コバケンの幻想

随分と長い間ポストしなかったなあ。
理由の一つは、このブログのホストに使っているMovableTypeの脆弱性のために、恐ろしい数のスパムコメントにやられて、ちょっと嫌気がさしたことと、身辺雑事に追われて、外界に対するコミュニケーションパワーが極端に落ちていること。しかし、こんなブログでも見に来てくださる方もいるようだし、久々に気を取り直して。
7月2日(土)、日本フィルハーモニーの横浜定期で、小林研一郎指揮のベルリオーズ『幻想交響曲』を聴いた。名演と言ってもいいだろう。指揮者、オーケストラとも、この曲を自家薬籠中のものとしていて、細部にわたるまで、相互の理解が行き届いている。その上で、炎のコバケンそのものの熱のこもった演奏が繰り広げられた。
しかし、ぼくが、書きたいのは、そのことではなく、いや、演奏のすばらしさに加えて、と言おうか、演奏を聴きながら想起された一連の思い出。
30年ほども前、小林研一郎がハンガリーの指揮者コンクールで劇的な優勝をする前、ぼくは、彼の指揮で幻想のティンパニーを叩いたことがある。
全国大学オーケストラ連名(以下、オケ連)という組織があって、ぼくは、そのころ、事務局長を務めていた。
幻想のティンパニーを叩きたい一心で、仲間と言いつのって、オケ連の特別演奏会をでっち上げ、コバケンに指揮を頼んだのだった。初めは、企画のいい加減さと意図の不純さを察したのか、固辞を決め込んでいたコバケンが、曲目を聞いたとたん君子豹変、「どうしてそれを先に言わないの」の一言で、快諾してくれた。
もう、時効だと思うから告白するけれど、謝礼も払った記憶がない。確か、仲間の一人が父君の酒庫からかすめ取ってきたスコッチウィスキーと売れる保証などない入場券何枚かを手渡しただけだったと思う。
しかし、コバケンは、当時の愛車だったフェアレディーZを自ら繰って、都内大学を転々とする練習に何度も駆けつけ、精力のこもった指揮をしてくれた。
ぼくたちの演奏会の少し前に、京大のオケが幻想を演奏しており、その際、京大オケの冶金学科在籍者が、最後の楽章のための鐘を作った話を聞き及んでいたので、ぼくたちは、はるばる仲間の車で、その京大の鐘を借りに行ったりもした。そのころ京大でコンマスをやっていた神前和正君は、自らもヴァイオリンを抱えて、上京し、演奏に加わってくれた。
本番は、言うに及ばず、コバケンの熱演あって、寄せ集めのオケとしては、上々以上のできだったように記憶している。だけど、なによりも、オケのメンバー集めから、会場の手配、チケットの売りさばきと、何から何までを、自分たちでやったことで、ぼくたちには、強い友情が生まれた。
そんな演奏会だった。まあ、青春の一齣とでも言うのだろうか。
以前書いたことがあるが、ぼくには、10年以上もコンサートに行かなかった時期がある。その反動か、ちかごろは、妻と一緒に、ずいぶんよくコンサートやオペラ、歌舞伎などに行く。
そうした流れの中で、日フィルの横浜定期にも通うようになった。コバケンの幻想は、そんなぼくの近ごろの音楽生活を、直接に30年前と結びつけてくれた。
53歳のぼくは、コバケンの幻想を客席で聴きながら、20代前半に戻って、頭の中でティンパニーを叩いていたのだった。

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