『ATOK監修委員会設立秘話』

『ATOK監修委員会設立秘話』

《愚者の後知恵》ずっと『電脳辞書の国語学』を書かれた箭内さんのことが心にかかっていて、「広告」に原稿を書く機会を与えられたとき、その思いをまとめた。箭内さんとは、その後、月刊アスキーの『電脳辞書の国語学--ATOK監修委員会インサイドストーリー』の座談会で再会を果たした。
1997年5月
「広告」(1997年5、6月号、博報堂発行)

コンピューターやワードプロセッサーで日本語を入力するとき、通常は意識するとしないとに拘わらず、仮名漢字変換システムというプログラムのお世話になる。筆者が属しているジャストシステムでいえば、ATOKというのがそれに相当する。
たとえば、今の水準の仮名漢字変換システムでは、「けいきがわるいのでこうこくとりにくろうする」とひらがなを入力すると、「景気が悪いので広告取りに苦労する」とまず正しく変換するレベルになっている。しかし、ここに至るまでには、長い研究開発の道のりがあった。以前のレベルでは、たとえば「計器が悪いので広告鳥肉老刷る」といったとんでもない変換をしかねなかった。
当初、仮名漢字変換は、一つ一つの漢字に対応する読みを区切って入力する、いわゆる単漢字変換からスタートした。その後熟語変換、単文節変換をへて、ひらがなのつながりを自動的に文節に区切った上で変換する技法が一般的になっている。
今では、「きしゃのきしゃがきしゃできしゃした」を「貴社の記者が汽車で帰社した」と変換するといった同音異義語の使い分けまで、文脈をみながら正確に変換するソフトも現れている。
このような、仮名漢字変換システムの進化は、一方で日本語の文法をコンピューターで扱うための技術の進歩、もう一方で多様な日本語の語彙を読み、品詞、表記などで体系的に収録しているいわゆる仮名漢字変換辞書の進歩が、車の両輪となって支えてきた。
しかし、常に揺れ動き変化を続ける日本語をコンピューターで扱うためには、単に技術的論理的な研究だけではいかんともしがたい不分明な要素を取り込むことが不可欠となる。そして、そこには、優れて人間くさい側面が存在している。
ジャストシステムでは、辞書内容、アルゴリズム双方について、言語学、日本語学、社会文化の動向など多方面の知見を反映すべく、1993年から「ATOK監修委員会」という社外の識者数名からなる集まりを組織化運営している。この設立に至る一つのエピソードを紹介しよう。

筆者は、前職が児童雑誌の編集者だったこともあり、ジャストシステムに転じてまもなく、「学年別ATOK辞書」という製品の企画開発に携わった。以前から知遇を得ていた小学校のベテラン校長先生に依頼し、子供たちが学校で習う言葉、日常使用する言葉の双方から、かなり丁寧に言葉を収集吟味して、この製品を作った。教育用途ということで、目的が明確だったので、比較的整合性のとれた辞書を作ることが出来、大方の評判も好意的なものが多かった。
ところが、思わぬ伏兵が潜んでいた。当時「TheBASIC」という雑誌に掲載されていた『電脳辞書の国語学』という連載記事で、思いも寄らぬ指摘を受けた。筆者は、箭内敏夫氏。長く市中銀行に勤務し、そのころは系列の不動産会社に勤務するごく普通のベテラン企業人だった。後におうふうから単行本として刊行されたものから、引いてみよう。

「先生の教材作成向けにジャストシステムが発売した小学校学年別のATOK用辞書、たとえば6年生用のSHO6は、見れる・着れる・食べれるを登録している。カタログには「」新教育指導要領に準拠した語彙」と表現していた。文部省がラ抜き表現を公認したこととは聞いたことがない。」(56ページ)

「ATOKの気まぐれ登録は、ATOK7だけではない。Large辞書でも小学校学年別のSHO辞書でも変わりはない。たとえば長野県木曽郡の日義(ひよし)小学校の生徒たちは、隣村の楢川(ならかわ)が一発で出てくるのに自分たちの日義は日吉にしか変換できないと、ひがむことだろう。」(69ページ)

この二か所に筆者は、まさに愕然とした。最初のラ抜き表現。当時からATOKは、動詞に関して「見られる」「見られない」という通常の使い方と「見れる」「見れない」といういわゆるラ抜き表現の双方に対応できる機能を持っていた。さらに、ラ抜き表現を抑制することも可能になっていた。しかし、迂闊なことに、せっかく専門の教育関係者に語彙の選択を依頼したのに、動詞に関してラ抜き表現をどうするかという疑問を呈することなく、製品化を行ってしまったのだった。語彙としての動詞を考える際に、その活用の揺れにまで踏み込んで検討する、という今となっては当然の配慮が欠如していたのだ。事後的に監修者にお伺いを立ててみたところ、「現場の国語教育、特に作文教育では、格別ラ抜き表現を指摘することはほとんどなく、むしろ子供たちの自由な表現を尊重することに重点が置かれているので、ラ抜き表現をことさら抑制することもないだろう」という答えをいただき、胸をなで下ろしたものだった。

地名について。この辞書の制作過程では、ある時期まで人名、地名などの固有名詞も、各社の教科書に記載されているものを中心に体系的に採録するという方針を採っていた。しかし、最後の段になって、固有名詞に関しては、ユーザーである先生方の仕事の中で、児童たちの住所、氏名の入力が、大きな比重を占めることを考え、通常製品に含まれる固有名詞をそのまま、流用することに方針変更をしたのだった。結果、通常製品の持つ問題点が、この辞書にも反映されることになってしまった。

箭内氏の指摘は、見る人が見れば仮名漢字変換辞書を制作する側が意図したことや意図から漏れ落ちていたことなどを見透かすことが出来るということを、いやというほど思い知らせてくれた。

仮名漢字変換システム用辞書の制作に当たって、ある一貫した意図ないしは方針が必要だという指摘をしていたのは、箭内氏だけではなかった。パーソナルコンピューターの最初期からユーザーとして発言しておられた、文芸批評家、作家、文化史家の紀田順一郎氏も夙に以下のような指摘をしておられた。

「OA文具としてのワープロの現況を見る限り、漢字処理能力にはまだまだ不満が残る。一つは辞書の貧弱さであり・・・・。これはいまだに辞書の編者が明らかでないことも関係があろう。そこには辞書編纂に必要な編者の人格性(思想や言語生活の体系)が存在せず、言語生活における定見を有しない係員が、かなり恣意的に既成の紙辞書を孫引きしたり抜粋したりするだけという弊害が一向に改まっていないようだ。」(大修館刊、月刊「しにか」Vol.1/No.2 9ページ)

箭内氏の非常に具体的な紙礫(かみつぶて)は、ジャストシステムが紀田氏の指摘する方向に一歩踏み出す、大きな契機となった。社長の浮川の指示もあり、筆者は紀田氏、箭内氏にお目にかかったうえで、率直な問題点の指摘をお願いし、ATOKの辞書に規範性と人格性を持たせる方策を考えていった。
結果、紀田氏を座長とし、気鋭の日本語学者若干名から構成されるATOK監修委員会という組織を発足させ、そこでの討議を経て、ATOK辞書制作の規範を求めていくこととなった。この組織への筆者からの参加要請に対して、箭内氏は市井の批判者としての立場を貫きたいと意志から、参加を固辞された。

ATOK監修委員会設立の効果は、目を見張るものがあった。紀田氏は、その超多忙な執筆スケジュールにも拘わらず陣頭に立たれ、百科事典の項目リストをそれこそトイレの中から移動中の電車の中まで持ち歩かれ、必要な語彙のチェックをしてくださった。委員会の場における議論も活発を極めた。言葉が常に移ろいゆくものだという基本認識の元、今の時点で多くのユーザーに信頼され、かつ納得される辞書内容とするため、さまざまな議論が繰り返された。たとえば、誤用が日常的に用いられるようになって定着したかどうかの判断。現在のATOKでは、「やまいこうもう」と入力した場合は、「病膏盲」ではなく本来の表記の「病膏肓」に変換されるが、「どくだんじょう」と入力した場合は、「独擅場(どくせんじょう)」ではなく「独壇場」と変換する。これなども、「どくだんじょう」は定着したが「やまいこうもう」は現時点ではいまだ誤用と考えるべきだ、との判断があり、その上でユーザーの誤用を受け入れた上で従来正しいとされている表記を出す、という方針決定の結果なのだ。

ATOK監修委員会の最初の成果は、ATOK8として結実した。ATOK8の出荷を受けて、箭内氏は、「電脳辞書の国語学-番外編」として、「ATOK8辞書を評定する」という評論を書かれた。開発を担当した社員、監修委員の先生方の努力にもかかわらず、やはり箭内氏の批判は歯に衣を着せぬ厳しいものだった。しかし、その最後に書かれた一言は、筆者を含め議論に議論を重ねた関係者の努力に報いて余りあるものだった。

大修館書店の月刊言語は、93年5月号で「辞書 新時代」を特集テーマに取り上げていた。紀田順一郎さんは「新時代の辞書に望む」ことを次のように書いている。ATOK監修委員会の座長である。

もともと辞書というものはなんらかの規範性を意識しなければ編纂が不可能なことは、だれでも知っていることである。語彙の選択にあたっても、編纂方針やスペースの範囲内で妥当かつ十分なものであるかどうかが考慮される。その辞書の利用者にとって「拠るべきもの」であることが意識されるはずである。

その通りだと思う。スペースはかなりの範囲まで広がったのだから、座長の編纂方針がスタッフの一人一人に浸透し辞書内容の一語一語にまで十分な配慮が届いたら、ATOK8はもっと規範性の高い辞書になったに違いない。
ジャストシステムが業界でトップの地位にあるからこそ、あえて厳しい指摘をした。
いずれにしても現在の日本語変換システムの中で最高水準にあることは事実である。潜在的な素質を備えた、育て甲斐のある辞書だ。私はATOK8を常用するようになるだろう。
箭内氏がこの連載を通して、日本の仮名漢字変換辞書の品質向上に果たされた役割はけっして少ないものではない。この連載が、国語学関係の出版を専門とする「おうふう」から単行本になるに際して、仲介の労を執られたのは、当初からの監修委員の一人だった近藤泰弘氏(青山学院大学助教授)だった。

 

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