Bookガイド―――マルチリンガル以前の教養 編
【はじめに】 編集部からの注文は、「Bookガイド--わたしの本棚から」マルチリンガル編。この分野も話題になっているということなのかしらん。
実際、インターネットの普及に伴い、物理的には世界中のあらゆる地域と繋がっていることを実感できるようになった。そうすると、そこで使える言語が事実上英語だけだという今までの状況は、どこか異常なものに感じられてくる。先日なども、東京で開かれたユニコード会議の準備をしていて、ふと気がついてみると、ドイツに住んでいる日本人とひたすら英語で電子メールのやりとりをしている自分に気がついた。せめて、それぞれの自国語で作成したウェッブサイトを互いにブラウジングでき、地球上のどこにいても自国語での電子メールのやりとりに不便を感じないですむような環境を実現して欲しいと思うのが、素朴な希望というものだ。たしかに、最近になって、このような素朴な希望は少しずつだがかなえられるようになってきているが、まだまだ十分だとは言えない。
それにしても、翻って考えるに、なぜインターネットで使える言語が英語だけではいけないのだろう。ぎゃくに英語だけでいけないとすれば、実現すべき多言語環境とはどのようなものなのだろう。この疑問に即座に答えるのは、それほど容易なことではない。筆者自身、いわば突発事故でこの世界に引きずり込まれたわけで、決して専門家ではない。新しい分野なので、まとまった概説書があるわけでもない。本稿は、さまざまな問題に遭遇しながら、場当たり的に回答を求めて読み散らかしてきたここ数年の筆者の読書の記録である。本稿で取り上げる書籍に、”How”の答えはない。おそらくは、”Why”の答えもない。ただし、”Why”を読者諸兄が考えるヒントには満ちていると思う。
前半で、多言語問題を考える際に忘れてはならないと筆者が考えるいくつかの論点について、いくつかの書籍からの引用を中心にして述べる。その中で、筆者が実際に遭遇した具体的な事例にも言及する。
後半では、前半で引用した書籍も含め、多言語問題を考える際に筆者にとって何らかの形でヒントを与えてくれた書籍を、さほど秩序を考えずに挙げる。
【そもそもマルチリンガルもしくは多言語とはなにか】
まずは、ずばり、三浦信孝編『多言語主義とは何か』から。
三浦信孝編『多言語主義とは何か』(編者による「はじめに」から)
言語帝国主義から、普遍言語の夢を引き継ぐコンピュータ言語まで、人間の言葉を一つに統一するのが便利だと考える傾向を「一言語主義(モノリンガリズム)」と呼ぶとすれば、言葉の多様性に意義を認め、互いに相手の言葉を学びあうことで意思の疎通をはかろうとする態度を「多言語主義(マルチリンガリズム)」と呼ぶことができる。社会言語学でいうマルチリンガリズムは、複数の言葉を併用する個人の能力や社会の多言語併用状態を指すが、言語政策や言語計画では、多言語併用に積極的価値を認め、これを保障し推進する立場をマルチリンガリズムと呼ぶ。
言語はコミュニケーションの道具であるだけでなく、世界認識の方法であり、自分を確認したり自分を表現したりするアイデンティティの拠り所でもある。伝達手段としては、皆が同じ一つの言葉を共有するのが効率的だし、特定の言語を共通語にするのは、経済取引など実用的な伝達には便利だろう。しかし人間には、外国語はおろか母語でさえうまく言えない微妙な感情や個的な深淵の感覚がある。もし世界が一つの言語によって統一されたなら、人々はアイデンティティの拠り所を失って、逆に大きな混乱が起こるだろう。また、言語は共同体の記憶の集積であり、個人のアイデンティティは言語共同体への帰属によって保障されるだけに、少数言語の抑圧は少数派を多数派に敵対させ、しばしば民族紛争の引き金になる。
だから、言語の多様性は守らなければならない。他者をよりよく理解し、他者に自分を開くためには、他者の言葉を学ばなければならない。自国の言葉のなかで自分を異邦人と感じている人ほど、他者の言葉を学ぶことに深い動機をもっているものだ。逆に、他者の言葉を学ぶことは、自分の言葉を他者の眼で見ることを教えてくれるだろう。「国語」を母語とする同質な人々の集まりという「想像の共同体」では、異質な他者は排除される。一枚岩の母語のなかに閉じこもり、そこから出ていこうとしない者同士のあいだに、理解や共感が生まれるはずはない。その意味で、征服者の言語を植民地に押しつける言語帝国主義も、〈一民族=一言語=一国家〉の虚構に固執するエスニック集団の分離独立主義も、他者を拒否する「一言語主義」という同じメダルの裏表でしかない。均質な単一民族国家の幻想が今なお支配する日本において、異質な他者に対する本当のホスピタリティを養うには、「多言語主義」について考える必要があるのではないか。(012ページ)
現在の筆者は、この文章に何の留保もつけずに賛同できる。しかし、ここで三浦が言及しているさまざまな問題の所在を理解するためには、社会言語学一般についての少しの理解が必要かもしれない。筆者自身、「均質な単一民族国家の幻想が今なお支配する日本に」育った故に、この問題に係わるまで、世界の言語を考える上でのいわば常識が欠如していたことは否めない。
では、社会言語学の世界での常識とは何か。
【社会言語学の常識--多言語問題を考える基礎として】
【常識その1】
●話すことは書くことに先行する●
田中克彦『ことばと社会』 現実にある言語共同体が用いていることばであって、話されているだけで書かれることのないことばは存在するが、書かれるだけで話されることのないことばは存在しない。つまり、話すことはつねに書くことに先行する。なぜ、こうまでくどく言わなければならないかといえば、それとは逆の見方がいまなおくり返され、それを説いた本がひろく読まれているからである。たとえば次の一例を見よう。
「口語文とはあくまでも文語文のくづれ、ないし変奏にほかならないのである。」(丸谷才一「日本語のために」)
文語文とて、かつては口語文だったのであるから、この一節はむしろ「文語文とは何百年も前に話されなくなって死んだことばであり、口語文とは、いまじっさいに使われて(話されて)いることばにもとづいて作られた書きことばである」と言いなおさなければならない。(26ページ)
話すことが書くことに先行する、という常識を踏まえれば容易に理解できることに、
●話されることばと書かれたことばは一対一に対応するとは限らない●
という常識がある。特に情報分野でさまざまな言語を対象としたときに遭遇する実際の問題は、この形で現れることが多いようだ。
以下は最近の筆者の体験。
【マレー語における書きことば(体験に即して)】
先頃、国際情報化協力センター(CICC)が主宰している「多言語情報処理委員会」の活動の一環として、慶應義塾大学の石崎俊氏のお供をして、マレーシア、シンガポールに多言語国家における情報処理状況の調査に出かけた際、マレーシアでこの項の典型的な事例に出会った。
マレーシアは、おおむねマレー系、中国系、インド系人々で構成される。それぞれ、マレー語、各種の中国語、ヒンドゥー語を用いている。また、全般に英語のリテラシーも高い。
この中で、マレー語については、一般にラテンアルファベットでの記述とJawiと呼ばれるアラビア文字を借用した記述が併存している。
調査に出かける前に、ジャストシステムに勤務しているマレーシア出身の同僚に状況を聞いたところ、
「マレー語は、アスキーコードで完全に表現できるから、何の問題もありませんよ」
との返事だった。ところが、現地に出向いてみると状況は一変していた。
1990年代初頭より、特にマレー語による初等教育において、Jawiを用いることが法律によって定められ、いわばJawiリバイバルが起こっているというのだ。特にイスラム教の宗教教育においてJawiが重視されているという。この教育改革により、Jawiに対するリテラシーに世代間のギャップが生じ、高年齢層と若年層のJawiに対するリテラシーが高いのに対して、壮年層に落ち込みがあるとのことだった。
この例に見るように、言語政策が比較的安定している日本にいては想像もつかないほど、特に開発途上国では言語政策に揺れがあり、ある時期の言語政策、言語状況を鵜呑みにして固定化された先入主を持ってしまうと、痛い目に遭うことが多々ある。
もう一つ例を挙げる。モンゴル語の記述に、古モンゴル文字を用いるかキリル文字を用いるかという問題についての、モンゴル政府の言語政策の揺れが、ISO/IEC JTC1/SC2におけるISO/IEC 10646の策定作業に影響を及ぼしている。
いずれにしても、一般的には自らが受け継いだ(話される言葉としての)母語を守り、次の世代に伝えていきたいという思いが、無条件にその記述方法にまで及んでいると思いこむのは非常に危険である。
日本においても近代が成立する過程で、日本語の表記に関してさまざまな議論があったことは、イ・ヨンスクの『「国語」という思想』にも述べられている。
もう一つの派生的な常識として、
●手書きの文字と印刷された文字の形は必ずしも一致しない●
というものがある。これも体験から。
【体験:古典ギリシャ語の表記にラテンアルファベットを用いても情報量は落ちない】 以前、『季刊哲学12号電子聖書』(哲学書房刊)という雑誌の編集を手伝ったことがある。共観福音書(Synoptic Gospels)をハイパーテキストと捉えて、そこから想起されるさまざまな問題を考察しようというものだった。雑誌の編集と平行して当時の貧弱なシステムを用いて福音書のハイパーテキスト化も行った。さらに、この雑誌では付録としてこのころ東京大学を退官された荒井献氏の最終講義の記録のハイパーテキスト化も試みた。
この中で、荒井氏が実際の講義で用いられたマルコ福音書のギリシャ語テキストの一部を電子化して採録しようと考えた。ところが、荒井氏には筆者の意図が理解していただけない。
「なぜギリシャ語で書かれたテキストが必要なのですか。ラテナイズしたもので十分ではありませんか。」
結果的には、当方の意図を押し通し、荒井氏に提供していただいたハードコピーをスキャナーで読み込み、イメージデータとして組み込んだが、後には釈然としない思いが残った。この思いは、ずいぶん後になって、田川建三の『書物としての新約聖書』を読んでいて、恥ずかしさと共に氷解した。
田川建三『書物としての新約聖書』
大文字写本というのは、すべて大文字だけで書かれているから、このように呼ばれる。実は、小文字というのは中世になってから発明されたので、それもようやく九世紀のはじめ(あるいは八世紀末)のことである。発明されると、大文字よりも便利だから、急速に普及したようだが、それまではアルファベットの文字としては大文字しか存在しておらず、すべて大文字で書き、しかも単語の分かち書きもまだ導入されていなかったので、全文を切れ目なくずらずらと書いていたのである。句読点もまだ発達していなかった。(352ページ)
もうおわかりと思うが、ギリシャ文字とラテン文字は明確に対応している。複数のコードセット間での文字交換の際話題になるいわゆるround trip conversionが完全に出来る、といえよう。さらに、そもそも、荒井氏が用いたテキストそのものが、大文字写本を中心とするさまざまな写本から高度な校訂作業を経て再構成されたものなので、単にギリシャ文字を用いて表現したからといって、それをラテナイズしたものに比較して、情報量が増えるわけでも減るわけでもない。古典ギリシャ語の専門家にとって、あるテキストがギリシャ文字で表現されていようがラテン文字で表現されていようが、本質的には何ら相違がない。専門家にとっては、あるギリシャ語を表すテキストが、ギリシャ文字で書かれていようがラテン文字で書かれていようが、そんなことはどちらでもいいことだったのだ。
ここで急いで補足しておくが、先に挙げたJawiが特に宗教的な面から重視されるように、ある話された言語をどのような文字で表記するかという問題は、時に情緒的な側面から自由ではあり得ない。巷間、ラテン文字との間にround trip conversionが保証されている文字については、電子的手段での情報交換の際、効率性を重視してすべてラテン文字を用いればよい、という議論があるが、個々の言語使用者の情緒的側面を無視した暴論と言えよう。
【常識その2】
●母語と母国語は必ずしも一致しない●
まず、母語の解説から。
田中『ことばと国家』
生まれてはじめて身につけ、無自覚のままに自分のなかにできあがってしまったことば、それはもはや、あたかも肉体の一部であるかのように、他のことばとはとりかえることができない、そういうことばの概念も、固有語のそれに劣らず、ことばと人間との根元的な関係を考えるときに、しっかりと手放さないでおきたい。生まれてはじめて出会い、それなしには人となることができない、またひとたび身につけてしまえばそれから離れることのできない、このような根源のことばは、ふつう母から受けとるのであるから、「母のことば」、短く言って「母語」と呼ぶことにする。(29ページ)
先にも触れたように、われわれ一般の日本人にとって多言語の問題が厄介なのは、「国家語」と「母語」、「話されることば」と「ことばを書く手段」の関係が、ほぼ一対一に対応してかつ比較的安定しているところにある。まあ、このような幸せな状況は地理的にも歴史的にも非常に稀なものなのだが、日常生活の中で日本語にどっぷり浸かっていると、そのことを自覚することは極めて困難なことだ。しかし、ひとたび多言語とかマルチリンガルといった問題に足を踏み入れたとたん、この問題が突如として立ち現れてくる。
この辺りのやっかいな問題を見事に示す例を田中の前掲書から引いておこう。筆者も含むある世代の人たちは、国語の教科書で必ず読んだであろうドーデの「最後の授業」という短編について。
「・・・ドーデの短編は、*母国語*(以上原著では傍点)を奪われそうになる人々の悲しみと、死んでもそれを奪われまいと決意する、自分たちの言語への愛着を見事に描き出しているのである」(鈴木孝夫「閉された言語・日本語の世界」傍点は田中)と述べた例がそれである。・・(中略)・・永年の言語弾圧にもかかわらず、いまなお七〇%のドイツ語(あるいはアルザス語)を母語とする住民において「死んでも奪われまいと決意する」のは、どう考えても奇妙な、つじつまのあわない話である。その決意ができるのは「フランスばんざい!」と黒板に書いたアメル先生だけのはずである。しかし、注意しなければならないのは、アメル先生は決して「母国語」などということばを使ってはおらず、単に「自分のことば」と言っているし、翻訳された日本語でもそうなっているのである。それを「母国語」としたのは、またもや日本の一般読者向けの扇情的な思い入れである。(50ページ)
【「日本語」を固定したものと考える危険性】
一般的には母語と母国語が一致しないという世界の常識を身につける手っ取り早い方法は、母語=母国語という日本の常識をうち砕くことだろう。
酒井直樹『死産される日本語・日本人』
歴史資料を見れば、多くの漢字で書かれた文献のなかに日本語と思われることばや統辞法が見つかるかもしれない。しかし、ある語や文字が孤立した単位であるかぎり、それが日本語に属するかそれ以外の言語に属するかは決定できない。したがって、たとえば、「ゲーム」ということばが一九九一年の時点で日本語に属するかどうかは、この単語だけからは決定できない。と同様に六二〇年の段階で「漢字」からなる成句が日本語に属していたかどうかも決定できない。それは、この語が日本語として同定されうる体系に組み込まれているかどうかにかかっている。それが現代日本語のような「漢語」を構成要素にする体系なのかどうかもわからないし、ひるがえって、「漢語」でない大和ことばの体系としての日本語が存在したかどうかも決定できない。したがって、そのような体系の存在をあらかじめ前提しないかぎり、ある特定の語が日本語かどうかは決定しようがないのである。逆にいえば、日本語起源論に代表される古代日本語に関する議論は、日本語の存在をあらかじめ前提にしたかぎりで可能になっていたため必然的に同語反復の構造をもち、しかも自らの同語反復的な構造に気がついていな い。「日本語」という実定性の定立によって、日本語の歴史言語学に包摂されるような経験の領域が可能になるのである。しかも、誤解をまねかないように言っておかなければならないが、この私の論証では歴史言語学の記述する経験がたんなる幻想であるということは、まったく意味されてはいないのである。
このことは、古代において文献の数が圧倒的に少なく、話しことばを記録する手段が未発達であったからそうなのではない。この議論は現代の日本語にもあてはまる。日本語という実定性の存在を前提するかぎりで、日本語の個々の要素を構成する日本の「ことば」が日本語として同定しうるものとなるのである。個々の日本のことばを「経験」するためには、それ自身は「経験」しえない体系としての「日本語」なる実定性を措定しなければならないのだ。私たちは日本語をひとつの体系性として「経験する」ことはできないのである。なぜなら、この「日本語」という実定性は「経験」を可能にするにもかかわらず、「経験」のなかにはけっして与えられることはないからである。その意味で、「日本語」という実定性は理念的な性格をもち、「統制的」実定性あるいは「経験発見的」実定性としての他の「被構成的」実定性と区別することが可能になるかもしれない。
したがって、「日本人」や「日本文化」の同一性は経験的には規定できず、古いことばでいえば、そこには必ず「神話」が含まれる。「日本人」「日本語」などの同一性は「神話」の媒介なしには成立不可能である。しかし、とくに戦後の天皇制においては「日本人」「日本語」「日本文化」は確実に前提されている。それらの実定性は「現実的に」存在している。「日本人」や「日本語」「日本文化」は神話によって媒介されているからといって、もちろん幻想であるということではない。
近代性とは、こうした「統制的」実定性が社会的現実を規定し、大多数の人びとがこうした「統制的」実定性の制約のもとにその社会的現実を生きはじめることと、とりあえず定義できるはずである。つまり天皇制との関連でいえば、近代性とは、「日本人」「日本語」そして「日本文化」といった統制的実定性と天皇制の諸制度が内在的な関係を結び、社会的現実の一部となりはじめることと考えられる。(137ページ)
なんと見事なそして強靱な文章なのだろう。酒井直樹は、長くアメリカで研究生活を送り、現在コーネル大学で日本思想史、文化理論、比較思想史、文学理論などを教えている。言語的人種的マイノリティとしてアメリカのアカデミズムの中で生きていくことによって、酒井には一般のいわゆる日本人が見落としてしまうものが見えているに相違ない。
一方、韓国人であるイは、逆に外国語として日本語を見ている。近代日本において「国語」ということばの成立が、いかに国家としての「日本国」の成立と深く係わり、かつそれが日本のアジアへの軍事進出と係わっていたかを解き明かしている。
イは、著書の「結び」で、本文で取り上げた山田孝雄、上田万年、保科孝一の「国語」思想と現在の日本語を巡る状況の関連を述べている。
このような山田孝雄の神がかった「国語」の思想は、そのままのかたちではもはやよみがえることはないだろう。しかし、「国体」の伝統ではなく、今度は「文化」の伝統の連続性という文化主義的言説に衣をかえて、「国語」の純粋性と伝統を称揚することは、いまでも十分可能である。そのような立場に立つ者は、山田孝雄が憤慨したように、国語改良論は伝統を破壊する改革派官僚のしわざであると主張してやまないだろう。
それにくらべれば、上田と保科の「国語」の思想は、「敗戦」をこえて生き残った。戦後の「国語改革」が保科の長年の努力の結実であるばかりではない。ここ十年ほどでブームになった「日本語の国際化」とは、上田と保科の言説の延長上に位置づけることができる。本書で論じたように、現在「日本語の国際化」をめぐってさまざまに論じられている話題は、ほとんどが戦前に保科孝一がとりあげたものだった。このように考えてみると、あまり見栄えのしない保科を、「国際化」の先駆者として祭り上げることもできるだろう。
しかし、保科がひそかに心にいだいていた言語政策の夢を見おとしてはならない。すなわち、「国家語」と「共栄圏語」は、保科の言語政策の究極の目標であった。言語はその内部において宿命的に政治的なものをかかえこんでいることを理解しない、「日本語の国際化」論は、「国家語」と「共栄圏語」の思想へと直結するであろう。
おそらく、保守派と改革派との「国語」をめぐるヘゲモニー争いは、これからも続くであろうが、その争いそのものが日本の「言語的近代」の表現をかたちづくってきたと見なければならない。保守派と改革派の両者が争いのなかで相互に補完しあいつつ、「国語」の思想は揺るぎないものになってきたのである。
なぜなら、保守派も改革派も、ひとつの暗黙の前提を分かちもってきたからである。その前提とは、日本語のゆるぎない同一性である。山田孝雄と上田・保科とでは、この同一性が成立するレベルはかなり異なり、むしろ敵対しあう関係にあったにせよ、日本語がひとつの同一的な実体であるという信念は両者でかわることはなかった。
すなわち、日本語の同一性を暗黙の前提としているかぎり、「国語」の舞台の外には出られないのである。その意味で、「国語」の思想は、近代日本の言語認識の世界を限定づける地平線をなしている。しかし、いまや、その地平線の向こうには--アイザック・ドイッチャーの「非ユダヤ的ユダヤ人」という言い方をかりるなら--多様で無定形な「非日本的日本語」のつぶやきが聞こえてくるであろう。「国語」の思想が、「国家語」と「共栄圏語」の思想に変貌するかどうかは、これら「非日本的日本語」の声をどのくらい真摯に受けとめるかにかかっているのである。(316ページ)
われわれは、戦前の軍事的侵略と結びついた日本語教育が、決して過ぎ去った過去のものではなく、現在につながる問題であることをもう一度肝に銘じておく必要がある。
この項の最後に、川村湊が『海を渡った日本語』で引いている小説の一節を再引用しよう。
チェジュド(済州島)にチュウォルのビョンシン(知恵遅れ)の息子いてた。イルチェシデ(日帝時代)終わってすぐチュウォル済州島帰った。そやけどチェス(運)ないことに選挙反対や、選挙反対ゆもんペルゲンイ(アカ)やゆて、チェジュッサラム(済州島の人)とユッチサラム(本土の人)殺しあいしたゆ話お前も知ってるやろ。そのどさくさに出来たピョンシンの息子コモニム(姑母様)に預けてチュウォル日本に逃げてきたやげ。
在日朝鮮人二世作家、元秀一(ウォンスイル)の書いた小説『猪飼野物語』(草風館、一九八七年)の中で、大阪猪飼野(生田区)に住む在日一世のおばあさんがしゃべる、朝鮮語(済州島方言)と日本語(大阪方言)の入り混じった「イカイノ語」とでもいうべきクレオール言語の例である。(猪飼野は、在日朝鮮人が密集して住んでいる”朝鮮人部落”としてかつて有名だった。クレオールとは、二つ以上の言語が混じりあって出来上がった混合語。ビジン・イングリッシュなどのピジンが母語化すればクレオール語となる)。
こうした「日本語」は、これまで片言であり、”間違った”日本語として排斥や忌避の対象とはなっても、まともに言語学的な対象や、文学的な言語表現語として鑑賞の対象として取り上げられることは皆無といってよいほどなかった。琉球語、アイヌ語による言語表現が、「日本文学」として鑑賞や研究の対象として考えられてこなかったのと同じように(あるいはそれ以上に)、それは言語表現とも、言語とも認知されてこなかったというべきなのである。だが、日本語が「国際化」するということは、こうした「ヘルンさん語」(小泉八雲のことばを妻の節子が保存したもの。引用者注)「イカイノ語」が生まれてくるのが必然であり当然な社会になるということであって、「かわいい日本語に旅をさせよ」というのは、まさにこうした「日本語」を、日本語の「生きた力」としてとらえることが出来るかどうかにかかっているといえるのである。(269ページ)
ピジン、クレオールという複数の言語=文化がぶつかり合うところで生じる問題にとって、日本も例外ではあり得ないことが、ご理解いただけたと思う。因みに、カン・サンジュンも、前掲の『多言語主義とは何か』に寄せた論文で、崔洋一監督の『月はどっちに出ている』という映画を取り上げて、在日韓国人・朝鮮人の間に見られるクレオール化への予感を論じている。
ピジン・クレオールとは、
『多言語主義とは何か』
言語学の教科書的な定義から言えば、クレオールとは、ピジン(pidgin)がある言語社会の母語(mother tongue)となったときに生まれるものである。ピジンは、「共通言語をもたない人々の間に起こる、ある限られたコミュニケーションの必要を満たすために生まれる周辺的な言語」であり、接触の初期の段階では少数の語彙で事足りるような取引などに限定されていることが多いようである。このような性格をもつピジンの統語構造には、ある意味では当然のことだが、接触言語の「余剰性」(redundancy)をできるだけ少なくし、その構造を簡略化しようとする傾向がみられる。クレオールは、こうした単純化された言語構造をもつピジンを母語とし、さらに母語であることから、人間の経験のあらゆる領域を表現するためにピジンよりも語彙を拡大し、より複雑な統語体系をもつようになった言語である。(141ページ)
【最後に】
第二十期の国語審議会の審議経過報告は、その冒頭で言葉遣いに関する基本的な認識として、「平明、的確で、美しく、豊かな言葉の重要性」という一項を立てている。筆者はこのことに異を唱えるものではないが、上に挙げたイカイノ語をして「美しいことばではない」と言い立てる権利は、何人にもない。
三浦は、前掲書の「はじめに」の部分で、下記のように指摘している。
三浦編『多言語主義とは何か』
・・・歴史的に確認できるのは、新しい「媒体(メディア)」が登場する度に言語の淘汰が行われてきたことだ。すべての言語は話し言葉として生まれたが、文字の発明によって書き言葉をもったのはそのごく一部である。印刷術が発明されたとき、文字が活字で印刷されるようになったのはそのまた一部である。ラジオやテレビが発明されたとき、電波に乗ったのは支配的言語に限られ、電波放送は方言の消滅と国語の浸透に貢献した。そして、コンピュータが発明され情報ハイウエーの時代を迎えようとする今、電子ネットワークに乗るのはほんの一握りの言語にすぎない。(011ページ)
われわれが実現すべき多言語情報環境とは、遙か彼方の目標ではあるかもしれないが、決して単なる多国語情報環境ではなく、ましてや英語や日本語という単一言語環境でもなく、イカイノ語などのピジン、クレオールを含む多様なことばを豊かにすくいとるものではないか。
三浦が歴史的に確認したことを、少なくとも電子ネットワークの世界では覆す努力をしたいものだ。
【多言語問題を考える際にヒントとなる書籍】
三浦信孝編:『多言語主義とは何か』,藤原書店,1997.
この本は、タイトルからも分かるように、現代的な意味での「多言語主義」「マルチリンガリズム」について、さまざまな筆者が寄稿している。どうも1996年初夏にフランス語フランス文学会と日本フランス語教育学会の共催シンポジウム「一言語主義から多言語主義へ--フランス語の未来」というシンポジウムが契機となって編纂されたものと見受けられる。したがって、フランス語圏の話題がやや目立つ。しかし、編者の努力のたまものだろう、先に挙げた酒井直樹を初め、カン・サンジュン(東京大学社会情報研究所)、西垣通(東京大学社会科学研究所)、今福龍太(中部大学)など、筆者好みの執筆者も巻き込んで、アンソロジーとしての水準を単なるフランス語教師たちのお勉強会を遙かに越えた話題にまで引き上げている。
話題は多岐にわたる。
アフリカ、台湾、アメリカなどの地域に即した多言語環境の問題、クレオール文学、亡命者文学など、言語状況と不可分な文学の問題、インターネットを初めとする英語帝国主義の問題など。
田中克彦の「ことばと国家」がこの問題を考える上での基本教科書なら、さしずめこの本は、演習の教材といったことになるだろう。ネットワークやコンピューターの話題は、西垣通が論じているだけだが、(このこと自体が大きな問題だと思う。ビット的な話題と藤原書店的な話題を結ぶ人材が少なすぎる!)ここに取り上げられた問題は、どの一つを取っても我々に(ビット的な人間が)実装という意味で解決を迫ってくる問題ばかりだ。
やや長くなるが、今福の議論の要約を一つ紹介しておく。
アメリカとメキシコの国境付近のフリーウェイ上に、奇妙な道路標識がある。男と子供の手を引いた女がシルエットで描いてあり、上に英語で”CAUTION”と書いてある。下にはスペイン語で”PROHIBIDO”。メキシコ人がアメリカに密入国することに係わって設置されたものである。
しかし、この標識の英語が示す意味とスペイン語が示す意味は全く異なる。英語の”CAUTION”は、「道路を横断する人に気をつけて」という意味だが、スペイン語の”PROHIBIDO”は、「道路を横断して不法に入国することは禁止」という意味を含んでいる。複数言語が併記されていて、その持つメッセージの意味と想定されるメッセージの受容者が異なることは、異常な状態と言えるだろう。
ここでは英語を読むのはアングロ系アメリカ人、スペイン語を読むのは密入国したメキシコ人中米人という暗黙の前提がある。
これをアングロ系アメリカ人に対しては「道路を横断する人を轢くのは禁止」、メキシコ人や中米人に対しては「道路を注意して渡りなさい」というメッセージと読み替えてみることにより、新しい状況が見えてくるのではないか。
今福のこの例は、ある言語で発せられたメッセージが、時にそのメッセージの受け手を明確に規定し、言語の選択そのものがある種のメッセージを含んでいることを見事に示している。マクルーハンの謂いを借りるならば、「言語の選択はメッセージである」ということになろうか。
田中克彦:『ことばと国家』,岩波新書,1981.
田川:『書物としての新約聖書』
これは新約聖書に限らずどの領域にも共通することだが、専門家というものは、当然知っていなければならないような最も重要なことは、当然であるが故に、つい暗黙の前提にしてしまって、書物に書いたりはしないものである。しかし、その種の知識こそ、狭義の専門家以外の人々や、あるいはこれから専門的な勉強を志す人々にとって、実は最も必要なものである。(iiページ)
田川が指摘するように、どのような分野であれ、その分野の常識を過不足なく記したすぐれた入門書は、決して多くはない。こうした中で、田中克彦の『ことばと国家』は、多言語問題の前提となる社会言語学の最良の入門書となっている。必読。
酒井直樹:『死産される日本語・日本人』,新曜社,1996.
『日本思想という問題』(岩波書店、1997)、『多言語主義とは何か』に寄せた論文も含め、日本語を徹底的に相対化する視点は、強靱にして鮮烈。翻訳における非共約性の議論は、自動翻訳の問題を考える上でも有益。
イ・ヨンスク:『「国語」という思想』,岩波書店,1996.
田中克彦のお弟子さん。
川村湊:『海を渡った日本語』,青土社,1994.
酒井やイが、アカデミックな視線で「国語」「日本語」の問題を論じているのに対して、川村湊の著書は、植民地における日本語教育の問題を、ドキュメンタリーに近いスタイルで評論しており、熱い思いが伝わってくる。イの著書も含め、言語教育がいかに軍事的侵略行為の先兵となりうるかを、教えてくれる。
安田敏朗:『植民地のなかの「国語」』,三元社,1997.
時枝誠記の朝鮮における国語政策への係わりについての研究。
川村湊やイ・ヨンスクが見落としている資料まで丹念に掘り起こして、先の戦争中の朝鮮半島における言語政策への時枝誠記の係わり方を検証している。実証と推論のせめぎあいは、ある種のミステリーを読んでいるようなスリルがある。
全体の立論を省略して一部を引用するのは危険きわまりないが、あえて一個所だけ。イの時枝批判を肯定的に引いた後のところで。
言語の主体としての話者を、実際は「伝統」や「社会」や「民族」という概念で縛り付け、言語主体としての個人の意識に徹底的にこだわることをしてこなかったことは指摘してきた通りである。そのことは確かにイのいう「国語の生活のなかにいない外国人の研究者は、いったいどのようにすれば言語過程説による国語研究ができるのだろうか」という反問が正当であることを意味する。そうであるからこそ、時枝は臆面もなく朝鮮人は朝鮮語を捨て「国語において楽しむ」生活を送れといい得たのである。これは先にも述べたが、時枝の「言語過程説」の帰結なのであった。(165ページ)
田川建三:『書物としての新約聖書』,勁草書房,1997.
情報処理を専門とする雑誌の「多言語」を主題とするブックガイドで、「聖書」に係わる書物を取り上げることには、多くの読者が奇異を感じることと思う。しかし、敢えて。
誰が何と言おうと、聖書はやはり書物の中の書物、”The Book”なのです。一般の書物(テキスト)が遭遇するであろう問題のすべてに遭遇していると考えてよい。筆者の経験の範囲でも、何か新しいメディアに係わる問題を検討する際、聖書について調査ないしは思考実験を行えば、ほぼすべての問題点をカバー出来る。(聖書でカバーできない点は性を対象としたコンテンツを考えればよい。聖と性はけだし不即不離。)
田川のこの著書は、帯にも記されているように「成り立ち、言語、写本、翻訳を詳細に解説した画期的な入門書」である。
電子的な問題への言及はないが、「正典化の歴史」(電子テキストの原典性の問題)、「新約聖書の言語」(新約聖書はその成立から多言語世界を前提としている)、「新約聖書の写本」(正文批判)、「新約聖書の翻訳」(翻訳の本質的問題)と、電子テキストを考える際に、避けて通ることが出来ない重要な問題についての示唆に富んでいる。
ウンベルト・エーコ著、上村忠男・廣石正和訳:『完全言語の探求』,平凡社,1995.
言わずと知れた記号学の泰斗にして大ミステリー作家の作品。バベルの塔のエピソードで失われたといわれる完全言語を求める飽く事ない努力の系譜を描いている。この努力の系譜にどこか感じられる滑稽さは、モノリンガリズムの偏狭さと相通じるところがある。
媒介言語としての国際的補助言語についての言及は、異言語間のコミュニケーションへのもう一つの選択肢を考えさせられる。
江藤淳ほか:『電脳文化と漢字のゆくえ』,平凡社,1998.
筆者も寄稿しているが、全般的には日本文芸家協会の方々の漢字コードに対する危機感が基調にある。本稿で述べたいくつかの常識に照らして、議論の展開を追われることをお勧めする。
一部に明らかな事実誤認が目に付く。ただし、個々の事実関係については、当事者以外なかなか把握することが困難だろう。このこと自体が、情報規格が制定される過程の問題でもあるのだが。
アルバート・ゴア・ジュニア著,浜野保樹監修:情報スーパーハイウェイ,電通,1994
インターネットのバラ色の未来の背後に潜む、情報帝国主義を理解する最適のガイド。随所に「次の時代のアメリカの繁栄と優位性の確保」といったことばが散見される。アメリカが繁栄するのは結構なことだが、他の国々はどうなるのだろう。