend ISO/IEC/JTC1/SC2/WG2 meeting held in London in September, 1998.

Ad-hoe meetings at London In fact, the encoding of Myanmar character at ISO had already reached PDAM stage at that time. It was almost the last chance to express our concern and amend the proposal that in line with our culture and tradition. Again we got a lot of supports and more importantly tactics to deal with ISO people from Mr. Sato. We had met with several personnel concerned and conducted several ad-hoc meetings during that meeting from 21 September 1998 through 24 September 1998.

Although we had faced some misunderstandings and disagreements during the discussions, all the meetings were very productive and fruitful in guerrilla. We had to admit that we had learnt a lot of things from ISO and UNICODE experts during the meetings. We all really appreciate their patience and understanding to us. Finally they accepted some of our technical and culture related comments and put into the Final Proposed Draft Amendment (FPDAM). We came out a consensus among the participants and a short outline of the remaining points in contentions. We agreed to implement a Myanmar processing system based on the FPDAM and will make comments of our finding to UNICODE and ISO.

Current Status We have implemented and tested a Myanmar Language Processing system based on the agreed encoded scheme. We found it works as we expected. We don’t think any major amendments will be necessary to the FPDAM. We are going to participate and discuss our implementation outcome at the next ISO/IEC/JTC1/SC2/WG2 meeting to be held in Fukuoka, Japan in March 1999. There may have some dissuasions and proposals for further amendments at there. Hopefully we could resolve the contentions and go up one step further to become a international standard.

Our Dream Comes To A Reality
Finally our dream comes to a reality. This is not something about a very successful story.
But I believe most of us recognize the fact that this one is definitively the outcome of collaborative efforts made by Myanmar people and Japanese friends. Of course, our government’s encouragement and support played major role for it. We are pleased to see the Japanese initiatives and continual supports in this IT standardization area for Asia Pacific region.

Last, but not the least, I would like to express my sincere thanks to Mr. Mikami, Mr. Sato. Mr. Komurasaki, and all the people from CICC who contributed in converting our dream into a reality. Myanmar people always appreciate and never forget their kind contributions to the IT development of our country.
Thaung Tin (Myanmar) Managing Director, KMD Co. Ltd.
Executive Council Member, Myanmar IT Standardization Committee Executive Council Member, Myanmar Computer Federation

After this letter had been sent, Draft Amendment for Myanmar script was adopted as an official international standard in ISO/IEC JTC1/SC2 meeting held at Fukuoka, Japan.
Delegations of Myanmar attended to the meeting as observer, and they expressed their belief on the standard would be fully satisfactory for the people in Myanmar.

After all, Myanmar government established a national committee for standardization for information technology.

Note that in most of the cases the standardization of such scripts is not done as successful as this example in terms of correctly reflecting the benefit of native users due to the politics among nations and/or member companies.

Beginning of this year, I had a chance to have a interesting discussion with my friend who lives in Hong Kong about “Digital Divide”.
These days, we often hear the new words “Computer Literacy”, “IT Literacy” and “Digital Divide”.

The digital divide means that such literacy can be a cause of yet another discrimination for those whom do not have such literacy.

She questioned that the IT is supposed to help people to improve their literacy by providing easy-to-use technology just as a tool rather than requiring IT literacy to use technology.

Literacy is not for IT but IT is for Literacy.

I, as one of member of international standard working group for coded character set, hope to see we all benefit from information technology as a way of conserving language diversity rather than extinguishing language diversity, and am grateful if I can contribute to the prosperity of human and the peaceful world.

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多言語情報処理の社会学

多言語情報処理の社会学

《愚者の後知恵》東京大学の西垣通さんが主査を務めておられたサントリー文化財団の研究会での発表を元にして、同書のために書き直した。さまざまな分野で活躍しておられる知識人に対して、かなり狭い分野の技術的な問題を背景とする話題をぶつけて批判を請えたことは、とても貴重な経験となった。
2000年10月
山崎正和・西垣通編『文化としてのIT革命』(晶文社刊所収)

1.ミャンマーにて
一九九九年一〇月二六日と二七日の両日、ミャンマーの首都ヤンゴンで、Fourth International Symposium on Standardization of Multilingual Information Technology(MLIT4)というシンポジウムが開かれた。
このシンポジウムは、日本の通商産業省、工業技術院、財団法人国際情報化協力センター、ミャンマーのMyanmer Computer Federation(MCF)などの共催で行われたもので、今回が第四回目。アジアとりわけ東南アジア、南アジアの諸国・地域の産業発展・育成に不可欠な情報技術基盤整備を支援することを目的としている。
筆者もここ数年、コンピューターで漢字をはじめとするさまざまな文字を扱うためのISO/IEC 01646という国際規格の策定に係わってきた行きがかり上、どのようにしてコンピューターでさまざまな文字を入力する際の言語や文化に依存した要素を、複数言語が共存する環境と折り合いを付けるべきか、ということについて簡単な報告を行った。
このシンポジウムとプロジェクトについては、他ならぬ本書の編者である西垣通氏が、「世界」に寄稿された当を得た紹介がすでにあるので、多くを繰り返すことはしない。本論の目論見は、今回のシンポジウムで議論された一つの話題の紹介を通して、情報技術の世界で起こっている(と筆者が感じている)近代的「国民国家」の枠組みの綻びについて、論じることにある。

MLIT4では、非漢字の統合、特にタイ文字の統合問題が、大きなテーマとなった。
タイに隣接する中国、ミャンマー、ヴェトナム、ラオス、カンボジアなどの国々には、言語的にはタイ語とは異なっていながら、その表記のためにタイ文字を用いる少数民族が少なからず存在する。やっかいなことに、これらの言語はただ単にタイ文字を用いているのではなく、それぞれの言語の実態にあわせて、文字の追加、変更を行っている。
こういった少数民族の文字を、「統合タイ文字」といった形で大きく括えい、国際的な文字コードに取り込んでいけないか、というのが「タイ文字の統合問題」なのだ。
では、どうしてこのような問題が生じるのか。

この問題を考える前に、簡単にコンピューターで文字を扱う際の問題点と文字コード、なかでもISO/IEC 10646およびUnicodeについて振り返っておく必要がある。

2.ISO/IEC 10646とUnicode:公的な標準と事実上の標準
当初数字や簡単なアルファベットしか扱うことのできなかったコンピューターも、今ではさまざまな文字や記号を扱うことができるようになってきている。一部には、自動翻訳のように、一見言葉の意味を理解したような振る舞いまでできるような技術も登場している。
これら、コンピューターでさまざまな言語の記述を扱うためには、個々の文字に一連の番号を付けたものを用いる。これを文字コード(Coded Character:符号化文字)と言う。符号化文字をある基準で集めたものを符号化文字集合(Coded Character Set)と言う。
たとえば、日本では、JIS X0208:1997「情報交換用符号化漢字集合」(いわゆるJIS漢字)が有名で、平仮名、片仮名、漢字、さまざまな記号類など、約7000種類の文字や記号に、一連の符号が振られている。われわれが、パーソナルコンピューターで論文を書いたり、電子メールのやりとりをするときも、背後でこのような符号化文字集合が用いられている。
逆に言うと、きちんとした符号化文字集合が定まっていないと、コンピューターやネットワークを用いた情報交換が正確には行えない、ということでもある。インターネットを初めとし、コンピューターがネットワークでつながり、コミニュケーションの手段として用いられる現代においては、共通の符号化文字集合を用いることが必須のことである、どういった符号化文字集合を用いるか、ということが、実務的にも政治的にも非常に大きな問題となっている。

現在、さまざまな言語が混在する環境で用いる符号化文字集合として、主流になりつつあるのがISO/IEC 10646 Universal Multiple-Octet Coded Character St(UCS)と呼ばれる国際標準規格である。この規格は、世界中の言語に用いられるあらゆる文字を統一的に扱おう、という壮大な理想の下に開発が開始されたが、いわばコンピューター時代のバベルの塔といった塩梅で、その策定課程でさまざまな技術的政治的問題も内包している。

われわれに身近な漢字のコード化一つをとっても、さまざまな問題がある。
賛否相半ばするもっとも大きな問題は、日本、中国、韓国などの漢字圏の文字をCJK unified ideographsとしてひとまとまりにしてしまったことにある。
漢字圏の国々を旅したことのある方なら一度は経験があることだと思うが、音声としての言葉が通じなくても、漢字の筆談である程度の意志疎通が可能だ。漢字と言われるように、日本語の表記体系は元々は中国古来の文字を借用することから始まっているのだから、当然と言えば当然のことではある。しかし、長い歴史の積み重なりは、日常的に用いられる字形の差違や国字といった日本独自の文字を生み出してきた。
韓国や台湾などにとっても事情は大同小異だが、こういった各国、各地域の事情の異なりにある程度目をつぶり、重なり合う部分を重視して共通の文字コードを作ろう、というのがunified ideographの発想である。
この漢字の統合化に対しては、開発途上から誤解に基づくものや、感情的な反発によるものまで、多くの反対が存在した。

反対意見の具体的な論拠は、大きく分けると二つある。
一つは、歴史の中で異なる発展を遂げてきた日本や中国の漢字を統合すると、日本独自の文化が失われてしまうのではないか、というものである。
この論点としてよく例に挙げられるのが、「骨」という字で、規格票の日本の欄には「骨」という形が用いられているのだが、中国の欄には「*骨*」という形が用いられている。これを、統合してしまうと、日本人の文章であるにもかかわらず、中国の文字を用いなければならなくなる、というわけだ。
規格に関わってきた当事者の立場から申し開きをさせていただくと、この論難には異なる二つのレベルの誤解がある。
一つ。規格は、規格票に現れる微細な字形の相違を束縛するものではなく、ある(社会的な合意に基づく)揺れの範囲の中で、自由に用いればいい。
二つ。「骨」と「*骨*」に関して言えば、この字形の相違は、日本と中国の差違と言うよりも、日本でも中国でも歴史の中で混在して用いられていた一般的な字形の揺れでしかない。
反対意見のもう一つの論拠は、当初、CJK unified ideographsに含まれていた約二万一千字の文字数では、日本の文化資産を表現するに不足する、というものである。
日本の代表的な漢字辞典である諸橋徹次による『大漢和辞典』(大修館書店刊)や中国の康煕字典には、約五万字の親字がある、これらの文字がすべて表現できなければ、日本の文化資産を表現しきることができない、というわけだ。
この論拠についても、文字学の専門家から印刷史の専門家に至るまで、文字数の多さが日常的、学問的な表現行為にとって必ずしも必須のものではないことが縷々述べられている。

CJK unified ideographsに対しては、じつはもう一つ大きな感情的な反対がある。この部分が米国の私企業群の圧力により、日本にとっては不本意な形になっている、というものである。
いささか話が煩瑣になるが。
ISO/IEC 10646は、国際標準化機構(International Organization of Standardization)と、国際電気標準化会議(International Electrotechnical Commission)の合同技術委員会(Joint Technical Committee)によって制定されている。この委員会は、非政府組織とはいえ、国の代表機関(National Bodyと呼ぶ)によって構成され、議決投票権は、一定額の会費を納めたNational Bodyのみが持つ。
従来は、ISOやIECの場で、それぞれの国が、まさに合従連衡を繰り返しながら、利害のぶつけ合いと妥協により、国際規格を制定してきた。
しかし、そこにもある種の官僚組織と外交交渉が存在し、特に情報技術分野では、現代の激しい技術革新にはそぐわない面が生じている。
ISO/IECによる公的な標準(de jure standardという)の間隙を縫って、最近広がっているのが、民間企業や民間の団体によって提唱され、市場に受け入れられることによって多数派となる事実上の標準(de facto standardという)である。
特に、インターネットの世界では、このde facto standard花盛りといった様相がある。
ISO/IECが、UCSの策定作業の途上にあったころ、米国の西海岸に基盤を置く情報技術分野の地球規模民間企業が中心となってUnicodeという符号化文字集合を提唱した。
委細は省略するが、さまざまな議論と妥協の結果、ISO/IEC 10646は、Unicodeと統合された。現在は、ISO/IECの会議に、Unicode Consortiumがオブザーバーを送り、Consortiumの主要な構成メンバーであるアメリカやカナダの代表と連携しながら、規格の制定に大きな影響力を持って活動を行っている。
ISO/IEC 10646の制定当時、公的なものであるISO規格が、Unicode Consortiumという民間企業の連合体の圧力に対して妥協を余儀なくされた、中でもCJK unified ideographsの部分は、当事者ではなく漢字の文化に無知な欧米人のご都合主義によって押しつけられた、といった批判が、日本の国内で多く見受けられた。この視点からの批判は、形を変えながら近ごろの文藝家協会による国語審議会への要望書などにも、影を落としている。
この批判についても、制定当時の当事者たちのお話をうかがうと、CJK unified ideographsの策定作業には、日本、中国、韓国、台湾などの専門家が、ボランティアとして協力したことは明確であり、漢字文化に無知な欧米人のごり押しといった批判は、情報不足による誤解以外のなにものでもない。
ただ、Unicode Consortiumの圧力といった点は、筆者が関係するようになってからも、さまざまに形を変えて存在している。この点については、「国民国家の綻び」という観点から後述する。

3.タイユニフィケーションまたは規格を提案する主体
下準備に、思いの外紙幅を要してしまった。タイ・ユニフィケーションの問題に立ち戻ろう。
タイに隣接する諸国には、独自の言語でありながら、タイ文字に若干の変形・拡張を行って表記に用いている少数民族が少なからず存在する、ということは先に述べた。
一方、開発途上の国家にとって、情報技術分野での産業育成は、いわば悲願という様相がある。
中でも自国で用いられている言葉をコンピューターで扱えるようにする、ということには情報技術の国力を誇示するための象徴的な意味があるように思われる。
ISO/IEC 10646を策定しているグループの基本的なスタンスとしては、少数民族の言葉に用いられる文字でも、実際に使用している集団が存在する限りは、区別なく規格化していこうと考えている。しかし、ある言語に用いられる文字のグループが独立している場合は、単純にその文字のグループを追加するだけですむが、一般的には、ことはそれほど単純ではない。
言語学の素養がある方にとっては当然のことであるが、話される言語と書かれる文字との対抗関係は、必ずしも一対一ではない。例えば、北京語、広東語、福建語などを別の言語と考えたとして、スクリプトとしては漢字があれば事足りるし、モンゴル語などもつい最近まではキリル文字を用いた表記が用いられていた。筆者が見聞きした例を挙げると、マレー語は、アルファベット表記とJawiと呼ばれるアラビア文字表記が存在するが、ともに音写のための借り物であるという点で変わりはない。
欧米でも、英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語などは、通常のラテン・アルファベットにいくつかのアクセント付きの文字や、写本の表記方法に起源を持つ合字を用意すれば、ことが足りる。
このような事情で、国際符号化文字の世界では、複数の言語を表記するためのスクリプトを統合することが早くから行われている。このやり方は、規格を策定する作業量の点からも、コンピューター資源の点からも、合理的かつ能率的なやり方である。ラテン・アルファベット、アラビア文字、先に挙げた統合漢字などは、その例である。

タイ・ユニフィケーションの問題も、ある文字のグループを用いる複数の言語をひとまとめにして、ISO/IECの規格として制定しようという一連の流れの中に位置づけることができる。
しかし、ここには二重の意味での困難が伴っている。
まず、少数民族故に、その民族が属する「国」の公用語であることは稀であること。
次に、「国」自体が、発展途上である故に、ISO/IEC JTC1において投票権を持っていることは稀であること。
先にも述べたように、ISO/IECの規格は、基本的には一定の会費を払って投票権を持つナショナルボディの議決のよって制定される。ところが、タイ・ユニフィケーションの対象となる少数民族を持つ国家の多くは、ISO/IECの投票権を持っていない。
それでも、自国の公用語あるいは、比較的利用者が纏まっている独立した文字グループであれば、主体的に提案をまとめることもできないわけではないし、ISO/IECの関係者からの提案に対して、国としてのまとまった意見を述べる道も完全に閉ざされているわけでもない。しかし、複数の国家にまたがる複数の言語を表現する文字グループを、新たに一つの提案にまとめ上げ、それをISO/IECというナショナルボディ同士の談合の場に持ち込むとき、提案するのはどうのような主体になるのか。
MLIT4での問題提起は、このような非常に困難な道を、途上国同士が協力と連絡を密にして切り開いていこう、というものだった。
いそいで付け加えておくが、公式な発言は別として、タイのような有力な国がリーダーシップを取ることに対する率直な危惧の発言が、他の国々の代表から漏れ聞こえてきたこともまた事実である。

4.国家の意思と企業の意志
もう一つ、異なる観点から「国民国家の綻び」の例を挙げておきたい。
この規格が制定された1993年当時、漢字部分については、さまざまな曲折があったとはいえ、最終的には、CJK Unified Ideographsという形で、日本、中国、韓国などの代表が協力し合って、共通部分を統合化した文字コードを作り上げたことを、先に述べた。この作業は、当時存在していたそれぞれの国内規格を基に行われた。そのこともあり、規格票には、元になった国内規格を参照するための情報が記載されている。
ところが、ISO/IEC 10646には、このCJK Unified Ideographsとは全く別のところに、JCK COMPATIBILITY IDEOGRAPHSという奇妙な漢字の一群が存在している。
多くは、台湾や韓国などの国内規格にあり、統合化の作業で扱いに苦慮した漢字が、まさにそれぞれの国内規格との互換性維持のために採録されたものなのだが、一部、日本の関係者の間でカナダ文字と呼び慣わされている漢字がある。
筆者が係わる以前のこと故、委細はつまびらかにしないが、当時から係わりのあった方々の話をまとめると、以下のような次第のようである。
IBMの日本法人で、以前から大型機に用いていた文字コードのセットがあり、その中には、一部、当時のJIS X0208にもX0212(補助漢字と呼ばれるもので1990年に制定された)にも含まれない文字が存在した。ISO/IEC 10646の制定にあたり、これらの文字が国際規格に含まれないことになると、IBMグループとしての日本市場における戦略にマイナスの影響を与える可能性がある。そこでCJK統合漢字の策定作業を行っていたグループとは独立に、ISO/IECの会議にカナダの代表として出ていたIBMの社員が、これらの文字の提案を行い、Unicode Consortiumの支援を得て採択された、ということのようである。
ことの是非は措くとして、地球規模の企業が、自企業グループの共通の利害のために国の枠を越えて活動する例は筆者が活動に参加するようになってからも枚挙に暇がない。
実際のところ、筆者もメンバーとして加わっている、Unicode Technical Committee(UTC)の構成メンバーは、まさに多士済々、いわば人種のるつぼのような状況を呈している。ドイツ、オーストリア、フランス、ヨルダン、インド、台湾、日本。そして、筆者を除くすべてのメンバーが、IBMやMicrosoft、Apple Computer、Oracleなどの米国=国際企業の現役社員もしくは元社員である。
彼らは、それぞれが帰属する企業の世界戦略を踏まえた上で、Unicode Consortiumとしての意志決定を少しでも自社の利益に結びつく方向に持っていこうとする。
驚いたことに、筆者がただ一人の(日本国籍を持ち、日本語を母語とする)日本人として参加するようになった一九九五年当時、この委員会はISO/IEC 10646の策定に係わるアメリカ合衆国のナショナルボディであるL2という委員会と合同で会議が持たれ、議決も渾然一体となっていた。この状態については、事実上筆者のみがUTCのメンバーでありながら、L2とは異なる立場(日本の立場)を取るという局面もあって、強く抗議したところ、その抗議が受け入れられ、以後は、UTCの決議とは独立にL2のメンバーだけで、新たに決議の確認を取るという手順にはなった。
それにしても、民間企業の連合体としての意志決定とISO/IECに対応する国家組織の代表としての意志決定の区別に対する意識の低さは、筆者にとってはある種の驚きであった。後に、ことの事情が少しく分かるようになってみると、L2の構成メンバー自体が民間企業であり、ISO/IECに対するアメリカ合衆国としての意志決定も他ならぬ個々の民間企業の利害の集積に他ならないものではあったのだ。

5.国民国家の綻びまたは情報ディアスポラの誕生
本稿の目論見は、情報技術分野での文字コードに係わる国際標準規格策定の現場体験を通して、近代的な「国民国家」の綻びの一端を示すことにあった。
その一つの局面が、タイユニフィケーションを例とする国家語に収まりきらないさまざまな言語に用いる文字の規格化という問題であり、もう一つの局面が、Unicode Consortiumに代表されるような、国家の利害を超えた地球規模企業群の振る舞いという問題だった。
最後に問題点を整理するとともに、「国民国家」を越えた動きの可能性について考えることにしたい。

まず、タイユニフィケーションの議論に含まれる問題は以下のような点に整理できるだろう。

  • 一つの国家で用いられる言語が単一であるとは限らない。
  • ある言語音声言語とそれを表記するための文字グループの対応関係が一対一であるとは限らない。
  • 情報化の波の中にあって、開発途上国の産業発展・育成のためには、情報技術は欠くことができない。
  • 現在のISO/IECの仕組みの中では、規格制定の実質的決定権を握っているのは、一定の会費を払って投票権を持つ一部の国の代表に限られる。
  • このような状況の中で、国家語の枠に収まりきらない言語表記を国際的文字コード標準の中に取り入れていくことには、非常な困難が伴う。

人に貴賎がないと同様、人が母乳とともに母親から獲得した母語にも貴賎があろうはずはない。話される言葉とそれを記述するための文字との差はあれ、自らが日常的に母語として用いている言葉で自らの考えを表現したいという欲求は人にとって根元的なものといえよう。そして、産業技術の発展と引き替えに、それらの欲求を封殺する権利は何人にもない。
しかし、歴史は、時の権力者が常に言葉を支配の手段として用いてきたことを明らかにしている。さらに、新しいメディアの出現は、言語の多様性を少なくする方向に働くことも、同様に歴史が証明している。

こうした中で、お互いの母語を尊重すること、地球上のあらゆる人々の母語=日常的な言葉をインターネットを初めとするコンピューターやネットワーク環境において自由に使えるようにすること、そのために個々人が努力すること、などが必要なように思われる。
しかし、このような個々人はどこに存在するのか。

次に、Unicode Consortiumに代表される地球規模企業の振る舞いはどうか。

  • 現代の地球規模企業の活動は、もはや「国民国家」の枠組みを越えている。
  • こうした企業に所属する人々は、さまざまな母語と国籍を持ちながら、「国民国家」の価値観とは異なる企業の価値判断で行動している。
  • ISO/IECの活動などで、アメリカ合衆国の意志決定は、時にこうした地球規模企業の意志決定に取って代わられる場合がある。

筆者がUnicode Technical Committeeを通して知り合った友人の一人に、日本の国籍を持ちながら、Sun Microsystems米国本社のの幹部技術者として働いている樋浦秀樹氏がいる。
樋浦氏は、ISO/IECの会議には、米国の代表団の一員として参加する。彼の立場はかなり微妙なのだが、筆者が忖度するに、Sun Microsystemsという企業の一員としての立場と母語として日本語を話す人間としての立場との重なり合う部分に判断の基準をおいているのではないかと見受けられる。しかし、彼の活動は、日本人やSun Microsystemsの社員といった枠に収まりきらない部分がある。
近ごろ、情報技術分野で「オープンソースソフトウエア」という言葉をよく耳にするようになっている。オープンソースとは、ソフトウエアをそのソースコード共々無償で公開し、関心を持つボランティアがよってたかって改良していく、とった類のもので、コンピューターのオペレーションシステムとして長い歴史を持つUnixの一種である、Linuxなどがその代表的なものである。
樋浦氏は、まさに、このオープンソースを地で生きているようなところがあり、Unixの世界やインターネットの世界で、企業の枠を越えた広い人脈を背景に、さまざまな活動を行っている。筆者の周辺には、少数ながら、樋浦氏のような「国民国家」や地球規模企業の枠を越えた技術者が現れ始めている。
近ごろ、知的ディアスポラについての議論を度々目にするようになっているが、彼らはいわばディアスポラ的情報技術者とでも名付けてよいのではないかと思われる。
タイユニフィケーションの問題だけではなく、少数民族の言語をコンピューターやネットワークで扱うための技術基盤づくりという困難に立ち向かうことが出来るのは、「国民国家」に機軸を置く人々でもなく、地球規模企業に機軸を置く人々でもなく、自らの母語を大切に思い、他者の母語に対して思いを致すことの出来、かつ、優れた技術力を持つ、樋浦氏を初めとするディアスポラ的情報技術者たちではないか。

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ユニコード会議でJISを考える

ユニコード会議でJISを考える

《愚者の後知恵》サイバーリテラシー研究所長の矢野直明さんが朝日新聞に在職されていたころの共同作業。以前の辻篤子さんとの共同作業もそうだったが、プロフェッショナルな新聞記者による斧正を受けることは、いわば文章のオーバーホールというか全身マッサージというか、現象面での痛みと共に、体中に溜まった積年の澱を洗い流すような快感が伴い、とても後味の良いものだ。
2000年5月?
朝日新聞ネットあごら第五回原稿

4月25日から28日まで、アメリカ西海岸、ベイエリアにあるマイクロソフトで行われたユニコード技術委員会(以下、UTC)に参加してきた。
ユニコードとは、ゼロックス、アップル、IBM、マイクロソフトなどの情報関連企業で作っているコンピューターで文字を扱うための技術規格で、漢字も含む世界中の文字を集めた巨大な符号化文字集合のことだ。
ネットワークで結ばれたコンピューターなどの情報機器で、異なる文字をスムーズにやりとりできることは、いよいよ重要になっており、ユニコードは国際標準規格ISOとも連動している。ユニコードに関しては、中国の簡体字と日本で用いられる字形が統合されていて区別が付けられないなど、日本国内でも強い批判があるが、現実には、マイクロソフトのWindowsやアップルコンピューターのマックなどは、すでにユニコードを用いてさまざまな言語への対応を統一的に進めている。ホームページ製作に用いるHTMLという言語や、Javaという新世代言語でも、ユニコードを前提とするようになってきた。
UTCはユニコードに関して技術的な責任を持つ委員会で、今回の会議では、1月20日に制定されたJIS(日本工業規格)の新しい文字コード、X0213とユニコードの相互互換性をどのように確保するかといったことや、NTTドコモのiモードで使われている絵文字の扱いなども話題になった。日本市場を無視できないからである。
X0213関連では、草冠の書き方が4種類もあり、日本の主張をそのまま通すと、部首としての登録を含めて9種類にもなってしまうことの是非や日本の官公庁で多用される桁数の多い丸付き数字(⑳)など、一般に日本人では想像もつかないような細かな議論があった。
また、iモードの絵文字に至っては、国内のISO対応委員会では話題にもなっていないうちに、NTTドコモと関連のある外国企業の外国人技術者からの電子メールによる問題提起を即日取り上げる、という素早さを見せた。
ところで、今回のJISコードは、日本独自の漢字関係の工業規格としては10年ぶり3番目のもので、地名や人名、高校までの教科書に出てくる漢字など、日常的に用いられている漢字や記号類を幅広く精査して制定した「労作」だが、あまりマスコミで報道されなかった。
二年ほど前、文字コードをめぐって「漢字を守れ」キャンペーンまで繰り広げられたことを考えると、世間もマスコミも不思議な沈黙ぶりである。海を越えたUTCでの熱心な議論に参加していると、情報技術の分野では、言葉や文字といった日本の文化に固有な要素といえども、世界の大きな流れから独立しては存在し得ないことに対する世上の認識の薄さをを実感させられる。
デジタル・ネットワークの世界では、国境や物理的な距離など、国やその言語、文化の相違を形成する垣根が非常に低くなっており、それだけに、地球規模で製品開発を行っている大企業は、新しいJISが制定されたからといって、日本市場のためだけに特別な仕組みを用意するようなことはしない。これらの企業は、国家の正式な規格も含む、さまざまな国や地域の個々のニーズを、いったんユニコードに集約した上でなければ、製品に組み込まないのである。
一方、公的なISOの場では、日本、中国などの国家を単位とした利害がぶつかり合い、そこにユニコードに集約される地球規模企業の利害が複雑に絡み合って、毎回、激しい議論が繰り広げられている。
いまや、単に国益であるとか、伝統文化を墨守するといった発想ではなく、あらゆる地球市民が、自らが日常的に用いている言葉を、ネットワークで繋がれた情報機器の中でも自由に使えるような技術基盤を作ることが大切なのであり、日本人もそういう気概で国際的な議論の場に入り込んでいくべきである。
この理想実現のためには、いま起こっていることを個々のユーザーに正確に伝えるマスコミの報道が、何よりの助力となるのだが……(ジャストシステム デジタル文化研究所 客員研究員)。

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身体感覚と新デバイス技術

身体感覚と新デバイス技術

《愚者の後知恵》JEITAの委員会での報告を元とした論考。このあたりの議論は、もう少し発展させたいなあ。
2000年03月
「次世代コールドエミッション技術の調査研究」 平成12年3月 新エネルギー・産業技術総合開発機構 委託先:社団法人 日本電子工業振興協会 所収

0.はじめに
以下の論考は、1999年12月2日に、仙台ワシントンホテルで行われたコールドエミッション制御技術・応用技術合同分科会の機会に行った報告を基とし同委員会の要請を受けて、報告書に掲載することを目的としてまとめたものである。
ハードウエアの先端的技術研究者の集団が、先端的要素技術の実用化、製品化を検討する際の参考にしていただければ幸いである。

1.技術受容の社会構成主義
1.1.メディアの社会構成主義

社会学、メディア論の研究者の一部に、「メディアの社会構成主義」を標榜するグループがある。彼らの主張を端的にまとめると、「あるメディアが社会に受容されるか否かを決するのは、そのメディア自体の技術的な要件ではなく、社会的な要因である」ということになる。
このような主張に基づいて表された優れた研究所として下記の2点を挙げておく。

  • 吉見俊哉他『メディアとしての電話』(弘文堂)
  • 水越伸『メディアの生成 アメリカ・ラジオの動態史』(同文館出版)

ともに、東京大学社会情報研究所を拠点とする気鋭の研究者のグループに属する人たちによる研究だ。
ここでは、水越の『メディアの生成』に依拠して、簡単に彼らの主張を紹介する。
現在の中波無線による放送は、当初、現在の短波によるアマチュア無線のように、双方向の通話に用いられていた。一方、ワイヤードの電話を、有線放送のようなブロードキャストに用いていた例も多くあった。
中波無線が一方通行の放送に用いられるようになったきっかけは、あるアマチュアミュージシャンのグループが、毎週曜日と時間を決めて、自分たちの演奏を流し始めたことにある。この演奏が評判になり、もっぱら演奏を聴くためだけに通信機を買い求める顧客層が生まれてきた。このアマチュア楽団のメンバーの一人が属していた電機メーカーがこの層に目を付けて、受信専用の無線機を発売して、大ヒットした。同時に、番組(プログラム)の送り手を支援するスポンサーも現れた。
ラジオ放送は、その出自の最初から、情報の送り手と聴衆、それにスポンサーという、現在の商業放送の原型を見事に獲得していた。

水越によるラジオ「放送」の発生にとどまらず、このようなパターンは、多かれ少なかれ、革新的なメディアの登場に必ずのように付きまとう。
ソニーによるウォークマンの誕生など、その典型的な例で、録再可能な小型テープレコーダーから、録音機能を取り除いて再生専用として、それに軽量なヘッドフォーンを組み合わせることにより、それまでには存在していなかった全く新しい生活様式を出現させることとなった。
家庭用ビデオデッキの普及と、ビデオのレンタルショップの普及も、同じような論点から論じることができるだろう。

1.2.規格の社会構成主義
筆者らは、ここ数年、電子協の電子化文書動向調査専門委員会を舞台に、「規格の社会構成主義」といった立場から、さまざまな調査研究を行ってきた。(http://www.jeida.or.jp/committee/ed/index.html)
当然のことながら、この発想の背景には、「メディアの社会構成主義」から受けた大きな示唆がある。
要は、メディアの普及が社会的な要因によって左右されるものであるのならば、規格の普及にも、社会的な要因が大きく係わるであろう、という問題意識である。
このような問題意識に基づき、広い意味でのデジタルドキュメントに関するさまざまな電子文書規格やシステムの策定・開発・普及に当事者として係わった方々をお招きして、成功談、失敗談をうかがい、事例研究を積み重ねた。
その結果、ある文書規格やシステムが社会に受容されるための共通の必要条件がいくつか存在することが分かってきた。端的にまとめると、以下のような形となる。

    ・策定・開発の当事者が自信と確信を持っていること。要は右顧左眄ではなく、ある種の確信犯として明確な意図を持って策定・開発に係わることが必要である。複数の視点の妥協からは、革新的かつ社会に受容される規格・システムは誕生しない。・規格・システムの熱心な支持者層が存在する。いわば、サポーターといったものだが、当事者がいくら騒いでも、それを指示する人々が存在しないことには、ことは始まらない。昨今の、Linuxの急速な普及など、このサポーターの存在抜きには考えられない。・エンドユーザーの潜在的な欲求に合致している。これも当然と言えば当然だが、どれほどマニア受けしても、エンドユーザーに受け入れられて、初めて普及ないしは社会的受容が完了するのである。 技術的にどれほど優れたメディア・規格・システムであろうと、これらの条件が満たされなければ、普及はおぼつかないわけである。逆にいえば、これらの条件をすべて満たしていたからといって、必ず普及するとは言い切れないところが辛いところなのだが。

1.3.「作る人」「担ぐ人」「使う人」
新しい要素技術を製品として生かしていこうと考えるとき、上記の「作る人」「担ぐ人」「使う人」といった視点から、それぞれ検討してみるだけで、一つの視点からは思いもつかなかった問題点が明確になることが、多々あると思われる。
いわば、「作る人」としての確固たる信念を持った上で、「担ぐ人」「使う人」の立場にも立てる柔軟性が必要、ということになろうか。

2.身体の外延としての道具を目指して
2.1.ハイデッガーの道具論

東京大学教育学部の佐伯胖とスタンフォード大学のテリ-・ウィノグラードが、共通してハイデッガーに依拠したインターフェース論を展開している。(「コンピュ-タと認知を理解する 人工知能の限界と新しい設計理念」 テリ-・ウィノグラ-ドフェルナンド・フロレス /産業図書)

この論点も筆者なりに簡単にまとめておく。
たとえば、金槌でくぎを打っているとき、金槌はいわば手の外延として身体化している。ところが、誤って自分の指を打ってしまった途端、金槌は自らの身体から離れ、自分の外側に存在する物として立ち現れてくる。
完全に身体化するインターフェースは、何か事故が起こったとき、回復の手がかりを掴むことが極度に困難になる。もしくは、決定的な破局が訪れるまで、異物感に気づくことが出来ない。
インターフェースを開発設計する際には、完全に身体化してしまうものでも、全く異物として身体に同化しないものでもなく、適度な異物感を残して身体化するように、設計することが肝要である。

2.2.佐伯の「お箸型道具とナイフフォーク型道具」論 同じ佐伯胖が、「お箸型道具とナイフフォーク型道具」という論を展開している。
これについては、さして説明する必要もないと思われるが、「お箸型道具」とは、使いこなすためにはある程度習熟の必要があるが、一端習熟すると何にでも応用が利く汎用的な道具、「ナイフフォーク型道具」とは、誰にでも簡単に使えるが、使用目的が限定されている専用の道具、といったことになる。
佐伯は、この例としてワードプロセッサーとエディターとの対比を用いていたが、昨今ではWindowsやMacなどのGUIとUnixのCUIの対比などにも適応できよう。

2.3.ユビキタスコンピューターの二つの側面 さて、昨今、ユビキタスコンピューターという言葉をよく耳にするようになっているが、この言葉には異なる二つの側面がある。
一つは、水や空気のようにどこにでも普遍的に存在するコンピューターという使われ方であり、他の一つは、いつでもどこにでも持っていける身体化したコンピューターという使われ方である。
例えば、家庭の各部屋にまで普及したテレビは、前者の方向性でブロードキャスト型のユビキタスコミニュケーションを実現したといえるし、昨今の携帯電話の軽量化は、後者の身体化という方向性でのユビキタスコミニュケーションを実現しつつあるかに見える。

2.4.ユビキタスLCDは、身体化するか風景となるか
液晶を用いたさまざまなコミニュケーションツールを考える際、人間の身体性とどのように係わるかを十分に考慮する必要がある。
身体性という観点から見れば、液晶のピクセル密度を高める際、人間の裸眼の識別能力(170dpiから200dpi程度)が要求精度の一つの閾値となる。携帯電話などについても、さらなる軽量化の余地はまだ残されているが、小型化については限界に来つつあると考えられる。人間の手の大きさを無視した小型化は、ユーザーを無視した技術の独善となりかねない。
「ナイフフォーク型」の道具が数多く普及すると、そこに用いられる液晶も、それぞれの道具の使用目的に適したものが一つずつ必要となり、「お箸型」道具の場合は、さまざまな用途を想定した汎用的なものが必要となる。
これらの道具が身体化する場合は、身に着けるという観点から、重量や柔軟性といった液晶の物理的な特性が重視されることとなるし、風景となるためには、まさに湯水のごとく使えるほどの劇的なコストダウンが最優先の要素となる。

3.本のメタファーかテレビのメタファーか
3.1.メタファーとしての新メディア

新しいメディアが社会に受容される際、それまでのメディアと隔絶したメディアが受容されることは稀である。新しいメディアは、常に何らかの形で旧来のメディアのメタファーとして出現する。
グーテンベルクの活版印刷は、先の千年期の後半に大きな影響力を持ったが、その思想は活字の設計、版面の組み方、造本に至るまで、基本的には手写本の模倣にあった。
また、現在のデスクトップコンピューターは、基本的にはテレビジョンのメタファーからスタートしており、ノートブック型コンピューターは、本もしくは手帳のメタファーからスタートしている。デスクトップコンピューターとノートブック型コンピューターでは、その使われ方、受け取られ方がかなり相違している。

3.2.コーデックス型かパピルス型か
同じ「本」といっても、その歴史を振り返ってみると、現在のグーテンベルク型の見開きに綴じられた本だけが存在していたわけではない。聖書の写本などでは、初期には蘆の繊維を漉いた短冊状のパピルスを綴ったものが主で、後に羊や山羊などの皮を鞣したものを折り畳んだコーデックスに変わっている。
翻って、日本にも、巻物という優れた本の形が存在した。
このように見ていくと、電子化された文書の閲覧方式にも、パピルスなどの巻物型のものと、コーデックスのようなページめくり型のものが存在することが分かる。

3.3.LCDは、どのようなメタファーを目指すのか
LCDの使用目的を考える際、このような視点も必要なのように思われる。
テレビメタファーで考えるならば、柔軟性はさして必要がなく、平面性を保ったまま大型化する技術が必要となる。
コーデックスメタファーの場合、ページをめくるという動作をどのようにしてLCDで具現するか、という問題が生じてくる。携帯性のための柔軟性、複数ページを連続してみるための厚みの軽減、といった要素も必要となる。
巻物メタファーの場合は、HTMLのブラウザーなどのようなスクロールに相当するインターフェースとの親和性が比較的高いことが予想される。
短兵急に結論を急ぐ必要はないが、グーテンベルク以前のパピルスメタファーについて、もう少し研究してもよいように思える。

4.まとめに代えて
技術は実用に供されて初めてその使命を達成する。
しかし、ある使用目的を明確にした技術には、使用目的が事前に明確になっている故の、革新性の乏しさが伴う。
真に革新的な技術は、社会のあり方そのものを変える潜在的な力を持っていると同時に、潜在的な社会的な必要性に呼応しない限りは、社会に受容されることもない。
社会に変革をもたらす技術とは、技術者の確信に満ちた独創性と、常にユーザーのことに思いを致す柔軟性を両輪として初めて実現できるものではないか。
ユビキタスLCDを実現するためには、このような技術者の琢磨が必須のことである。

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福永陽一郎のこと

福永陽一郎のこと

《愚者の後知恵》実際の私信として書いたときから、ホームページでの公開を念頭に置いていた。頭の片隅には、森有正の『流れのほとりにて』や『バビロンの流れのほとりにて』などの書簡形式の作品への思いがあったことも事実。
2001年8月
私信

北嶋さま、

ご無沙汰しています。ずいぶんと時間が経ってしまいましたが、過日お目に掛かった際にお話しした、作曲家の小倉朗と指揮者の福永陽一郎との小生の個人的な出会いの体験、少しずつですが書き始めることにしました。福永陽一郎の『演奏家の時代』の本質をエドワード・サイードや渡辺裕の『聴衆の誕生』の出現を待つまでもなく見抜いていらした北嶋さんのことです、小生の若いころの思い出も、時代背景も含めて理解していただけるものを勝手に思いこんでいます。煩わしいとお感じになるかも知れませんが、おつきあいいただければ幸いです。
小生の実母逝去の際のことどもを綴った文章をホームページにアップしてあるのですが、思いの外多くの方が、好意的な読後感を語ってくださいます。ごくごく個人的な体験に共感してくださる方を見いだすことが出来るのも、インターネットの良いところなのでしょう。

福永陽一郎:1926年神戸生まれ。指揮者。1989年2月逝去。
寒い土曜日でした。僕はいつものように藤沢市民交響楽団(以下藤響)の練習に顔を出していました。棒を振るはずの福永さんはなかなか来られませんでした。団員の一人が代棒を振り始めたころ、そのころ団長だったコントラバスの山田君が、ティンパニーを叩いていた僕のそばに来て、耳元でささやきました。
「小林さん、ちょっと。陽ちゃんが危ないらしい」

藤沢市民病院に、古くからのオケの仲間数人と駆けつけました。間に合いませんでした。福永先生は、霊安室に移されたばかりでした。夫人の暁子さんが、
「だめだったの。馬鹿よね、退院するためのリハビリだなんていって、病院の階段を昇ったり降りたりするんだもの。弱っていた心臓に来ちゃって。」
気がつくと僕の頭の中では、ヴェルディの歌劇「椿姫」のフィナーレのティンパニーの連打が鳴り響いていました。
「タツオくん、そこはトレモロではなくて、刻んで。インテンポで。トゥッタフォルテで叩ききってください。ヴィオレッタの心臓の音です。音楽が鳴り止んでも、ヴィオレッタの心臓の音が、みんなの頭の中で永遠に鳴り響いているように。」
福永さんは、そのような言い方で音楽を作っていく人でした。「椿姫」の第2幕で、ヴィオレッタがアルフレードにそれと告げずに、別れようとする場面で、ソプラノのハイトーンにオーケストラのトゥッティがかぶります。
「ティンパニー。フォルティッシモ。大丈夫です、ちゃんとしたソプラノの声なら、オーケストラを突き抜けます。ヴェルディは、そう書いています。それに、オペラはオーケストラで作るものです。歌が聞こえなくたって、音楽で聴衆を泣かせてみせます。」
本番直前になって、ウィーンでも歌ったことのあるプリマドンナから、クレームが来たそうです。ティンパニーが大きすぎると。彼女の意を受けた副指揮者が僕のところに注意に来ました。僕は聞きませんでした。
「福永先生が、フォルティッシモでやれって言いましたから。文句があるのなら、福永先生に言ってください。僕は、福永先生の指示以外は聞きませんから。」
福永さんは、最後まで僕に音量を落とすように、との指示は出しませんでした。

「タツオくん、ここ見てごらん。ヴィオレッタがアルフレードと初めて出会った舞踏会の後の場面。このエストラーノ、エストラーノ(不思議だわ、不思議だわ)のところ、アウフタクトの音が、一回目は八分音符で、二回目は十六分音符で書いてあるでしょ。ここでヴィオレッタは恋を自覚するんだよ。これを振り分けなくっちゃ。」

福永さんと一緒にやってきた音楽の断片が、それこそ洪水のように頭の中を駆けめぐっていました。
ブラームスの第四シンフォニーの第一楽章。最後のティンパニーの刻みを、僕は時間が止まるのではないかと思えるほどのリタルダンドをかけて叩いたのでした。
この演奏全体が、僕にとって忘れることの出来ない体験で、
「生きているということは、今ここで福永陽一郎とこのブラームスのシンフォニーを演奏していることそのものではないか」
とさえ、感じられるような体験でした。
この演奏会の後、藤沢市民オペラの「アイーダ」が音楽の友社賞を受賞した記念パーティーの席で。
「タツオくん、ブラームスのティンパニー、よかったね。何だかティンパニーコンチェルトを振っているような気がしたよ。」

ベートーベンの第九シンフォニーの最終楽章。Allegro energico, sempre ben marcato 4分の6拍子。手元の譜面では、719小節目のところ。
「あそこ、見事にテンポが落ちたね。あれ、二度と出来ないよ。本当に、ティンパニーのアウフタクトの一発で、テンポ変えたからね。」

失敗もあります。シンフォニーでも、オペラでも。
「アイーダ」の2幕。凱旋行進曲の後で、囚われの身となったアイーダの父アムナズロが、不幸を呪詛する場面で。僕は、コントラバスのピチカートと一緒に叩く合いの手を、見事に落としました。幕間に謝りに行った楽屋で。
「コラ、指揮者を殺す気か!!」
第九の2楽章のソロを落としたこともあります。その場面を、ソニーのトリニトロンの発明者で、オケの主席チェリストだった宮岡さんが、初期のホームビデオに録画しており、忘年会で指揮者の後ろ姿が、文字通りズッこけるところをさんざん見させられました。
同じ第九の3楽章で、コントラバスと交代してティンパニーが叩くべきバスの音型を、2小節早くコントラバスと一緒に叩いてしまって、完全に落っことしたこともあります。練習だったので大過なくすみましたが、このミスで、その個所のティンパニーの音型の重要性をいやというほど思い知らされました。この個所は、後に若杉弘との第九の演奏の際、鮮やかに蘇ります。

福永陽一郎の死去を巡る思い出は、この病院のシーン以降、葬儀の時まで完全に欠落しています。ともあれ、彼の死は、僕にとって、まさに初めて体験する二人称の死でした。人が死ぬと言うことが、とりもなおさず自己の存在そのものの部分的な喪失であることを、僕はこのとき初めて知りました。僕の青春と呼べる時代が決定的に終わったのでした。そして、僕は少し大人になりました。

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