ベルリンの伝統

いささか旧聞に属するが、この4月、International Unicode Conferenceの機会に、妻と一緒にパリとベルリンを訪れた。ベルリンでは、国立劇場で、「ノルマ」と「ばらの騎士」を、見た。もちろん、「ノルマ」もすばらしかったが、何と言っても「ばらの騎士」には圧倒された。
2004年の秋に同じ劇場で、「椿姫」を見たときにも感じたことだが、決して派手な演出ではない。舞台装置と言い、衣裳と言い、どちらかというと、簡素というか、抽象的というか、それが演出意図と言われれば、そうなのだろうが、結果的には、コストの安い舞台となっていた。
「ノルマ」は、80ユーロ、「ばらの騎士」は、65ユーロだった。日本からインターネットで注文し、チケットは、航空便で自宅に届いていた。安価だと思う。前回、ベルリンを訪れた時も、地元の方が、ベルリンの歌劇場は、ドイツの他の都市に比べて、入場料が非常に安い、ということを言っていた。
ベルリンは、行政の方針として、ある程度制作費を抑えてでも、市民に対して安価にオペラを見る機会を提供しようとしているのだと思う。
しかし、コストを切りつめる、ということが、安っぽさにつながっていないところ、ぼくは、そこに文化の厚みを感じる。
劇場に売っていたプログラム(一つのプロダクションごとに作ると思われる、小さいが立派な装幀の本)によると。
「ばらの騎士」の世界初演は、1911年1月にドレスデンで行われている。
同じ年の11月には、今の国立劇場の前身であるLindenoperで、ベルリン初演が行われている。
現在のプロダクションの初演は、1995年3月。
同じオペラを100年近く上演し続け、現在の演出になってからさえ、10年間も演奏を繰り返している。
指揮者も歌手もオーケストラのメンバーも、おそらくは、客席のドアの開け閉めをしている職員の一人一人に至るまで、このオペラを知悉しているに違いない。オペラの制作に関わった人々のすべてが、自分が何をするべきかを完全に理解して、確実に自分の役割を果たしている。
歌唱が安定しているとか、オーケストラのアンサンブルがいいとか、現象面での個々の批評を越えるところで、高い完成度が実現している。
その上で、何とも言えない柔軟さというか、余裕というか、自由闊達さというか、音楽が生き生きと伝わってくるのだ。ぼくたちは、音楽を堪能した。
ああ、こういうのを伝統と言うのだな、と思った。
突飛な比喩かもしれないが、ベルリンが作り上げてきた音楽の伝統というのは、鍾乳石のようなものなのではないか。一滴一滴の水滴が石灰質を析出し、それが営々として積み重ねられて、強固で美しい鍾乳石を形成していく。一晩一晩の演奏が営々として積み重ねられて、ベルリンの音楽の伝統を形成していく。
もちろん、日本は日本で、能狂言、歌舞伎、落語などの文化の伝統を持っている。ぼくたちも、歌舞伎座に行けば、そのような日本の文化の伝統を身近に感じ取ることが出来る。
では、日本における西欧音楽の伝統とは。
ぼくは、決して悲観的にはなりたくない。しかし、65ユーロで、これほどの完成度を持った「ばらの騎士」を、日常のこととして見ることの出来るベルリンの市民を、ぼくはうらやましく思う。

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