中国文化史の阿辻哲次さん(京都大学)が、標記の御本(中公新書)を送ってくださった。
ぱらぱらとめくって二三の項目を読んでみると、すこぶる面白い。ここのところ、紙の本とはとんとご無沙汰で、もっぱらインターネットからダウンロードしたラジオ番組の耳学問しかやっていなかったのだけれど、最初のページから少しずつ読み始めた。なるほど、随筆とはこういうものだったな、と改めて思った。阿辻さんご自身の学識と、ご家族や友人知人たちにかこまれた日々の生活と、コモンセンスと言ってもよい世上に対する健全な批判精神が相俟って、読んでいて何とも楽しいのだ。
ちょっと人に話したくなるような知識や小話にも不足はない。悲しいかな、ぼくには、妻や娘ぐらいにしか話す機会はないのだけれど、さぞや、阿辻さん、祇園や銀座でもてるだろうなあ、とうらやましくなった。
なによりも、不思議というか、うれしいことは、阿辻さんの手にかかると、一見無味乾燥な漢字が、生き生きとした命を持ったものに感じられるようになること。例えば、「肉」の項目で紹介されている、「然」という字。「《火》と《犬》と《月》(=肉)からなる会意文字で、本来は犠牲として供えられた肉を焼くことを意味する字だった」(p60)のですって。まさに、旧約聖書のアブラハムが犠牲の羊を捧げる場面を彷彿とさせる。おっと、旧約聖書の世界に漢字があれば、《犬》のかわりに《羊》を配した漢字が作られていたかも。
で、ちょっと思い出したことがある。夏目漱石の『門』の一節。
すると宗助は肱で挟んだ頭を少し擡(もた)げて、
「どうも字と云うものは不思議だよ」と始めて細君の顔を見た。
「なぜ」
「なぜって、いくら容易(やさし)い字でも、こりゃ変だと思って疑ぐり出すと分らなくなる。この間も今日(こんにち)の今(こん)の字で大変迷った。紙の上へちゃんと書いて見て、じっと眺めていると、何だか違ったような気がする。しまいには見れば見るほど今(こん)らしくなくなって来る。――御前(おまい)そんな事を経験した事はないかい」
「まさか」
「おれだけかな」と宗助は頭へ手を当てた。
「あなたどうかしていらっしゃるのよ」
「やっぱり神経衰弱のせいかも知れない」
「そうよ」と細君は夫の顔を見た。夫はようやく立ち上った。
この症状は、精神医学の世界では、わりと有名なものらしいのだけれど、近代の病を先駆的に経験した漱石の一面がよく表れていて、すごく印象に残っている。
こう考えてくると、阿辻さんのコモンセンスは、文字を世界と隔絶した無味乾燥な記号として扱う態度とは対極の、文字が人々の世界観としっかり結びついていた幸せな時代を研究しておられることと無関係ではない、という気になってくる。
昨今、人名用漢字の拡張云々が新聞紙上を賑わしている。
名前に使われる漢字は、姓名判断などの要素も加わってまことにやっかいなものではある。しかし、この問題に対しても阿辻さんの立場は明確で、歴史的背景と戦後日本の国語施策の経緯をふまえた上で、ご自身の名字に含まれる「辻」の字が一点しんにゅうだろうが二点しんにょうだろうが、意味するところに何ら差異がないのだから、まったく拘泥しない、というもの。
人名漢字の議論で話題となる字の形の差異の多くが、手書き文字と活字デザインの差であったり、単にうろ覚えで書いた誤字が固定化したものであったり、時代や書体によるある種のデザインの差だったりすることを考えると、一部の人々の微細な字形差へのこだわりが、文化の継承や変化といった観点からは、いささか浅薄なものに思えてくる。