成都で米国産牛肉を食す

国際文字コード標準化の会議で、中国四川省の省都成都に来ている。四川料理の辛さは聞きしにまさるものがあり、日本からの同行者一同、二日目の昼食の火鍋と夕食の小皿料理までで完全にギブアップ。
3日目の夕食は、軟弱者と思いながらも、ホテルのコンセルジュ推薦の西洋料理の店に出向いた。
メニューに英語の記載があるだけで、なんともほっとした気分になる。中で目を引いたのが、米国産の牛肉。いまや、BSEのせいで、日本では食すことが出来ないので、話の種にと思って、注文した。ごく普通の米国牛のステーキだった。
それにしても、今回の日本での米国産牛肉騒ぎは、いったい何なのだろう。
とても単純な疑問なのだが。
ある日、米国でBSEに感染した牛が発見された。
日本は、ほぼ即座に、輸入禁止の措置を執った。
しかし、すでに輸入されていた在庫については、何の措置も執らなかった。
結果的に、吉野家などの牛丼店は一時的なブームに沸き、在庫の払底と共に、他のメニューへの転換を迫られた。
ぼくが不思議に思うのは、日本の行政は、どうして、米国産肉の輸入禁止措置を執ったのに、すでに輸入された流通在庫には、何の措置も執らなかったか、ということだ。
だって、BSE汚染の潜在的な可能性は、すでに輸入された肉も、これから輸入される肉も同じではないのか。これから輸入される肉が危険ならば、すでに輸入された肉も危険なはず。それなのに、日本の行政は、国内の流通在庫には一切手を付けることをせず、消費者に至っては、潜在的にBSEの危険性をはらむと思われる牛肉に蝟集して消費に励んだ、というわけだ。
挙げ句の果てに、日本政府が米国政府に繰り返している主張は、「全頭検査の問題は、科学的な問題ではなく、日本の消費者の心情的な問題だ」云々。
一方で、BSEが心配だから全頭検査をしろ、と言い、一方で、牛丼店に蝟集する日本の消費者、っていったい何なのだろう。また、そのような矛盾した行動を取る消費者の動向に唯々諾々と従う(ように振る舞う)日本の行政って、いったい何なんだろう。
不思議だなあ。
そのうち、米国産牛肉を使った牛丼を中国で食べるツアー、とかが企画されたりして。

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