デジタル出版と製本技術

デジタル出版と製本技術

《愚者の後知恵》1998年から2000年にかけて係わった電子書籍コンソーシアムは、苦い思い出と共に多くの多くの考える糧を与えてくれた。この論考もその一つ。
2002年2月
不明

1998年から2000年にかけて、電子書籍コンソーシアムという団体に関わり、「Book on Demand総合実証実験」という衛星配信による電子書籍の実証実験を行った。
この実験は、正直なところ惨憺たる失敗に終わったのだが、失敗から得られた教訓も多かった。今後も折に触れて、ぼくが得たさまざまな教訓について触れることになると思うが、今回は、製本について。
デジタルコンテンツの話題を主とするサイトで製本の話題、というのを奇異に感じる方も多いと思うが、現在のテクノロジーを前提に考えると、紙の書物とデジタル配信された書籍との相違を突き詰めていくと、高価な機械を用いてプロフェッショナルな職人が製本したものか否かという点に行き着くように思う。
デジタル書籍と紙の書物の相違を、例えばディスプレーで読むか、紙で読むか、ネットワークを通して配信できるか否か、といった形で比較していったとき、守旧派からよく指摘される点は、やはり書物というものは、紙に印刷された形で読まなければ深い意味での内容の把握は困難である、という批判である。この指摘にはある程度の説得力があり、インターネット上の様々なドキュメントやメールのやりとりを、一端プリントアウトして読む人もいまだに多くいる。電子書籍も、LCDやCRTで読みにくいのなら、プリントアウトすればいいではないか、という話。
ところが、ちょっと考えると思い至るのだが、PDFファイルをプリントアウトして読んでもどうもありがたみがない。図書館で借りた書物をコピーマシーンでコピーして読むのと同じような味気なさが残る。
このPDFのプリントアウトやハードコピーと、書物の差は、突き詰めたところ、先に述べた高価な機械を用いてプロフェッショナルな職人が製本したものか否かという点に行き着くような気がするのだ。これは、あくまでもぼくの気分だけの問題かもしれないが、書物を書物たらしめている大きな因子がバインドアップされて物理的に一つのまとまりとなっているか、バラバラの紙葉の集積か、という問題は決定的なものに思われる。
今後デジタルテクノロジーの進展とともに、旧来の書物の市場がどんどん衰退していくことは目に見えているが、それでも製本技術というものは書物を書物たらしめる貴重な伝統として生き延び、いつか注目を集める日が来るのではないか。

カテゴリー: デジタルと文化の狭間で, 旧稿再掲, 書架の記憶 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です