ホテルビーナス

米国ベイエリアのホテルで、映画ホテルビーナスを見た。
2月3日(木)の夕方、成田を発って、同じ日のお昼前に、定宿にしているUnion CityのExtended Stay Americaにチェックイン、スーパーに食べ物や飲み物の買い出しに行って、一風呂浴びて一眠りして。
夕方から見始めた。
いい映画だと思う。心を動かされた、と言ってもいい。
この映画を一言で言い切ってしまうと、「死と再生の物語」。近しい人の喪失は、自己の部分的な喪失でもある。喪失した自己が占める割合が大きいか小さいかは、人によってそれぞれ異なるとしても、近しい人を失うことが多かれ少なかれ自己の喪失であることに違いはない。
ホテルビーナスには、そのようにして、自己の一部を失った人たちが集まってくる。
自己のよりどころが時間の流れにあるとすると、ホテルビーナスの時間は、ほとんど止まっている。
その時間が、サイという母親を失い、会話と笑顔を失った子供に、会話と笑顔を取り戻させようとする人々の営為によって、少しずつ流れを取り戻していく。
外国のホテルでの一人きりの時間は、恐ろしいほど緩慢に流れていく。そうした時間の中で見たホテルビーナスは、家族や友人たちとのつながりによって成立している自分を思い起こすなによりの時となった。

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