6月17日から24日まで、全くプライベートに妻とイタリアに行った。ローマ、ボローニャ、フィレンツェ。その後遺症からまだ復帰できない。かつてスタンダールはフィレンツェの華麗さに圧倒されて、酔ったような状態になったというが、それもあながち誇張ではない、と思わされた。
ヴァチカンの世俗的な富と美、あらゆる街角にあるあまたの教会、コロッセオの古代から現代までがまさに積み重なって共存しているローマ。中世の大学都市を今に残すボローニャ。そして、ルネッサンスの精華、フィレンツェ。
少しずつ吐き出していかないと、頭の中が、イタリアに押しつぶされた状態のまま、永遠に先に進めないかもしれない。
渦巻く頭の中から、少しずつ形が見えてきたものも、少しはある。
ウフィッツィ美術館の《春》と《ヴィーナス誕生》。(ボッティチェッリ自身の作品も含めて、それ以前の絵画、それ以後の絵画とは、全く隔絶された二つの作品。ああ、ボッティチェッリのこの二つの作品は、ルネッサンスという歴史的な現象をそのまま形にしたものに違いないのだ。
レオナルド・ダ・ヴィンチ、フラ・アンジェリコ、そしてボッティチェッリを含む数多の《受胎告知》、ルカによる福音書が、マリアの心の変化の過程を描いたものだと思い知らされる、それぞれのマリアの姿の違い。
フラ・アンジェリコの《ノリ・メ・タンゲレ》。かつて、森有正が言及していた、イエスの足の向き。
ボローニャで見た《ファルスタッフ》とローマで見た《マノン・レスコー》。ヴェルディの最晩年の作品と、円熟に向かおうとするプッチーニの作品は、ともに、1893年に初演されたのだった。すでにして独自の音色を得ていながら、ベルカントオペラの域から抜けきれないプッチーニと、言葉、劇の進行、音楽が一体となった軽妙達意のヴェルディ。それらを日常のこととして楽しむ聴衆。
ローマで食べた客に挑むような洗練のモダンイタリアンとボローニャ《パパレ》の親しみのこもった料理。
さあて、どこから吐き出していこうか。
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