藤沢市民オペラ《トゥーランドット》

藤沢市民オペラ《トゥーランドット》を見た。11月23日の公演。
ぼくは、1973年の第一回藤沢市民オペラ《フィガロの結婚》から、2003年の《地獄のオルフェ》まで、30年にわたってオケピットに入っていたので、じつのところ、藤沢市民オペラを見たのは初めて。正確にいうと、藤沢市民オペラと銘打った公演には、一部、プロのオーケストラがピットに入ったものもあるので、その一部は、客席から見ている。《夕鶴》《ヘンゼルとグレーテル》《蝶々夫人》など。
客席から藤沢市民オペラを見て、あらためてここで起こっていることはすごいことだ、と思った。客席は本当に満員。すべての人々が、この公演を楽しみにしているのが、ひしひしと伝わってくる。何よりも、拍手が素晴らしい。一幕のリューのアリアでも三幕のカラフのアリアでも、各幕が降りるところでも、本当に絶妙のタイミングで拍手が巻き起こる。一幕と二幕のフォルテッシモの幕切れでは、オーケストラにかぶっている拍手が、三幕のピアニッシモの幕切れでは、一瞬の静寂をおいての割れんばかりの拍手。
合唱やオーケストラの一員として参加している人たちの家族や知人も多いのだろう。ぼくの娘もバトンを引き継いでくれて、合唱の一員として参加していた。かつてのオーケストラのメンバーやダブルキャストのために今日はピットに入っていないメンバーもチケットを購入して客席にいたりする。このような舞台、ピット、客席の一体感が、何とも言えぬintimateな雰囲気を醸し出している。
ああ、これが藤沢市民オペラなのだ。
家族や知人の一体感ならば、アマチュアの発表会でもあり得るだろう。しかし、演奏のレベルとそれを楽しむ聴衆のレベルの高さ。このような場が存在すると言うこと自体が、ほとんど奇跡と言っていい。
福永陽一郎が種を蒔いたこのムーブメントは、畑中良輔さんや若杉弘さんが引き継ぎ、30年の年月を重ねてここまで成熟したのだ。
ここまで書いてきて、自覚したのだけれど。ぼくは、客席にいながら、オケピットに入っていたときとほとんど同じような気持ちでオペラの公演に参加していたのだ。緊張感はずっと少なく、楽しみはずっと多かったけれど、オペラを一緒に作り上げていく、という気持ちでは、何ら変わることはなかった。
そう、この気持ちの一体感が、藤沢市民オペラなのだ。
ブラボー。

カテゴリー: 音楽の泉 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です